第3章:オオクニヌシ
第3章第1節:母乳
A
「話は聞かせてもらったっす」
次に打ち合わせ室に入ってきたのは、眼鏡をかけた男だった。
(今度は誰だ……?)
「彼は、〈グルメアイランド〉の異名を持つ飯島くんだよ」
「異名じゃなくて、あだ名なんじゃ……(山下さんと同じタイプだよね)」
「ところで、篠田先生」
「……僕、神田です」
「そうだったんすか? 山下の兄貴は、篠田と呼んでいたんすけど」
「…………神田です…………」
「改めまして、神田先生。真中先生から聞いた話なんすけど、『古事記』には、いろんなフェチが出てくるそうっすね?」
「いろんなフェチ……ですか?(そんなの、出てくるかな……)」
「ちなみにちなみに、神田くんは太ももフェチなんだよ」
「そうなんすか」
「僕のは、フェチってほどじゃないと思いますけど……(キャットガーターを着けた太もももが好きなのは普通だよね)」
「自分は母乳フェチなんすよ」
「「母乳フェチ?」」
「そうっす。AVのジャンルであるじゃないっすか、母乳物。あれっすよ、あれ。自分と真中先生と氷上先生は、母乳フェチ仲間なんす」
「母乳フェチ仲間……ですか。ん? 真中先生と氷上先生と言えば……」
真中は、異世界ファンタジーを得意とする作家だ。ここの雑誌でも異世界ファンタジーを描いていたのだが、その作品は急に、グルメマンガと化した。
(異世界なのに「名古屋メシ」とか「博多名物」なんて単語が出てきた時は、唖然としたなあ……)
いろんなものを毎回食べるが、いつも「ママのおっぱいには及ばねーよ」で終わるのだ。
(あのセリフは、母乳フェチだからこそのセリフだったのか)
一方の氷上は、料理マンガを描いていた。ところが、真中の作品がグルメマンガ化したのと同じ頃、異世界ファンタジーに方向転換。一人前の料理人を目指していたはずの主人公が、異世界で包丁を振り回して戦うようになってしまったのだ。
(「包丁は料理をするためにある」「人を傷つけるためのものじゃねェ」と言っていたのに……)
こちらは「ママのおっぱいが恋しいんだろ?」が決めゼリフである。
「もしかして、飯島さんは真中先生と氷上先生を担当してるんですか?」
「そうなんすよ」
「真中先生と氷上先生の担当さんが入れ替わって、今の展開になったんだと思ってましたけど……。どっちも、同じ人が担当だったんですね(つまり、この人が元凶なのかな?)」
「ある時、自分と真中先生と氷上先生の3人は、いつものように母乳物のAVを鑑賞していたんすよ。3人で賢者タイムしていた時のことっす。うっかり、指示を出し間違えたんすよ」
(……おいおい……)
「真中先生に出すはずだった指示を氷上先生に、氷上先生に出すはずだった指示は真中先生に。その結果、真中先生のマンガはグルメ編に突入し、氷上先生の方は異世界ファンタジー化したというわけっす」
「……真中先生と氷上先生は、不思議に思わなかったんですか?」
「賢者タイムだったっすからね」
「3人の賢者によって、今の展開が生まれたんだね」
「そうなんすよ」
(どの辺が賢者だよ……)
ちらりと、神田が二階堂を見る。
(編集者次第で、作品はガラリと変わるものなのかな……。僕はこの人と、どんな作品を作っていくんだろうか。……僕のデビュー作の打ち合わせは、いつになるんだろうか…………)
B
「『古事記』には、母乳の話はないんすか?」
「母乳が出てくる箇所はありますけど……」
「あるんすね!」
「まさかまさか、1300年前から母乳フェチは存在していたのかい?」
「母乳フェチとは違うと思いますけど……」
「母乳はどうするんすか!? 飲むんすか!? 吸うんすかっ!? 搾るんすかぁぁっ!?」
「えーっと……。体に塗ります」
「母乳を体に塗る!? エロいっす! きっと、こんな感じっすね!」
男「へへへ、いい乳だ。これなら、母乳もたっぷり出そうだな」
女「いや、ダメよ……そんな」
男「気持ちよくなると、出ちまうんだろ?」
女「そ、それは……私の意思じゃありません……!」
男「気持ちよくしてやるから、俺の体に母乳を放出しな!」
「……そういう話じゃないです……」
「それじゃ、こんな感じっすかね?」
彼女は、男にとっては母に当たる人物だ。父親の再婚相手──義理の母である。
とは言え、年齢は近い。姉のような存在だった。
ある時、男は見てしまった。義母が自らの乳房を揉みし
「あの……官能小説になってるんですけど」
「神田先生、ここからがイイトコロなんすよ」
(そうなんだろうけど)
「もちろん、義母は母乳が出るっすよ!」
義母「ダメよ……。わたしたち、親子ですもの」
息子「そんなの関係ない……! オレは、母さんが好きなんだ!」
義母「でも……」
息子「……親父はよくて、オレじゃダメなのかよ……」
義母「そ、そんなこと…………ない……けど…………でも…………」
息子「母さん……!」
義母「あ、ダメ……! んぅっ……」
「話は聞かせてもらっちゃったよ」
(このタイミングで登場? いったい、誰だ?)
打ち合わせ室に入って来たのは、初老の紳士だった。
「「南社長」」
「社長さん!?(副編集長よりも偉い編集長さんよりも偉い人じゃないか!)」
「こう見えて、私は寝取られフェチなのさ。ちなみに、寝取る方ではなく、寝取られる方に興奮するタチなんだ」
(変態度の高い人が来ちゃった……)
「それでは、私はこれで」
社長、退室。
(この出版社、変な人多いんだなあ……)
「しまったっす……!」
「どうしたんだい?」
「この後、父親も登場させるべきかどうか悩むっす!」
(どっちでもいいよ、そんなの)
「登場させるとしても、どういう風に登場させるかが問題になってくるね」
(僕のデビュー作じゃなくて飯島さんのエロ小説の打ち合わせをするの!?)
「このタイミングで登場させるのも手っすけど……」
「話は聞かせてもらっちゃったよ」
社長、再登場。
「私的には、『息子と妻が関係を持つ場面を見た男が、興奮している自分に気付く』という展開がいいと思うよ」
(社長の趣味じゃん、それ)
「それじゃ」
社長の出番、終了。
「さすがは社長っすね!」
「ちなみにちなみに、南社長の異名は〈大手の出版社にするべく大手町に出版社を構えようとしていた男〉だよ」
「長い異名ですね……」
「南社長のありがたいアドバイスを頂戴したところで、息子が母親の母乳を吸うところから…………」
「どうかしたのかい?」
「……自分、気付いてしまったっす……!」
「何に何に?」
「母乳噴き出す系なら、エロ小説よりもエロマンガの方がいいっす!」
(その辺は好みなんじゃ……)
「真中先生と氷上先生に描いてもらうっす。あの人たちなら、喜んで描いてくれるはずっすよ! 神田先生。参考にしたいんで、『古事記』の母乳の話を聞かせて欲しいっす」
「……まあ、いいですけど。参考になるかどうか……」
「ついに、『古事記』の母乳噴出系エロシーンが解禁っすね!」
「あの……エロい展開にはなりませんから」
「ならないんすか?」
「なりませんよ。『古事記』を何だと思ってるんですか」
「官能小説?」
「違います(子作りする話なら、いくらでも出てくるけど)」
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