すべてを忘れたそのあとで
赤糸マト
第1章 振りまかれた種
第1話 目覚め
星々の輝きが見えなくなり、辺が薄明るくなる頃、鬱蒼とした密林のとある木の麓に一人の男がじめじめとしたコケ類の多く生えている地面に横たわっている。
木々の影響で太陽から降り注ぐ光の多くは 遮られ、日の出はじめであるため、あたりは未だに薄暗い。
(……こ、ここは)
男は木々から滴った水滴により目覚めうっすらとあたりを見回す。
(ここは、どこだ? ……うっ)
男が何かを思い出そうとすると頭に痛みが走る。
ガザッ
茂みの音のする方向へ、顔を向けると、手のひらで持てる大きさの青く丸い水晶の隣に、白い布の塊がいた。
白い布から2本の小さな手が出てくる。小さな手は布をどけると、そこには金刺繍の入った赤いベストとズボンを着て背中には約10cmの1本の両手剣を収めた鞘と、その上から茶色いカバンを背負った1匹の真っ白な毛並みで体長10㎝のネズミが後ろ足で立ちこちらを見ていた。
「チュウ、チュウチュ?」
ネズミは男に話しかるように鳴き声を上げる。が、男には何も伝わらない。ネズミはフゥとため息をつくと水晶を男の額に当てる。マリウスの脳内で何かがはずれるおとがした。
不思議な現象に驚いていると、ネズミがまたしゃべりだす。
「おい、いい加減起きろ」
突然、男の脳内に”声”が聞こえる。それに男は不思議そうな顔をしながら起き上り座る。
「お、どうやら聞こえたらしいな。俺の名前はシュリってんだ。あんたに確認がてら聞きたいことがある。名前と……えーっと、なんだっけ」
男は名前を聞かれ、思考をめぐらす。しかし、男の思考とは裏腹に自分の名前を思い出すことができない。
男が思考を巡らしているとネズミは1枚の紙を取り出す。
「えーっと、よく聞け。この中に覚えているものがあったら教えてくれ。名前、種族、ここの地名、ここにいる理由、称号、使命……」
ネズミはつらつらと挙げていく。が、男は覚えていないようで首を振る。
「そうか、まぁそうなるか。右ポケットにある水晶を額にあててみろ」
ネズミはあきらめたような顔を見せた後、男に指示をする。男は指示に従い、右ポケットをまさぐると先ほどの青い水晶と同じ形、大きさの緑の水晶があった。ネズミを見ると指で額をつつくジェスチャーを行っている。
今はネズミの言葉を信じ、額に水晶をあてる。すると、頭の中にいくつかの情報が流れ込む。
「で、思い出したことを言ってみろ」
柔らかな口調でネズミが促す。
「私は……私はマリウス、ここはフィーレの密林……」
そういって口を閉じる。現在緑の水晶によってマリウスに刻まれた情報は3つ。マリウスという名前とここの地名、そしてトワの湖という地名。
(今、私の中にある記憶はこれだけだ。私はいったい何者なのだ? というか、この毛むくじゃらはなんなんだ?)
