第3話

 熱気に包まれた工房。魔導装置の廃熱で、室内の温度は上昇していた。

 ミリアは重い瞼を開ける。起床と同時に倦怠感が襲ってくる。汗ばむ額を拭いながら作業台を見れば、まだファウンドはそこで寝ていた。

 昨晩、ミリアは魔力のほとんどを使って、魔剣を修復した。魔剣は無事元通りの姿に戻り、ファウンドの体内に戻された。

 そこまでは覚えている。それ以降はどうだっただろう。少し考えて、その後すぐに寝てしまったのだと気づいた。

 ファウンドの様子を見る限り、未だ目を覚ます様子はない。かなりの深手を負っている。魔剣によるエネルギー供給があったとしても、助かるかは分からなかった。彼の生命力に期待するほかない。

 隣に視線を移せばバグラムが座っていた。ミリアの隣でハーブティーを啜っている。彼はミリアが起きた事に気づいたのか、ミリアに聞かせるように呟く。


「山は越えた。あとは奴次第じゃ」


 ミリアは複雑な視線をファウンドに向ける。彼は限りなく悪に近い存在。だが、彼を悪だと認めると、勇者が悪行に手を染めたと認めることになる。彼が正義であってほしい。そんな漠然とした期待があった。だから、彼を助けた。

 しかし同時に、ミリアは悪を救ってしまったのではないかという罪悪感も感じていた。自分は正しい判断をしたのか。ファウンドを見る度、複雑な感情が胸の内に渦巻いた。


「儂はのお。こやつが死んでも、正直何も思わん」


 ミリアの心臓が跳ねる。ミリアは即座にバグラムを凝視する。しかし、バグラムはこちらを見向きもしていない。バグラムに心の内を読まれたと思ったが、気のせいだったようだ。ミリアは胸をなで下ろした。

 バグラムはお茶を啜りながらゆっくりと話す。


「儂とこやつは利害が一致しとるだけじゃ」

「利害……機関への反逆があなたにとって益のあることなのね」

「そう……じゃな。儂は我欲がよくに憑かれた老害じゃ」


 そう告げたバグラムの視線はどこか遠くを見ていた。そしてバグラムは語り始めた。


「儂は、諦めておった。自分の研究が日の目を見ることはもうないと。ただ座して寿命を全うするだけだと、そう思っていた。だが、ある時、ファウンドに出会った。瀕死の身体で、こやつは言うんじゃ。『好きなだけ俺の身体をいじっていい。代わりに俺の命を保たせてくれ』とな。儂は心の底から歓喜した。また、そんな感情が溢れてくる自分に驚いた。儂はまだ夢を捨てていなかったのだと。その時、悟ったんじゃ。心の底では微塵も研究を諦めておらんかったんじゃ。自分の研究の有用性を確かめたい。衆人環視の前で、自分の研究成果を披露したい。そんな自分の欲を知ってしまったら、もう後には引き返せなかった」


 バグラムは淡々と話す。彼の語る言葉とは裏腹に、彼は暗い表情をしていた。


「儂はこの悪魔の誘いに乗らずにはおれんかった。じゃからファウンドに、儂の全てをそそぎ込んだ。結果、奴は生き返り、機関に大打撃を与えている。これこそ、儂の研究が最新の魔導技術に決して劣っていない証明じゃ。儂の夢は叶ったんじゃ」


 バグラムは自分の感情を隠すかのように、ハーブティーを一気に飲み干す。カップの底を見つめながら言葉を続ける。


「奴が死んだ時、機関は気づく。奴に施された技術が自分たちの知らないもので作られたことを。肉体と魔導石の融合。自動で動く魔導具。魔力を変質させる魔導変換装置。どれもが、機関の研究水準を大きく上回っておるのじゃ。それらを、目の当たりにした連中は等しく度肝をぬく。きっと、あやつも……」

「あやつって、誰?」 


 それまで黙って聞いていたミリアが問う。バグラムは振り返り、そして再度正面を向いた。


「儂の弟子であり、息子であり、そして……儂を機関から追い出した男じゃ」


 ミリアは言葉も無かった。この老人は自分の息子によって、研究生命を絶たれたのだ。

 バグラムの瞳が虚空を見つめる。冷めた声でバグラムは続ける。


「奴は儂に事実無根の汚名を着せ追い払った。まるで、蠅を始末するような手軽さでな。そして奴は儂の研究成果全てと莫大な金を得た。奴は金の亡者じゃ。金のためならなんでもする男だった。もしかしたら、儂はあやつを見返したかっただけだったのかもしれん。それなら全て合点がいくわい」


 すると、バグラムはおもむろに立ち上がった。ミリアは彼を見上げる。バグラムは穏やかな眼でミリアを見つめる。


「下らん話を長々と聞かせてしまったな。ハーブティーは飲むか?」


 ミリアは頷いた。その時、バグラムは初めて笑顔を見せた。その顔を見て何故かミリアは、父の姿を思い出した。

 陶器にハーブティーが注がれていく様をミリアは見つめる。

 ミリアはこの老人が哀れでならなかった。自分の息子に裏切られ、世間に背を向けて今まで生きてきた。そして最後の願いが、息子を見返すことだなんて、なんて悲しいのだろうか。


