名探偵ヒロトの冒険

@strider

小学生探偵と3つのスープ事件

第一章 行方不明の子猫を探せ!

第1話 野良猫スープ事件(事件編)

 1

 ヒロトはポケットの中に入れた五百円玉の手ざわりをたしかめながら、家に向かってかけ足で進んだ。昨日までずっと雨が降っていたため、道には大きな水たまりができていて、その上を走ると茶色い水しぶきが飛んだ。

 へへーん。

 ヒロトは足元を見下ろした。青色の長靴ながぐつが水しぶきをはじき飛ばしてピカピカかがやいている。これさえあれば、水たまりがあっても大丈夫だ。

 家に着いたヒロトは、玄関げんかん先で「ただいま」と言ってから、続けざまに「行って来ます」とさけんだ。玄関にランドセルをぽいっと投げ出し、そのままかけ足で家を飛び出した。そして、めいっぱいのスピードで、通って来た道を引き返した。

「学校帰りは寄り道をしてはいけません」と、担任たんにんの先生がいつも言っているから、ヒロトはそれを守って、寄り道せずに家に帰ったのだ。だけど、荷物にもつを置いたらすぐに、来た道をり返して、学校の近くにある小さなコンビニエンスストアを目指した。

 走りながら、もう一度ポケットに手を入れてみる。ポケットの中には丸くて固い、すこしぎざぎざした物が入っている。その感触かんしょくがちゃんとポケットにあることを確認かくにんすると、ヒロトはにんまりと笑った。

 これだけあれば、いっぱい買い物ができるぞ!

 ヒロトが目指しているコンビニは、コンビニエンス近藤こんどうという名前だ。ちょっと変わっていて、普通のコンビニとはどこか違っている。看板かんばんには英語じゃなくて漢字が書かれているし、いつ行っても店員さんがおばさん一人だけだし、袋に入っていないパンも売っている。

 置いてある本とか文房具ぶんぼうぐ種類しゅるいはちょっと少ないけれど、その代わりにいろんな種類の駄菓子だがしを売っているから、子どもたちはコンビニエンス近藤が大好きだ。

 夏になると近所きんじょの中学生がアイスバーを買って、このコンビニの前でシャクシャクと軽快けいかいな音をさせながら食べていたり、冬場ふゆばにはお出かけ帰りの親子がほくほくのおでんを買って、向かいのバス停のベンチでつっついている姿すがたを見かける。

 コンビニエンス近藤は町のみんなからも人気がある。地域密着型ちいきみっちゃくがたのコンビニエンスストアなのだそうだ。

 ちょっと近道ちかみちしちゃおうかな!

ヒロトは足を止めて、となりに立っているビルを見た。このビルには、この間、友達のユウキと発見はっけんした秘密ひみつのぬけ道がある。

 ビルは七階建てのマンションで、こっち側からは、非常ひじょう用のらせん階段が見える。その階段のななめ横くらいに、プロパンガスと書かれた、四本足の鉄のかたまりが置かれている。

 ヒロトは鉄のかたまりの下をくぐり抜けて、らせん階段に向かった。下から見上げると、そのうずいた階段は体操たいそうのリボンみたいにグルグル回っているように見える。

 ビルのかべはひびれた白いペンキでぬられているけれど、所々ところどころペンキがはがれて青黒いコンクリートが見えている。壁に手をつくと、けたペンキのこなが手にいた。

 らせん階段のとなりには、各階かくかいごとにドアがある。一階のドアにはしっかりとカギがかかっている。けれども、二階から上のドアにはカギがかかっていないことを、この間ユウキと一緒いっしょに発見したのだ。


 発見は完全に偶然ぐうぜんだった。あの日、ヒロトはユウキと一緒に下校していた。

 ユウキはヒロトの親友で、小学校に入ったころからずっと仲良なかよしだ。一年と二年は同じクラスだったけれど、三年のクラスえで別のクラスになってしまった。それが、五年になったときのクラス替えで、また同じクラスになれた。だから、こうして、毎日のように二人で下校している。

 二人でかたを並べて歩いていると、ユウキがぼそりとヒロトにたずねた。

「なあ、高い所から飛ばしたら、ずっと飛んでるのかな?」

 良く飛ぶ紙飛行機の折り方を研究しているユウキは、いろいろと工夫をしては、たくさんの紙飛行機を作っていた。けれども、どんな紙飛行機を作っても、だいたい十メートルくらいで落ちてしまうので、ユウキはいつも頭をかかえていた。本物の飛行機はずっと空を飛んでいられるのに、紙飛行機がすぐについ落してしまう事が、ユウキには不思議ふしぎでならなかったようだ。

 ユウキが急に紙飛行機の話を始めたため、ヒロトにはユウキのたずねる意味が分からなかった。「えっ、何のこと?」と、ヒロトが首をかしげると、ユウキは紙飛行機を飛ばすような身振りをした。

「だからさ、紙飛行機だよ。ほら、本物の飛行機はすっごく高い所を飛んでるだろ。だから、飛行機は落ちないんじゃないかと思って。それでさ、もし高い所から飛ばしたら、紙飛行機もずっと空を飛んでいられるんじゃないかと思うんだ」

「そっか、なるほど。たしかに、そうかも。山の上って空気がうすいって言うし、空気がうすいと、袋がふくらんだりするもんね。あれって、袋が外から引っ張られてるんだって父さんが言ってた。そういう原理げんりはたらくかも」

「だろ! だからさ、飛行機も高い所から飛ばしたら、空から引っ張られるみたいになって、ずっとずっと飛んでるかも知れないよな!」

 ヒロトたちは大りあがりで話した。

「ずっと飛んでいられる紙飛行機って、ノーベル賞取れるかな?」

 ユウキが興奮こうふんしながら聞くので、ヒロトは何度もうなずいた。

「うん。だって、テレビでやってた紙飛行機大会でも百メートルくらいしか飛ばせていなかったもん。ずっと飛べたら、きっとノーベル賞ももらえちゃうよ」

 ノーベル賞が何なのかあまり知らなかったけれど、すごい大発見をしたらもらえるらしいことくらいはヒロトも知っていた。

 そんな話をしばらく続けた結果、実際じっさいに紙飛行機を飛ばして試してみようと言うことになった。そこで、二人は周囲しゅういを見回した。そのとき、らせん階段が目に入った。