そう、思考回路が回復したためかマリウスはようやく思案する。いったいこいつはなんなんだと。まるで自分が何者ですべてを知っているような口ぶりをしているこの毛むくじゃらはなんなんだと。そう思っていた。マリウスが考えているとまるで思考を読むかのようにネズミが話し出す。
「トワの湖だろ。俺を疑うのは無理もねぇよな。ま、信じはしないだろうが俺はあんたが記憶をなくす前からあんたを知っている」
「私を……知っている?」
「ああ、とりあえず信用のため、俺の事とあんたの事を教えよう」
ネズミは話し出す。話をまとめると、どうやら自分は魔族という種族らしい。そしてネズミは自分と共に人間と魔族の和平ために動いていたらしい。だが、身の危険を感じ、記憶が無くなる可能性を示唆した自分はこのネズミに後の事を任せた……そうだ。
「ま、ともかくあんたは記憶喪失ってわけだ」
「にわかに信じがたい話だな。で、なんで私は記憶を失っている? 原因は?」
「さあな」
あっけらかんとネズミは言う。
「あんたはなんでか俺に教えてくれなかったんだよ。はぁーあ」
「そうは言われても……」
”記憶がないのだから”と後に続く言葉を飲み込む。
「……ま、不安なのは仕方がないか。とりあえずついてこい。トワの湖まで行くぞ」
ネズミはそういうと、マリウスの肩に乗る。
「ほら、ボサっとしてないで」
どうやら歩けと言っているようだ。マリウスは渋々立ち上がり、歩き出す。
・・・
ネズミの案内通りに歩きながら密林の間を抜けていく。マリウスは歩きながら自身の持ち物や服装を確認する。
持ち物はいくつかあり、様々な生物の特徴や名前が記されている手書きの図鑑、手鏡、先ほど使用した記憶と魔法の封印、付与ができる2つの水晶、ペン、世界地図、干し肉などのの携帯食料、水の入った皮袋水筒、液状の治療薬、10枚ほどの金貨の入った皮袋、そして、ネズミが纏っていた真っ白な布。
服装は黒地に金の刺繍が施されたタキシードのようなものにウエストバッグ、そして光を反射しない、まるでそこの空間に漆黒の穴が開いているような違和感を出すマントを羽織っていた。
ネズミの説明によると、白い布は、生物に状態異常を起こす魔法を完全防御できる能力をもち、マントはどんな物体でも着ているものに被害を出さず後ろへ貫通する能力が備わっているらし。
また、手鏡で自分の顔を確認すると、そこには人間でいう20代くらいの銀色の長髪で真紅の目の男の顔が写っていた。しかし、その耳は先端がとがっており、肌は青く、側頭部から真紅の二本の角が生えている。ネズミ曰く、マリウスの年齢は37歳らしい。ちなみに魔族の寿命は約200年だ。
また、マリウスには魔法と呼ばれる体内の魔力を使い様々な効果のある術を使用する力を有しており、ネズミとの対話もそのために可能になった。現在、マリウスが使用できる魔法は理性のある、あらゆる生物の言葉を強制的に理解し、自らの言語に変換することで、意思疎通と遠距離対話が可能になる”念話”、視界をはるか上空へ移動させ、地上を見下ろせる”俯瞰”2つだ。ちなみにこの魔法はネズミが最初に使用した青色の水晶により覚えたもで、念話は常時発動状態らしい。
マリウスは魔法”俯瞰”を発動させる。すると、目の前の景色と緑色の景色が重なって見えた。目をつぶると目の前の景色は無くなり、その視界には瞼を閉じているにもかかわらず、上空からの青々とした森林を確認できた。どうやら俯瞰は目を閉じた状態でないと十分な効力を発揮できないらしい。
「あのさぁ、いい加減に名前を覚えてよ。俺にはシュリって名前があんの。わかる? 毛玉じゃなくてシュリ!」
「それで、魔族とはなんだ? 人間とはなんだ?」
「あんた人の話聞いてんの?」
ネズミが文句を言う。その文句の通り、マリウスはネズミに対して”毛玉”と呼んでいる。どうやらネズミはそれに不満を抱いているらしい。
マリウスがネズミの言葉の人という部分に疑問を抱いていると、目の前の木の後ろから体長20㎝程のコロポックルを連想させる人型の薄黄色い生物が飛び出てくる。
その生物は人間のように四肢があり木の葉でできた服を着ている。また、その体に似つかわしくない少し大きな球状の頭の上に後頭部から生えた青々とした葉を一枚、日除けをするように頭に載せている。
また、その顔は、人形のような可愛らしい目と口があるが、そんな可愛らしい顔は現在、恐怖に怯えたものになっており、全身は擦り傷や切り傷ができている。その理由は後ろから迫る獣の息遣いと足音で理解できた。
