第45話 スタンドバイミー

ごとごとごと……砂漠への道ではなく、緑の丘を馬車は走る。緑に包まれた大地には刺すような日差しはなく、代わりに暖かく降り注ぐ太陽の光。

馬車の上ではレインとウィルが先程まで口論をしていたが今は静かだった。背伸びして様子をみたチェリカが、悪戯っ子のような笑みを手綱を握るトアンに向ける。

「二人ともね、よく寝ちゃってる」

なんとまあ微笑ましいことか。トアンは笑みを返し、幌の中でも眠っている二人組みをちらりと見る。──こちらはシアングとルノだ。

「気持ちいい風ー」

「そうだね。……結構またいろんなことがあったしなあ」

「うん」

チェリカは背伸びをやめ、トアンの隣に座りなおすと丘の向こうに見えるだろう村に視線を向けた。



『南東の村へいくといい』


翌朝、朝食の席でテュテュリスは一同の顔を見渡してそう告げた。その金の瞳からはなんの意図も読み取ることができなかったが、トアンたちは行くあてもないことだし、それに頷く。

だがしかし、何故?

その疑問を読んだように、テュテュリスの瞳がヴァイズを探す。幸いかヴァイズの姿は近くになかったので、小声でこっそりと伝えてくれた。

『赤い蝶を追うのじゃ。アリシアの手がかりはそれが一番手っ取り早い』

『赤い蝶?』

『それがアリシアの魂じゃ。……わしは、お主等がアリシアをどうこうしようと関係せぬ。──じゃがの、できれば親子で殺しあうということは避けて欲しいのじゃ。彼女はわしの友人だったから』

『テュテュリス……』

『……ま、ええ。とにかくヴァイズには内緒じゃよ。南東の村『スコーム』にて、不気味な赤い蝶とキークらしき人物が目撃されておる。行ってみる価値はあろう』


「スコームの村かぁ……どんなところなんだろう」

「私、前にうわさを聞いたことがあるよ。確かこの季節に流星群のお祭りがあるんだよ。その流星群のしたでパートナーを誓い合うと、ずーっと仲良くやっていけるんだって」

「!」

トアンは思わず夢見がちな女の子の間で流行りそうな噂に動揺した。──チェリカがそんなことを知っているとは。

「って、シャインが言ってたの」

「……ああ、そっか」

ほっとしたものの、油断は大敵だ。トアンは改めてあの小憎たらしい顔を思い出す。

と、丁度そのとき丘を登りきった。ジャスミンが嘶き、トアンとチェリカの視線が開けた視界を見渡す。

「キレイ」

「すごいや……」

スコームは美しい村だった。円を描くように立てられた長屋の建物、そして円の中にも曲線を描く長屋が並んでいる。そしてその中央から磨き上げられた石の道が、背後に聳える山を階段状にして登っていた。その先にはなにやら洞窟のような、ぽっかりとした穴が木々の隙間から見える。

トアンとチェリカはにっと笑いあい、ジャスミンを少し急かした。


馬車の上でのんびりしながら、ウィルはレインの柔らかい髪を眺めていた。ごとごとと馬車が揺れるたびに、淡い金の軽い髪の毛はふわふわと揺れるのだ。

冷静に考えればどうでもいいことで口論し、ばかばかしくなってそっぽを向き合った。そしてそのまま、レインは眠ってしまったようだ。ころり、仰向けに寝返る。馬車の屋根から落ちないように彼をこちらに寄せるが、うまく身動きできなかった。

──何故なら。

繋いだままの手、温かさと冷たさを帯びた手はしっかりとつながれているのだ。無意識だろうか、でも僅かに強い力で。それを無闇に振り払うことがウィルにはできず、ただずっと繋いでいた。

「なぁレイン……」

「……。」

返事はない。

「たまにお前は、どうしてこういうことするんだろうな」

「…………」

「オレのこと嫌いなんだろ?」

「……」

「……オレは、────だけどなっておい!」

突然のことに、ウィルの独白は叫びに変わった。いつも間にかレインの瞳はぱっちりと開き、ウィルを見ていたのだ。

「なんだよ」

煩そうに、彼は言う。

「い、いつから起きてたんだよ!」

「たった今」

「……オ、オレの話聞いてたか?」

「…………。興味がねぇ」

「あ、そ、そっか。良かった……」

そういってウィルは視線を逸らし、がりがりと頭を掻く。

それでもその手は、繋がれたまま。

理由を聞かれればわからない。そう答えるしかないのだが、なんとなくそうしなければならないような気がするのだ。

本当にレインを失ってしまったら、また、レインが再び迷子にならずにすむように、自分は手を離せないのか。

結局その手は、珍しいことにどちらも『離せ』といえずに繋いだままだった。


ぐるりと壁に囲まれた村の、唯一の門が近づいてくるとトアンは馬車を降りてゆっくりと進んだ。大抵の村は壁なんかない。だがこうして守りを固めているということは、スコームは魔物の襲撃が多々あるのだろうか?

「旅のものか。星祭りの噂を聞いてやってきたのか?」

門番と思われる男はにこやかに笑ってトアンに話しかけてきた。

「は、はい」

「よしよし、入れ。日が暮れると物騒だからな」

「……あの、最近この村で、赤い蝶と青い髪の男を見かけませんでしたか?」

その言葉に、にこやかだった男の顔が一瞬曇ったのを馬車に座ったままのチェリカは見ていた。

「うーん、どうだろう。まあ祭りの季節だし、旅人は多いからな。蝶は知らんがそんな男は来たかもしれない」

「そうですか」

「すまんな。……ほら、お入り」

ギギギ、軋んだ音を立てて門が開く。こうしてトアンたちはスコームに足を踏み入れたのだった。

その後ろで、男は別の男に急いだ様子で伝言を託す。


「今…………旅人……中々の……」


祭りが近いというのに、どこか沈んだ村の中を、馬車は進む。


「……?」

小さな違和感を感じ取り、トアンは顔を上げた。ジャスミンの歩調にあわせ(ジャスミンが実際はトアンにあわせてくれているのだが)町を歩くのだが、妙な感じだ。

(何だろう?)

祭りの準備をする少年。どこか沈んだ顔の青年。──祭りとは楽しいものではないのだろうか?