「お嬢ちゃんは優しい子じゃな」


 その時のバグラムの表情は犯罪を犯している人間には到底見えなかった。


ΨΨΨΨ


 バグラムはハーブティーを飲むミリアに、何故か安らぎを感じていた。

 バグラムは初めこの少女の事を、愚鈍な機関の信者だと思っていた。しかし、彼女と会話をするにつれ、それが間違いだと気づいた。

 澄んだ瞳や均整のとれた顔立ちから想像する人物像とは異なり、彼女の内には激烈な闘志が潜んでいる。正義以外を許さない絶対の意志。それは時に愚鈍さを助長させる要因にもなりえる。

 だが、彼女には下らない誇りや建前を廃して、客観的に物事を考えようとする合理的な面がある。その二つが良く作用し、彼女の人間性を際だたせている。

 彼女は立ち止まらず進み続けるだろう。どんな危険が伴おうと。そんな性格であれば彼女は必ず、機関の真の有り様を知ることになる。そのとき、彼女はどう思うのか。

 バグラムはミリアに対し、情が沸き始めていることに気づく。この心優しい少女の力になりたいと、思い始めていた。

 バグラムがミリアを暖かい目で見ていると、彼女が顔を上げた。その顔にはバグラムの話を聞いていた時の少女の面影はなく。完全に戦士のそれだった。


「そろそろ、約束を果たしてもらえる?」

「遂にきたか」 

「もちろん。まず、私を解放して。このひもを解いて。それからゆっくり話を聞くわ」

「ふむ……」


 バグラムは考える。彼女は聡明だ。話を聞けばここから出ていくことが、彼女にとってどれだけ危険なことか分かるはず。そうなれば、彼女はここに留まることを選ぶはずだ。

 しかし、解放してすぐに逃げだそうとすれば終わりだ。バグラムには、ミリアを止めるすべなど持ち合わせていない。ここから容易に出ていくだろう。そうなれば、機関にここの場所が割れ、ファウンドもバグラムも窮地に立たされる。

 だが、ミリアは逃げようと思えばいつでも逃げれたはずだ。ファウンドの治療の時、明らかにバグラムはミリアから意識を外していた。しかも、彼女の右手が自由な状態で。その状況で逃げ出さなかったのは、真実を知りたいからだ。彼女は真実を知るまで、ここから出ていくことはないだろう。

 バグラムはそう思い至り、ミリアの拘束を解きはじめた。

 ひもは簡単に解けた。ミリアは逃げるそぶりを見せることなく、大人しく座っていた。ミリアは手首を回し、自由になったこと確かめている。

 バグラムは安堵する。どうやら、無駄な疑念だったようだ。

 その時、ミリアはバグラムに尋ねた。


「私の魔導具は?」


 それを聞いてバグラムは、ミリアの魔導具が隠してある天井付近の柱に目を向けた。そこに括り付け、一見して見えないように工夫していた。

 そしてミリアに視線を戻す。すると、彼女の目が怪しく光った。

 そこで、バグラムは悟った。ミリアが何を考えているのかを。

 咄嗟に彼女の腕をつかもうとする。だが、遅い。

 ミリアの肘鉄がバグラムの老いた腹にたたき込まれた。バグラムの呼吸が一瞬止まる。

 バグラムが明滅する視界から回復したころには、ミリアは魔導具を手にしていた。彼女は案の定、バグラムの目線から隠された魔導具の在処を突き止めていた。

 バグラムは近場の魔導具を手にして構える。それは、治療のために皮膚を焼く魔導具。あまりに心許ない装備だった。


「抵抗しないで」


 ミリアはドレスグローブを身につける。それは彼女が纏った途端、金色の魔力を帯び始めた。


「あなたを傷つけたくない」

「それなら、嬢ちゃんが魔導具を外せばいい」


 バグラムはミリアを直視しながら、彼女に気づかれないよう魔導人形に遠隔で魔力を送る。魔導人形に攻撃機能はないが、ミリアの動きを止めることくらいはできるだろう。

 ミリアからは、つり下がる魔導具が死角になってバグラムの全身は見えない。バグラムはミリアの隙を伺う。


「真実が知りたいんじゃなかったのか?」

「もちろん、話してもらうわ」


 ミリアの目が魔導具の隙間からちらつく。バグラムが魔導人形に指令を出した。


「あなた達を捕らえた後でね」


 その瞬間、両者は同時に動いた。ミリアは斥力を発生させ、魔導人形は飛んだ。

 魔導人形がバグラムを庇うように飛来する。しかし、ミリアはバグラムの方を見向きもせずに跳ねた。その先には、ファウンドがいた。ミリアはまんまと、作業台の上に降り立つと、ファウンドに向け左手を掲げた。


