第7話

 ミリアはうっすら漂う砂の靄の中を走る。

 視界はほとんど塞がれている。だが、ミリアは魔力の流れを追う能力に限っては卓越している。視界が遮られようと、魔導人形の位置はだいたい分かる。

 ミリアは漆黒の巨塔――死黒杭を破壊したあと、すぐに透明の魔導人形を探した。それは簡単に見つかった。それもそのはず。アニムの魔力は探そうとせずとも、目に付くほど強大だ。見つけるのは容易い。

 ミリアはすぐに、その魔導人形を叩いた。彼女の放った蹴りの衝撃で魔導人形はアニムを手放した。効果は如実に現れ、それ以降彼らの動きはかなり緩慢さになった。おかげで、魔導供給部分を破壊するのは容易かった。そしてそのまま、グロウを拘束している巨漢の魔導人形も叩き潰し、人質を救出することに成功した。

 グロウが瓦礫によって怪我を負っていないか、心配だったが、魔導人形の装甲は予想以上に堅く、瓦礫如きでは内部の彼に届く気配もなかった。

 ミリアは対する魔導人形に蹴りを加える。『電撃』を纏うナイフを発射してくる魔導人形。こいつを破壊すれば、残るはデミラの乗っているイカの魔導人形だけになる。

 ミリアは体を捻り、高速でその魔導人形の正面に回る。こいつの急所は腹と腰の中間あたりにある。そこを数回叩けば、内部の魔力供給装置は破壊できる。すでに三回蹴りを入れた。あと一度で破壊できるだろう。

 魔導人形は最後の足掻きと言わんばかりに、雷光を引きずったナイフを発射。それは雷鳴を轟かせ空気を切断する。しかし、ミリアはそれを見飽きるほど見ている。そのため、その射撃の軌道も当然分かっていた。

 ミリアは魔導人形に向かって直進する。ナイフが山なりに飛び、ミリアの背後で地面に突き刺さっていく。だが、ミリアには掠りもしない。

 ミリアの金色の膝蹴りが、魔導人形の腹部を貫く。魔力が一際激しく放出されると、その魔導人形は力なくその場に崩れ落ちた。


「よし!」


 ミリアはかけ声を上げる。額から流れる血をふき、今度はデミラへ狙いを定めようと、やつの立っていた屋上の一つに目を向けた。だがそこに、彼の姿はなかった。


「逃げられた!」

「まだ間に合う」


 背後から声をかけられた。振り向くと、足を引きずりながらグロウが現れる。


「奴はついさっき、血相を変えて逃げってった。多分、出口に向かったんだろう」

「あのヘタレ。逃げたわけね」

「出口の方向は向こうだ。この闇市場には出口は一つ。あそこを通るほかに、外へでる道はない」

「分かった、ありがとう!」


 ミリアは早口でそう告げると空高く飛び上がった。出口の方へと視線を凝らすと、確かに高速で移動する物体が見える。今、闇市場で際だって行動しているのはデミラとミリアだけ。それ以外の人間は非難するか、建物の中で嵐が過ぎ去るのを待っている。つまり、動いているのはデミラ以外ありえない。

 ミリアは背の高い建物の屋上に着地すると、前傾姿勢で両手を地面に付ける。


「逃げられると思ったら大間違い。私の正真正銘の全力を叩きつけてやる」


 ミリアの体に光がまとわりつき、これまでないほどの輝きを放ち始めた。



ΨΨΨΨ



 デミラは額にびっしり汗をかき、髪を頬に張り付けながら出口へと向かっていた。

 どこで間違えた。わざわざ、あいつの前に生身を晒した所か。人質を早い段階から利用しなかった事か。それとも下水道でバグラムが父だという事実をばらしてしまった事か。

 どれもデミラの油断からくる行動だ。奴は少女でそしてルーキーだった。すぐに情に流される馬鹿だった。だがら、油断した。こいつなら簡単に殺せると思った。

 そもそも最初の狙撃で何故、外してしまったのだろうか。あそこでしとめていれば、こんなことにはならずに済んだはずだ。手元が狂ったのか。そんなのはあり得ない。外すはずはない。