(な、なんか……嫌だなぁ)

「トアン、宿どこにしよっか」

荷台の上から能天気にチェリカが言う。彼女に不安かどうか聞いてみたかったがやめた。何故だかチェリカは、やけに楽しそうな顔をしていたからだ。

(やっぱり気のせいかな)

──しかし、この違和感は拭いきれない。

「どうしよう」

「私ね、ここがいいな。いいにおいがするんだ」

す、と彼女が指したのは年季の入った宿屋だ。ぽくぽくと煙が煙突から吐き出され、鳥だろうか、なにかを焼く匂いがする。

「うん、そうだね。ジャスミン、ここでまってて」

ごとごと……ごとん。ゆっくり動いていた馬車はゆっくりと止まり、待ちきれないのかチェリカが飛び降りた。すたん、身軽な足音が響く。

「ついたのかぁ?」

欠伸交じりの眠そうな声をあげながらシアングが顔をだした。トアンが頷いてみせると、同じく眠そうなルノをひっぱりだしてくる。続いて、ウィルとレインが馬車から降りた。

全員降りたことを確認し、トアンは小さな扉をたたく。

「──はい」

驚いたことに、返ってきた声は少し影がある。

「あの、六人ですがとまれますか?」

「! 旅人さんですか!」

パっとその声が明るくなり、勢いよく扉があけられる。そこにたっていた男はいかにも人の良さそうな中年の男で、トアンたちを見渡してさらに顔を輝かせた。

「いやあ、これはまたありがたい!」

「は、はあ?」

「いやいやこちらの話です。……旅人さんがた、お疲れのところ申し訳ございませんが村長にあっていただけませんか?」

「……え?」

「いやあ、この村は見ての通り祭りの間近。是非あなたたちに祭りのゲストとして登場して欲しいのですよ。なあに、簡単なことです」

「……ど、どうする?」

あまり急な話にトアンが後ろを向くと、仲間たちは皆頷いて見せた。──簡単な人助けとか、そういうわけじゃなく。単に好奇心に勝てなかったのだ。全員。

「こりゃあありがたい! では、さっそく……」

男に誘導されるまま、トアンたちは村の中央の屋敷へと向かった。



「……そうか、あなた方が協力してくれるのか」

宿の男の案内によりたどり着いた屋敷にいた村長は、村長というにはまだ若い二十歳真ん中の男だった。若者といってもいい。灰色の髪に黒い瞳が映える、整った顔立ちだ。

「協力っていっても、何をすればいいんですか?」

トアンが尋ねると、男の顔に影が差す。

「……あなた方は、腕がたつ旅人と見える。この村を見て、何か違和感を感じなかったでしょうか?」

「…………た、確かに」

「オレはなんにも感じないぞ?」

すぐ隣でこそこそとウィルがレインに耳打ちする。レインは済ました顔で、一言返した。

「じゃガキだってことだ」

「こんなときまでガキ扱いかよ」

「……。普通、気付くじゃねぇか。お前バカだバカだって思ってたけど、うちの弟よりもバカだとは」

ああ、何気に酷いことを言われている気がする。自分は近くにいるのに。

「な、なんだって!?」

「うるせぇな。女が居ないだろ」

「──え?」

「どこ見ても男しかいねぇじゃねぇか。おかしいだろ、普通」

「あ、そっか」

「……ドコ見てたんだよ?」

「べ、別に──」

「……確かに、女性の姿がなかった」

未だ続く小さな戦いを見ないことにし、ルノが進み出る。

「どういうことだ? ……星祭りは、女性禁制ではないだろう?」

「……ええ」

村長はふっとため息をつくと、疲れた顔でトアンたちを見渡した。

「今、この村で出歩く女性は居ません。皆家の奥に隠れているのです。……実は一年前から魔物が住み着き、星祭りの夜に生贄を差し出すことを要求してきたのです。当然我々は断りましたが、魔物は逆上すると力の弱い老人から子供を襲って食い散らかし──……先代の村長、私の父も殺され、結局我々は生贄を出すことにしてしまったのです。──私の妻が、生贄になりました」

「そんな! 深水城に保護は求めなかったんですか!?」

「証がなければ、城にすら入れませんから……」

今更ながら、トアンは自分たちがかなり特別な旅の道を歩んでいることを思い出した。

「そして、今年。要求は若い娘です。皆白羽の矢を恐れて家から出てこようとしません。当然のことですが」

「で? オレたちに生贄になれって?」

腕を組んだままシアングが睨みつけると、村長は疲れたように項垂れた。

「……だますようなことをして申し訳ありません。不甲斐無いことですが、あなた方に魔物を退治してほしいのです。……生贄のふりをして。」

「……私、やってあげた方がいいと思うよ」

それまで黙って話を聞いていたチェリカが呟いた。

「こういうの許せないよ」

「……オレも、そう思う。オレたちにできるなら、やりたい」

後押しするようにトアンも告げる。すぐにチェリカは笑ってくれたが、トアンはそれを見て複雑な気分になった。

「……でも、チェリカ危ないよ」

「え? 私? 平気だよ、私生贄役にならないもん」

「え?」

「なんとなくこうなるような気がしてたんだよね、この村。……ね、お兄ちゃん」

「…………はい?」

花が咲くように笑ったチェリカに、ルノは一瞬この場から逃げたくなったという。



「いやだ、いやだったら! なあ、おかしいだろ!」

椅子に押さえつけられて様々な服を宛がわれるルノが悲鳴をあげた。チェリカは楽しそうなまま、様々な女ものの服を実の兄に合わせている。

「お兄ちゃん青にあうけどね」

「チェリカ! いい加減にしろ、怒るぞ!」

「もう怒ってるでしょ」

「なにを……わ!」

叫んでいる途中で頬にパフを当てられ、ルノはゲホゲホをせきこんでしまった。見守ることしかできなかったトアンとウィル、シアングがそろそろとめに入ろうとしたとき、その足元に細いクシが突き刺さる。

