第4話

 肉片舞う戦場の先。巨大な魔物の上からフロイラはファウンドを覗く。ファウンドの瞳にはフロイラしか映っていない。それを意識する度、フロイラの全身に快楽の波が駆けめぐる。


「ああぁ、嬉しいわぁ。こんなに求められたの初めてよぉぉ」


 魔物達の挙動はフロイラが興奮すればするほど、獰猛さを増していく。熱せられた魚のように飛び跳ねては、ファウンドへと飛びかかる。

 しかし、ファウンドはそれを造作もなく避けている。魔剣ティンダロスによる転移の力は勇者時代の頃と比べても遜色がない。むしろ、より練度が増しているといってもいい。

 だが、フロイラはそんな猟犬に対して、一切の脅威を感じていなかった。それは、彼女が秘策を用意しているからなどという、戦略的な余裕から来るものではない。彼女は自分の生死に対して無頓着なのだ。だから、危機感が全くない。

 フロイラは自分が死ぬことになろうと、結果的に快楽を得られるならそれで十分。そう考えていた。

 フロイラは自分の身体を揉みしだきながら、ファウンドを見続ける。早く来て。早く殺しにきて。あなたの目。あなたの口。あなたの耳。全て滅茶苦茶にしたい。引き裂きたい。千切りたい。流血した血液の一滴たりとも漏れず舐め尽くしたい。あなたの全部が欲しくてたまらない。

 フロイラの願望通り、彼は順調に彼女へと接近している。

 彼は魔物の頭部を蹴り、空高く跳躍したかと思うと、飛行している魔物の上に転移した。

 どうやら、空から攻めてくるつもりのようだ。

 フロイラは魔物の背中を踏みつける。すると、足下の巨大な魔物は緩慢な動作で動き始めると、ファウンドを見上げた。


ΨΨΨ


 ファウンドは、フロイラのまとわりつく眼差しを振り払うように聖剣を薙ぎ、周囲に旋回する飛行系の魔物を蹴散らす。自身の乗る魔物の翼を無理矢理に曲げて、飛行方向を操縦する。

 街路の中央で鎮座する巨大な魔物は、目前にいる。このまま行けば、簡単にフロイラの元へたどり着くだろう。

 そう思った矢先、これまで沈黙していた巨大な魔物が、垂らした極太の髪を振り回し始めた。それは鞭のようにしなり、家屋や街路を抉り、石屑をまき散らす。


 ファウンドは眉をよせる。応戦しようとしているようだ。急いだ方が良い。

 ファウンドは跨がっている魔物を操り、巨大な魔物めがけて急降下した。

 予想通り、巨大な魔物は振り回していた勢いそのままに、髪の毛をファウンドに向けて振るった。無数の黒い槍のような毛先が殺到する。

 ファウンドの目が光る。瞬間、魔剣ティンダロスが唸り重低音と共にファウンドは転移。遅れて綱のような髪が過ぎ去り、彼の乗っていた魔物が串刺しになる。

 ファウンドは高速で振り回される魔物の髪に着地すると、そのまま髪の毛を伝って駆け下りた。彼の視線とフロイラの視線が交錯する。彼女に対する憎悪が、ファウンドの心を焦らせる。

 ファウンドは漆黒の魔力を伴いながら、魔物の頭上に降り立つと、凍りついた視線を正面に向けた。

 視線の先にはフロイラがいる。フロイラはファウンドの全身をなめ回すように見ていた。ファウンドを視姦して楽しんでいる。


「ああん。そそるわぁ、その表情ぉ」


 松明の炎で浮かび上がるフロイラの顔は、狂気と愉悦で満たされていた。

 ファウンドはその表情を崩そうと正面に飛び出す。奴の余裕の表情を消し飛ばしたい。その一心だった。

 ファウンドの動きに反応したのか左前方から、四つん這いの魔物が巨大な舌をファウンドに向けて放った。ファウンドの動きを遮ろうとしている。

 しかし、ゾフィアが激しく光り、ファウンドは幻影を残して消える。魔物の舌は対象を見失い、魔物の背の上を無軌道に暴れ回った。

 ファウンドはフロイラを殺すことで頭がいっぱいだった。背後に回って、一刀両断すれば一瞬ですむ。そう思いこんでいた。そのため、もう少しだけ注意していれば気づけた事も、全て見落としてしまった。例えばファウンドが転移する瞬間のフロイラの勝ち誇ったような笑み。ファウンドはそれらにまるで気づくことなく、フロイラの背後に回った。

 フロイラの従者はファウンドの側面にいる。だが、まるで反応できていない。フロイラも、視線を前に向けたままだ。ファウンドは目前の魔女を殺せると確信し、フロイラの首筋を狙って剣を振りあげた。



