第十七話 父親は悪の組織の手先でした
「変身ッ」
蒼い光がリイトを包んだ。
光は幾何学的な模様を取りリイトの体に張り付くと、ヘルメット、手袋、ブーツ、最後にバイザーを実体化させる。
変身はコンマ数秒で完了し、そこに現れたのは不死身の英雄ジーク・ブルーだ。
「やはり貴様がジーク・ブルーだったか。ファブニール様から聞いているぞ、
「貴方はファブニールに騙されている」
「騙しているのはどらちだ! よくも娘を誑かしてくれたな」
ヴォーダンから向けられた憎悪の視線を真っ直ぐ受け止め、リイトはクリムを庇い立つ。
リイトの背後からヴォーダンに注がれるのは、クリムの動揺と怯えを含んだ瞳。その瞳が彼の逆鱗に触れた。
「やってしまえ、
「グガァ!」
飛びかかってくる戦闘員は五体。
普段のリイトなら相手にならない数だが、ここは狭い室内、背後にはクリムを庇っている。
机を飛び越えた二体同時の爪撃を、強引に薙いだバルムンクで弾くと、剣の遠心力に逆らわず体を回転させ、二段回し蹴りで顎を蹴り抜く。
書棚に背中から突っ込んだ戦闘員には目もくれず、次いで襲いかかってきた三体の爪を転がるように掻い潜った。
爪を空振り体勢を崩した一体の腕を立ち上がる勢いで掴み、そのまま背負投げで隣の戦闘員に叩きつける。
視界の端でクリムに手を伸ばそうとした戦闘員を見咎めたリイトは、床材を踏み抜く勢いでその胴体にタックルをかまして、彼女から引き剥がした。
「クリム! しっかりしろ!」
実の父親が邪竜帝国と繋がっていたことがショックだったのか、未だ放心するクリムの肩を強く揺さぶった。だが彼女は揺さぶられるまま頭をガクガク振るだけだ。
その隙に立ち上がり、背後から襲いかかってきた怪人は裏拳で打ちのめす。
「流石
リイトの背後を虚ろな目で眺めていたクリムの瞳孔が開く。はっと振り向いたリイトの目の前で、ヴォーダンの体が膨れ上がった。
「グ、オォ……」
鍛えられた筋肉が着ていた服を破る勢いで膨張し、老いても精悍な顔立ちが醜く歪む。肌の色は黒ずみ、足が変化したのは胴体よりも太く長い尾だ。
「私こそは竜神ファブニール様の
それは言うなれば、太く短い手の生えた蛇か。しゅるしゅると長い舌を出し入れする口は大きく裂け、鋭い牙が覗いている。そこから垂れたドス黒い紫の涎はカーペットを焼き焦がし、階下まで小さな穴を穿つ。
「そんな……」
対してクリムの口から漏れるのは絶望の呟きだ。普段は気丈な召喚術士の姿など見る影も無い。そこにいるのは動転し、怯えきった少女である。
「怪人に取り込まれたと言うより、これは……変身か?」
「左様、私は竜神の加護を受け、生まれ変わったのだ!」
胴体をくねらせ、ヴォーダン――ミドガルズオルムがリイトを丸呑みにしようと
「見境なしか。このままでは屋敷が崩れ、使用人達まで巻き込んでしまう」
リイトはクリムを片手で抱きかかえたまま素早く立ち上がると、廊下で頭をもたげたミドガルズオルムへと走る。
バルムンクを構え真っ直ぐに突っ込んでくるリイトに対し、反射的に迎撃体勢をとったミドガルズオルムの前で鋭いターンを決めると、怪人を無視して廊下を駆け出した。
「待て!」
音を立てずに迫るミドガルズオルムをエイユウ・ブースターで振り切ると、彼は手頃な窓から身を投げた。
ガラスを突き破った先にあるのは広大な庭だ。
芝生の上に危なげなく着地を決めると、少し離れた木の影へいつの間にか気を失っていたクリムを降ろし、壁を這って追ってきた怪人に向き直る。
「ここならいいだろう。敷地が広くて助かった」
「クリムヒルトを返してもらおう」
「何故だ。何故ファブニールがクリムを狙う。お前たちの目的は何だ!」
「我々の目的はファブニール様の召喚、そのためにはファブニール様とパスを繋ぐことの出来る才能を持った召喚術士が必要なのだ」
