第1幕 //第4話

 こうして始まった俺の歓迎会は、なかなかに賑やかなものだった。


 瑠花の思いつきから高校の卒業アルバムが取り出された時は、樹子さんも交ざって思い出話に花を咲かせた。五年、いやもっと昔の俺たちは、見るからに若くて青くて、ガキ臭い。

 体育祭、学園祭、クラスマッチに修学旅行。学校行事は思い返せばキリがない。卒業アルバムに納められた写真の数々が、忘れていた数々の記憶を鮮やかに掘り起こしていく。


「ねーねー!これ、玲央が看板描いたやつじゃなーい?」

 学園祭の写真を指差して、瑠花がはしゃいだ声を上げた。

「わっ、マジだ!なっつ!」

 大樹も目を輝かせる。


 二人が覗き込んでいる写真に、俺も何気なく目をやった。

 その写真の風景には、確かに覚えがある。学園祭の頃だから、十月くらいか。二年次のクラスでやった、脱出型お化け屋敷の前で撮った写真だ。数人の男子生徒が肩を組んで、カメラにピースサインを向けている。その中には、俺と大樹の笑顔もあった。大樹なんてお化け屋敷のキャストをしていたものだから、顔中に包帯を巻きつけている。全身、血に見立てた赤い絵の具を塗りたくった男子生徒もいて、写真とはいえ中々に怖い。



 ––––––この学園祭はいろいろあったな。



 そんなことをふと思い出して、途端にくすぐったい、不思議な気持ちになった。

 俺は、お化け屋敷の正面看板と宣伝のビラを描いたはずだ。それも自分で任されたというより、嫌嫌押し付けられた––––まぁ、結果的に楽しんでやりはした––––仕事で、始めは苦労した覚えがある。

 その苦労のおかげか、うちのクラスの看板は大層好評だったらしい。今見直しても、写真で見る限りでは結構リアルな看板だ。


 ––––––あれ、俺、今より凄くねぇか。


「やー、でも、あの時はビックリだったよねぇ。玲央の絵、めっちゃ上手かったし!」

 瑠花が楽しそうに笑う。

「やめろよ」

 人から褒められるのは慣れない。それは大人になった今でも変わってはいない。

「だってホントじゃん。まさか玲央が絵を描くとかさぁ」

「うっせーな」

 照れ隠しでそっぽを向くと、瑠花は途端ににやにやと不気味な笑顔を浮かべる。

「やー、玲央くんってば照れちゃってもう、可愛い♡」

「ちょっとお前黙れ」

「やだ♡」

「黙れ」

「やーだ♡」

「……」


 ––––––そろそろコイツ、締めてみてもいいんじゃねえかな。


 誰とも言わずにそっとお伺いを立ててみる。そもそも“お伺い”ってのを立てようとしてるあたりで負けではあるが。

「瑠花、そのへんにしとけって」

 いつもいい所で諌めてくれる大樹が、今日も笑いながらではあるが瑠花を窘めた。流石親友、頃合いは抜群だ。

「はーい。ごめんねぇ、玲央♡」

「反省してねぇだろ……」

「えへへ」

 瑠花はいたずらっぽく口の端をあげた。その顔はさっきの固い表情よりは幾分かマシだから、今回までは大目に見てやるか。



 その時、アルバムを覗き込んでいた樹子さんが、あら、と嬉しそうな声を上げた。

「この写真はクラスマッチかしら。みんなで円陣を組んで、楽しそうね」

 ふふふ、と手を口元に当てて樹子さんは笑った。

「しかも玲央くんとのぞみちゃん、アップされてる写真があるじゃない。とってもお似合いだわ」



 ––––––あ、



 一瞬で空気が固まったのが分かった。隣に座った瑠花の体が固まって、息を飲むのも。いつも大概笑っている大樹でさえ、バツの悪そうな、しまった、という顔をした。

「あら、三人ともどうかしたの?」

 樹子さんが不思議そうに首をかしげる。


「……いや、何でもないっす」

 自分でも驚く程に、俺は冷静だった。冷静で、何故か積極的だった。

「お似合い––––そう、見えますか」


 本当に何聞いてんだ、俺。


「ええ」

 樹子さんはホッとしたように微笑む。

「だって二人とも、とっても素敵な笑顔だもの」

 樹子さんの真っ直ぐな言葉は、真っ直ぐに心の奥へと突き刺さる。

「そう……です、か」


 俺、今、一体どんな顔してるんだ?

