第24話
「ピュア & フーリッシュな そんな私で」
ユメの最後のワンフレーズとともに全ての楽器が音を奏でる事を止めた。
『ピュア&フーリッシュ』。騙されやすい女の子が自分の愚直さを肯定する歌詞を与えられたこの曲は、ポップで可愛いイメージの曲。
歌うよりも喋るに近い感じは、女性アイドルがたまに歌うような、はたまたアニメソングのような様相を見せているが、メロディーが覚えやすくテンションも高いためライブの最後を飾るのには悪くない曲だと思う。
もちろんユメが歌った場合は、だが。俺がこれを歌ってしまうとそれはもう残念な事になってしまうため、練習はしても本番では一回も歌った事はない。
「いきなり全部通したにしては上々ってところかしら」
「私は本番でこれくらい出せたら問題ないと思うんだけど」
「さすがにそう言うわけにはいかないわよ、綺歩。
久しぶりに弾いた曲もあったからかもしれないけれど、綺歩もアタシも小さいミスはしているし、一年生に至っては今日初めて合わせたって曲もあるからアタシ達とのズレを修正していかないと」
「時間はまだあるからミスを潰していくのは大切だけれど、あまり気を張っていても疲れちゃうから。
校内ライブやって、テストがあって、すぐに校外ライブって事は手続きとか連絡とか、稜子少し無理しているでしょ?」
「無理なんかしていないわ。アタシはアタシがやりたいことをやっているだけよ」
「稜子ならそう言うよね」
諦めたような綺歩の声に、稜子は釈然としないと言ったような顔をしながらも、全員に向けて指示を出す。
「今からはさっきの通しを受けての自主練と言う事にするわ。
自主練と言っても誰かと意見を交わすのも合わせて見るのもありだからその辺はいつも通りにね。
鼓はアタシとズレを修正するところから始めるからこっちにいらっしゃい。以上」
稜子に呼ばれた鼓ちゃんが、稜子の後に続いて教室の前方へ移動するのを見届けてから、ユメがどうしたものかと残りのメンバーを見渡す。
桜ちゃんと一誠がベースとドラムという事もあり、音を鳴らしながら何やら確認らしき事をしている。
あと余っているのは綺歩だけなので、綺歩の所へ向かうと綺歩もユメに気が付きニコッと柔らかい笑顔を向けた。
「綺歩も大変だよね」
「そんな事無いよ。今は稜子の方が気になるかな」
「無理しているって話?」
「本人はそうは思っていないみたいだけどね。でも普通に考えたら無理していると思わない?」
「うん、そうだね」
心配そうな綺歩の視線は稜子の方を向いていて、見られている稜子はこちらに気がついていないのか、鼓ちゃんと少し弾いては首をひねっていた。
見たところ稜子はいつも通りだと思っていたら、綺歩が「練習しよっか」とユメに声をかけた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
綺歩との練習は、綺歩の家で行っていたものと同じように進み、綺歩自身落ち着いた状態で演奏出来たためか通しでやった時よりもミスが少なかった――と言っていた――。
一段落した所で綺歩がユメに問いかける。
「ユメちゃんは声が出し難いところとかはないの?」
「特にはないかな。むしろ綺歩から見て、わたしの歌ってどう?」
「少し楽しそうすぎる……かな」
「やっぱり、言われちゃうか」
ユメが誤魔化すような笑顔を見せる。確かにユメの歌には楽しさがにじみ出ている節がある。
実際楽しいのだから当たり前なのだが、許される曲かどうかというのはある。
ユメに楽しく歌うなというのが無理な話だが、細かい技術云々に関しては綺歩から叩きこまれたのだから綺歩ももう指摘することはないのだろう。
「桜としては急に上手くなったんで文句は沢山言いたいですけどね」
桜ちゃんがひょっこり会話に入って来たので、綺歩もユメも思わず桜ちゃんに視線を合わせた。
「桜ちゃん急に現れたら驚くでしょ」
