第6話

 清廉潔白だった神殿に血と汗が舞う。両者の執念と高ぶる感情が、神殿を彼らの戦場へと塗り替えていく。

 魔力を飛散させながら、ファウンドの持つ聖剣が天を舞った。魔剣を唸らせ、彼は幾たびもレイドと切り結ぶ。しかし、レイドの肉体まで聖剣は至らない。レイドの剣術はファウンドのそれを遙かに凌駕し、全ての攻撃をいなしてくる。さきほどレイドに刀身が届いたのはまぐれだった。同じ事をしようとしても、二度とできはしないだろう。

 ファウンドは荒い呼吸を必死に押さえながら、走り続ける。魔力量が残り少ない。ティンダロスの能力も残り何回使えるか分からない。もし、魔力を失えば、急速にゾフィアがファウンドの魔核を蝕み、数分と待たずに死に至る。

 レイドがファウンドを切りつけながら言い放つ。


「苦しいか? 辛いか?」


 ファウンドは紅刀を打ち払い答える。


「心配するな。お前を殺す分には問題ない」

「ふん、その様でよく喚く」


 レイドは軽やかな身のこなしでファウンドへと肉薄する。彼は身を覆うほどの鎧を着ているが、その重量をまるで感じさせない。彼はそのままファウンドの腹へ目がけて刺突を繰り出す。


「っく」


 ファウンドは顔を歪めながら、ローブを翻す。ローブが紅刀に絡まり、その殺傷力を一時的に奪う。そのため、その一撃はファウンドの腹を容赦なく打つも、致命傷には至らない。


「小細工がぁ!」


 レイドは追撃をしかけてこようとする。しかし、ファウンドは仕切り直すため、転移してレイドと距離をとる。

 ファウンドはレイドの様子を窺う。レイドは汗一つかいていない。体力を消耗していないようだ。それだけ、奴の動きには全く無駄がないのだろう。

 ファウンドはレイドの一挙手一投足に注意を払う。奴はファウンドの動きを完璧に見通している。それは、アニムの力だけに依るものではない。奴はファウンドを数年も前から研究しているのだ。ファウンドに苦痛を与えるために、ファウンドを惨殺するために、修練を重ねているはずだ。だからこそ、ファウンドは自分の癖を消し、普段ならあり得ない行動をもって、レイドに攻撃を仕掛けなくてはならない。

 それは異常なほどの労力のいる作業だ。しかも、その全ての考えがアニムによって見透かされているときてる。無意識の行動も、意識的な行動も、全て奴には筒抜けなのだ。

 ファウンドは走り出し、レイドの周囲を時計回りに走り出す。何かレイドの隙をつく方法はないか徹底的に観察する。

 レイドがファウンドの様子に業を煮やしたのか、怒声をあげる。


「本当に貴様は臆病だな。一度攻撃しては逃げ続ける。ただそれの繰り返しだ。もう少しましな戦い方をしろ!」


 だがその時、レイドがほんの一瞬だけ左足を庇うような動作をした。もしや、レイドは左足を痛めているのではないか。試してみる価値はある。

 ファウンドは弾かれるように、レイドへと走る。レイドを右手側から攻めれば、攻撃の衝撃を支えるだろう左足に自ずと力が入る。もし、左足に痛みがあるなら、必ず隙が出来るはずだ。

 ファウンドはレイドが思考する間も与えずに、急速に近づいた。だがその時、ファウンドの体を動悸が襲った。


「かっっっ!」


 ファウンドは体をよろめかせ失速する。恐れていた事が起きた。ゾフィアの副作用が戦闘中に発生した。これでファウンドの行動は著しく制限される。

 ファウンドが歯を食いしばり前を見たその時、ファウンドの顔面すれすれに銀の軌跡が過ぎ去った。

 レイドの斬撃。寸前の所でファウンドはその斬撃を避けることができた。もし、ファウンドがゾフィアの副作用で足を緩めていなければ、一刀両断されていただろう。

 ファウンドは歯を食いしばる。左足を庇う仕草はファウンドを誘う演技だ。でなければ、レイドはこれほど最適なタイミングで、刀を振るってはいない。ファウンドはまんまと釣られてしまったようだ。


「相変わらず。悪運だけはいい」


 レイドはファウンドと距離を詰める。追撃を仕掛けてくるつもりだ。しかし、ファウンドは思うように動けない。全身を虚脱感が襲い、喉の奥から血がこみ上げてくる。

 ファウンドはレイドを遠ざけようと、がむしゃらに剣を振るった。しかし、レイドはそれを造作もなく受け流すと、返す刀でファウンドを切りつける。

 ファウンドのローブが切り裂かれ、魔導石の肉体に切れる。レイドの斬撃は魔導石をまるでチーズのように切り裂く。そのため、例えファウンドが全身魔導石の体で構成されていようと、彼の前ではほとんど意味を成さない。