 その時やっとデミラは気づいた。

 なぜ、はじめの射撃で手元が狂ったのか。それはバグラムの魔導人形を見たからだ。奴の魔導人形にみとれた。一瞬目を奪われた。だから外したんだ。

 思えば、はじめからミリアを追いかけていると思っていたが、その実、父親の亡霊を追いかけていただけだったのかもしれない。だからこそ気づかない内に、手心を加えてしまったのかもしれない。デミラは父親の残像を、未練がましく掴もうとしていたのだ。


「くそ。死んでまで俺の邪魔をしやがって」


 デミラは悪態をつき、視線を背後に向けた。


「さすがに追ってきていないかぁ。俺の魔導人形はそこまでやわじゃないさ」


 デミラは自分を落ち着かせようと呟いた。


「魔導人形はほとんど壊れたが、俺さえ生きていれば何度でも作れる。また作ればいい」


 そう、デミラは自分に言い聞かせ、出口に視線を向けようとした。だがその時、視界の端に目が眩むほどの輝きが映った。


「なんだあれは……」


 アニムに匹敵するほどの魔力量。いや、明らかにそれ以上だ。エリムスでもあれほどの魔力を放出できるか怪しい。だが、その色、その輝きにデミラは見覚えがあった。目に焼き付くほどそれを見ていた。


「あの女っ!」


 デミラは血相を変えて、魔導人形に魔力を送る。イカの魔導人形はデミラを乗せて加速する。だが、そもそも人を乗せるために作った魔導人形ではない。どれだけ魔力を送ろうと、中々スピードが出ない。


「くそ、くそ、くそ! なんなんだ。あいつはなんだんだ!」


 デミラは取り乱し、ただ必死に出口へと向かう。デミラはこれほどまでに、身の危険を感じたことはなかった。いつも魔導人形任せだった。だからこそ、危機に晒された時の判断力はそれこそ初心者のそれだった。

 デミラの視界に出口が見えた。もう少しだ。あとほんの少しで外に出れる。この重圧から逃れられる。

 そして、デミラは安堵した。もう終わったと思った。

 だがそれは大きな間違いだった。

 市場に激震が走る。恐ろしい爆音と光の群が市場を浸食する。

 デミラは思わず振り向いた。あまりの轟音に振り向かずにはいられなかった。

 そして、それを見た。まるで落下する隕石の如く、金色の粒子を纏った塊が一直線にデミラに向かってくる。


「くそ、くそ、こんなの夢だ夢に違いない!」


 そんな叫びは光が空気を削く異音によってかき消される。デミラは前方に向き直り、一身不乱に出口へと向かう。もう少し、もう少しなんだ。

 だが……


「逃がすかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 ミリアは叫びを上げながら、デミラの背後に急接近。音速を超えた回し蹴りを放つ。

 デミラはそれを魔導人形を盾にして直撃を免れる。しかし、彼女の一撃は魔導人形の装甲を引きちぎり……貫いた。


「くそがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 デミラは腹部を強打して、出口目前で弾けるように吹き飛ばされた。建物に叩きつけられて、デミラは人生初めての痛みを味わった。



ΨΨΨΨ



 ミリアは倒れ伏しているデミラの元に歩む。デミラは目を見開き、ひたすらに叫んでいる。


「痛い痛い痛い痛い。なんだこれは、こんなの死ぬ」


 ミリアはそれを蔑んだ目で見つめる。


「そこらへんの盗人の方が、まだましな反応するわ」


 ミリアはデミラの喘ぐ横に立つと、拳を振り上げた。


「お、俺なんかにかまってていいのか? 早く行かないと、ファウンドに追いつけないぞ」

「心配ありがとう。でもね、あんたを一発殴った所で変わらないわよ」


 そう変わりはしないだろう。すでにかなり時間が経ってしまった。出口から漏れ出る光を見れば分かる。日が随分と上ってしまっている。ミリアは焦燥感で今すぐ出て行きたくなる。しかし、それはこの目の前の男を拘束してからだ。