「これが桜らしさってやつですから」
「それが、桜ちゃんらしさでいいの?」
「そんな事よりユメ先輩を借りて行っていいですか?」
綺歩の言葉を軽くあしらった桜ちゃんに名前を呼ばれ、ユメが意外そうに「わたし?」と自分を指さす。
「はい。ユメ先輩の歌いやすい速さを確認したいんですよ」
「そんなわけで、ユメユメ頼む」
「わかった」
その日の練習は桜ちゃんと一誠と合わせているうちに終わった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
練習が終わってユメの状態で稜子の元へと向かう。
稜子はユメの姿を見ると首をかしげて純粋な疑問でもって「どうしたのユメ?」と尋ねてきた。
「チケットを貰えないかなって思って」
「すっかり忘れてたわ。ちょっと待っていて」
納得したように頷いた稜子が、鞄を漁り二枚チケットを取り出した。
「はい、これよ」
「ありがとう」
「お礼はライブハウスの人に言ったらいいわ。それよりもユメに妹ね」
「わたしというよりも遊馬の妹って感じだけどね」
「三原の妹って聞くと会いたいような会いたくない変な感じね」
「わたしだって三原なんだけどね。
自分でこんなこと言いたくないんだけど、わたしを少し大きくしたイメージでいいと思うよ」
「ユメの方が小さいのね」
「笑わないでよ、もう」
くすくすと笑う稜子にユメが拗ねたので、稜子が「悪かったわ」と表情を変えずに謝った。
「わたし、着替えてくるから」
「はいはい、行ってらっしゃい」
稜子に見送られて準備室に入る。簡易カーテンで仕切られたユメ専用の更衣室に入ったところに、男子の制服がかけてある。
ユメは躊躇うことなく手に取り、目を瞑って着替え始めた。
毎回の事なので慣れた部分もあるが、考えようによっては目の前で美少女が着替えている。
目をつぶっているからこそ他の感覚が研ぎ澄まされるなんてよく言ったもので、衣擦れの音や息遣いが嫌というほどに耳を撫でた。
極めつけはユメの腕が自身身体に当たった時の普段なら意識しないような柔らかさ、そわそわしてしまう。
現状を冷静に考えながらも、やはり慣れとは恐ろしいものだと思う。
意識しようとしなければ、何処までも意識しなくて済むようにはなった。
着替え終わった後はユメが女子用の制服をハンガーに掛けて、軽くブラシをかける。
十中八九どころか、百中九十八九十九くらいは、ユメのままなので行っているのはユメだけれど。
音楽室にはまだ綺歩が残っていた。ユメが戻ってきたことに気がついて、笑顔で手を振ってくる。
「綺歩今日は先に帰らなかったんだね」
「私は毎回一緒に帰りたいと思っているんだけどね。私と一緒にいて目立つの遊君余り好きそうじゃないから」
「綺歩は皆の人気者だから……ごめんね」
「今はユメちゃんの方が人気ありそうだけどね」
申し訳なさそうに――実際申し訳なく――謝るユメに、綺歩がコロコロと気にした様子も無く返す。
ユメである今だから綺歩の顔をまっすぐに見られるけれど、俺だったらすぐに目を逸らすだろう。
「今日は、優希ちゃんと藍ちゃんの事について話したいなって思って」
「稜子に遊馬、綺歩も大変だね」
「そうでもないよ」
「もうちょっと待っていてね。十秒くらいで遊馬に戻るから」
ユメの言葉通り巡先輩から貰った腕時計が自らを震わせて、タイムリミットが近い事を教えている。
すぐに綺歩を見上げるようだった視点が、見降ろす形に戻った。
「ユメちゃんから遊君でも、入れ替わるタイミングが分かるようになったんだね」
「巡先輩から十五分タイマーみたいなのを貰ってな」
「そうなんだ」
「藍と優希の話だったか、歩きながら話すか」
「あまり長居しちゃうと先生に怒られちゃうもんね」
音楽室から廊下に出るとすでに人影はなく、ザワザワとこもったような声が遠くから聞こえてくる。