 らせん階段のビルは、まわりにある他のビルよりずっと高くて、らせん階段を一番上までのぼれば、三階建ての学校よりも、かなり高い位置から飛行機を飛ばせる。

 ヒロト達は左右を見回して、大人おとながいないことを確認すると、ビルにかけ寄り、らせん階段を一気いっきにかけ上った。そして、一番てっぺんまで上った所で、ユウキがランドセルからノートを取り出して、一枚だけやぶった。

 ユウキは細いゆびさき先を器用きように動かしながら、手際てぎわよくユウキスペシャルの紙飛行機を折った。それから、そのつばさにサインペンでグレートエアリーごうと書いた。「どうだ!」と、ユウキはむねを張って、得意気とくいげに鼻をらした。

「ほら、これなら良く飛びそうだろ?」

「ねえ、早く飛ばしてみようよ」

 ヒロトがうながすと、ユウキはこっくりとうなずいた。

「いくぞ!」

「うんっ」

 ユウキが思い切り腕を振りかぶって、ヒロトはごくりと唾を飲み込んだ。

「せーの」

 二人は同時にかけ声をかけて、飛行機を空に飛び立たせた。


 飛行機はユウキの手から離陸りりくすると、十メートルくらいいきおい良く飛んだ。しかし、それくらいまで行った所で、急にスピードが落ちて、木の葉がい落ちるみたいにひらひらとりていった。

「ああー、落ちるなー。がんばれー」

 ユウキは大きな声を出して飛行機を応援おうえんした。しかし、飛行機はそれ以上は飛ばず、地面に引きよせられて行った。

 飛んだ距離きょりはいつもの一.五倍くらいまで長くなった。しかし、最後にはやっぱり墜落ついらくしてしまった。ヒロトたちはがっかりしながら、地面で風にゆれている飛行機を、らせん階段の上から見下ろしていた。

 そんなとき、らせん階段の下を人かげが横切よこぎった。上からなのではっきりとは分からなかったけれど、女の人っぽい服装ふくそうをしているのが分かった。その人は、どこからともなく飛んできた紙飛行機に気が付いたようで、不思議そうに首をかしげながら紙飛行機の方へ歩いて行った。

「やばい、見つかったら怒られるかな?」

 ユウキはあわてた声で言った。

「さあ、でも勝手に子どもだけでこんな高い所に上ってるから……」

 きっと怒られる!

 ヒロトたちはそう直感ちょっかんした。

「どうしよう、どうしよう!」

 ユウキはうろたえてパニックを起こしていた。

 うーん、どうしよう?

 困ったヒロトは、何気なにげなく後ろを見た。

 あっ、これだ!

 背中せなか側にドアを見つけたヒロトは、小さくガッツポーズをした。

 それはビルの中に通じるドアだった。

 ヒロトはドアノブに手をかけて、ぎゅっと回してみた。すると、ドアにはカギがかかっておらず、ぎいぃときしみながら開いた。

「かくれろ!」

 ヒロトがさけぶと、ユウキがドアの中に飛び込み、続いてヒロトも入った。

 ドアの中はどこか落ち着くような雰囲気ふんいきのろうかだった。

 なんで落ち着くんだろう?

 そう思って見回すと、そこが学校のろうかに似ていることに気が付いた。片側の壁には大きな窓があり、反対側には鉄のドアが並んでいた。

「どうしよう?」ユウキが首をかしげた。

「あっちに行ってみようよ!」

 ヒロトはろうかの突き当たりの方向を指差した。突き当たりの手前で、右側の壁がとぎれている。そこを曲がれば、もしかしたら階段があるかも知れない。

 足音をさせないようにぬき足し足、ヒロトたちはろうかを進んだ。突き当たりの右手には、階段ではなく、エレベータがあった。

 ヒロトはエレベータの呼び出しボタンを押した。

 十秒ほどすると、エレベータのドアが音も無く開いた。ドアが開ききった所で、おくれてチンとエレベータの到着とうちゃくを知らせるベルが鳴った。突然とつぜんのベルに、ヒロトたちはビクッと飛び上がり、目をパチクリさせながら顔を見合わせた。あんまりおどろいたので、二人は変な声で笑ってしまった。

 エレベータに乗ると、今度はユウキが一階のボタンを押した。

「危なかったね!」

 ヒロトが言うと、ユウキはうなずいた。別に悪い事をしているつもりは無かったけれど、それでも勝手に知らない建物に入って階段を登るのはいけない事のような気がした。だから、誰かに見つかるのが怖かった。

 エレベータはすぐに一階に着いて、ドアがすうっと開いた。ヒロトたちはドアから外に出ようとして、ピタリと止まった。

 体がまるで石のように硬直こうちょくした。

 どうしよう、見つかっちゃった!

 ドアの外には、先ほどらせん階段の下を歩いていた女の人が立っていた。お母さんよりも少し若いくらいの女の人だった。

 ヒロトたちは怒られるのを覚悟かくごして、体に力を入れた。しかし、女の人は怒らなかった。それどころか二人ににっこりと笑いかけてきた。

「始めまして。君たちは、ここのビルに住んでる子かな?」

「いえ、ちがいます」

 ヒロトが答えると、女の人は首をかしげた。

「そう、じゃあお客さんかな。私は五階に住んでるんだけど……」

 女の人がそう言いながら、紙飛行機を取り出した。グレートエアリー号と書かれた飛行機だった。

「これを飛ばしたのは君たちかな?」

「ごめんなさい!」

 二人があやまると、急に謝られた女の人は目を丸くした。

「どうしたの?」

 女の人に聞かれても答えられなかったので、二人はエレベータを飛び出して、ビルの外へと走った。

 外へ出ると、そこは学校の前の通りだった。どうやら、学校前の通りと、ヒロトの家がある通りとの間にビルが横向きに建ってるらしい。だから、片方の入り口から入って、もう一方にぬけると、通りと通りの間の建物たてものたちをまたぎこえられるようになっているのだ。だから、ビルの中をれば、建物がと切れて次の横道が出るまでの百メートルくらいをショートカットできることになる。

 ヒロトたちは思いもよらない発見にはしゃいで、それから数日の間、学校帰りにおそる恐るビルを調査した。その結果、らせん階段側の一階の入り口にはカギがかかっているが、二階から上のドアはカギが空いていることが分かった。

 それを知って以来ヒロトとユウキは、らせん階段で二階に上がり、ろうかを突っ切り、エレベータで降りるこのルートを秘密ひみつのぬけ道としてちょくちょく使っていた。

 自分たちだけしか知らない道があるのがうれしくて、わざと遅刻ちこくギリギリで家を出て、この抜け道を通り近道して通学することもあった。

 この抜け道は、反対はんたい回りすれば学校帰りにも使える。だが、それだとビルに入るところを誰かに見られる可能性かのうせいが高く、せっかくの秘密の道が友達に見つかってしまうかも知れないので、学校帰りは抜け道を使わないことにしている。


 ヒロトはコンビニへの道を急ぐために、秘密のぬけ道を使う事にした。

 雨でぬれたふみ板で足をすべらせないように注意しながららせん階段を上り、二階のおどり場につくと、ドアノブに手をかけ、小さくドアを開いた。

 誰もいないよね?