 そして、ファウンドの首めがけ三度目の斬撃が迫る。その段になってやっと、ファウンドは転移できた。

 できるだけ遠くに移動する。レイドから受けた傷は浅い。大した問題にはならないだろう。むしろ、ゾフィアの副作用が著しい。ファウンドは嘔吐感に苛まれながらも、必死に立ち続ける。

 ファウンドはレイドへと視線を向ける。レイドは何故か追撃を止め、動かないでいた。ただ、ファウンドの苦しむ姿を見ている。おかげで、ファウンドは何とかゾフィアの副作用から脱する。

 ファウンドはレイドの背後にある、銀に輝く球体を見つめる。レイドは口ではどうでもいいと言っておきながら、エターナルをしっかりと守っているようだ。今、ファウンドを殺す絶好の機会だった。にも関わらず、レイドが動かなかったのがその証だ。エターナルから離れすぎれば、ファウンドの転移に追いつけず、エターナルを破壊されてしまうと分かっているのだ。


 ファウンドは目を細め、じっとレイドを見る。エターナルを庇いながらの行動は必ず隙を生むはずだ。エターナルを破壊すると見せかけて、レイドを攻撃すれば……

 ファウンドは咄嗟に頭を振るう。レイドには小細工は通じない。こちらの思考は全て見通されている。今の思考すら伝わってしまっているのだ。

 ファウンドは深呼吸をする。頭を一度リセットするべきだ。レイドに心を読まれていると思うと、行動に制約が生じる。思い切りがなくなる。まずはそれを、意識の外に追いやることだ。

 その思考を読んだのか、レイドがファウンドに言い放つ。


「何を考えても無駄だ。全て、俺に筒抜けだからな」


 レイドの言葉で、ファウンドは覚悟を決める。確かに何を考えても無駄だ。ならば、己の全てをゾフィアに捧げ、死ぬ寸前まで剣を振り続けるだけだ。

 そしてファウンドは、一心不乱に走り始めた。彼は鮮血の魔神に、正面から挑む。

 レイドは刀を持つ手に力を入れると、ゾルダム直伝の絶技を放つ。それは轟音をまき散らしながら、ファウンドの眼前に迫った。それを前にファウンドは……

 そのまま空高く飛び上がる。両腕を交差して顔面を守り、剣戟の波濤を受けた。例え空中でも、その威力は計りしれず、ファウンドの魔導石の腕は、深く傷つく。纏ったローブは切り刻まれ、体中から血飛沫が舞う。

 しかし、ファウンドは傷を諸共せずに、その勢いのままレイドへと、肉薄する。レイドは明らかに大業の隙を突かれた格好になり、反応が鈍い。

 ファウンドの斬撃がレイドに迫る。しかし、レイドも一筋縄ではいかない。体を無理矢理に捻ると、ファウンドの斬撃をかわした。


「がぁぁぁぁぁ!」


 ファウンドの咆哮が響き、重低音が木霊する。彼はレイドの死角に出現、聖剣をレイドに突き立てる。しかし、レイドはそれを見越したように刀の腹でそれを受け……


「まだだぁぁぁぁ!」


 ファウンドは剣のかち合いを待たずに、再度の転移。レイドの深紅の鎧へと聖剣を叩きつける。

 激しい金属音。遂にレイドへ攻撃が直撃する。レイドの体が揺らぐ。しかし……


「甘いわぁぁぁ!」


 レイドの放つ刀が光の如き早さでファウンドに押し寄せる。だが、刀はファウンドの残像を切り裂くだけに終わる。


「レイドっ!」


 ファウンドが決死の形相で聖剣を振るった。レイドの目は怒りと驚きで見開かれる。

 ファウンドは間断なく何度も転移を繰り返す。


 転移、斬撃、刺突、殴打、転移、斬撃、転移、転移、転移、転移、転移、転移……


 ファウンドの斬撃はまるで、無数の剣が出現したかの如くレイドへと殺到する。レイドは全ての攻撃を受けきれない。体の鎧は切り刻まれ、はがれ落ちていく。レイドの予測を上回る速度で、ファウンドの斬撃が放たれる。

 しかし、未だに致命傷を与えられていない。レイドは受けるべき攻撃と流していい攻撃をしっかりと把握している。このままでは、レイドを殺すよりも先に、ファウンドがゾフィアに浸食される。