 ミリアは怒りに震える。デミラのせいで出遅れた。多分、加勢できるかどうかは五分五分だ。これ以上邪魔が入れば、絶望的だろう。

 しかし、ミリアにはまだ悲観の色はなかった。まだ諦めていない顔だった。


「おいおい、何だその顔は。まだ、終わってないって顔してやがる。本当に今から追う気なのか?」

「ええ」

「何か追いつく手段でもあるのか?」


 そこでミリアは不敵に笑った。デミラは目を丸くする。


「一体なんだ? 絶対に追いつけはしないぞ。まさか本当に、何かあるのか?」

「私は時間がないの。あんたのおしゃべりにはつき合ってる暇はない。今度は牢屋で会いましょう」


 ミリアの拳に魔力が纏う。


「待て待て待て。俺はもうなにもしない。こんな状態で歩くこともできやしない」


 ミリアは拳をさらに振り上げ……


「止めろ、止めてくれ! 止めろっていってるだろ! 頼む止めろ! 止めろぉぉぉぉ!」


 魔力を伴って振り下ろされた。振動が周囲に伝播する。その拳は彼の顔面ではなく、地面へと叩きつけられていた。しかし……


「殴るまでもないわね」


 デミラは白目を向き、口から泡を吹きながら失神していた。恐怖には勝てなかったのだろう。

 ミリアは近場にあったもので、デミラを縛る。市場だけに、周辺には拘束に利用できそうなものがいくらでもあった。

 彼が容易に見つからないよう、近場の倉庫に放り込む。これで憂いはない。もし、デミラが誰かに助けられたとしても、彼のアニムはグロウが持っている。魔導人形も全て破壊した。もう何もできはしないだろう。

 グロウは重傷と呼べるほどの傷だった。だが、彼は足かせになるから自分は置いていけと言って聞かなかった。これぐらいの傷、自分で簡単に治療できるから気にするなと。

 本当かどうかは分からない。だが、幸いにもここは闇市場。治療用の魔導具が容易に手に入りるのは確かだ。

 ミリアは出口へ駆けだす。ついにファウンドの元へと向かえる。最後の決戦の場に駆けつけることができる。もう一刻の猶予もない。

 ミリアは自分が怪我を負っている事も忘れて走り続ける。額の傷はたかがしれている。だが、腹部に食らった打撃は、やはり内蔵を損傷させたらしい。今は精神が高揚しているせいかあまり痛みを感じていない。だがそのうち、つけを払うことになるだろう。加えて、彼女の魔力は先ほどデミラに放った一撃で六割を失った。魔導具を使える回数は限られるだろう。

 今のミリアのコンディションは、昨日より悪化しているだろう。だが、昨日よりも遙かに彼女は生気に満ちていた。

 それは彼女が指針を見つけたからだ。人生の指針。自分の進むべき方向を見つけたからだ。

 彼女がファウンドの元に駆けつければ必ず力になるだろう。なぜなら、彼女は自分なりの正義の心を、もう持っている。彼女は生ある限り、ファウンドに助力する。そんな人間を退けるのは生半可な労力ではない。

 ミリアは市場の出口から、協会へと足を踏み入れる。もう日は上がっているにも関わらず、そこは異様に静かだった。

 ミリアはそれに疑問を抱きながらも、協会の入り口の扉を思い切り開けた。

 ファウンドを助けに行くための――世界を変えるための大きな一歩だった。

 ミリアは暖かな光に晒される。澄んだ空気。広がる晴天。エリクマリアは昨日の雨が嘘のように晴れ渡っている。そう、だからこそはっきり見える。見えてしまう。



 協会を囲む勇者の群を。



「こんにちは。ライエンのご息女」


 彼女が踏み出した一歩を最初に向かえたのは、そんな嗄れた声。

 勇者機関総帥、クアラムだった。

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