 うん、大丈夫だ!

 ドアの向こうに人がいないことをたしかめると、ヒロトは中に入り、ろうかをき進んだ。

 ろうかの途中で、ヒロトは何の気なしに窓から外を見渡した。窓の外の世界は、雨にぬれてしっとりと湿っていた。地面や建物の表面ひょうめんはまだかわききっておらず、いつもよりもややい色をしていて、あざやかに見えた。遠くに見える公園の池は、うす茶色くにごっていた。いつもなら、池には水鳥みずどりたちが優雅ゆうがに泳いでいて、たくさんのボートがプカプカかんでいるはずなのに、今日はそのどちらも見当たらなかった。

 水鳥は飛べるから、雨やどりしにどこかへ飛んでいったのかも知れない。

 だけど、ボートはどこに消えたんだろう?

 昨日は強い風が吹いたから、ボートまでどこかへ飛んで行っちゃったのかな?

 ヒロトはそんな事を考えながらろうかを通りぬけ、エレベータに乗った。

 エレベータをりて、ビルから外に出ると、通りをはさんで向い側にコンビニエンス近藤がある。ヒロトは目の前の信号が青に変わるのを待って、道路を横断おうだんし、コンビニエンス近藤に入った。

「あらー、いらっしゃい。ヒロくん」

 コンビニのおばちゃんが、しわだらけの顔を、もっとしわくちゃにしながらヒロトに声をかけた。それからうれしそうにヒロトの顔を見つめた。

「こんにちは」

 ヒロトはあいさつもほどほどに、駄菓子だがしの置かれたたなに向かった。

 シールつきのチョコレートスナックや、十円のコーラグミ、そして八十円もするカードつきのポテトチップス。今日はそのどれでも買い放題ほうだいだ。ヒロトは興奮気味ぎみにたなに向き合った。

 コンビニのおばちゃんは、真剣しんけん表情ひょうじょうで駄菓子をえらんでいるヒロトの横顔よこがおをうっとりとながめながら、いとおしそうに目を細めた。

「おばちゃん、これにするよ」

 ヒロトはポテトチップスと、球形きゅうけいのガムと、チョコレート菓子を二つずつ手にとって、レジに向かった。するとおばちゃんは目を真ん丸に見開いた。

「あらー、こんなにたくさん。そんなに買えるのかい?」

「うん。ほら」

 ヒロトは胸を張って、ポケットから五百円玉を取り出して、おばちゃんの顔の前に差し出した。おばちゃんはおどろいたように、目を大きく開いた。

「あらまあー、ヒロくんはお金持ちだねえ!」

「えへへ、今朝けさ財布さいふひろったんだ」

「えっ、じゃあ、それは拾ったお金かい?」

 おばちゃんは少しきびしい声色こわいろになって、「泥棒どろぼうはいけないことだよ」と、ヒロトをしかった。おばちゃんが勘違かんちがいしているので、ヒロトはあわてて首を横に振った。

「違うよ。今日の朝、学校に行くときにお財布を拾ったから、先生にとどけたんだ。そしたら、先生がい事をしたごほうびだって、ないしょで五百円玉をくれたんだよ」

 ヒロトはどこかでこまった人を見るたびに人助ひとだすけをしていた。友達のさがし物をしてあげたり、近所のおばあちゃんの荷物を持ってあげたりだ。するとたまに、こうしてごほうびがもらえることがある。お菓子かしとかをもらうことが多いけど、おこづかいをくれる人もいる。

 先生は最初は何もくれなくて、ただ、ほめてくれるだけだった。べつにごほうびが欲しくて人助けをしているわけではないので、ヒロトはほめてもらえるだけで満足まんぞくだった。けれども、それからもヒロトが何度も人助けをしていたので、ついに先生もごほうびをくれた。ヒロトから財布を受け取った先生は、「これは報酬ほうしゅうです」と言って、自分の財布から五百円玉を取り出して、こっそりと渡してくれた。

 ヒロトの説明せつめいを聞いたおばちゃんは、にっこり笑って、ヒロトをなでた。

「あらー、そうかい。そりゃあ良いことをしたね。それなのに、おばちゃんが早とちりしちゃって、すまなかったね。そうだね、良い子のヒロちゃんには、おばちゃんもごほうびをあげないとねえ」

 おばちゃんはレジのうらに手をばし、アメ玉のビンを取り出した。

「ソーダ味とメロン味、どちらか一粒ひとつぶあげようね。どっちが良いかい?」

 おばちゃんが青と緑の小さなふくろを差し出して、ヒロトをのぞき込んだ。

「あのさ、味はどっちでもいいから、二粒ちょうだい」

「なんだい。よくばりはいけないよ。ちゃんと、どちらか一つを選びなさい」

「よくばりじゃないよ。家で弟が待ってるから、弟にもあげたいんだよ!」

 ヒロトの言葉を聞いて、おばちゃんはどきりとした顔になった。

「そうだったね。ごめんよ。おばちゃんは早とちりばかりだね」

 おばちゃんは泣きそうな顔になってあやまった。

「おわびに、このアメを全部ぜんぶあげようね」

 おばちゃんはアメが入ったビンを丸ごとヒロトに差し出した。ビンには何十粒もアメ玉がつまっている。

 これだけあれば、当分はアメがなめ放題だ!

 ヒロトはビンに手を伸ばしかけた。しかし、思いとどまって手を引っ込めた。

 こんなにいっぱいよくばっちゃいけないよね。

「こんなにたくさんはいらないよ。だからさ、そのわりに、もしよければ、両方りょうほうの味を二粒ずつほしいな。ソーダ味もメロン味も好きだから、どっちにしようか困ってたんだ」

 おばちゃんはヒロトが買ったポテトチップスとガムとチョコ、おまけのアメ玉四粒を袋につめながら、「ヒロくんは、優しくて、とっても良いお兄ちゃんだね」と何回もヒロトをほめた。ヒロトは得意気とくいげに笑いながらおばちゃんにお礼を言ってから、コンビニを出た。

 ちょっとり道をして帰ろう!