 ファウンドは柄を握る手に力を入れる。さすがに魔神と揶揄されるだけはある。そう易々と殺られてはくれない。だが……

 聖剣の白刃が光り輝いた。聖剣シールの魔法――『魔力無効』が発動する。レイドのアニムを破壊できれば、状況は自分へ傾く。この一撃が当たれば、勝利は目前だ。

 ファウンドは雄叫びを上げる。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 聖剣がレイドの脇差へと向かう。それは真っ直ぐレイドの腰に向かっていった。

 しかし、ファウンドを鈍痛が襲う。レイドの蹴りだ。それによって、彼はレイドから遠く吹き飛ばされる。

 彼は背中から、地面に叩きつけられた。もう少しだった。もう少しで奴のアニムを破壊できた。だが、レイドの攻撃でファウンドは引き離されてしまった。

 ファウンドは即座に体を起こす。もう後戻りできない。聖剣を発動させたからには、もって数分の命だ。それまでに、レイドを殺せなければ、ファウンドは終わる。彼の復讐も、これまでに犠牲になったもの全てが無意味になる。

 ファウンドは立ち上がろうとする。だが、それをさせまいと、レイドがファウンドへと迫った。

 その時、ファウンドは見えた。一筋の可能性を。一発逆転の活路を。

 そこでファウンドは全くの迷いなく、聖剣を槍の如く放った。聖剣は青白い燐光を推力にするかのように、一直線にレイドへと向かって飛ぶ。だが、やはりレイドはそれを予知していたかのように難なく避けてしまう。聖剣はレイドを捉えることなく、そのまま後方へと飛去る。

 そしてレイドの斬撃が、ファウンドに浴びせられた。それはファウンドの胸を切り裂き、魔導石の体に深い傷を刻む。

 ファウンドは崩れ落ちる。魔力が枯渇したのを感じる。体力もほとんどない。もう、立つことさえ難しいだろう。

 レイドはファウンドのその様を、哀れそうに見つめる。


「悪足掻きをするにしろ、もう少しまともな方法があるだろう。全く期待はずれだ」


 しかし、ファウンドはその言葉を聞いた瞬間、小さく笑い始めた。


「なにが可笑しい?」

「いいや。復讐を成し遂げるのは、予想以上に気分がいいものだと思ってな」

「ああ?」


 レイドは何を言っているか分からないといった表情で、ファウンドを見つめる。

 その視線にファウンドは答える。


「俺は成し遂げたと言っているのさ。これで機関は終わりだ」


 その言葉を聞いて、レイドは振り向く。

 そこには巨大な銀の球体が漂っている。そして、そこの滑らかな表面に突き刺さっていた。


 青白く光る聖剣が。


 ファウンドは勝ち誇ったように言い放つ。


「俺の勝利だ」


 エターナルから急速に光が失われる。それはまるで聖剣が、エターナルの魔力を吸収するかのようだった。

 ファウンドは色を失っていくエターナルを見つめながら、口元を緩ませる。度重なる転移の応酬は、レイドに自分の位置を見失わせる事に成功した。ファウンドも意図してやっていた訳ではない。だが、結果として、レイドに隙を作り、あまつさえエターナルのそばまで近づくことができていた。

 ファウンドは遂に目的を成し遂げた。機関に一泡吹かせることができた。これで、シールも喜ぶだろうか。少しは気分が晴れるだろうか。少なくともこれで、第二第三のシールのような犠牲者が現れないことは確かだ。

 ファウンドは幸福感に満たされながら、レイドの背中を見つめる。これから、自分はレイドによって殺されるだろう。でも、それでいい。自分は犯罪者だ。生きていていい存在ではない。奴の妹を殺したのは自分だ。奴の手にかかって死ぬのは道理だろう。心残りがあるとすれば、レイドをこのまま野放しにすること。奴を殺せなかったのは非常に残念だ。そして……

