第4話 #5 試合後(1)
「お腹すいた……」
と、昴流が心の底からつぶやいたのは試合後の更衣室でのこと。
更衣室は
ここは前に火煉と試合をしたときに使ったのと同じ部屋だ。
昴流は愛理との戦いが終わった後、ここに戻ってきた。ジャージの下に着込んだ
昴流は魔術を連続使用すると空腹を感じる。
実際のところ、魔術を使用する際に消費するものは何もない。魔力とは強い観測者効果であり、その魔力にのみ反応する物質――エーテルに構文を記述することにより魔術は発動する。ただし、思った通りの効果を得るためには、セカイを知覚し、把握して、正しい構文を構築しなくてはならない。消費はしないが思考はする。魔術の連続しての行使は、チェスや将棋といった頭脳ゲームによる消耗と似ていて、その影響は人それぞれだ。頭痛、肉体的な疲労、睡魔……。どうやら昴流は空腹を感じるようだ。試合前だからと食べるのを控えていたのも響いているかもしれない。
「本当に火煉さんと何か食べにいくことになりそうだな」
昴流は苦笑する。
と、そこで更衣室のドアがノックされた。
「はい」
「失礼」
スライド式のドアが開く。這入ってきたのは碓氷愛理だった。
彼女はまだ
「マリアと少し話がしたくてね。こっちで着替えさせてもらうよ」
「え!? あ、いや、でも……」
もらうよ、とさっくり言われても、それはまずい。まずいのだが、まさか馬鹿正直に僕は男なのでと白状するわけにはいかず、結果、しどろもどろになってしまった。
「ああ、あのことなら茉莉花から聞いている。私は向こうを向いているので安心してくれ」
あのこととは、昴流が人前で服を脱がないために吐いた傷云々の嘘のことだろう。
愛理は、昴流が荷物を放り込んだロッカーとは正反対の側にあるロッカーへと体を向けた。今さらロッカーを使うわけではないが、気持ちの問題もあるのだろう。ロッカーの前の床にバッグを置くと、さっそく
「マリアは強いな」
「あ、ありがとうございます……」
いつまでもこうしているわけにはいかない。自分も着替えなくては逆に不審がられるだろう。
だが、こちらを見ないというのは本当だろうか? そう言って油断させているだけかもしれない。そうでなくても話すときに自然とこちらを向いてしまう、ということだってあり得る。――どうしてもそう疑ってしまい、昴流はおそるおそる振り返った。
「っ!?」
目に飛び込んできたのは、ほとんど裸と言っていい愛理の後ろ姿だった。
わずかに見える胸のふくらみは、茉莉花ほどではないが意外に豊かなようで――動きに合わせてふるりと揺れた。いわゆる『なにげにモデル体型』というやつだ。
昴流は思わず見惚れてしまう。
女性としてのエロティシズムがありながら、
「結局、前に言った通りになったな」
「な、何がですか?」
昴流は、愛理の声ではっと我に返り、体ごと目を背けた。これでは単なる覗きだ。
背を向けてから応える。
そうしながら静かに、大急ぎで着替えをはじめた。正直、このままでは身がもたない。
「『すぐそばにも勝てない人間がいることをおしえてやる』さ」
そこまでえらそうな言い方をした覚えはないが、確かにそんなことを言った。そもそも今回の試合もそこがはじまりなのだ。
「まさしくその通りになったわけだ」
そう言いつつも愛理はどこか嬉しそうだった。
「マリアは見たこともない攻撃を次から次へと繰り出してきたね。あれはいったい何なんだ?」
「あれは……後で話します」
今、ラウンジでは火煉と茉莉花が待っていて、昴流と愛理も着替えたらそこへ向かうことになっている。主役は火煉たち
「そうか。まぁ、私が敗れたのは事実だ。それは受け入れないといけなだろう」
案外あっさりと引き下がる愛理。後で聞けるならいいかと思っているのか、それともあまり気にしていないのか。
「でも、久しぶりに熱くなれた」
「そ、そうですか」
試合の興奮冷めやらぬ調子の愛理に対し、昴流は非常に強い焦りを覚えていた。
昴流はジャージと
「別に火煉や茉莉花を侮ってたわけじゃないんだが、よくも悪くも手の内を知り尽くした仲だからね。それに――」
愛理は言い淀む。
おそらく彼女が強気なまでの己の実力をアピールしていたのは、強い存在であろうとしたからなのだろう。きたる
「なら、それを伝えればいいと思います」
火煉は、愛理が最強を自称しているのが赦せなかった。もちろん、自分を差し置いて、と俗な考えで憤慨しているのではない。キルスティン女学園の中という、あまりにもせまい場所でそんな小さいことを言っている姿が見るに耐えなかったのだ。
でも、愛理の真意は先の通り。彼女は遥か先の高みを見据えていた。
誤解だ。
あっちもこっちも誤解している。
言葉で解ける誤解なら解けばいいのだ。
だから、昴流は切なる願いをこめてそう答えつつ――せっせと着替える。
「そうだな。確かにマリアの言う通りだ」
愛理は苦笑。
「うん? マリアは着替えるのが速いな。私はまだこんな恰好だというのに」
「っ!?」
どんなだ!? というか、こっちを向いているのか!? 約束が違う!
昴流は驚いて飛び上がりそうになりながら硬直するという離れ業をやってのけた。
幸いすでに着替えは終わっている。昴流はおもむろに、ゆっくりと床のバッグに手を伸ばした。まるで動いていることすら悟られまいとするように、少しずつ少しずつ姿勢を変えていく。
そうしてバッグを手に掴むと、今度はそろりそろりとカニ歩きをはじめた。愛理には背を向けたまま、彼女を中心に弧の軌道で移動する。……ダメだ。いま振り返ったら死ぬ。なんで死ぬかわからないけど、自動的に死ぬ。
間、愛理は昴流の奇行に首を傾げつつ、その動きを目で追っていた。
そうやって昴流は、ようやくの思いで更衣室のドアまでくると、今度は一転して素早い動きでパネルをタッチ。ドアが開く。
「じゃ、ボクは先に行ってますんで」
そして、脱兎の如く逃げ出した。
「……」
残された愛理は閉じたドアをしばし黙って見つめ――それからひと言。
「ずいぶんと愉快な性格だな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます