ディメンジョンハイスクール/歩桜高校二次元部
九北マキリ
プロローグ
いまどき全寮制の高校なんて珍しいわね、と言ったのは母だ。
男子寮生活を始めて一週間過ぎた。
冗談じゃない。
ここでの生活は『珍しい』程度じゃすまなかった。
たとえば、ここにプライバシーはない。
ベッドのある寝室は、男子八人が共に寝起きする大部屋だ。
寝室の向かいは、廊下をはさんで『勉学室』なる時代錯誤的名称のついた四人部屋がふたつ並んでいる。
勉学室内の片壁際には、結構な広さの机と本棚が四人分造りつけられているけれども、机の間はパーティションがわりの木板で申し訳程度に区切られているだけ。
とても集中して勉学に取り組める環境とは思えない。
でも、このふた部屋が男子入寮者の『居場所』として割り当てられている空間だ。
もちろん『みんなの』居場所であって、ぼく『個人』のではない。
だから、ひとりでいられる場所は、もうトイレの個室だけだ。
なのに、そこでも絶えずひとの気配は感じるから、結局、本当に孤独となれる場所はどこにもなかった。
入寮するまでは、なんだか部活の夏合宿みたいで楽しいかも、と思っていたけれど、実際、ほんの数日でも他人と暮らしてみると、とんでもなくストレスを感じてしまう。
別にひとぎらいじゃないけど。
四六時中家族以外の『だれか』を感じ続けるとだんだん不快になってくる。
つまり、そういうこと。
ぼくにはほかに兄弟もいないから、なおさらそう感じるみたいだ。
他の新寮生も、多くはぼくと同じ思いをしていると思う。
その証拠にぼくらはどんどん仲が悪くなっていく。
同じメシは一緒に食べても、お互いを仲間とは思っていない。
中学の部活で丸一日一緒にいたら、少しは仲良くなったりするのに、ここではもう一週間も過ぎているってのに、まだぎすぎすとした関係のままなんだ。
風呂や洗面所、トイレでは、毎日場所の取り合いになった。
順番待ちの列に横入りするやつとかもいて、そうなるとたちまち大騒ぎとなる。
水回りは建物の構造上、居住フロアの一箇所に集中しているから、蛇口や便器の数は約八十名の新寮生に比して明らかに少ない。
さすがにそういった物理的な理由まで加わると、朝っぱらから殴り合い寸前になるのも理解はできる。
とまあそんなわけで入寮から八日目の深夜、突然洗濯をしようと思い立った。
昼間の様々な新入生用プログラムのせいで身体は疲れていても、替えの下着類さえ底をつきかけたいま、本当に、もうやらなきゃやばかった。
洗濯なんてだれかが――ふつう母親ということになるけど――やるもので、十五年間その行為に及ぶ必要性を感じず、これまで億劫がったツケが、とうとう回ってきた、のかもしれない。
同級生の寝静まった寝室で、ひとり身体を起こし寝床を抜け出すと、ベッド脇に造りつけられた個人用ロッカーの中いっぱいにたまった洗濯物を抱え、寮の暗い廊下に出る。
めざすは廊下の東端にある洗濯室。
洗濯室の電灯はだれかの消し忘れか煌々と明るく、しんと静まりかえっていた。
東北地方は三月末でもまだ寒く、でも、ぼくはひと気のないこの場の、湿って冷たい空気を思い切り吸い込み、なんだか久しぶりの開放感を味わった。
――洗濯に来て良かった。本当に良かった……
おおげさだけど、ひとりでいる、ってことに、とても感動していたんだと思う。
洗剤を忘れたことに気づいたのは、大量の衣類を洗濯槽に押し込み、コインランドリーのそれとは動かし方も性能も異なる古びた家庭用洗濯機を動かそうと、いろいろなつまみやボタンをいじっている最中だった。
白黒の液晶窓に洗剤を入れろという表示まで出た。
新高校生になろうってときに洗濯のことまで気にする中卒男子などそうはいない。
ぼくもその例に漏れず、洗濯用洗剤のような、自分の生活にあまり密接でなかったものは入寮時に自宅から運んできたまま、ほかの荷物と一緒に倉庫室へしまい込んでいた。
薄暗い常夜灯に、ぼうと浮かび上がる廊下のかすかな輪郭をたどりながら、忍び歩きで来た方向へ戻る。
自室を含み五部屋並ぶ寝室たちを通り過ぎ、廊下の西側、突き当たりの倉庫室へ行かなきゃならない。
たどり着くと、カギのかけられていない引き戸を慎重にゆっくり開いた。
開いた戸の隙間から室内へ身体をそっと滑り込ませ、後ろ手にそれを閉める。
暗い部屋の壁を手探りしつつ、なんとかスイッチを探し当て、天井灯を点けた。
蛍光灯の白色光は、暗がりを進んできた目にはまぶしい。自然にまぶたもぱちぱち瞬いた。
視神経が明るさに慣れると、ぼくは入寮初日に貸し出され、場所の記憶も定かでない自分専用の荷物ケースを探すため、室内を見渡した。
――あちゃ、ケースのカギもいるんだっけ
彼女を見たのは、そう思ったのと同時だった。
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