 金髪で清らかな瞳をもった少女の姿が脳裏に浮かぶ。

 いや、彼女の事は考える必要はない。自分は彼女の事を心配する資格なんてない。彼女を捨てて、自分はシールのために行動したのだから。

 ファウンドは達成感を抱いたままま、静かに目を閉じ願う。

 どうか、勇者が消え、すこしでも平和な世界が来るようにと。



「来ないぞ。そんな未来は」



 ファウンドは目を泳がせる。一瞬、耳を疑った。今、レイドがファウンドの心の声に答えた気がしたが。


「そうさ、心の声に答えているんだ」


 レイドが振り向く。そこには満面の笑みを張り付けた悪魔がいた。

 ファウンドは恐怖に慄く。何が起きた。エターナルは破壊したはずだ。アニムを発動できる訳がない。心を読める訳がない。


「だが、実際に読めているだろ? はっはっは」


 ファウンドの心に絶望が忍び寄る。これは一体何の冗談だ。悪夢でも見ているのか。

 レイドは愉快そうに笑う。


「ファウンド。お前の復讐は失敗に終わったんだ。エターナルは健在。全てのアニムは今も、稼働状態だ」

「何故だ!」

「フロイラ戦の直後からお前の思惑に気づいていたんだ。その間、エターナルを破壊されると知っていて、俺が何もせずにいると本気で思っていたのか?」

「っ!」

「移したのさ。エターナルをな」


 すると、レイドは破損した鎧を脱ぎ捨てると、胸を露出させた。その胸の一点からは、強大な魔力が放出されていた。さすがにそこまで露骨に見せられば、ファウンドでも気づいた。エターナルは今、レイドの体内に取り込まれている。

 ファウンドは魔力の流れを見る能力が衰えていた。それはゾフィアの浸食によって引き起こされ、戦いが進むにつれてひどくなっていた。レイドとの戦いに関しては、魔力を見ることすらほとんどできなくなっていた。もし、ミリアがそばにいたなら、エターナルの異常にすぐに気づいていただろう。


「あの球体は、エターナルの力を増幅する拡張装置に過ぎない。俺は事前にあの球体からエターナルを取り出し、俺の体に取り込んだ」


 その言葉を決定づけるように、レイドの胸がこれ以上ないほど輝いている。


「お前はまんまと引っかかった。俺の演技にな。そしてこの様だ」


 ファウンドの心が急速に冷えていく。初めから、レイドの手の上で踊っていたのだ。レイドはエターナルを守る演技をすることで、ファウンドにそれがエターナルだと信じさせた。用意周到で用心深い。それが、レイドという男だ。

 レイドは気味悪く笑い続ける。


「その顔だ。その顔が見たかった。どうだ、苦しいか? 悲しいか? 俺もそれを味わった。お前が妹を俺から奪ったせいで、俺は随分と長い間、苦渋をなめさせられた」


 ファウンドは、レイドの言葉を聞いていない。必死に、エターナルを破壊する方法を考えていた。エターナルを破壊するには聖剣が必要だ。だが、聖剣シールは手元にない。エターナルの拡張装置に突き刺さっている。

 もし、聖剣を手に入れたとして、再度聖剣を発動できるのだろうか。そして、レイドの胸にそれを突き立てることができるのだろうか。しかも、ファウンドには時間がない。あと、数分で自分は死に至る。どんなに楽観的に見積もっても状況はあまりに絶望的だ。どう足掻いた所で、到底達成できることではない。

 レイドはファウンドの考えに付け足すように言う。


「付け足しておくが、助けは期待できないぞ。貴様と戦う前に連絡があってな。グロウという従者はデミラに捕縛された。ミリアというあの脳なしの馬鹿は、勇者達と交戦中だ。あの雌豚がどれだけ強かろうと、数十人の勇者達に囲まれればひとたまりもないだろう。例え、どんな奇跡が起こり勇者達を退けたとしても、この勇者機関の深部にはたどり着けるはずもない」


 ファウンドは思う。レイドの言う通りだ。勇者機関の本部にたどり着いても、この『選別の間』に来るための道を彼女は知らない。それに、まだ、彼女が協会の前で戦っているというなら、どんな魔法や魔導具を使ってもここにたどり着く事はできないだろう。時間を止める魔法や、長距離を移動するような恐ろしい魔法や魔導具などは存在しないのだ。

 ファウンドは崩壊していくエターナルを朧気に見つめる。まるで、ファウンドの心のように、それは音を立てながら、砕けて落下していた。

 ファウンドは認めざるをえなかった。自分の復讐は失敗した。シールのためにと何もかもを犠牲にして、多くの人間を殺したが、全てが無駄になった。自分はただの屑だ。彼女を守る事も出来ずに、加えてエターナルの破壊にも失敗した。こんな自分に一体なんの価値があるのだろう。

 ファウンドの覇気が急速に失われていく。彼を今まで動かし続けた精神力が折れ、彼の中の様々な物が外部へと流れ出ているようだった。

 すると、レイドはファウンドの上にまたがると、ファウンドに耳打ちをする。


「死ぬ最後に教えてやろう。シールを殺すように働きかけたのは、クアラムじゃない。俺だ」


 ファウンドの心臓が大きく跳ねる。彼の頭が理解を拒絶する。一体何の話だ。


「クアラムはむしろ最後まで、渋っていた。ライエン家と事を構えるのはリスクが高すぎるとな。あの小心者は本当に使えない。だから俺が背中を押した。シールの母親を拉致してな」