 ヒロトはコンビニを出てすぐ、右に曲がった。秘密のぬけ道を使ったときに、マンションの窓から見た池が気になっていたので、池のある方に早足はやあしで向かった。ときどき水たまりがあって、その上を歩くと、ばちゃばちゃ水がはねた。

 へへーん。

 どんなに水がかかっても、長靴ならぜんぜん平気へいきだ。それが楽しくて、ヒロトはわざと水たまりに足を突っ込んでみたりしながら、池のある公園を目指した。


 最初は小走りくらいだったはずが、いつの間にかヒロトは全速力で走っていた。しかし、「天使てんし食卓しょくたく」という中華料理屋ちゅうかりょうりやさんのある辺りに差しかかったところで、足を止めた。

 天使の食卓では、大きくて、色白いろじろで、不気味ぶきみな男の人がはたらいている。どうやら、その男の人がこの中華屋ちゅうかやさんの店長てんちょうらしいのだが、何だかあやしいのだ。

 見た目は日本人なのに、しゃべり方がへんで、しかもだれもいない時にも一人でぶつぶつと何かしゃべっていることがある。

 体が大きいのに、顔はガイコツみたいにゴツゴツしていて、目の辺りがへこんでいる。

 この店長はきっと悪いやつに違いない。

 ヒロトはそう思って、店長の事を警戒けいかいしていた。

 天使の食卓は、前面が大きなガラス張りの窓になっている。その向こう側に客席きゃくせきが並んでいて、右の奥に厨房ちゅうぼうがある。

 ヒロトが壁に隠れてそっと店の中をのぞくと、店内には一人も客がいなかった。客がいなくてヒマなのか、店長は厨房よりの客席に座って、窓の外をじいっとながめている。

 げっ、店長がこっちを見てる!

 ヒロトはうっと息を止め、店長と目を合わせないように注意ちゅういしながら、足音をしのばせて、店の前を通った。そして、店の前を通り過ぎたところで、一気にトップギアに切り替えた。

 店長が追いかけてきているような気がしてこわかったので、後ろも見ずに一目散に走った。

 三分くらい本気で走ったところで足を止めて振り返えると、後ろには誰もいなかった。

 ここまでくれば、もう大丈夫だよね。

 ヒロトはようやく安心して歩調をゆるめ、目的地もくてきち目指めざして小走りで進んだ。

 真っ直ぐの道をしばらく行くと、公園があって、その奥にあの池がある。ヒロトは公園に入ると、すべり台のわきをすりぬけ、植え込みをとびこして池を目指した。

 ここの池は一週が一キロメートルくらいあって割と広い。モミジやカエデの木に囲まれているので、秋口あきぐちには紅葉こうよう見物けんぶつ名所めいしょにもなっている。公園をぬけて池に着くまでの間にはジュースの自動販売機じどうはんばいき休憩きゅうけい用のベンチがある。

 休日なると、公園や池には近所の子どもたちが集まって、池に向かって石ころを投げたり、水切みずきりをして遊んだり、コイにエサをやったりしている。

 ヒロトもよくこの公園や、池に遊びに来る。ボートはお金がかかるので、お父さんやお母さんと一緒にしか乗れないが、公園で一輪車いちりんしゃに乗ったり、池の周りでけっこをしたり、コイに葉っぱを食べさせたりして遊ぶのだ。

 今日はまだ雨が上がってすぐなので、公園にも池にも子どもたちは来ていなかった。

 池のきしにはたくさんのカラスがいて、増水ぞうすいして打ち上げられたや小魚を食べている。

 ヒロトは半周ほど池のまわりを進んだところにあるボート乗り場に行った。

 池のまわりは砂利じゃりのしかれた散策路さんさくろになっていて、湿った砂利をふむと、しゃりしゃりと心地好ここちいい感触だった。ボート乗り場には、ボートレンタルの受付や、料金所と書かれた小さな小屋や、ガレージのような倉庫そうこがある。

 受付の窓も、料金所の小屋の戸も閉まっていた。

 倉庫のシャッターはいつもなら、たいてい開けっぱなしで、中のコンクリートの床には外からんだ落ち葉がもってしまっていて、いつもはカラスとか野良猫のらねこのたまり場みたいになっている。しかし、今日はめずらしく、倉庫のシャッターも閉められていた。

 シャッターには赤いサビがいっぱい付いていて、思いっきり蹴飛けとばしたらくだけてしまいそうだった。

 ヒロトは建物からはなれて、池の近くまで行った。料金所の手前には、ベッドくらいの大きさの足場が池に突き出していて、そこがボート用の小さな船着場ふなつきばになっている。ヒロトはその足場あしばに飛び乗って、池の中をのぞき込んだ。

 池の水はコーヒー牛乳みたいな色をしていた。いつもは元気に口をパクパクさせながら集まってくるコイが、今日は一匹もいなかった。

 鳥もコイもみんなしていなくなっちゃった。

 ヒロトがさみしく思いながら水の中を見下ろしていると、急に後ろから「コラッ」という声がした。

 ヒロトがびっくりしてり向くと、後ろは料金所のおじさんが立っていた。おじさんはふくふくしたやわらかそうな服のポケットに両手を突っ込みながら、ヒロトを見下ろしていた。きびしい声とは反対におじさんは優しくほほえみながらヒロトの方に歩いて来た。

「コラッ。池が増水しているから、そんな所にいると危ないぞ!」

 おじさんはヒロトに注意した。ヒロトは素直に謝って、船着場から陸地りくちに戻った。

「ごめんなさい、おじさん。でも、ちょっと気になることがあったんだよ」

 ヒロトの言葉を聞いて、おじさんは不思議ふしぎそうにまゆ毛を寄せながら、ヒロトの顔を見つめた。

「なんだい、その気になることって」

「この池にはいつもアヒルとかカモとかがいるでしょ。水の中にもコイがいるし、それに、ボートも浮かんでいたはずなんだ。だけど、今日はカラスしかいないから。それが不思議なんだ。鳥は飛べるから、どっかに飛んでいったのかも知れないけど、コイとボートはどこにいったんだろう?」

