第9幕 //第2話

 職員室に行った希を待つ放課後のアトリエに、当の希より先に現れたのは、亜麻色の髪を一つに括った理事長の孫娘だった。

 突然アトリエの扉が開いたかと思えば、彼女はコツコツと足音を響かせ、一直線に俺の元へとやって来た。そして目の前の木椅子に腰を下ろすと、優雅な所作で足を組んだ。


「倉持さん……なんか、俺に用でもあるのか?」


 口を閉ざしたまま一向に何も言ってこない静けさに耐えかねて、俺は思わず問いかける。

 その問いに彼女はピクリと眉を潜め、はああ、と大きく息を吐いた。


「倉持、さん?」


 再び声を掛けようとした俺に、彼女は突き刺すような視線をくれた。思わずグッと口を噤んでしまうような、めちゃくちゃ怖い顔だ。口に出したら更に恐ろしくなりそうだから、絶対に言わないが。


「貴方に、用、ですって?」

 漸く発されたのは、温度のない声。

「用があるから、わざわざここまで来たに決まっているでしょう?」

冷え切った言葉に滲むのは、好意とは全くもって正反対の色。


 こんなにも敵意に似た色を剥き出しにする倉持は、去年の同じ時期、下校中に呼び止められた時以来だ。

 あの時は確か、希を一方的に避けていた俺を叱りに来た。多分倉持からすれば、俺に態度を改めて欲しくて叱ったのではなく、ただ希のために文句を言いたくなったんだろうけど。仁王立ちで腕を組んだまま、「彼女のぞみの意志を断ち切らないで」とそう告げた倉持は、確かに鋭く、真っ直ぐに俺を刺しに来ていた。

 今目の前にいる彼女も、同じように容赦のない冷たさで俺を見ている。


そうなると……やはり、希の事だろうか。


 倉持が怒るといえば、希関連だろうから。あの時も、それから学園祭の時も。大抵希が嫌な思いや危ない目に合うんじゃないかって時に、倉持は冷えた怒りで場を制していた。

 理事長の孫娘としての立場とは関係なく、希を大事に思うが故の怒りで。だとしたら、一刻も早く聞かなければ。


「倉持さん、俺、」

「貴方に一つ、聞いておきたい事があるの」

 俺の呼びかけを遮って、倉持が口を開いた。

「勿論、希の事よ」


 ああ、まあそうだよな。自分でも「勿論」って言うくらいだから自覚はあるんだろうけど、やっぱり希についてだよな。俺も当然察したよ。

 だけど俺、倉持に敵意を向けられるような事をした覚えはないぞ。俺だって、倉持に負けないくらい希の事は大切にしているつもりだから。


 何に対して怒っているのか、皆目見当がつかない。俺の表情からその怪訝さを汲み取ったのか、彼女はゆっくりと頷いた。

「そうね。貴方は確かに、希の事を大事にしてくれていると思うわ」

 相変わらずの、恐ろしいエスパーっぷりだ。

「それは十分、私も分かっているわよ」

 悔しいけれどね、と付け加えて、彼女は再び大きな溜息を吐いた。

「だからこそ、聞いておきたいの」


 形の整った双眸が、真っ直ぐに俺を見つめる。

「ねえ、紫村くん」

 静かなアトリエに響く張り詰めた声に、俺はグッと息を飲んだ。

「貴方は、希と、このままの関係で良いと思っているの?」


 思いも寄らなかった質問に、目を見張る。


「それは、どういう」

「額面通りの意味よ。希を愛している私としては、どうしても聞いておきたくて」

「あ、愛」

 飛び出た言葉に、益々固まる。そんな俺を見て、倉持はフンと鼻を鳴らした。

「今更そんな反応しても無駄よ。貴方がどれだけあの子を好きかなんて、周囲にはバレッバレですもの。気付かない方が驚きだわ」

「え、ええ……」


 俺ってそんな丸分かりな態度を出してんのか?ってか、それなら当の本人すら気付いてるって可能性も?

 いや、流石にないだろ。


「それで?」

「え?」

「貴方は、結局どうしたいの」

 飲み込みが悪いわね、とでも言うように、瞳が一際鋭さを増した。

「俺、は」

 倉持が、決して戯れなんかで質問していないのは明らかだった。ここで適当な返答でもしようものなら、八つ裂きくらいされるんじゃないだろうか。

 それほど、真剣な表情かおだった。


 俺は、右手に持っていた絵筆をそっと置いた。キャンバスに向けていた身体も、彼女の方へと向け直した。

「倉持さん、俺はさ」

「ええ」

「俺は、きちんと希に、告おうと思ってるよ」

「……そう」

「自分で言うのも小っ恥ずかしいけど。希への気持ちは、決して中途半端とかじゃないから。それは信じて欲しい」

「ええ」

「正直なところ、いつ告白するか、ずっと迷ってた。でも、俺の中であたためてたんじゃ意味ないよな。だから決めた」

 膝の上で、両拳をぎゅっと握り締める。

「俺、今日にでも告うよ」


 それを聞いて、俺を見据えていた鋭い瞳が丸みを帯びた。

「覚悟、できたからさ。ちゃんと伝えるよ」

 丸みを帯びた瞳が、今度はふっと柔らかな色を見せる。

「そう……分かったわ」

 そうして、彼女は頷いた。たった今告げられた答えを確かめるように、何度も、何度も。


 漸く緊張が解けて、俺はゆっくりと拳を開いた。

「倉持さん的には、こんな答え方で良かったのか?」

「ええ、充分よ」

 括った亜麻色の髪が、頷きに合わせて小さく揺れる。

「ごめんなさいね。恋愛事こういうものは、本来当人たちがどうにかするものであって、私のような第三者が口を挟むべきじゃないのだけれど」

 いつも自信たっぷりな倉持が、初めてそっと目を伏せた。

「希は私にとって、本当に大切で。幸せになって欲しいと、心から思える友達だから。」

「そうだな。––––俺も、そう思うよ」

 大切で、幸せになって欲しいと。出来るなら、俺が。


 倉持は、それ以上何も言わなかった。

 瑠花と職員室に行った希がアトリエへとやって来るまで、ただ静かに、俺の描く絵を眺めていた。

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