「……邪魔すんな」

投げたのはもちろんレイン。ルノの髪をいじったり化粧をしてみたり、さすが元暗殺者。変装はお手の物、だが楽しそうにルノをいじめている。

「ねーレイン、どう?」

「……あー、かなりいい線。こいつ、もともと女顔だからな」

「なんだと!」

「頬に赤みでも入れるか。チェリカ、そっちの赤いのとってくれ」

「はぁい」

「ちょ、おい! 私を無視して話を進めるな! チェリカもチェリカだ! お前、こんなお兄ちゃんでいいのか!」

「うん、可愛いよ」

「話がかみ合ってない!」


もはやスイッチのはいってしまったチェリカは無敵なようだ。瞳はイタズラをするときの光を帯びて、どこかずれた観点で自らを楽しませている。

「あ、あのさ、ルノさんの話も聞いてあげようよ」

気の毒に思ったトアンが気持ちを奮い起こして止めに入ると、レインにぼんぼんがついたゴムで髪の毛を結わかれてしまった。

「いてててて! 兄さん、髪の毛! ひっぱりすぎだよ!」

「…………。うわ、中々似合う」

「『うわ』って言うならやめてよ。あ、三つ編みもするんですかそうですか」

てきぱき、兄の手で長い三つ編みが編みあがっていくのをみてトアンは説得を諦めた。

「でも、お前駄目だな。体のラインががっちりしてる。……顔はギリギリいけるのに」

レインはトアンの眉を細く反ろうとし、いい加減無理だと悟ったらしい。むしろ、顔は可愛くても体がごつい女の子なんて魔物が逃げてしまうだろうとトアンは思う。

「わかったかルノ。お前がどんなに泣こうが喚こうが、大事な妹を危ない目に合わせたくなかったら大人しくしてろ。なにも、お前を本当に食わせちまうわけじゃないし、──ハッキリ言って今と対して変わらないから」

「……うぐ」

漸くその言葉に観念したようにルノが大人しくなる。が、後半が気に入らなかったらしくブツブツと小声で文句を言っていた。

「私はレッキとした男なんだぞ……それをまあ、よくも言ったものだ……第一私は少し母親似というだけで……」

「じゃあトアン、ウィルは部屋から出ててね。シアングは着付け手伝ってくれる?」

「お、おう」

チェリカの返事にこれ幸いとばかりにウィルが逃げ出す。三つ編みの友人をみて笑いを堪えていたようだった。

トアンはそれを追いつつ、可愛らしいゴムを外す。加減が分からなくて、何本か髪の毛を巻き込んでそれは外れた。



数分後、清楚なワンピースに茶色の上着、真っ白なリボンをつけたルノがつかれきった顔で部屋から出てきた。頬にピンクの色が入り、少女のような顔つきはよりそれらしくなる。正直な感想で、彼はもう『14歳の男の子』には見えなかった。どちらかというと、育ちのいいお嬢様のようだ。

「ルノ、似合うぞ」

励ますようにウィルが言うが、ルノはゆっくりと首を振る。しゃらん、リボンが揺れた。

「ウィル……私はもう男というのをやめたほうがいいんだろうか」

「人助けだって思えばいいじゃん!」

「……そうか」

ふう、ため息をついてから、ルノの瞳がキラリと光る。

「ふふ、だがな。しっかりと巻き込んでやったぞ」

「え?」

「レインだよ。私が『演技ができない』とチェリカにいったところ、矛先が経験豊富な彼に向いてな。……今シアングが捕まえてる」

満足気にルノは笑って、腰に手をあてた。

(兄さんもきれいだったよな)

もう遠い昔のように思えるが、レインが化けたブランカという少女を思い出す。



彼女は大人びたミステリアスな黒髪の美少女で、その演技力と色気、愛らしさであっという間に男を骨抜きにしていた。

「最初からレインがやればよかったのだよ。……まあ、他人をいじり倒しておいて自分は無事、などと思わないことだな」

「徐々に性格悪くなってるな、ルノ」

「そ、そうか?」

「うん、だってオレと最初あったころはわがまま言いまくりだったけど、最近はなおってたのに。……また復活したかぁ?」

「ウィル、お前こそ意地が悪いぞ」

拗ねたようにルノが口を尖らせる。そんな表情すら、ふさふさの睫毛と赤い頬が愛らしく飾っているのだ。

(普通にルノさん可愛いよな)

双子の妹にはない愛らしさに、トアンは頭がくらくらするのを感じた、そのときだ。

「できたー」

満面の笑みで部屋からでてきたチェリカに続き、笑いを堪えているシアングが出てくる。そしてその後から、薄いヴェールを被り薄い白の法衣を身に包んだ巫女が出てきた。チェリカがそっとヴェールを捲ると、流れるような茶髪に雪のように真っ白な肌、オッドアイの少々目線がキツイ美少女が顔を出した。──誰か? 簡単だ。

「兄さん」

「レイン……」

あんぐりと口をあけたトアンとウィルを見て、厳しい目線がさらに冷たくなる。どうやら機嫌は急降下のようだ。

「可愛いでしょ! お人形さんみたいだよねー」

その後ろで、のんびりとした口調で喜ぶチェリカにシアングがうんうんと頷く。

「ルノはあんま露出できないけど、やっぱネコジタ君スタイルいいな。細過ぎるけど、なんか本物の巫女ってか生贄っぽい?」

「あ、わかるー」

「わかってたまるか! おいルノ!」

「な、なんだ!?」

突如話を振られたルノは思わずすくみ上がるが、レインは問答無用でその手を引っ張って廊下の奥に消えていく。どうやら生贄を乗せる籠に乗るようだ。

「お前、これで変な演技したらぶっ殺すからな。てかオレがここまでやってんだからお前もちゃんとやれよ」

「……わ、わかった」

「あー仕事でもないのにこんなカッコすんの本当嫌だ。あーだりぃ」

「……私の所為ではないだろう?」

「お前の所為だ!」

「ヒィ! す、すまない……」

やはり兄は強し。トアンは再びルノの立場が可哀想な位置づけに流れていくのを苦笑しながら見送ることにした。

「さてと、私たちはどうすればいいのかな?」

大きな伸びをしながらチェリカが言う。彼女の顔は今充実感でキラキラと輝いていた。

「んー、護衛やりたかったけどそんなには行けないしな。……後ろからこっそりついていこうぜ。ウィル、いつまでボーっとしてんだ」

「あ、う、うん……」

シアングに言われて、漸くウィルが反応を返す。

「……そんなにネコジタ君に見ほれちまった?」

「ち、違うぞ!」

耳まで赤くして反論しながら、ウィルがガリガリと頭を掻く。

「変装ってすげえな……」





しゃん、しゃん、しゃん……

数人の男に担がれた籠の隙間から、ルノは辺りの様子を窺った。先程から聞こえるこの音は祭りの始まりを合図するものらしい。籠を先導する二人の人物がもつ棒の先にいくつかの輪がついていて、それの棒──錫杖のようなもの──を同時に、一定のリズムを刻むように地面をついて音を立てているのだ。

籠は、松明をもった人々が並んだ長い二列の間をゆっくりと進んでいる。そして揺れはほとんど感じない。ルノはため息をついて隙間から顔を離し、隣に座るレインの方をみた。──驚いたことに、彼の表情は落ち着いている。