「ファブニールの召喚だと!? 奴はまだこの世界に召喚されていなかったのか」
「ファブニール様を
ギリ、とリイトが奥歯を噛みしめる。
「領地のためとはいえ、自分の娘が――クリムがどうなっても良いと言うのか!」
「ファブニール様を召喚できる、ただ一人の巫女となれるのだ。クリムヒルトにとっても幸せな事だろう」
「ほざけ!」
地面を蹴り、リイトが駆け出す。
神速の速さで振りぬかれたバルムンクの連撃は、ミドガルズオルムの尾によって容易くいなされ、それどころか反撃を許した。鞭のようにしなる尾の打撃がリイトの体を打ち据え、数メートルも吹き飛ばす。
なんとか空中で体を捻り受け身をとるが、スーツを浸透してくる尾鞭の攻撃はリイトへ確実なダメージを与えていた。
「強い……!」
これまでの怪人とは比べ物にならない攻撃によろけるリイトだったが、まだその瞳に灯る闘志は消えていない。
「次はこちらから行くぞ」
言うが早いか、芝生を掻き分け這い寄るミドガルズオルムは、その顎でリイトの胴体へと噛みつきを仕掛けた。
紙一重で回避するリイトだったが、反撃に転じる間もなく迫る尾に気付き、これをバルムンクで受け止める。なんとか鞭打は防いだものの、短い前足で地を蹴ったミドガルズオルムの噛みつきが再び背後から襲い来る。堪らず転がり避けるが、その結果ミドガルズオルムの緩く巻いたとぐろの中に誘い込まれてしまった。
「死ねぃ!」
ミドガルズオルムがとぐろを絞った。リイトは怪人の長い体に締め付けられる。だが、
「エイユウスーツのパワーを舐めるなよ!」
巻き付かれる瞬間に割り込ませた手に鱗を砕かんばかりの握力を込めて胴体を掴むと、強引に引き剥がした。
「なんだと!?」
「ウオオオオオオオ!!」
リイトは胴体を掴んだミドガルズオルムを右に左にと振り回し、地面へ叩きつけた。
「何という力……何人もの使徒を殺してきただけはある」
リイトの手から脱したミドガルズオルムはしゅるしゅる呟くと、とぐろを巻いて彼を睨みつける。
互いに油断ならない相手だと悟ったからか、どちらも間合いを計り、迂闊に動くことはしない。
ガサ、と芝生が鳴った。気を失っていたクリムが目を覚ましたのだ。反射的にそちらへ視線を向けてしまったのはリイトだった。
「もらった!」
ミドガルズオルムが動く。
とぐろを巻いた体をバネにして勢い良く飛び出した。
一直線に飛び出した蛇竜の速度は弾丸にも勝る。リイトが視線を戻した頃にはもう遅い、ミドガルズオルムの牙は眼前だ。
しかし、リイトに動揺はなかった。
それは、太い牙に胴体を貫かれても、だ。
ミドガルズオルムの噛み付きは石壁を粉砕する威力を持つが、エイユウスーツの耐久力のおかげで腹の肉ごと食いちぎられることは無かった。だがその鋭牙は深々とリイトの腹に突き刺さり、じくじくと鮮血を滲ませていた。
みしりと骨が鳴る。毒液により溶けた肉が異臭を上げる。ミドガルズオルムに噛み潰されながら、リイトが叫んだ。
「クリム!」
リイトは信じたのだ、クリムの胸に宿る勇気を。
◆
クリムの母親、フリッカが亡くなったのはブリュンヒルデが生まれてすぐの事だった。それ以来、後妻を取らずに二人の娘へ愛情を注いでくれた父、ヴォーダンのことが彼女は大好きだった。
ヴォーダンは名君ではない。威厳のある喋り方や態度を貫いているが、領主としては凡庸な男であることに、クリムは早くから気付いていた。それでも民や家臣を愛し、守ろうとする父親は彼女の憧れだったのだ。
だが、父は過去の栄華に執着するあまり、恐ろしい物に手を出してしまった。これまでの戦いで、邪竜帝国がどれほど恐ろしい相手か実感していた彼女は、それが愚かな行いだと断じていた。
ならば、
(私がお父様を正さなきゃいけない)
