第3幕 //第7話
“わたしの相棒、クロ亀くんって言うの”
突然のカメラ愛称紹介が、俺の思考を混乱させる。
「……のん、夏祭りに一眼レフを持っていく女子高生は余りいないよ」
この状況を見るに見かねて、吉田さんが助けを差し伸べてくれた。
「えっ、やっぱそうなのかな」
––––––そうだよ。
そもそも、どうして一眼レフなんて持ってるんだ?家が写真館だからか?
聞きたい事がいくつか浮かんだが、当の本人は眉を下げて落ち込んでいる様子だ。大事そうにカメラを抱えて、そっとその頭を撫でた。
「撮りたいもの、たくさんあるんだけどな……」
「撮りたいもの?」
「うん……」
「それならのん、これにしなさい」
見るに見かねたのか吉田さんがそう言って、棚に置かれていた白いカメラを手に取った。
「それは……デジカメ、ですか」
吉田さんの持つそれは、両手で包み込めるほどのコンパクトなカメラだ。いや、でもデジカメにしてはレンズがやけに出っ張っている気はする。
「いや、これはミラーレス一眼カメラって言うんだ」
「ミラーレス??」
聞き覚えのない言葉に首を捻ると、希が変わりに説明してくれた。
「ミラーレスってのはね、一眼レフにはある複数の鏡がないものなの。ミラー、レスってそのまんま。だから一眼レフよりはちょっと性能が落ちるかなぁって部分もあるんだけど、その代わり持ち歩きやすくて背景のぼかしも綺麗に出るんだよ!それにレンズも交換できるから割と便利だし、どこにでも持っていける。初心者さんにもお勧めできるカメラなの!」
一気に話して、ふうっと息を吐く。さっきまで暗くなりかけていた瞳はキラキラ輝いて、––––何でそんなに興奮してんだお前。
「まあ、それならいっか。ごめんね、クロ亀くん」
そう言って、希は相棒・クロ亀くんを首から外した。棚に置く前に、そっと頭を一撫で。
「すまないね玲央くん。のんはカメラが大好きでね」
吉田さんの目がまた細まった。隣で白いその……何だっけ、ミラーレスカメラを大事そうに受け取った希は、俺の顔をそっと窺う。
「玲央くん。これなら持って行っていい、よね?」
––––––上目遣い+父親の前で頼まれたこの状況で、ダメとか言えるわけもない。
「いいんじゃない」
俺の答えは素っ気なかったが、希は嬉しそうに目を輝かせた。何だろう、ああそうだ散歩に行く前の子犬のような顔をしている。祖父母の家で飼っていた子犬が、確かこんな反応してたな。
「ありがとう!これで、今日はたっくさん写真が撮れるよ!」
「そっか」
「うん!玲央くんもたくさん撮るからね!」
「いや……俺より、そうだな、大樹たちとか撮ってあげたら」
「じゃあみんな撮るっ!」
「……おう」
浴衣に今度は小さめの白いカメラを首から提げて、希は弾むように頷いた。
吉田さんに軽く会釈をして、俺たちは写真館を出る。
空はさっきよりも橙と小紫の色合いが増し、一番星が光り始めていた。
「ああ、この空も撮りたいなあ」
希は立ち止まって、パシャリ、シャッターを切る。手慣れたその手つきに、俺は感心してしまった。
「希って、よく写真撮ってんのか?」
「あれ、言ってなかったっけ。わたし、写真部に入ってるんだよ」
構図を変えてはシャッターを切る。パシャリ、パシャリ。カメラが体の一部とでも言うように、希は一向に目を離さない。
「それは……初めて聞いたぞ」
「えっ、そうだっけ?」
パシャリ、パシャリ、パシャリ。
「おう。それに放課後、割とすぐ帰ってるよな?」
「あー、まあ、毎日部室で活動するわけじゃないからなぁ」
「そうなのか」
一通り写真を撮って満足したのか、希はカメラから手を離した。
「わたしね、世界中をカメラに収める写真家になりたいの」
そう言って、一番星を見上げる。
「色んな土地で、色んな人に出会って。それぞれのドラマを、その瞬間を、写真っていう形で切り取りたいんだ」
初めて夢を明かしてくれた希の横顔は、夕焼けの光と空の色の中で美しく見えた。
***
「おーい、玲央!吉田さん!こっちこっち!」
待ち合わせ場所、商店街西口のゲートの下で、俺たちを見つけた大樹が大きく手を振った。大樹の周りには、日高や村上、柏木といったクラスでも賑やかなメンバーが揃っている。
「えっ、紫村浴衣かよ!」
村上が、俺の姿を見て驚いた声をあげた。
「マジじゃん!」
「めっちゃ気合入ってんな!」
口々に言う日高や柏木は、Tシャツにジーパンと随分ラフな格好をしている。いや、それが普通なんだと俺も思うぞ。ちなみに、気合は入れてない。
「ちぇー、甚兵衛着れば目立てると思ったんだけどなー」
村上は口を尖らせる。真っ黒に焼けた手足に、白地に青いストライプ柄の甚兵衛。なんというか、大分コントラストが激しい。
「陽介、仕方ないってぇ。そもそも、茜音ちゃんは祭り来ないんでしょ〜?」
「そーそー。好きなコいないんなら、目立つ必要ないっしょ」
片瀬とその友達(名前は忘れた)が、宥めるように、いや同情でもするようにそう言った。
「楽しいね、玲央くん」
傍で、希がにっこりと笑った。
「……そうだな」
村上も日高も、今ここにいる他の奴らも、俺が一緒に夏祭りを回ることに何の疑問も抱いていない。
初めこそ、俺がクラスで彼らの輪に加わることに驚いた様子を見せてはいたが、それは単純に今まで話したことないヤツだったかららしい。彼らにとって、俺は“一人が好きそうなやつ”という程度の認識だった。噂は知っていてもその噂にビビったり、取り立てて気にしたりはしない、そういう連中。
「紫村!吉田さんも!たこ焼き食いに行こーぜ!」
村上が白い歯を見せてニッと笑った。
「八時くらいに花火あがるんだろ?その前に腹ごしらえしねーとな」
「みんなで写真とか撮りたいよねぇ〜」
「あ、それなら、わたしのカメラあるんで!ぜひ!」
希が爛々と目を輝かせる。
「じゃー、ま、とりあえず行こーぜ!」
大樹の言葉に、全員が頷いた。
立ち並んだ屋台から漂ってくるにおいに、思わず腹が鳴る。祭りの熱気に誘われるように、俺は一歩、踏み出した。
(第3幕 終)
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