 おじさんは「なるほど、なるほど」と、あいづちを打ちながら真剣にヒロトの話を聞いてくれた。それから、ゆっくりとていねいな口調で説明をし始めた。

「水鳥たちはこの雨におどろいて、どこかに避難しているんだろうな。でも、コイはこの水の中にいるぞ。にごっていて見えないが、きっと池のそこの方で泳いでいるんだろう」

「じゃあ、ボートはどこに行ったの。池にしずんじゃったのかな?」

 ヒロトが心配そうにしていると、おじさんは「はっはっは」と大きな声で笑った。

「そう、ボートが雨で沈んだら困ってしまうだろ。だから、ボートはあの中だ!」

 おじさんはシャッターの下りた小屋を指差した。それを見てヒロトはおどろきの声を上げた。

「えっ、あの小屋にボートがあるの?」

「ああ、そうだよ。普段ふだんは出しっぱなしだけどね。雨の日はあの小屋の中にしまっているんだよ。明日あしたも雨らしいけど明後日あさってには晴れるはずだから、そうしたらまた池にボートを戻しておくよ。その時にまた見においで」

 おじさんはヒロトににっこり笑いかけた。ヒロトは「うん、分かった」と言ってうなずいた。

 話が終わってヒロトは家に帰るために歩き出した。ボート乗り場のおじさんは公園の出口までヒロトを見送みおくってくれた。ヒロトはおじさんにお礼を言って公園を出た。それから大きく手を振って、おじさんにおわかれのあいさつをした。


 ヒロトが家に帰ると、二歳下の弟のチカが玄関で待っていた。チカは未熟児みじゅくじで産まれたせいで、体が弱いらしくて、学校にもほとんど行けずに家にいる事が多い。

 本人は学校に行きたがっているし、友達とも遊びたがっている。だけど、よっぽど体の調子ちょうしがいい日にしか学校には行けない。まして、友達と一緒に大声ではしゃいだり、そこら中を走り回ったりして遊ぶなんてとてもできない。だから、チカはいつもさびしそうにしている。ゆいいつの遊び相手であるヒロトが学校に行っている間は、ずっと首を長くし帰りを待っている。

 ヒロトはそんな弟をとても大切に思っていて、家に帰ってからはいつもチカと遊んでやっていた。だから、ヒロトとチカはとてもなかの良い兄弟だった。

 ヒロトは、玄関マットの上にちょこんと体育座たいいくずわりをしているチカの頭をなでた。

「お帰り、兄ちゃん」

「うん、ただいま。チカ、体の調子はどう? 寝てなくても大丈夫なの?」

 ヒロトはお兄さんらしい話し方でチカにたずねた。チカの前にいるときには、自然としゃきっとして、いつもより大人っぽくなるのだ。

「うん、今日は調子がいいから大丈夫だよ!」

 ヒロトがクツをいで上がると、チカは立ち上がった。二人はれ立って居間いまに行った。居間にはたたみがしかれていて、大型おおがたのテレビとコタツがある。もうコタツを使うほどにはさむくないけれど、コタツ布団ぶとんかぶせられたままだった。二人は何となくコタツに入り、布団ふとんに足をすべり込ませて、ならんですわった。

「チカ、これお土産みやげ。一緒に食べよ」

 ヒロトはコンビニで買ったお菓子を取り出して、チカに見せた。チカは目をかがやかせて、身を乗り出した。ポテトチップスの袋を見つけると、うれしそうに笑った。

「やっぱり兄ちゃん、コンビニエンス近藤に行ってたんだ!」

「うん、そうだよ。よく分かったな」

「だって、雨上がりだし、外では遊べないでしょ。それに、カバンもゲームも持たずに出て行ったから、友達の家でも無さそうだし。だから、買い物に行ったのかなって。買い物なら手ぶらの方が便利べんりでしょ!」

 チカの説明を聞いたヒロトは、感心かんしんして目を丸くした。

 チカはいつもカンがするどい。家にこもりきりで、勉強をたくさんしているためか。それとも、退屈たいくつで外の様子を思い浮かべる内に、想像そうぞう力が豊かになったためかも知れない。

 病弱びょうじゃくだけど、素直でしっかり者のチカは、ヒロトのじまんの弟だった。

 ヒロトは買ってきたお菓子をチカに分けた。全部のお菓子を二つずつ買ったので、分けるのは簡単かんたんだった。チカはうれしそうにそれらを受け取ると、さっそくポテトチップスの袋をふう切って、一枚一枚、大切そうに口に運んだ。

 チカがお菓子を食べだしたのを見て、ヒロトはコタツからはい出して、キッチンに行った。そして、二人分のお茶をコップに入れて戻ってきた。

「ありがと!」

 コップを差し出すとチカがお礼を言った。

 二人はコタツに入り、テレビを見ながらお菓子を食べた。夕暮ゆうぐれれ時で、小腹が減っていた事もあって、ヒロトは次々にお菓子をふう切っては、ぽいぽい口にほうり込んだ。しょっぱいポテトチップスと甘いチョコレートを交互に食べると格別に美味しかった。

 チカは口をもごもご動かしながらゆっくりとポテトチップを食べ続けた。

 テレビでは夕方のアニメが放送されていた。チカが大好きな忍者のアニメだ。ヒロトにとっては少し子ども向け過ぎるアニメだったが、チカが喜んでいるので、ヒロトは一緒にテレビを見ていた。

 アニメが終わるころには、ヒロトはお菓子をほとんど食べ終えてしまった。あとはアメ玉が一粒とガムしか残っていなかった。

「はい、兄ちゃん。半分あげる」

 ヒロトが物足ものたりなそうにしているのに気づいたチカが、チョコバーを半分に割ってヒロトに差し出してきた。

「僕は良いから、チカが食べなよ」

「ううん、僕はこれ以上食べたらご飯が食べられなくなっちゃうから。あげる!」

 チカはにっこり笑って、チョコバーをヒロトに渡した。

 二人はお菓子を食べ終えて、お茶を飲んだ。チカはコタツを立って、お菓子の包み紙などのゴミを持ってキッチンへ行った。チカがついでにヒロトのゴミも片付けてくれたので、ヒロトはコタツに入ったままテレビを見ていた。テレビでは夕方のアニメが終わって、ニュースが始まった。ニュースはカブカがどうのとか、オショク事件とか、ちんぷんかんぷんの内容だった。

 ニュースは全国ニュースからここいら周辺地域ちいきのニュースに変わった。この辺りもそろそろ梅雨つゆけだとか、町の百貨ひゃっか店で貴金属ききんぞく大量たいりょうぬすまれただとか、そういう身近みぢかで起きたニュースだった。