「キョロキョロすんなよ」

「し、しかし……」

「……怖いのか?」

「……っ」

思いがけない優しい声に息を詰まらせる。

「安心しろよ、お前ぐらい守れるから。氷の魔法は使えねぇんだろ? 自分だけ守れ。で、まずいと思ったらすぐ逃げろ」

「そんな……! それでは、レインが!」

「他人の心配する余裕なんか今のお前にゃないだろ」

「──……。私だって戦うよ」

自分に攻撃の術がないことをルノは重々承知していた。綺麗に梳かされた銀髪が俯いた拍子にサラサラと肩を流れる。

「逃げたりしない。レインこそ、危なくなったら逃げてくれ」

「は?」

レインは──茶髪の美少女は不思議そうに眉を寄せるが、ルノの心の中ではずっと染み付いて取れない言葉がある。

この村に来るまで、馬車の中でずっとシアングと寄り添っていた。そしてずっと聞きたかった。セイルとは何者か。そして、レインの死は本当のことなのか。──……だが、結局聞くことができなかったのだ。シアングはルノにも、そして誰にもあの話をしなかった。セイルの話を信じていないだけかもしれないが。

しかし、シアングのレインを見る目が心配の色が強くなっていることにルノは気付いていた。──ということは、あの話が本当という説が強まっているように思えて。そして、彼が一人で運命を捻じ曲げることを担おうとしているようにも思えたのだ。

(私の治療の力は衰えていない。……だから私が傍にいれば、レインの行動を見守っていれば、助けられるかもしれない)

これは、ほんの少しでもの報いだ。シアング一人に背負わせないために、自分も影から手伝ってやらなければいけないと思う。

レインを生かしてやりたいという純粋な気持ちもあるが、シアングを手伝ってやりたいとも思うのだ。──だから、絶対にレインから離れないようにしなくては。


いつ、セイルの話が本当になるのかはわからないから。



しゃん、しゃん、しゃりん、しゃりん……

輪の音にずれが生じ始めた。そして少し、軽い衝撃が伝わってくる。

「階段を登ってるな」

ポツリとレインが呟いた。腰では目立つから、薄布の法衣の下、足の腿に巻いたベルトに鞭をくくりつけている。レインの手は、無意識に鞭に触れていた。

その様子をみて、ルノも強く両手を握り締める。氷の魔法の詠唱には杖は欠かせなかったが、癒しの術には宝石はいらない。ただ、この手があれば十分発動できる。

「……何度も言うけど」

「何だ?」

「無理すんなよ」

「はは、何を今更」

レインの優しさが嬉しくて笑って見せると、笑みを向けられたレインは目を細めてそっぽを向いてしまった。

機嫌が悪いのか、ただ照れてしまっただけなのか。

背いた顔からは何もわからなかった。

──トン。長い間味わっていた微かな浮遊感が消え、軽い衝撃と共に籠が安定する。地面に降ろされたのだ、そう考えてルノは再び隙間から辺りの様子を窺った。

籠を担いでいた男も先導していた者も、松明を持ち列を作っていた人々もそそくさと退却を始めている。

「でるぞ」

「え!?」

「──ほら、早くしろ」

突然のレインの言葉に慌てて隙間から顔を外し、レインを追って小さな入り口から外に這いでた。

長い間しゃがみ込んでいたために足の間接が痛んだが、しんと澄んだ夜の空気が肺を通り抜けていく。

籠はどうやら、村の中心から伸びる長い階段を登り、洞窟の前に置かれていたようだ。赤々と燃える松明が、籠の置かれている小さな祭壇を飾っている。

どうしたものか、とルノが顎に手を当てる横で、レインはすたすたと歩き出し洞窟へ足を踏み入れようとしていた。

「ま、待てレイン!」

「……なんだよ?」

「無用心すぎないか? 他に身を隠すところがない以上魔物は恐らくこの洞窟にいるんだろう。そこにノコノコと足をいれるなど迂闊過ぎる」

「でもここに突っ立ってても仕方がねぇだろ? お前の言うとおりこの洞窟からなんか生臭いにおいがしてるし」

「だ、だが……」


『ガアアアアアアアア!』


ルノが反論の糸口を探し出した瞬間、洞窟の中から身の毛もよだつ声が聞こえた。──人間の声ではない。

そしてそれを聞くや否や、レインは洞窟へと駆け出していた。慌てたルノもその後姿を追う。もはや制止の声は届かないと悟ったからだ。


実はこっそりと後をつけていたチェリカとトアンも、その声を聞いていた。後を追う事は許されないという村長にシアングとウィルはつかまってしまったが、二人は運よく包囲網をかいくぐっていたのだ。籠と並行し、山の木々の影を頼りにしながらここまでやってきていた。後は茂みに隠れて魔物を待つだけだったが、予想外のことに声をかける前に生贄自らが動いてしまった。

「レインもお兄ちゃんもせっかちだなあ」

「……あの声を聞けば大抵は洞窟にいくと思うよ」

「そう? じゃ、私たちもいこう」

そういいながら彼女の足はもう走り出している。

トアンはそれを追って、真っ暗な洞窟へと向かっていった。


ぴちょん……ちょん……ぴたん……

どこからか侵入した水が天井から垂れ落ち、小さな音を立てていた。ルノはそれに一々動揺してレインに馬鹿にされるのも癪なので、神経を研ぎ澄ましながらも虫の影や不吉なものが視界に入るとすぐさま背けることにしている。

だが洞窟の内部は複雑で暗く、レインの後姿だけはしっかりと見据えてきた。

「長いな」

飽きたのか、つまらなそうにレインが呟く。

「じめじめしてて気持ちわりぃ」

「そういうな。……先程以来あの声は聞こえないが、まさか魔物が逃げた、ということはないだろうか」

「まあないだろ。ふぁ……眠い」

「寝るなよ」

「うん、寝ねぇよ」

そういいながらもレインの後姿は、うつらうつらと頭が舟をこいでいるのが見える。

この状況での睡魔というのは、冷静に考えればおかしいのだがルノには気にする余裕がなかった。

なにしろいつ何時、暗がりの中から魔物が姿を現すかわからない。人を生贄として要求するのだから、知能もある上に血に慣れている。現に、暗い洞窟の中にも腐敗臭のする何か死体や、草を編んだものの切れ端、木々を集めて火を焚いた跡があった。そういう人間のような知能のある魔物は恐ろしいのだ。

(去年の生贄……村長の妻はもう生きていないだろうな)