愛する父のために。
愛する民のために。
そしてクリムは目を覚ます。
体を起こせば、すぐにリイトと目が合った。バイザー越しでも分かる彼の視線が訴える事を、瞬時に理解した。
頷き、立ち上がる。
胸が熱い。
心で何かが燃えている。
仲間と一緒だから分かる、その熱の名前は勇気。
「巨兵の剣!」
雲を割り裂き、鋼鉄の巨剣が振り下ろされた。
リイトに飛び掛かった事で、伸びきったミドガルズオルムの胴体の中央へと――
「グ、オオオォォォォ!?」
ミドガルズオルムがリイトから牙を外し、激痛に悶える。
真っ二つに断たれた体から血は流れない。怪人は通常の生き物のように出来ては居ない。それ故にその程度で戦闘不能にはならないのだ。
「クリムヒルトォォォォ! 何故、何故だァァァァ!」
半分になった体のまま器用に這うと、その牙を再びリイトへと向けながらミドガルズオルムが叫んだ。
「私はお前の為に……お前が幸せに暮らせるよう、このバランタイン領に栄華を――」
「お父様は騙されているの。ファブニールは私を、民を幸せになんかしないわ!」
クリムの言葉に応え、リイトがバルムンクを振り上げた。
刀身に集まるのは、蒼い勇気の光。
「この身に集え……神話の輝き!」
光は長大な剣となり、悪を切り裂く。
「邪竜両断! ジィィィク・スラッシャァァァァァ!」
蒼の残光を引いて、正義の刃が振り下ろされた。
刃は唐竹割りにミドガルズオルムを両断すると、蒼い粒子となって空間に溶け行く。
「私が、騙されて……? ファブニール様は――」
黒き爆炎を上げ、ミドガルズオルムの体が爆発四散した。
倒れ伏すヴォーダンから立ち上った漆黒の炎は天へと伸び上がり、瘴気を撒き散らしながら広がっていく。
リイトは腹の大穴から血を流しながらそれを見上げた。
炎は渦を巻きながら徐々に一つの形へと結実していく。その形は蛇だ。
邪悪な凶相を歪ませ、長い舌を伸ばす蛇竜は大きくうねると、屋敷を取り囲むように実体化する。
全長数百メートルの怪人が、バランタイン領に顕現した。
「何よ……これ」
「凶竜化……怪人の最期の悪あがきだ」
最初に現れたのは、誰も取り込んでいなかった、理性のない怪人。
次に現れたのは、人を取り込み記憶や知識を受け継いだ怪人。
そして今回は、人が意識を保ったまま変身した怪人。
つまりファブニールはリイト達との戦いでテストをしながら、凶竜化まで行える完全な怪人を作り出すことに成功していたのだ。
「どうすんのよ! こんな大きいの倒せるわけ無いでしょ!」
「お、落ち着けクリム。腹の傷が……」
ガクガクとリイトの肩を揺さぶっていたクリムは、言われてようやくその傷に気付いた。
「は、早く手当を……」
「大丈夫だ。毒液の所為で治りは遅いが、俺は不死身の英雄だと言っただろう」
そう、不死身の体を手に入れたジークフリートの神話を元に作られた彼のエイユウスーツには、他のエイユウジャーを超える治癒機能が搭載されている。即死するか、体を分断されるなど、治癒が出来ないレベルまで体を破壊されないかぎり、常人を越える速度で傷が治るのだ。何も相打ち覚悟でその身を囮にしたわけではない。
「本当に人間離れしてるのね……って、それよりもあの怪人よ! どうするの!?」
「凶竜化は奴らの悪あがき。幹部級でもなければ、放っておいても一時間と保たず自壊するが……」
「一時間も待ってたら、バランタイン領はめちゃくちゃよ!」
そう、これは邪竜帝国がエイユウジャーと彼らが守る人々を道連れにするために作った力だ。それをさせないために、英雄ロボが存在したのだ。
「グラムさえあればなんとか出来るんだがな……」
彼の愛機、英雄ロボ・グラムは時空エンジンの爆発によってリイトと共に大断絶へと落ちた。リイトのエイユウスーツと同様、自己再生機能を搭載してはいるが、時空エンジンそのものは再生できない。たとえ呼び出せても動かないだろう。