「ねえ、兄ちゃん。キキンゾクってなに?」

「貴金属? えっとね。指輪とか、宝石とか、そういうヤツだよ」

「ふーん。そうなんだ」

 ヒロトとチカは良く分からないニュースにき飽きしながら、二人そろって退屈そうにあくびをした。

 ふわぁーあ。

 間のぬけた声が部屋のなかに二つ浮かんだ。

 ヒロトはテレビのリモコンに手を伸ばして、チャンネルを変えてみた。しかし、面白そうなテレビはやっていなかった。

「ねえ、兄ちゃん! オセロしよ!」

「うん、いいよ」

 チカがオセロボードを持って来たので、ヒロトはテレビを適当てきとうなチャンネルに合わせてから、リモコンを置いて、チカに向かって座りなおした。

 テレビでは「らくらくショッピング」という通信販売つうしんはんばいの番組が放送され始めた。男の人と女の人が登場して、商品の紹介しょうかいが始まった。

 今日の最初の商品は、「動物モップ」だった。カエルやトラやライオン、それに、猫や犬の形のモップが紹介された。三十センチくらいの大きさの動物たちはどれも本物みたいにリアルな毛並けなみをしていた。そのふさふさの毛をブラシとして使うようだ。ホコリまみれになっていく動物たちを見ながら、商品紹介している女の人が「かわいい、かわいい」と何度も言っている。

 チカはテレビを横目で見ながら、つまらなそうな顔をした。

「何が良いんだろうね? ライオンで掃除そうじしてもしょうがないよね?」

「うん、そうだよな!」

 ヒロトはチカに同意しながら、「うるさいだけだから、テレビ消しとこうか?」とチカにたずねた。チカはこくりとうなずいた。

 それから二人は静かな部屋でオセロをした。一回目はヒロトが勝った。二回目と三回目はチカの勝ちで、四回目をしている所へお母さんが帰ってきた。

「ただいま」

「おかえりなさい」

 二人は声をそろえて言い、お母さんを迎えに玄関に行った。

「晩御飯をつくるから、お手伝いをしてくれるかしら?」

 お母さんに言われて、二人はオセロを片付け、晩ご飯作りのお手伝いをした。

 それから、いつも通りご飯を食べて、後から帰ってきたお父さんとヒロトとチカの三人でお風呂に入り、夜の九時過ぎには布団に入った。


 翌朝はまた雨がっていた。チカは朝方あさがたにぜんそくをおこして、今日も学校を休む事になった。ヒロトはチカの部屋に行って、チカの様子を見に行った。

「チカ、大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ。ちょっとぜんそく気味ぎみなだけ」

「ちゃんと寝てるんだぞ!」

「うん。兄ちゃん、今日は何時に帰ってくる?」

「四時くらいかな」

「そっか、待ってるね」

「じゃあ、行ってくるな。帰ってから、元気になってたらまたオセロをしよう」

「うん、じゃあ、がんばって元気になる!」

 ヒロトはランドセルを背負せおって家を出た。

 学校までの道には降り続く雨のせいで大きな水たまりがいくつもできていた。ヒロトは秘密のぬけ道を使わずに少し遠回りになる通学路つうがくろを通って学校に向かった。途中にある川沿いの道から河原かわらを見下ろすと、増水した川の水が河原すれすれまで上がって来ていた。いつもなら対岸たいがんまで浅瀬あさせが続いているのに、今日はヒロトの背丈せたけよりも深くなっていそうだ。飛び石もにごった水におおわれてかくれている。

 川の向こう岸はとなり町だ。川のこっち側はわりと都会とかいな感じのまちだけど、向こう側のとなり町には田園でんえんが広がっている。少し先の方には小さなさびれたお寺があって、その周辺には木々がわさわさと生えいる。夜になるとイタチや、たぬきがしゅつぼつする事もあるらしい。対岸でとなり町の小学生たちがぬかるんだあぜ道を歩きながら通学しているのが、ヒロトのいる位置から見えた。

 ヒロトが立ち止まったまま川の向こう岸を見渡みわたしていると、数人の子どもたちがヒロトを追いぬいて、学校へとけて行った。

 いけない、遅刻ちこくしちゃう!

 ヒロトはわれに返って、再び学校に向かって歩き始めた。

 ヒロトが学校につい着いたとき、教室にはもう大勢おおぜいクラスメイトがいた。みんなあちこちでグループを作って、話をしたり、遊んだりしている。

 窓際まどぎわにいたユウキが、部屋に入ってきたヒロトに気づいて走り寄ってきた。

「おはよう。ヒロト」

「うん、おはよ」

「なあ、ヒロト。ちょっと、こっちに来てくれ!」

 あいさつをするなり、ユウキはヒロトのそで口を引っって、窓際の席まで連れて行った。窓際のその席は、ミユちゃんの席だ。

 ミユちゃんはちょっとおテンバで元気なクラスメイトの女の子だ。かわいらしくて、頭も良くて、そのうえ優しいから、男子からも女子からも人気がある。そんなミユちゃんが、今日はなんだか元気が無かった。うつむいたまま悲しそうに目をうるませている。

 いつもと様子の違うミユちゃんを見て、ヒロトは心配になった。

「ミユちゃん、どうしたの?」

 ヒロトがたずねても、ミユちゃんはしばらくだまっていた。そして、ずいぶん時間がたってから小さく口を動かした。

「あのね、ミャオがね、ミャオが、ずっと帰って来ないの!」

「ミャオって、あのミャオのこと?」

「うん、そう」

 ミャオとはミユちゃんが飼っているねこだ。灰色はいいろをしたトラがらのアメリカンショートヘアで、すごく頭が良い。ミユちゃんやヒロトがちょっかいを出しても絶対ぜったいに引っかいてこないし、トイレは決まった場所でするし、車通りの多い道を歩くときには道に飛び出さずにちゃんと歩道ほどうの辺りを歩く。

「いつからいないの?」

「火曜日からだから、もう四日も帰って来てないの」

 ミユちゃんはまゆ毛をヘの字に曲げながら、泣きそうな声で言った。

「いつもはどうなの? ちゃんと毎日帰ってくるの? それとも帰ってこない事も多いの?」

「たまに、一晩くらい戻らない事もあるんだけど。こんなに長いのは初めて」

 ミユちゃんは今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 ヒロトとユウキは二人でおろおろした。「大丈夫だよ、きっとすぐに帰ってくるよ」ヒロトがそう言ってなぐさめたけれど、ミユちゃんの表情は暗いままだった。