ルノは背後と周りに注意しながら、先を行くレインの頭をぼんやりと見つめる。

──徐々に、彼の歩みが遅くなっていることに気がついたのはそのときだった。

「……レイン?」

「…………。」

不審に思い問いかけるが、返事はない。

「レイン、ど、どうした? 具合が悪いか──」

ずるり、突如何の前触れもなく、レインの身体が地面に崩れ落ちる。辛うじて意識が残っていたのか、なんとか洞窟の壁に手をついてとめようとしているがその身体をとめることはできなかった。ぐずぐずとしゃがみ込むようにしたままの彼を見て、ルノはサッと嫌な予感が胸をよぎる。

「大丈夫か!?」

「……ぐな……」

騒ぐな、といいたいらしい。完全に意識を失ったわけじゃない様子に安心し、ルノはしゃがみ込んで息を吐いた。確かに魔物の巣で大声を上げることは、どう考えても得策じゃない。

「苦しいのか?」

「…………」

ゆるゆる、力なく頭が振られる。

「どこが辛い? 言ってくれないとどうしようもないぞ」

「……、…………。」

薄い唇が何度か言葉を紡ごうと動いて、とまってしまう。暫くそうして、随分な時間が経ったころ、レインは視線をルノに合わせ正直な気持ちを告げた。

「わかんねぇ」

「何?」

「……頭がぐらぐらする……。大分落ち着いてきたから、もう、平気だ」

そういって立ち上がるが、若干まだフラフラしている。

「もう少し休んだほうが……」

「いい。行くぞ」

「だが──!」

ルノが叫んだ瞬間、ゴゥ、強い風が吹いてリボンを揺らした。走り出したレインを追っていくと不意に視界が開け、先程までの狭い通路とは違い広々とした空間が現れる。高い天井と、洞窟の入り口にあったものとよく似た祭壇があった。


「ここは……」

ぐるりと辺りを見渡してルノは呟いた。スカートが強風で足に絡みつくが、そんなことはどうでもいい。不思議なことに、この強い風が吹き抜ける空間でも祭壇の上の松明の火は消えず、辺りを照らしていた。が、正面の壁はどういうわけか暗闇に包まれたまままったく見えない。

「ホホホ……」

「!」

かつ、かつ、かつ。木製の杖を慣らしながら、暗闇から小さな影がやってきた。それは徐々に松明の明かりに照らされ、その異様な姿を明らかにする。

「ルノ、下がれ」

先程までの不調は感じさせない声でレインが呟き、ルノは一歩下がった。

影から出てきたモノは人間の子供のような大きさだが、身には神官が着るようなローブを纏い、肌は青い。顔は魚のようにのっぺりとしていて、両目が飛び出し、鼻は穴しかなく、口はその顔の下半分を占める大きさだった。そしてその不揃いなパーツは、そのモノを醜くみせていた。

ぎょろり、飛び出した目がルノとレインを見る。

「ホホホホホ」

にい、異形のモノの口が引き攣り、耳障りな笑い声を上げた。

「ホホホ、なんて可愛らしい……ワタクシは美しいものが好きです。去年の女も綺麗でしたが、今年は若い。嬉しいですね」

耳障りな声にレインの眉が一瞬寄る。が、すぐに皺をひっこめると眉を下げ、怯えたような表情を作った。

「私たちを食べるの……?」

震えるか細い声で告げると、レインは一歩後ずさる。その様子に異形のモノは楽しそうに笑い、ホホホ、という不愉快な笑い声をあげた。

「そう怯えないでくださいよ。ワタクシの名はシェルビ。言ったでしょう? 愛らしいものを愛でるのが趣味でしてね、いきなり喰らいつくようなマネはしませんから」

「……。信用できない。去年の生贄の人はどうしたの?」

「……ホ。それは……」

にた、シェルビは嫌な笑いを浮かべると背後に聳える漆黒の壁を見た。

すす、闇が下がるように引いていき、あれほど目を凝らしてもハッキリと見えなかった壁が姿を露す。──いや、そこにはグロテスクな赤い球体が埋まっていた。どくんどくんと波打つそれはどことなく心臓に似ているが、血潮が噴出す気配はない。それどころか、その中でぬるりと何かが動くのが見えた。

「ひっ……」

青ざめたルノが小さな悲鳴を上げる。レインも声を上げて口を覆うが、ちなみにこれは演技だ。

「これが食べてしまったのですよ。これは、ワタクシが弄んだ女を食べてね、ゆっくりと中でなにかを育てているのです。興味ありませんか? ホホ、一体この女の腹のようなものの中に何が芽生えているのか」

「化物! 私たちはそんなものの餌になんかならないわ!」

「まぁまぁ……威勢のいい娘は嫌いじゃありませんよぉ」

カツン、杖を慣らして一歩近づくシェルビを見て、ルノは青ざめたまま身震いした。ちらり、一瞬レインと視線が合う。視線は『無理するな』と告げて、レインは再びか弱い少女の仮面をつけてシェルビと向き合った。

(駄目だ、私がレインを守るって決めたのに……)

ガクガクとした震えが膝を笑わす。目の前の巨大な球体がぬめりと動いたとき、ルノは何かが限界に達するのを感じた。動いたものの中から濁った瞳がこちらを見、笑ったように感じたのだ。

がくん、ついに膝が折れる。わけのわからない恐怖にルノの身体が崩れるのを視界の端に捉え、レインは溜まった息を吐き出した。

「一つ聞いてもいい……? あれはあの一つだけ?」

「そうですよ。さあいらっしゃい、まずはワタクシがタップリ……」

「ルノ。あのでっかい赤ん坊みたいに見えるのは、ヒトミノリ……つまり植物に近い。あれは種子で、獣の血肉を養分に育つ魔物の木。妻を食ったのはあれだろうが──怖がる必要はない。恐らくどっかから流れてきたんだ。すぐに焼き払えば問題ないさ」

「……ホ?」

「それでも怖いなら目、つぶってろ」

「な、なにを……?」

今度はシェルビが震える声で問いかける。目の前の美少女二人のうち、一人は怯えきっているが、突然もう一人は少女の仮面を投げすてた。先程まで怯えていた目は今や鋭い光を放ち、儚い印象から冷たい殺意を纏う少年になってしまったことにシェルビの思考はついて行けず、彼はゆっくりと後退する。