「グラムって、確かリイトの話していた鉄の巨人よね?」
「そうだ。
「巨人……巨人ね……」
リイトの言葉に思うところがあったのか、クリムが俯いて何かを考え始める。
「クリム?」
呼びかけるリイトを無視して考え込んでいたクリムだったが、顔を上げると召喚索引書を広げ、彼に向き直った。
「北壁の巨兵の分霊を召喚できれば、あいつに対抗出来るかもしれない」
『北壁の巨兵』。クリムの召喚する英雄の御業『巨兵の剣』の持ち主たる、巨人の英雄だ。
「出来るのか?」
「やってみせる。バランタイン領が魔力の源泉なら、召喚索引書を通じて足りない魔力を補えるはずよ」
「分かった。君の故郷を守るのは、君自身に任せよう」
リイトと目を合わせ、強気に頷くクリムだったが、精神集中に入ろうとして不意に眉を下げた。
「……ねえ、リイト」
「どうした?」
「手、握っててくれる?」
照れ笑いで差し出されたクリムの手は小刻みに震えている。それは未知の召喚に挑む故の恐怖か、それとも武者震いか。
「アンタの勇気、私に分けて」
彼女の震える手を見つめていたリイトは、ヘルメットの下でふっと笑うと、手袋に包まれた左手でその手を握った。
クリムの震えが止まる。
手袋越しにリイトの体温が伝わり、胸の奥が熱くなる。
クリムは自分の心に灯った勇気が、倍以上に燃え盛るのを感じた。
召喚索引書を胸の前に掲げ、詠唱する。
「邪悪より北壁を守りし巨なる英霊よ、今ここに契約す。汝には我らの勇気を! 我らには巨悪を討ち滅ぼす力を! 我らの呼びかけに応え、顕現せよ――」
リイトから溢れる蒼い光は彼の左手へ。
クリムから漲る紅い光は彼女の右手へ。
際限なく湧き出る二つの光が混ざり合い、エイユウギアへと収束する。
「これは」
エイユウギアの位相空間連結装置が作動し、カバーの一部が開く。現れたのは鍵穴だ。
「まさか!?」
リイトが気付くと同時、彼の右手に現れたのは菩提樹を象った青色の鍵。
「クリム、一緒に呼びかけてくれ! 巨兵の名は――」
クリムがリイトの瞳を見つめ、頷いた。
握ったままの手を持ち上げ、青い鍵を英雄ギアへと差し込み、捻った。
「来い――」
「「グラム!!」」
広い庭に、巨大な召喚陣が展開される。
まず現れたのは巨きな剣だ。クリムの喚び出す巨兵の剣にこそ似ているが、刀身は澄んだ空の色と同じ、透明な蒼だ。それを追うように飛び出してきた鋼鉄の掌が、切っ先を上にして浮かんだ剣の柄を握った。そして、空を目指し浮き上がり続ける剣を手繰るかの如く、その巨体は一気に姿を現した。
青を基調とした全身鎧。頭部にはフルフェイスの兜。スリットから覗くのは黄金に光る瞳。額から伸びる前立てには、伸びる枝葉のようなレリーフが刻まれている。胸の前で剣を握る手甲からは短い鉤爪が備えられていた。
英雄ロボ・グラム。
細部こそ見覚えのある機体とは違うが、それは紛れも無く、リイトと共に激戦を闘い抜いた鋼鉄の巨兵であった。
「これが……グラム」
「細部が違うのは、北壁の巨兵と融合したからだろう。差し詰め、『グラム・ツヴァイ』と言った所か」
突如現れた巨兵に、ミドガルズオルムが大口を開け威嚇する。
ずるずると巨体が蠢き、屋敷の塀が崩れた。
「クリムは一般人の避難を誘導してくれ。俺はグラム・ツヴァイで奴を抑えこむ」
「分かったわ。勝ってね、リイト」
「任せろ、クリム」
握っていた手を離し、超人的な脚力でグラム・ツヴァイのコクピットまで跳んだリイトを見送ると、右手を胸に抱いてから、クリムはまずヴォーダンへと駆け寄ったのだった。
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