 そんなときに、クラス一の悪ガキのタクヤが余計よけいな口を突っ込んできた。

「車にひかれたんじゃねーの!」

 ミユちゃんはそれを聞いて一瞬いっしゅんドキッと表情をこわばらせたが、すぐに元に戻った。

「そんなこと無いもん。ミャオはかしこいから車の多い道を通らずに、塀の上とか道のミゾとか、車が通らない所を歩くから、絶対にひかれないもん」

「あっそ、別にどうでも良いけどさ」

 ミユちゃんが強く言うと、タクヤは興味きょうみの無さそうな返事をした。

 すると、今度はいつもタクヤと一緒にいる、子分のコージが割り込んできた。

「なあ、俺さ、見ちゃったんだけど……」

「見たって、何をだよ?」

 タクヤが聞き返すと、コージは怪談かいだん話をするようなひそひそ声で話を始めた。

「あの、天使の食卓って中華屋知ってるだろ? うん、あの変な店長がいる店! あそこでさ、俺、見ちゃったんだ」

「だから、何を見たんだよ?」

 タクヤがじれったそうに舌打したうちをした。時間が無いから早く話せとでも言う様に、金属製きんぞくせいのごつごつした腕時計うでどけいをトントンと指先で叩きながら、コージに先の話をうながした。

「俺の家、あの店の近くだから、あの店の裏側にある空き地でよく遊ぶんだ。それでさ、一週間くらい前にも野球ボールをかべに当てて遊んでたんだけど、そのとき、店の方にボールが転がってってさ。ボールを取りに言ったとき見たんだ」

 コージは恐ろしげに声をひそめた。

「あの店の裏口うらぐちが開いてて、そこからのぞいたら、店の中にいっぱい猫の皮がり下げられてたんだ。中国の屋台やたいでアヒルが吊られて売ってあるだろ。あれみたいに、天井てんじょうから猫がだらんってぶら下がってたんだ。トラがらとか三毛みけ猫とかさ。しかも、その下の方にはもくもく湯気ゆげが出てる大きななべがあったんだ。たぶん、あの店は猫を使ってスープを作ってるんだぜ。だから、ミユの猫も、きっと今ごろは天使の食卓でスープにされちゃってるんだよ」

 コージの話を聞いて、とうとうミユちゃんは泣き出した。ミユちゃんは大粒の涙をぽろぽろ流しながら、両手で顔を覆った。

「あー、またコー君が女の子を泣かしてるー! ヒドーい! サイテー!」

 前の席のキョウコが振り返って、コージを非難ひなんした。

 勝気でケンカっ早いキョウコは男の子とも平気でケンカをする。コージも何度かキョウコとケンカした事があって、その度にコージがかえちにあっていた。だから、コージはキョウコが大の苦手だった。

 コージはふてくされたみたいな顔でキョウコをにらんだ。すると、キョウコも負けじとキッとにらみ返したので、コージは尻尾しっぽいて席に戻って行った。

「ミユ、あんな馬鹿ばかコージの言う事なんて気にしちゃダメよ」

 キョウコはミユちゃんをはげました。しかし、ミユちゃんは泣き止まなかった。ミユちゃんは声も出さずに、静かになみだを流し続けた。

「あんたたち男子なんだから、ちゃんとミユのことを元気付けてあげなさいよ!」

 困ったキョウコが今度はヒロトとユウキに食ってかかった。

「そんなこと言ったって、なあ」

「う、うん」

 ユウキもヒロトも途方にくれたように顔を見合わせた。

「ゆう君もヒロ君も、ごめんね。いいよ、気にしないで」

 二人が困っていると、ミユちゃんはしゃくりあげながら小声でそう言った。

 ヒロトはミユちゃんをはげましてあげたかった。だが、その方法が分からなかった。そこで、何か他にミユちゃんを元気けてあげる手立てを考えた。

「あっ、そうだ! ミユちゃん。僕たちで今日、あの天使の食卓を調べてくるよ。コージ君はあんなこと言ってたけど、勘違かんちがいかも知れないし」

「ああ、そうだな! でさ、俺らがミャオを見つけて来てやるよ!」

 ヒロトにつられて、ユウキがミャオを見つけるとまで言って、安うけ合いをした。

 ヒロトたちの言葉を聞いて、ようやくミユちゃんは泣き止んだ。

「ありがとう。でも、二人だけにまかせきりにはできないから、私も一緒に探す!」

 ミユちゃんはシャツのそでで目をこすって、きりっとした顔を二人に向けた。

 ミャオは私が見つける。そう決断けつだんしたような強気の表情だった。


 ヒロトとユウキとミユの三人は、心ここにあらずのまま授業じゅぎょうを受けた。ぜんぜん授業に身が入らなかった。そして、給食きゅうしょくを食べて、午後の授業が終わり、放課後ほうかごになった。午前中はずっと雨が降り続いていたけれど、午後になると雨が上がり、時々は晴れ間も見られるようになった。

 三人はまず家に帰り、ランドセルを置いてから、池の前の公園に集まった。

「おうい、ヒロト。遅いぞ!」

 ヒロトが公園に着いたとき、公園にはすでにユウキとミユちゃんがいた。家に帰ってからしばらくチカとおしゃべりをしていたので、ヒロトはちょっと遅れてしまったのだ。ヒロトは二人に謝りながら、公園の入り口に自転車を止めた。

 三人そろった所で、ユウキが三人の真ん中に立って口を開いた。その時のユウキの声は、いつもより低いマッチョな声で、まるでスパイごっこをしているみたいだった。

「さあ、これからどうする。まずは、あの天使の食卓を調べるんだよな?」

「うん、そうだけど。でも、ちょっとこわいね!」

「私も怖い。だって、もしかしたら、コー君の言ってたのが本当で、店長さんが猫をつかまえてスープにしてるのかも知れないもん」

 ヒロトに続いてミユちゃんもおびえた声で言った。ミユちゃんは今にも泣き出してしまいそうなほど怖がっていた。

「大丈夫だよ。俺たち三人で行くんだぜ。もしもあの店長が悪者だったって、三人でかかれば怖くないだろ」

 ユウキはガッツポーズをして格好をつけながら、ミユちゃんにウインクした。ミユちゃんはこっくりとうなずいて、ぎゅっと力をこめて拳をにぎった。

 ヒロトたちは三人で歩いて天使の食卓に向かった。天使の食卓には今日もお客がいなかった。店長はヒマそうにあくびをしたり目をしばたたかせたりしながら、客席に座って、ビールメーカーのロゴマークが入ったグラスで茶色いお茶を飲んでいた。