「一つだけならすぐ終わる」

薄手の服に手を突っ込み、するすると鞭を取り出してレインは構えた。何本かナイフも仕込んでおいてよかったと思いながら、さっそくナイフを投げつける。


「くっ」

カッ、乾いた音とともにナイフが地に刺さる。が、シェルビはなんとか身を捩ってかわし、杖を構える。それはまっすぐにルノに向けられたのだが、すぐにナイフが飛来。飛んでかわし、着地した瞬間に再び襲ってきたナイフによって防戦を強いられた。

「貴様、何者! ただの娘ではないですね!?」

「今更気付いたのかよ、バーカ」

シュピン! レインはそっと皮肉な笑みを浮かべると手を動かし、空を裂いて鞭を降らせた。ナイフによって実は逃げ道を誘導されていた彼の身体は鞭から逃げ切れず、自由を奪われる形になる。

「こ、この……! ワタクシに手をあげるなど!」

地に伏したシェルビを見下して、レインは瞳を細めた。

「何か言うことは?」

「ワ……ワタクシはこの周辺の村を支配したシェルビ様ですよ! おやめなさい、今ならおしおきで許してあげます!」

「……くだらねぇな」

冷たい瞳のままそういって、レインは最後のナイフを手に取った。すぐ目の前で、くるくると手で弄んでみるとシェルビが引き攣った悲鳴を上げる。

「待てレイン! 殺すのか?」

慌ててルノが制止の声を上げると、レインはルノを視線だけで捉えた。そのオッドアイには暗い殺意が浮かんでいて、ルノの脳裏に初めて会ったころのレインが思い浮かばれる。

「殺さなきゃまずい。こいつはまた人を襲う」

「そんな、だが!」

「人の言葉を喋れば人なのか、ルノ。こいつの言葉を聞いただろ。自分が人間を支配できると自覚してるんだ」

レインの足がシェルビを足蹴にした。あまり硬くない靴のお陰でたいした衝撃にはなっていないだろうが、屈辱なのだろう飛び出たシェルビの目に憎悪が揺らめく。

「こいつは人間じゃない」

「……だが」

ルノは視線を落とす。確かに人間の言葉を喋るから、心に抵抗が生まれたのだ。背丈も子供ほどの魔物だ、異形の姿をしていようと殺せなかった。……自分も、魔物だから。

「私は、……私は、シェルビを人間ではないとわかっている。彼のしたことは許されないが、……無理だ」

「言っただろ、怖いなら目をつぶってろって」

「違う、そういう意味じゃないんだ! わかってくれ、私だって人の言葉を喋る『魔物』なんだ!」

「……」

ルノの言葉に初めて、レインの殺意が緩んだ。魔物、化物。自分の拭いきれない正体への不安。

「同情したわけじゃない。シェルビは村の人々へ引き渡そう。……それが、村長の妻への気持ちの整理にもなる」

「……わかったよ」

ため息を一つついて、レインはナイフをしまった。ルノの顔が明るくなるのを見て、レインの顔も漸くいつもの顔になる。──不機嫌そうだが、あの暗い殺意はもう見えなかった。

「ワタクシを人間の法律で裁こうと?」

「……知らねぇよ。あとは村のヤツラがやることだ。ヒトミノリはあとでチェリカを呼んで焼こう」

「そうだな。帰ろう、レイン」

ルノの言葉に頷き、レインは引き摺る形でずるずるとシェルビを運び、数歩進んだ瞬間──……


ピタ、レインの足が止まる。ルノも足を止め、何事かと首を傾げた。


振り替えったレインとルノの瞳に映ったもの──蠢くヒトミノリの前に、一人の少年が居た。

淡く光る金髪に眼帯。雪のように白い肌。そして、朱色の瞳。ルノは彼を見たことがある。だが、ありえない光景にただ瞠目した。

彼は──かつて見た、レインの過去の、幼いころの姿だったのだ。

「誰だ!?」

咄嗟にレインを庇うように前に出る。少年は無表情のままルノではなくレインを見て、手に持ったスケッチブックを開いて見せた。──驚いたことに、この異様な植物を見てもシェルビを見ても、少年の顔色は変わらない。

少年の意図がわからないが、ルノがそっと近づいても少年は動かなかった。スケッチブックを覗いてみると、真っ白なページの中心に癖のない字で文字が書かれている。


『まってた』


「待って……た?」

少年は頷き、ページを捲る。ポケットから取り出したペンで何かを書き込むと、再び見せてくれた。

『レイン、聞いてくれ』

「レ、レイン、この子はお前に用があるらしいぞ。……知り合いか? まさか兄弟とか言わないよな?」

「……バカ言うな。アレ以外に兄弟はいない」

アレというとトアンのことだろう。……レインの声が、少し震えている。

「お前は何者だ? ……どうして、オレの……」

やはり気付いていた。レインは躊躇しながらも言葉を紡ぐ。

「──昔の。ガキのときの姿をしてんだ?」

少年は目を細める。ほんの少しだけだけ現れた感情にルノは違和感を拭えなかった。

(この少年……感情を無理矢理押さえ込んでいるような……)

ルノとレインを見比べてから少年は再びペンを取り、新しいページに文字を書く。

『オレがお前の、子供のころの最後の記憶を持っている『影抜き』だから』

「『影抜き』……?」

『オレは、お前の記憶の具現化した姿だ。説明の時間はない。レイン、オレを受け入れて。お前の小さなころの──『もう一つのお前』の記憶をオレが持ってるんだ。お前が赤ん坊だったときの大切な記憶を。でも赤ん坊の姿じゃ何もできないから、子供のころの記憶を少しもらった。だから子供のころの姿なんだ』

「ちょっと待て。わかんねぇよ、赤ん坊のころの記憶だと? そいつがオレに何の関係があるんだよ?」

どこか怯えたようにレインが言って、鞭を手から取り落とす。シェルビが逃げようともがいたが、鞭は外れなかった。

『説明するより、受け入れて』

「……い、嫌だ」

『怖がるな。オレはお前だ』

「知らない!」

ふぅ……少年は困ったようにため息をついた。どう反応していいかわからないルノを見上げると、何か思いついたのかペンを動かす。そして、ルノにだけ見えるように今書いたばかりの文を見せる。

『お前、セイルの話を聞いてただろ』

「……えっ?」

突然、あの名前が出た。動揺するルノに、少年はもう一文書いてみせる。

『レインに聞かせたくない。黙ってみてくれ』

「……?」

状況が飲み込めないがとりあえず頷く。少年はそれを見て、すこし満足気に笑みを浮かべた。

『あの運命からレインが逃げるためには、自分の記憶を完全に取り戻さなきゃならない。そうしなきゃ立ち向かえないんだ。赤ん坊のころの記憶に、あいつが血華術を操るためのきっかけが埋まってる。レインはそれから全部耳を塞いでるんだ。……オレとレインを繋いでくれ』

「どうやって……?」

『説得して。信用できないだろうけど、レインのためだから』

「……わ、わかった」

セイル。彼の言葉がゆっくりと鎌首を擡げる。ルノの心の不安をあおる、彼の存在。そして、彼を知るこの少年。影抜きという謎の言葉。

(ドッペルゲンガーのようなものか?)