人型の生物を追って現れた獣は、灰色の毛並みを持ち、四足歩行の体長1mの狼のような尾が2本ある獣であった。獣ははこちらを一瞥すると、臨戦態勢に入る。
「グルルル」
「お、やるかい? 犬っころ」
マリウスはどうしようかと考えるとネズミが意気揚々と背中から降ろした鞘から体長と同じぐらいの両手剣を抜き放ち、1歩前へ出る。どうやらあの獣と戦うらしい。
「下がってな」
マリウスが下がると同時に獣がネズミへと飛び掛かる。が、ネズミはそれをあたる直前で避け、その最中、狼の腹部を剣で切り裂く。獣は辺り一面に自らの血をまき散らしながらネズミへと向き直る。しかし、ネズミは振り返る瞬間を逃さない。ネズミは飛び上がると獣の顔へ張り付き、手に持つ剣を獣の眼球へと突き立てた。
「ガッ、グァ」
獣が悲痛な叫びをあげる中、ネズミは突き立てた剣を抜き、今度は眉間に突き立てる。
「すまねぇな」
ネズミがそう言うと同時に獣は絶命し、地に倒れる。
「ま、こんなもんだ。どうだ? 名前で呼ぶ気にはなったか?」
シュリは自慢げに、血の付いた剣の血を振り払い、鞘に納めながら言う。
「すごいな。その小さな体で倒してしまうとは……この獣はなんだ?」
「こいつはフォルウルフっていう魔獣だ。似たやつだと狼ってのがいるな」
「ほう、他にもこういうのがいるのか。で、こいつはなんだ?」
マリウスは逃げ場がないのか木の幹に背中を押し当てて怯えているコロポックルに指をさす。
「ああ、こいつか。こいつはドリュアスっていう魔族の1種だ。念話で話しかけてみな……かわいいなこいつ」
マリウスは言われた通り、念話で話をしてみる。
「おい、お前は何者だ?」
「あ、う、うぅぅ」
「おい、毛玉、喋らんぞ」
「あっれー? そんなはずないんだけどなぁ。あ、あと言っとくけど俺はそいつとはあんたを経由しないと喋れないから」
「経由? どういうことだ?」
「ま、簡単に言えばあんたが俺とこいつ、両方に意識を向ければこいつの話が俺にも聞こえるようになる。深くは考えるな、魔法はそういうものと考えろ。それにしてもこいつ、黙りこくって喋るきはねーのか?」
それもそのはず、このドリュアスは先ほどまでフォルウルフに追われたばかりか、その後すぐに自分の9倍はあるマリウスに話しかけられている。本人にとってみれば新たな敵が出てきたにすぎないからだ。マリウスはそれに気が付く。
「ふむ、どうやら怯えているようだ。どれ」
マリウスは治療薬を出すとドリュアスに振り掛ける。それに対し、怯えを見せるドリュアスだったが、全身の傷が治っていくのを感じ、マリウスへ顔を向ける。
「痛みは引いたか? 話はできるか?」
「は、はい。できますです」
「できるのか、私の名前はマリウス。この白いのはシュリ。お前は何者だ?」
「ぼ、僕の名前はミーです。この森にすむドリュアスです」
治療薬の効果かミーと名乗ったドリュアスは話し出す。話をまとめるとミーはこのフィーレの森にすむ木々と共に生活する魔物で魔族で、最近木々の様子がおかしく、その調査のため散策していたところをフォルウルフに襲われたそうだ。
「ふむ、なるほど。では貴様の村へ行くか、もしできることがあるなら助けてやるから案内しろ」
「は? え? 行くの? なんで? トワの湖に向かうんじゃ……」
「興味を持った。それに我々は和平のために動いていたはずだ。ならば、魔族の事も知らねばな」
ネズミは困惑するがマリウスはどうやら本気のようだ。その証拠にすでにミーを手で掴み、道案内をさせようとしている。
(やれやれ、行くしかないか……ま、もともと行く理由はあったし)
ネズミは諦めたように付いていく。当のミーはというと、調査中の身の上で何も分かっていない状態で帰ることに不満があるようだが、助けられた手前強くは言えず、また、1人ではまた襲われる可能性もあるため、一度帰ることにしたようだ。
当初の行先であるトワの湖から行先を変更した一行はミーの村へと向かう。
「そう言うなシュリよ。先ほどは助かった」
「ようやく名前を呼んだか。あ、あとフォルウルフももってけよ。食糧になるしもったいないからな。正当防衛とはいえ、無駄な殺生はしたくはない」
マリウスは右肩にネズミことシュリ、右手にミー、左肩にフォルウルフの死体を担ぎ、西にあるドリュアスの村へ向かった。
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