「さあ、行くぞ!」

「うん、でも正面しょうめんからじゃなくて、裏口の方がいいんじゃない?」

「そ、そうだな。じゃあ、裏の空き地に行こう」

 たしかコージの話では、店の後ろに空き地があって、そこから裏口に回れるということだったはずだ。

 ユウキは思い出したようなハッとした顔になって、ヒロトの案に賛成さんせいした。

 天使の食卓の右どなりにあるせまい路地を入ると、アパートの駐輪場ちゅうりんじょうがあって、その先に小さな空き地があった。

 空き地には、コンクリートブロックとはいタイヤが転がっていた。周囲は高いへいに囲まれていて、せまっ苦しい感じの空き地だった。塀には所々にボールのあとがあって、コージが壁あてをして遊んでいる様子が想像できた。

 道から空き地に入り、真っ直ぐ突き当たりまで進んで振り返ると、空き地の入り口の他にもう一つ細い道が空き地につながっていた。左側が通ってきた道で、右側はどこに続いているのか分からない。

「あの道に入ればいいのかな?」

 ミユちゃんは右側の道を指差した。

「多分そうだよ」

 ヒロトはうなずいた。

「店長さんはさっき客席にいたから、こっちから行けば大丈夫よね?」

「たぶん、大丈夫だと思う」

 ヒロトとミユが恐る恐る歩き出すと、ユウキが二人を呼び止めた。

「待てよ、怖いなら俺が先に行ってやるから、二人は後ろからついてこいよ」

 そう言ってユウキが先頭になって、三人は細い道を進んだ。道は十メートルくらいで行き止まりになった。その正面のかべには天使の食卓の裏口らしいドアがあった。

 ドア両わきには学校の机みたいな小さな台が二つあって、そのうえにはずんどうなべが並べて置かれていた。二つの台の下には、大きなポリバケツがいっぱい置かれていて、ちょっと美味おいしそうな、だけどちょっとくさったような臭いがした。

「この鍋で猫がられてるのかな?」

 ユウキが鍋の前に立って言った。いつの間にか、天使の食卓が猫のスープを作っているような話になっている。

 台の上に置かれたずんどう鍋の口はヒロトたちの身長よりも高い位置いちにあったため、三人には鍋の中身が確認かくにんできなかった。しかし、その中に皮をはがれた猫が入っているような気がして、三人は怖くて真っ青になった。

「じゃあ、中を見てみるか!」

 ユウキは青い顔をしながら、ゆっくりと鍋に手を伸ばした。

 その瞬間、ぎゃあお、といううめき声が鍋の中から聞こえた。ユウキはびっくりして目を白黒させながら、それでもどうにか落とさずに鍋を持ち上げて、地面に下ろした。

 鍋の中には小ぶりの猫が二匹入っていた。

「まさか、本当に、猫のスープを作っているなんて……」

 ユウキはおどろきのあまり息をつまらせそうに成っている。ミユちゃんもショックを受けた様子で、だまってずんどう鍋を見下ろしていた。

 すると、鍋から二匹の猫が勢い良く飛び出して来た。二匹の猫はヒロトたちがいるのにおどろいたようで、もう一度、ぎゃあおといなないてから、空き地の方へと走って行った。

「じゃあ、ミャオもスープにされちゃったの?」

「くそっ、あの店長め!」

 ユウキがくやしそうにくちびるをかんだ。

「ううん、やっぱり、猫のスープなんて勘違かんちがいだよ!」

 鍋の中に猫がいたことで、ユウキとミユはすっかりコージの話を信じてしまったようだったが、ヒロトだけは違った。

「勘違いってなんだよ?」

「そうよ、だって今も猫がいたじゃないの!」

 二人はヒロトに反論した。しかし、ヒロトは余裕よゆうの表情で首を左右に振った。

「うん。たしかに猫はいたけど、生きてたでしょ! もし本当にスープにしてしまうなら、生きてはいないはずじゃない?」

「だけど、まだ生かしておいただけかも知れないだろ! たとえば、えーと、ほら、新鮮しんせんなほうが美味うまいとかさ」

「ううん。もしも、つかまえて生かしておくんだったらあんな鍋なんかには入れずに、オリとか箱に閉じ込めておくでしょ。だって、ほら、猫が逃げていっちゃったし。せっかくつかまえた猫を、こんなに簡単かんたんに逃げられるようにしておくなんて変だよ!」

「でも、じゃあ、なんで猫がいたのかしら?」

 ミユちゃんが不思議そうに首をかしげるので、ヒロトは可笑おかしくなって笑った。

 ミユちゃんは、そんなヒロトに怒ったみたいにぷぅーっとほっぺたをふくらました。

「ほら、これだよ。これが猫がいた理由!」

 ヒロトはずんどう鍋に手を差し入れて、その中から小さな白いカケラを拾い上げた。それを見たユウキとミユは納得なっとくが行かない様子だった。白い石ころのようなカケラを見せられても、それが何なのか、二人には分からないようだ。

「なんだよ、それ?」

「えっとね。これは多分、ニワトリの骨だよ。ほら、フライドチキンについてるやつ。中国料理ではトリがらっていうのでスープを作るんだって、聞いたことがあるんだ」

「あっ、そっか。スープを作った後で、残った骨をそのままにしておくと、その匂いにつられて猫が集まってくるのね!」

「うん、きっと、そうだと思う。それで、鍋の中とか、ゴミ箱とか、美味しそうな匂いのするところに猫が自分から入り込んでたんだよ」

 ヒロトに説明されて、ユウキもミユもようやく納得したみたいだった。二人は安心したのか、気のぬけたような顔で笑っている。


 しかし、そのとき、ヒロトの頭の中に、新たな疑問ぎもんが生まれていた。

 一つ目のなぞは、コージが見たという猫の毛皮けがわだ。コージの話では店の中にたくさんの猫が吊るされていたのだそうだ。コージはいったい何を見たのだろう?

 二つ目の謎がミャオの居場所いばしょだ。スープにされたのでなければ、どうしてミャオは帰ってこないのだろう?

 ヒロトは腕組みをして考え込んだ。しかし、考えれば考えるほど、謎は深まっていくようだった。

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