ルノの頭はなんとかこの状況を整理しようと一つの答えをはじき出したが、すぐにそれは散ってしまった。

(でもこの少年は……過去の姿だ。ドッペルゲンガーのようなものなのだろうが……一体……だが)

悩んでいても始まらない。ルノは顔をあげ、警戒するように構えるレインに向き直った。

「レイン」

「……」

「怖がらなくていい。別にお前をとって食おうとしているわけではないようだ」

「信用できねぇよ。第一、自分と──ガキのころだけど──同じ姿をもつやつのことなんか、誰だって信じねぇと思う」

「レイン、頼むよ。彼をそんなに疑うな。私は彼とは初対面だが、その……」

「……?」

「自分と同じ姿のヤツが、何をそんなに伝えたいのか気にならないか?」

「ならない」

「……そ、そうか……」

困り果てたルノが悲しそうに俯く姿を見て、レインは呆れてかりかりと頬をかいた。

「……ルノ、お前、オレに何か隠してるだろ」

「え!?」

「……図星だな?」

「う……」

まさか、『お前の命はあと一ヶ月』なんて口が裂けてもいえない。ルノは言葉を濁したまま、俯いた姿勢から顔をあげ──再び伏せることを繰り返した。

「面倒なことか」

「ち、違う」

「……。言いたくねぇならいい。とにかくお前、何かしっててこのガキとオレを近づけようとしてるんだな?」

「……最早、何もいえない……」

「もういい、面倒だ」

ため息とともにレインは警戒を解いてくれた。その様子に少年がほっとしたように笑みを浮かべ、ルノに頭を下げる。

「わ、私は何も」

慌てて手を振るルノを見て、少年はゆっくりと首をふった。そしてスケッチブックに『ありがとう』と書いてみせる。

「どう、いたしまして」

少年の笑みが余りにも愛らしかったので、ルノもそっと笑みを浮かべた。少年は満足気に頷くと、不意に表情を引き締める。──何かを覚悟したように。

そしてレインの元へ歩み寄ると、そっと両手を伸ばした。

「……。」

レインはそれを見て、自らの手のひらをそれに重ねる。──瞬間、黒い光が松明の光をかき消すように強く光った。

「レイン!?」

咄嗟にレインの名を呼ぶが、そのルノの声さえも光に飲み込まれて──……



『泣かないでキーク、あたし、あなたとずっと一緒にいるわ……』



わんわんと音が反響し、徐々に掠れて消えていく。すぐさま別の音が響き渡って、またすぐに溶けていく。

レインは何か大きな塊を飲み込むように圧迫感を感じ、そして辺りに響く音が徐々に明確になっていくことに動揺した。


『この子の名前は、スノーがいいわ』

『スノー?』

女の言葉に、男の声が怪訝そうに曇る。

『何故だい?』

『この子、肌が真っ白よ。昔聞いたお話にあったの。雪のような白い肌のお姫様のお話、スノーホワイト。でもこの子は男の子だから、スノー。』


『スノー、スノー! アリシア、スノーに何をした!』

『私は……あたしは……』


『許してくれ、スノー。アリシアがまさかお前と『スノゥ』を結ぶとは……。私が迂闊だった』


『スノーを返して! あたしの坊や!』


『私は駄目な父親だな……。お前を守ることができくて。でもお前をこれからまもってくれるのは、私の親友だ。大丈夫だから泣かないでおくれ、スノー。……いいや、お前は』


『お前は、『レイン』だ』




はっとして目を見開いたレインの瞳に、手を重ねた少年の微笑みが映った。

「お前は……スノー?」

こくり、少年が頷いた。

少年は微笑んだまま、レインの瞳を見つめていた。そっとレインが右手を離し、眼帯をずらす。

「……。」

そこには、自分と同じく色の違う瞳があった。この少年が自分の過去の姿だと意外にすんなりと認識していたので、驚きはなく、むしろ安堵の息が零れた。

「お前は、オレ……」

再び少年が頷く。

「じゃあ、オレは」

少年はしっかりと頷くと、強い瞳でレインを見ていた。

「「スノー」」

ぱきん、心の奥で何かがはじける音がして、飲み込んだものが体内を駆け巡り浸透していくのを感じた。少年とレインは同時に、自らの本当の名を呼んだ。

少年の、スノーの姿は役目を終えたといわんばかりに徐々に薄くなり、そして──

「待て!」

咄嗟にレインは重ねた手を強く掴んだが、もうそこに手の感覚はなかった。闇と同化し、スノーの姿を完全に消してしまったのだ。『記憶は、完全にレインに手渡された』のだから。

「……オレは」

スノーが何故一言も言葉を発さなかったのか、レインにはわかってしまった。そして最期の最期に、たった一つ、自分のしらない誰かに向けて言葉を残して。

『セイル、ありがとう』

幼いころの自分の声で、そう告げたスノー。

彼の哀しい人生を辿ると同時に、思い出したくもない、手渡されたばかりの忌まわしい記憶が再び脳裏に浮かび──





今までの『自分』は 全て崩された




「う、ッ……うわあああああああああ!」

ルノには一瞬のことにしか見えなかった。光が二人を包み、そして次の瞬間にはあの少年が消えていた。レインが一人きりでただそこに佇み、頭を抱えて悲鳴を上げたのだ。

一瞬彼が壊れてしまったのかというわけのわからない不安が胸をよぎったが、声がかすれるまで叫び続ける彼を放っておけなかった。ルノは駆け出し、レインの腕を掴む。

「レイン、落ち着け!」

「いやだぁあああああ!」

「どうしたというのだ! 落ち着け、大丈夫だから!」


狭い洞窟に反響する絶叫を聞いて、チェリカがトアンを見た。トアンもその瞬間──正確には悲鳴を聞く少し前の瞬間──ざらりとしたものが肌を通り抜けるのを感じていた。以前、兄を迎えに行った時にも感じた様な嫌な気配。