「動いたら、どうなるか分かってるわね」

「お嬢ちゃんにはそいつを殺す事はできんじゃろ」

「確かに殺すことはできない。でも、魔導具を破壊することはできる。例えば、このゾフィアとかね」


 ミリアは深紅の球体に手を触れる。

 バグラムの額に冷や汗が垂れる。ゾフィアが破壊されれば、計画は全て無に帰す。ゾフィアの換えなどない。


「あなた達を今から、機関に受け渡すわ」

「それはダメだ! 儂らは処分される。嬢ちゃんは真実を知りたくないのか?」

「機関は抵抗しなければ、あなた達を殺すことなんてしないから大丈夫よ。話を聞く機会ならいくらでもあるわ」


 バグラムはいらだつ。このままでは本当に機関に突き出されてしまう。こうなれば、致し方ない。バグラムは訴えるようにミリアを見た。


「お前は勘違いをしているんじゃ」


 バグラムはあえてミリアの気を引くように切り出した。


「何が勘違いなの?」


 案の定、ミリアはバグラムの言葉に食いついた。彼女は好奇心旺盛だ。だからこそ、話を聞かせるのは容易い。


「ここは嬢ちゃんにとって安全で、外こそ危険なんじゃ」


 バグラムの言葉にミリアは苦笑する。


「苦し紛れにもほどがあるわね。そんな嘘、信じると思った?」

「嘘だと思うなら教えてやろう。約束だからのぉ」


 ミリアは眉を寄せ、疑いの目を向ける。それを無視してバグラムは話し始めた。


「そもそも、どうしてお嬢ちゃんはここに連れてこられたんじゃ?」

「そんなの私が聞きたいわ!」

「考えるんじゃ。嬢ちゃんがここにいることは、儂らにとって不利じゃ。もし、機関の追跡を逃れたいなら、あのままお嬢ちゃんを殺して、放置すればいい。なのに、その男はリスクを承知で嬢ちゃんをここに連れてきた」


 バグラムは顎でファウンドを指す。


「それが何のなの。貴方たちの気まぐれでしょ?」

「違う。ファウンドはそんな無計画な男じゃない。彼は計画通り、嬢ちゃんをさらった」

「だから何で?」

「嬢ちゃんを救うためじゃ」


 ミリアは目を細める。バグラムの言葉が信じられないのだろう。ミリアは糾弾するように、バグラムへ言葉を吐く。


「……意味不明よ。私は彼に殺されかけたの!」

「そうじゃない。彼は君を救った。機関の魔の手からな」


 ミリアは目を見開き、それから燃えるような魔力をときはなった。彼女の髪が魔力の波で浮き上がる。


「機関ですって! 私をなめるのもいい加減にして! 何で私が機関に狙われないといけないの! 言うに事欠いて、そんな嘘をついて! そんな戯れ言で、私を説得できると思ったら大間違いよ!」

「嘘だったら良かったと儂も思っとる。だが、残念ながら事実じゃ。機関は嬢ちゃんを利用し、ライエン家を吸収するつもりじゃった」

「なん……ですって」


 ミリアの瞳に動揺の色が走る。バグラムはここぞとばかりにまくし立てた。


「ライエン家。魔導具の大量生産によって財をなした、エリクマリア一番の大貴族じゃな。彼らは、機関にとって目の上のたんこぶじゃった。ライエンの魔導具が市場を支配するにつれ、機関の勢力は衰退した。それはなぜか。一般人でも魔物を狩れるほどに、ライエン家の魔導具の水準が高くなり、勇者の必要性がなくなってきてしまったからじゃ。誰も倒せない魔物を勇者だけが倒せる。その関係があったからこそ、機関は民から頼られ、畏敬の眼差しで見られていた。それが崩れ去ろうとしていたんじゃ」


 ミリアはバグラムの言葉を聞き流す事ができないようだった。深く考えているような仕草をしている。


「嬢ちゃんは父の事を良く知っているじゃろう? 商いの才に長け、人望も厚く、魔力も他の追随を許さぬほど溢れておる。加えて、自分の意志を絶対に曲げない頑固さがある。機関の圧力に屈するような男じゃない。じゃから機関は嬢ちゃんを使うことを考えた。ルドルブ・フォン・ライエンにとって、嬢ちゃんは急所。唯一、彼を動かしえる貴重な存在じゃ。じゃから、機関は筋書きを書いた。嬢ちゃんを病魔か呪いかに憑かせたように見せかけ、ルドルフに言うんじゃ。一緒に彼女を治す術を探そうとな。ルドルフはなりふり構わず嬢ちゃんを助けようとする。ライエン家の財産である、魔導具の情報を全て機関に渡してでもな。そうすれば、ライエン家は終わり。ライエン家より優れた魔導具が流通し、機関によって市場は制圧される。後はライエン家が消えるのを待ってから、ゆっくりと市場を縮小させればいい」


 ミリアはずっとバグラムを見つめている。バグラムは手応えを感じ話し続けた。

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