悪党な男達

皇坂りゅう

高橋はらしくなくうろたえる

「あなたって、社会不適合者よね」と、向かいに座った山口美加やまぐちみかに、オムライスを食べ終わるなり言われ、高橋芳成たかはしよしなりは味噌汁を飲むのを止めて「は?」と訊き返した。

 その声が思いのほか大きかったので、社員食堂にいた何人かが振り返り、気恥ずかしさを感じた高橋は、視線を落として碗と箸をゆっくりとトレーに置いた。それから、そっとあたりを見回す。女性社員に好評なカフェ風の食堂内で、誰もこちらを気にしていないことを確認すると息をつき、目を向けると、人目をあまり気にしない美加が少し怒った表情でこちらをみつめていた。

 どちらかといえば美人タイプの凛とした顔立ちが、今日はいっそうきつく思える。というか、今日は会ったときからいつもと様子が違っていた。

 旅行会社の経理部と企画部と部署は違うが、同僚の彼女と付き合って約二年、それなりに喧嘩はしたものの、こんな緊張感漂う雰囲気になったのは初めてのことだった。

「いったい、どうしたんだ」

「私達、別れましょ」

 いやいやいや、と高橋は思わず手を振る。

 先の発言はさておき、いきなり別れをきりだされ、高橋は焦らずにはいられない。喧嘩の勢いにまかせて『あんたとはもう別れるっ』と言われたことはあったが、冷静に告げられたのも初めての出来事だ。なんの前ぶれもなく言いだしたとなると、正真正銘まじではないか。

「ちょっと待ってくれ。俺、なんかしたか?」

 冗談であってくれと願いつつ問うと、「してないわ」と美加があっさり応えた。

「でもあなたって、社会不適合者だし」

「だからなんだよ、社会不適合者って」

「わからないの? なら教えてあげる」

「まず第一に」美加が真顔で人差し指を突き立てた。

「人付き合い嫌いよね? つまらない飲み会に行くぐらいなら、家で映画のDVDを一人で観てたほうがはるかに楽しい、っていつも言ってるし、実際そうしてるし」

「まあ…確かに」

 事実なので、高橋は渋々頷く。酒は嫌いではなかったが、付き合いで飲みに行く、というのが嫌でしようがなかった。仕事中に散々顔を合わせているのだから、飲みたい連中だけで勝手に行けばいいのに、といつも思う。プライベートな時間まで上司や同僚に気を遣って愛想笑いなどしたくないのだ。くだらない話を聞かされたり、興味がわかない会話に参加させられるのは苦痛でしかなく、時間の無駄としか思えない高橋は、相手が納得する答えを絞りだしてはたいていの誘いを断っていた。

 むすっとした高橋をじっと見てから、さらに美加が言った。

「そのうえ、経理部の上司や目上の人間を敬う気持ちがまるでない」

「けど、反発したりせずに、ちゃんとした態度はとってるぞ」

「上っ面はね。だけど皆バカじゃないんだから、あなたがどう思っているか、薄々気づいているとは思うわよ」

「バカとまでは言わないが、尊敬できないもんはしょうがないだろ。俺にどうしろって言うんだよ」

 苛立ったように高橋はコップを掴み、水を飲んだ。それでも美加の表情に変化はない。

「だいたい、あなたは人の気持ちがわからない、考えようともしないのよね。協調性がなくて、自分の気持ちを何より優先する、そういう人間を社会不適合者って言うの」

「だとしても、俺は会社員としてやっていけてる。学歴のないガテン系や、親許でニートをしてるような奴らに比べたら、ずっとましだろう」

 その説明が本当であれば、自分が社会不適合者であることは否定できない高橋の必死の反論は無視して、美加が頬に手をあてた。その目には、あきれ果てたような冷ややかさが見てとれる。

 彼女に不満があるのは理解したが、具体的に何が、というのがわからない高橋は、ほかの社員達が楽しそうに昼食をとる中、人目もはばからず髪をかきむしりたい気分になった。──が、つとめて冷静に美加を見返す。