「今の、レインの声だよ」

「──兄さん!」

足は急ぐものの、暗い洞窟の中では思うように進めない。気持ちばかりが焦り、トアンはついに足をもつれさせて転んだ。

「──いて!」

「大丈夫? 一応明かりはあるけど暗いからねぇ」

「うん……」

「あれ? トアン、あれみて」

「何?」

不意にチェリカが暗闇を指差した。その先には、赤い蝶がゆっくりと羽ばたきながら浮遊していた。──まるで、トアンたちを待っていたように。

「行かなきゃ! 追いかけよう!」

「チェリカ!」

チェリカがトアンの手を引いて歩き出す。蝶はトアンたちが動き出すのを確認すると、奥へ誘うように暗闇に姿を消した……。


「スノー!」


突如響き渡った声に、ルノは一瞬安堵して振り返った。情けないことに自分ではレインをどうすることもできないが、その声の主なら力になってくれるはずだ。──が、すぐにルノの安堵は音を立てて崩れ落ちる。

壁に手をつき、ぜえぜえと荒い息を繰り返す彼。その顔には狐を模した面が付けられ、いつかのシャインに操られた『別の彼』を思い出した。薄くぴったりとした服を見に纏い、腰に二振りの剣を下げているその人物。

──シアングとよく似た声に、ルノの肌がザワリと粟立つ。あの尖った耳、短い髪。間違えようのない。

(何故……ここに!?)

「スノー……畜生!」

咄嗟のことに身体を凍りつかせるルノだったが、その人物は剣を引き抜くとこちらに向かってきた。

「スノーを返せぇえええ!」

「や、やめろ! セイル!」

問答無用で襲い掛かってきた彼──セイルとレインの間に手を広げて割り込む。

「どけ!」

「どかない! ──うわ!」

突如服をつかまれて引き下がらされた。──レインだ。その直後、ルノの居た場所をセイルの両刀が薙いだ。

「レイン、だ、大丈夫なのか」

「……平気だ。それよりコイツは何なんだ?」

右手で掴んだままだったルノの服を離し、レインはそのままその手を額につけた。左手は最後のナイフを握っている。

戦闘態勢だが、彼が困惑しているのがわかった。何故ならセイルの気配は──あまりにもシアングと似ているからだ。顔が見えないのでハッキリとはいえないのだが、何しろルノは幼いころからシアングと一緒にいたし、レインは気配を読むことに長けている。そしてそれが、酷似していると告げているのだ。

「まさか双子か?」

「しらない、そんな話聞いてないぞ。それによく似ているが、明確な違いがある」

「ふうん……」

ルノを後ろに庇いながら、レインはシアングとよく似た人物を睨むのをやめなかった。そうやって牽制していないといつ斬り裂かれるかわからない。だが不思議なことに、明らかにこちらが不利なのにも関わらず相手から斬りかかってくることはなさそうだった。

先程ルノが呼んだ名前を繰り返す。──セイル。そして彼は、スノーの名を呼んだ。

(ってことは……)

レインはため息をつくとナイフを降ろし、睨むのをやめた。穏やかではないがまっすぐな瞳で相手を見つめると、若干だが相手の殺意が緩む。

(躊躇してやがるな)

「おいルノ」

「え?」

「お前、コイツをセイルって呼んだな」

「あ、ああ」

「アンタ、セイルか」

「……」

「返事をしろ」

「……そうだ」

セイルは小さく呟いて剣を降ろした。彼の敵意が、見る見るしぼんでいくのを感じ、ルノは驚いて瞳をパチパチさせる。

以前のシアングと対峙したときとは彼の雰囲気が全く違う。あの時は好戦的で愉快犯で、なにかと不快だったセイルだが、今はどちらかといえば弱々しいのだ。

「……セイル」

レインが一歩進み出る。はっとして、ルノは彼の服を掴んだ。いくら弱って見えても、不吉な予言を残したセイルだ。レインになんらかの危害を加えないとは思えなかった。

「平気だ、ルノ」

「だ、だが! 先程まで剣を向けてきたのだぞ!」

「それでも、オレ、コイツに伝言があるんだ。さっきのガキがいたろ? アイツ、オレのずっと昔の……ずうっと昔の、嫌な記憶を持ってたんだ。無理矢理身体んなかに叩き込まれて唐突に思い出したよ」

そういうレインの横顔は、どこか儚い。いまにもカランと崩れてしまいそうなほどだった。……一体何を思い出したのだろう。

「オレは最初、レインじゃなくてスノーって名前だったらしいぜ。自分で言ったとおり、あのガキはとりあえず、オレがスノーと呼ばれたころの記憶を抱えてくれてた。だから、スノーって名乗ってたみてぇだ」

それを聞いて、ルノは先程のスノーの文字を思い出した。

(血華術を操るための記憶……)

だがしかし、レインはそうは言わなかった。何故?

その疑問を察知したように、レインは肩をすくめて続けた。

「でもまだ全部思い出せない。突っ込まれたけど、奥に行き過ぎて出てこねぇ。多分それが、あのガキが伝えたかった記憶なんだろうけど……でも、その代わりにセイル。アンタ宛てに、スノーが残した。あのガキが喋らなかったのはオレの為みたいだけど、最期の最期に喋ったんだ」

「……スノーは、なんて?」

「セイル、ありがとう、だとよ」

「……スノー……」

セイルは降ろした剣を鞘に納めると、弱弱しく項垂れた。

「俺様はわかんねーのよ……なんで? 何でそこまでして本体の面倒みなきゃならねーの?」

「……?」

セイルの言葉に、レインとルノは顔を見合わせる。一体何を言っているのだ、と。

「女装しててもスノーはスノーだなぁ……だけどそれじゃぁ、俺様たち『影抜き』は一体なんのために生まれてきたんだよ」

「影抜き……本体……」

セイルの呟きから拾った言葉が、ルノの頭の中で反響する。影、本体、存在を求めるセイル。

(……存在を求める?)

本体が、自分の大元がいるから、自分の存在は認められない?

(スノーは、幼いころといえどレインと同じ姿だった)

そして、あの少年の気配もレインとよく似ていた。──が、明確な違いは感じ取れたのだ。

(それはあの少年が幼いからではなくて……まさか、まさか)

はっとしてルノはセイルから逃げるように一歩後ずさった。

酷似した気配、だけど違う。それが『影抜き』の特徴なのだとしたら? そして彼らには、本体がいる。

(セイルはシアングとよく似た声……それに、背格好も、髪の色も……)


「……おっとルノちゃん、それ以上考えるのはやめといたら?」


いつの間にか以前の不敵さを漂わせたセイルの声が、ルノの足を止めた。

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