 上手く笑えているといい、と辛うじて残った理性が呟いた。同時に、正直それが無理だとも分かっていた。でもいいんだ。上手く笑えていなくとも、笑顔と呼べなくとも、とりあえず泣きそうな顔をしていなければ、それでいい。

 写真の俺らが素敵な笑顔だなんて、そんなこと。俺が一番分かっているから。



「お、そろそろ時間だな」

 何とも言えない、しんと静まり返った空気を破るように、大樹が努めて明るい声を出した。

「ホントだ!あたしも帰んなくちゃっ」

 大樹の声に弾かれ、瑠花も慌てて動き出す。



 壁に掛けられた時計は、午後八時を示している。瑠花も大樹も明日は早朝から仕事があるらしく、会は早目にお開きにしたいということだった。



「んじゃ、俺、ちょっと瑠花送ってくるわ。玲央はゆっくりしてろよ」

 大樹が席を立って、無造作に財布をポケットに突っ込んだ。

「あ、俺もっ……」

 立ち上がりかけた俺に、大樹はひらひらと手を振る。

「いいよ、長旅で疲れてんだろ。こいつん家遠いし、お前は風呂でも入って待ってろって」

「あら、じゃあお風呂沸かしてくるわね」

 樹子さんも席を立つ。

「いや、俺はシャワーでも……じゃなくてっ、」

「いーんだよ、ゆっくりしてろ」

 大樹の声が覆い被さった。

「だってお前、今回はお客様、だろ?」

 有無を言わさぬ口調に、俺は諦めて小さくため息を吐く。半ば強引な思いやりも、昔っから変わっていない。

「わかった、風呂に入る」

 そう言うと大樹は目を細め、満足そうににやりと笑った。


「っし、瑠花、行くぞ!」

「あ、ちょっと待ってよ大樹!樹子さん、お邪魔しましたっ」

 歩き出した大樹の後を、瑠花がバタバタと追いかける。俺も玄関までは見送りに行くことにした。



「じゃっ、玲央、またね!」

 白いパンプスを履き終えて、瑠花は軽く手を挙げる。

「おう。瑠花、今日はありがとな」

 俺も同じように手を挙げた。



 ––––––っと、危ねぇ。



「瑠花、これ」

「ん?」

「渡すの、すっかり忘れてた」

 ポケットから二枚のチケットを取り出して、瑠花に手渡す。そこに書いてある文字を見て、瑠花はああ、と嬉しそうに笑った。

「ありがと!絶対行くね!」

チケットは、大事そうに小さな鞄の中に仕舞われた。

「おう。……瑠花、」

「んー?」

「今日は、その、ありがとな。久々に会えて楽しかった」

「な、なによぉ、いきなり!」

 目を丸くした瑠花の頬が赤い。


「や、単にお礼的な?」

「びっくりするじゃん!ばか!」

「ばかってお前な……」

「あたしも会えてよかったし!ほんっとに行くから、その時また、ね!」

「おう。さんきゅ」

「もー、調子狂うなぁ」

 そう言って照れくさそうに笑う瑠花は、––––どうしてさっきまで気がつかなかったのだろう、とても綺麗になっていた。


「そーゆー大事なもんは先に渡せよな」

 大樹が呆れたように笑いながら、玄関の扉を開ける。

「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」

「玲央、また今度ね!」

「おう」


 パンプスの足音が、アスファルトの上で軽く弾む。



 初夏とはいっても、まだまだ夜は涼しいみたいだ。

 大樹と瑠花、二人が並んで歩く道は、夜空に輝く月と星々の優しい光で照らされていた。

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