 ファウンドの目が大きく見開かれる。こいつが全ての元凶だった。こいつが全てを仕組んだ張本人なのだ。


「全てが上手くいっていた。お前がテルミアを殺さなければな!」


 途端に苛立ったようにファウンドの足に刀を突き刺した。ファウンドはもう痛覚がない。ただ妙な違和感があるだけだ。どうやらレイドはぐりぐりと刀をかき回しているようだ。


「あの時、お前に異常なほど殺意が芽生えたな。お前にテルミアの全てを奪われた俺の気持ちが分かるか? 分からないだろう。だから、あの雌豚には俺の苦しみを存分に味わってもらった」


 ファウンドの心が悲鳴を上げる。もう、やめろ、やめてくれ。


「いい声で鳴いていたな。シールという娘は。普段はフロイラだけに任せる作業だが、俺も参加させてもらった。楽しかったぞ、お前の愛する彼女が徐々に精神を壊してく様といったら。最後にはひたすらに俺に懇願していた。何でもするから助けてくれってな。もちろん助けなかった。俺がこの手であいつの魔核を抉り出した」

「あああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 ファウンドは拳を振るった。レイドはそれを難なく避ける。


「どうした? 俺を殺したいか? 俺はここだぞ?」


 どこに力が残っていたのか、ファウンドは立ち上がる。そして突然、自分の胸に右手を突き刺した。


「殺す。お前を殺す」


 ファウンドは囁くように呟いてから、咆哮を上げる。


「おおおおおおおおおおおおおおっっっっ!」


 ファウンドは目から血を流し歯を食いしばりながら、自分の体から引き抜いた。魔剣ティンダロスを。それはファウンドの血で紅く染まり、狂気の輝きを放っている。ゾフィアの触腕が無理矢理に引きちぎられたため、魔剣の至る所にそれが血管のようにこびりついていた。

 そしてファウンドは言う。


「俺は悪鬼だ」


 そのまま、ファウンドは修羅の如き形相で、レイドに飛びかかる。血を滴らせながら襲いかかる様は、まさに鬼のそれ。彼は人間を辞め、レイドを殺すことのみに執着する存在へと昇華した。

 だがしかし、彼の動きは雑で、鈍い。レイドはファウンドの攻撃を簡単に避けてしまう。

 レイドはそのファウンドのなれの果てを見て満足そうに呟く。


「これが絶望の極地か。これが真の憎悪の果てか。満たされる。俺の心が満たされるのを感じる。満足だファウンド。俺は満足だ!」


 ファウンドは当たらないと分かっていても、それでも魔剣を振るい続ける。

 そんなファウンドをレイドは軽く切りつける。ただそれだけで、ファウンドは大きくたたらを踏み、しまいには壁にもたれるように崩れ落ちる。


「さあ、止めを刺してやろう」


 レイドがファウンドの元へと歩んでいく。ファウンドはそれを見つめながら、ぼんやりと考える。

 どうして、シールがあんなひどい苦痛を味合わなければならなかった。彼女が何をしたんだ。彼女はただ普通に生きていただけだ。むしろ多くの人を救っていた。エリムスだと蔑まれても、それでも必死に人々のために生きていた。なのに、何故彼女がそんな責め苦を受けなければならない。

 レイドが近づいてくる。その足音だけが、ファウンドは妙にはっきりと聞こえた。ファウンドにはそれがまるで、死に至るまでの時間を刻んでいるかのようだった。

 ファウンドは霞がかかった頭で思考する。全て自分が悪かったのかもしれない。自分がシールに近づかなければ、レイドがシールに目を付ける事もなかった。彼女が苦しむことも、死ぬこともなかった。自分は余計な事をしたのだ。

 そもそもエミリアを殺した時点で、いや暗部として悪行に手を染めた時点で自分の人生は決まっていたのだろう。人道を外れれば、それ相応の人生が待っているのは道理だ。だから、自分のような屑が、シールのような清らかな人間と共にいること自体が間違っていたんだ。

 レイドの陰がファウンドを覆う。今、彼は刀を掲げているのだろう。それを振り下ろせれれば自分は死ぬ。

 最後にファウンドは心の中で呟いた。

 シールとの出会いは間違いだった。自分は彼女に触れることなく、ただ一人で死ぬべきだった。

 そして、刀が無情に振り下ろされ、ファウンドは……




『それだけは絶対に違う!!』




 その叫び声と共に重低音が響いた。

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