下駄箱は人でごった返しているんだろうなと思いつつ、一度職員室に行って鍵を返したところで綺歩から話しかけてきた。
「ねえ、遊君」
「どうした?」
「お節介かもしれないけれど、やっぱり私としては優希ちゃんや藍ちゃんに事情を説明しておいた方がいいと思うの」
「優希の方はともかく藍には伝えようと思ったんだけどな……」
「言えなかったの?」
「そう言う事だ」
下駄箱に着いたと同時に、まだまばらに残っている生徒の視線が集まってくる。
視線を無視して靴を履き替え綺歩を待つ。やってきた綺歩は中断していた話をそのまま続けた。
「兄妹でも言い難いものなの?」
「どう切り出していいものかって感じだな。ユメについてはあまり話したくないし」
「どうして?」
「一応二人とも受験生だからな。変に刺激したくないと言うか」
『今さらなんて言ったらいいかわからないと言うか』
ユメが頭の中で本音を言うが、聞こえないふりをして綺歩との会話に集中する。
「ライブに呼ぶならせめて遊君が出ないことは先に伝えていた方がいいと思うよ。
来て遊君がいなかったら二人ともがっかりするだろうし」
「とりあえず今日チケット渡す時に言ってみる。優希には喜ばれそうだけどな」
「そんな事無いよ。遊君が優希ちゃんを好きなように、優希ちゃんだって遊君の事好きだから」
「だったら嬉しいんだけどな」
まるで期待していない俺を、綺歩はただ見守るだけで何も言わなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
綺歩の家の前につき「また明日ね」と挨拶を交わした後、俺も自分の家に入る。
「ただいま」
「兄ちゃんお帰り」
「優希か、どうしたんだ?」
予想していなかった顔に出迎えられて、思わず身を引いてしまう。
俺の動きに呼応して優希の顔が不満に歪んでしまった。
「別に、たまには可愛い妹が出迎えてあげようかなって思っただけだよ」
「そうか、ありがとう」
「お礼とか言われても、嬉しくないし……」
「俺は驚きはしたが嬉しかったけどな」
決して嘘じゃない。
そっけないとは言え、他人に自慢できるほどに整った顔の妹に出迎えられたのだから嬉しくないと言えば贅沢だし、綺歩の言葉を信じていいのかなと言う希望が出てくる。
優希は怒ってしまったのか顔を赤くして俯いてしまったが、どこかに行ってしまう事も無かったので、さりげなくを意識して話しかける。
「ライブの話だけど、八月の頭にやることが決まってな」
「本当? チケットは?」
「ほら、藍のもあるから後で渡しておいてくれ」
優希が嬉々として俺からチケットをひったくったところで、付け加える様に口を開いた。
「そのライブに俺は出ないけど、楽しんで来いよ」
「もちろん……って、兄ちゃん出ないの?」
「俺より上手い奴が現れたからな」
「所詮兄ちゃんだもんね。ところで兄ちゃんってどうやって歌っていたの?」
「どうって、普通にだけどな」
「カラオケの時みたいには歌ってなかったってことだよね……」
「何か言ったか?」
「ううん。別に」
「そうか?」
「まあ……兄ちゃん、残念だったね。あと、チケットありがとう」
優希は踵を返してリビングの方へと引っ込む。
「気を遣われたのか?」
『気を遣われたんだろうね』
首をかしげて呟き、靴を脱いで、優希の後に続いてリビングに入った。
今日はすでに夕飯ができていて、食卓に料理が並んでいる。
「お兄ちゃんお帰り、早く鞄置いてきてね」
「ああ、わかった」
エプロンを外した、部屋着の藍に指示されて美味しそうな料理に後ろ髪を引かれつつ、一度部屋に戻る。
鞄を置いて部屋着に着替えてから、一目散にリビングに向かった。
いつものように椅子に座り、揃って手を合わせた。
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