 その時、彼の脇腹に強烈な痛みが走った。ファウンドの体が硬直する。



 視線を移すと、真横の空間がひび割れたように裂けていた。そこから、黒い冷気を伴った細い女の手が伸びている。それは捻れた剣を持っており、ファウンドの肉体を貫いていた。


「空間を移動するのは、あなただけじゃぁ、ないのよん」


 艶笑えんしょうを浮かべながら魔女が振りむく。広角をつり上げ、狂気に満ちたその表情が、ファウンドの瞳に焼き付く。


「私はエリムスよ? 忘れてた?」


 これがフロイラのエリムスの能力。完全に誤算だった。フロイラの能力は戦闘に利用できる物だった。

 そう、彼女の魔法は『異空接続』。空間を自在に繋げる魔法だった。それを利用して、ファウンドに魔剣を突き刺した。

 フロイラの左側面の空間にも、裂け目ができている。そこへ彼女の手は突っ込まれており、肩から先が、裂け目を境に途切れていた。その穴を介して、腕だけがファウンドの脇から伸びている。

 ファウンドは自分が、フロイラの策にまんまと引っかった事に気づく。だが、今更気づいても遅い。魔剣キマイラはすでに発動している。


「あはっ! 魔導石の身体だからって油断したんじゃない? あなたの生身の部分はしっかり辺りをつけてたのよん」


 どうやら、ファウンドを執拗に視姦していたのは、快楽を満たすためだけではなかったらしい。魔力の流れから、生身の部分を判断したのだろう。

 フロイラは目を爛々と光らせ、満面の笑みを作った。それと同時に、気泡が溢れるように、ファンドの肉体の一部が内側から膨れ上がった。

 ファウンドは足掻くように、剣を振り下ろす。だが、フロイラは悠々とそれを避けた。


「これでぇ、ファウンドちゃんがぁ、手にはいるのねぇ」


 フロイラは魔剣を引き抜き、口元から垂れる涎を拭った。彼女の瞳は恍惚さからか淡い桃色の光を放つ。

 ファウンドは苦悶の表情を見せる。徐々に身体が変調をきたす。そして、腹部が膨れ上がり魔獣化する……はずだった。

 ファウンドの身体は、一向に変化する様子がない。

 ファウンドは息を荒げ呟く。


「俺はまだ、死ぬ訳にはいかない」


 ファウンドの太股には、聖剣シールが突き立てられていた。シールの青白い光が魔剣キマイラによる汚染を浄化する。

 フロイラは目を見開き、嬉々として叫ぶ。


「あぁん! もうちょっとぉだったのにぃ。どんんだけじらせば、気が済むのぉ。もう、そんなに拒絶されるとぉ。余計に興奮しちゃうんだからぁ」


 ファウンドは額から油汗をかきながら、フロイラを睨みつける。


「嗜虐主義の変態の愛玩道具にされるくらいなら、死んだ方がましだ」

「わたし、そんなに変態に見えるかしらぁ」


 痛みに顔を歪めながら、ファウンドは聖剣を引き抜く。血が剣を伝って落ちる。

 フロイラはミッシェルに視線を向ける。


「ファウンドちゃんの手足を、切り落としてぇん。殺しちゃダメよん」

「承知いたしました」


 瞬間、ファウンドの側面から、銀の軌跡が煌めいた。ファウンドは咄嗟に聖剣を盾にして、斬撃を防ぐ。


「この男をフロイラ様に捧げましょう」


 フロイラの従者はサーベルを振り上げ、再度ファウンドを切りつける。ファウンドは聖剣でサーベルの芯を叩き、軌道を反らす。サーベルはファウンドの羽織るローブを切り裂きながら、打ち払われた。サーベルに小さい亀裂が走る。

 ミッシェルは返す手でサーベルを振り上げる。ファウンドは聖剣で応対。だが、ファウンドは腹部の傷で足腰に力が入らない。そのまま、従者の力に押し負け背後に倒れる。背後に彼を支える物は何もない。彼は魔物の背中から落下した。


ΨΨΨ


「ミッっちゃん! 何やってるのぉ!」


 ファウンドは、離れていくフロイラの怒声を聞きながら考える。

 腹部と太股に裂傷、魔剣キマイラの能力で魔獣化しかけた内蔵は細切れだ。そして何より、聖剣シールの力で、体内の魔導石が半壊している。魔剣ティンダロスは、どうも発動できそうにない。状況は絶望的だ。

 ファウンドは思う。まだ、すべき事も殺す相手も残っている。それなのにこんな所で、死ぬのか。

 その時、ファウンドの弱音に苦言を呈するように、シールが光り輝いた。そして、深紅の球体も同意するように赤く輝く。どうやらゾフィアはまだ、息があるらしい。

 ファウンドの瞳が黒く光る。自分はまだ、生きている。なら、諦めるには早い。

 彼は強い意志を持って聖剣を握りしめると、魔物の群へと落ちていった。

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