「いったい何が不満なんだ? 俺の性格か? だったらそう言えよ」

「っていうか、あんまり愛情も感じられない気がするし」

「愛情が感じられない? 本気で言ってるのか?」

 信じられないとばかりに高橋は瞠目する。

 しかし、「だってそうでしょ」と即座に返した美加に引く気はないようだ。

「付き合う前の私の携帯番号はメモらずに一発で覚えたくせに、いざ付き合ったら、プレゼントは安物のアクセサリーとか」

「それは……プレゼントはそんな高い物じゃなくていいよ、っておまえが言ったから」

「私そんなこと言った? いつ?」

「付き合い始めて三日後の九月二十五日、駅裏のカフェで、エスプレッソのおかわりを待つ間に確かに言ったぞ」

 高橋がすらすらと応えると、美加の顔がたちまち歪んだ。

「そういうとこがっ」と出た声が大きくて、慌てて「声がでかい」と高橋が注意すると、きっと睨みつけてから、美加が改めて口を開いた。

「そういう無駄に記憶力がいいとこも嫌なのよ、前に見た古い映画に出てた外国俳優の名前も……ロバートなんとかとか、ジャンなんとか──」

「ロバート・レッドフォードに、ジャン・ポール・ベルモンドだ」

「きちんと言い直さなくていいわよ」と美加がまた睨む。

「そんなふうに長ったらしい名前とかも一度で覚えられるくらい記憶力がいいのに、私の髪型がかわったことには気づかない」

「気づいたって、いちいち言うことじゃないだろ」

「言うでしょ、彼女が髪型かえたら」

 ひそめた怒り声で反撃した美加が、「とにかく」と目つきを尖らせた。

「彼女に対して雑なのよ、あなたは。お金の使い方も雑だし」

「金の話は関係なくないか?」

「ほとんど貯金もせずに、ほしい物はすぐ買う、でも彼女には安物のアクセサリー」

 ああ、と理解した高橋は、引きつっていた頬をわずかにゆるめた。

「要するに、プレゼントが安物だったことを怒ってるのか」

「違うってっ」ととっさに叫んだ美加が、わかってるわよ、とでも言うように軽く手をあげて見せた。

「……それもちょっとはあるけど……」声のボリュームを落として美加が続ける。

「そうじゃなくて、あなたは爽やかそうなイケメンで一見普通に見えるのに、実は社会不適合者でわがままで女心がわかってなくて、そのくせ格好づけで見た目の印象と全然違うって言いたいの。それこそ爽やかイケメン詐欺よ、詐欺。──そして、面食いの私が見事に引っかかったってわけよね」

 思わず高橋は眉を寄せた。

「引っかかったって……そんな俺と二年も付き合ってるじゃないか、嫌いだったら付き合えないだろ」

「そうよ、嫌いじゃないわよ、あなたの顔もすっごく好みだし。でも、私ももう二十七でいい歳だから、こんな出世しそうにない男とだらだら付き合っていられないの。そこそこ金持ちな主婦になりたいのよ、私は!」

 本音を言いきり、ぐっと握りしめた拳に彼女の意志の強さを感じた高橋の肩が、がっくりと落ちる。

 美加は、まるで漫画のキャラクターのように、本気のときは拳を握りしめる女だった。企画部でプレゼンするのが決まったときも、競馬場に行って万馬券を当てると豪語したときも。いつもわかりやすく拳を握って本気を見せる。

 だから今回も本気で言っているのだろう。

 それがわかって愕然となったその胸の内では、台風のように焦りが渦巻いていた。正直なところ、結婚はまだ考えていなかったが、別れを考えたこともまったくなかったのだ。

「だからって、別れるとか言うなよ、頼むよ」

 焦燥感におされるように、高橋の口から素直に言葉が出た。別れたがっている彼女にすがるなど、すごく格好悪いことだと常々思っていたのに、そうせずにはいられなかった。自分の傍にいるのが当たり前だと思っていた彼女がいなくなる、と考えただけで眩暈がしそうだった。

 らしくなくうろたえる高橋の態度に驚きを隠せなかったのか、目を見開いた美加が、思案するように顎に手をあてた。

「じゃあ、そうね……ハリーウインストンのエタニティリングを買ってくれたら、考えなおしてもいいかも」

「なんだ、それ」

「指輪よ、超有名な」

「いくらするんだ」

「百万くらいじゃない」

「百万っ」想像だにしなかった金額に、高橋の声も裏返る。

「そんな金あるわけないだろ、無理言うなって」

「無理だろうとなんだろうと、じゃなきゃ、よりを戻す気はないから」

 きっぱり言って、美加がトレーを手に立ちあがった。「じゃあね」と悠々と去っていく姿を、高橋は呆然と見送るしかなかった。


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