第4話 #5 試合後(1)

「お腹すいた……」


 と、昴流が心の底からつぶやいたのは試合後の更衣室でのこと。


 更衣室は機槍戦トーナメントに出場する選手の控え室でもある。ここで着替え、設置の端末で機械仕掛けの騎士マシンナリィ・ナイトの最終調整もできる。大会の際、タイトなスケジュールで前後の試合のチームが同時に使うことになってもいいよう、ロッカーは十人分が用意されている。もちろん、同じ部屋がもうひとつあり、対戦チームが同じ部屋を使うことはない。


 ここは前に火煉と試合をしたときに使ったのと同じ部屋だ。


 昴流は愛理との戦いが終わった後、ここに戻ってきた。ジャージの下に着込んだ鎧下衣アーミングダブレットを着替えるためだ。


 昴流は魔術を連続使用すると空腹を感じる。


 実際のところ、魔術を使用する際に消費するものは何もない。魔力とは強い観測者効果であり、その魔力にのみ反応する物質――エーテルに構文を記述することにより魔術は発動する。ただし、思った通りの効果を得るためには、セカイを知覚し、把握して、正しい構文を構築しなくてはならない。消費はしないが思考はする。魔術の連続しての行使は、チェスや将棋といった頭脳ゲームによる消耗と似ていて、その影響は人それぞれだ。頭痛、肉体的な疲労、睡魔……。どうやら昴流は空腹を感じるようだ。試合前だからと食べるのを控えていたのも響いているかもしれない。


「本当に火煉さんと何か食べにいくことになりそうだな」


 昴流は苦笑する。


 と、そこで更衣室のドアがノックされた。


「はい」

「失礼」


 スライド式のドアが開く。這入ってきたのは碓氷愛理だった。


 彼女はまだ鎧下衣アーミングダブレットのままで、手にはスポーツバッグを持っていた。


「マリアと少し話がしたくてね。こっちで着替えさせてもらうよ」

「え!? あ、いや、でも……」


 もらうよ、とさっくり言われても、それはまずい。まずいのだが、まさか馬鹿正直に僕は男なのでと白状するわけにはいかず、結果、しどろもどろになってしまった。


「ああ、あのことなら茉莉花から聞いている。私は向こうを向いているので安心してくれ」


 あのこととは、昴流が人前で服を脱がないために吐いた傷云々の嘘のことだろう。


 愛理は、昴流が荷物を放り込んだロッカーとは正反対の側にあるロッカーへと体を向けた。今さらロッカーを使うわけではないが、気持ちの問題もあるのだろう。ロッカーの前の床にバッグを置くと、さっそく鎧下衣アーミングダブレットを脱ぎはじめる。昴流は慌てて背を向けた。


「マリアは強いな」

「あ、ありがとうございます……」


 いつまでもこうしているわけにはいかない。自分も着替えなくては逆に不審がられるだろう。


 だが、こちらを見ないというのは本当だろうか? そう言って油断させているだけかもしれない。そうでなくても話すときに自然とこちらを向いてしまう、ということだってあり得る。――どうしてもそう疑ってしまい、昴流はおそるおそる振り返った。


「っ!?」


 目に飛び込んできたのは、ほとんど裸と言っていい愛理の後ろ姿だった。


 鎧下衣アーミングダブレットはすでに脱いでいて、上半身は裸。唯一の着衣であるショーツは、鎧下衣アーミングダブレットの下のインナーとして機能させるためか、かなり大胆なデザインだった。かたちのいいヒップがほぼ丸見えだ。


 わずかに見える胸のふくらみは、茉莉花ほどではないが意外に豊かなようで――動きに合わせてふるりと揺れた。いわゆる『なにげにモデル体型』というやつだ。


 昴流は思わず見惚れてしまう。

 女性としてのエロティシズムがありながら、騎士乗りナイトヘッドの理想のような体だった。


「結局、前に言った通りになったな」

「な、何がですか?」


 昴流は、愛理の声ではっと我に返り、体ごと目を背けた。これでは単なる覗きだ。


 背を向けてから応える。

 そうしながら静かに、大急ぎで着替えをはじめた。正直、このままでは身がもたない。


「『すぐそばにも勝てない人間がいることをおしえてやる』さ」


 そこまでえらそうな言い方をした覚えはないが、確かにそんなことを言った。そもそも今回の試合もそこがはじまりなのだ。


「まさしくその通りになったわけだ」


 そう言いつつも愛理はどこか嬉しそうだった。


「マリアは見たこともない攻撃を次から次へと繰り出してきたね。あれはいったい何なんだ?」

「あれは……後で話します」


 今、ラウンジでは火煉と茉莉花が待っていて、昴流と愛理も着替えたらそこへ向かうことになっている。主役は火煉たち三女神モイライだが、昴流のことについても触れることになるだろう。


「そうか。まぁ、私が敗れたのは事実だ。それは受け入れないといけなだろう」


 案外あっさりと引き下がる愛理。後で聞けるならいいかと思っているのか、それともあまり気にしていないのか。


「でも、久しぶりに熱くなれた」

「そ、そうですか」


 試合の興奮冷めやらぬ調子の愛理に対し、昴流は非常に強い焦りを覚えていた。機槍戦トーナメントで強敵と相対したとき以上の危機的状況だ。前にも似たようなことがあったが、あのときは状況を予想した火煉が助けにきてくれた。だが、今回はそれも望めまい。絶体絶命だ。


 昴流はジャージと鎧下衣アーミングダブレットを脱ぐと、手早く汗を拭き――拭いてもいやな汗がまた噴き出してくるが、Tシャツとジャージを再び着はじめる。


「別に火煉や茉莉花を侮ってたわけじゃないんだが、よくも悪くも手の内を知り尽くした仲だからね。それに――」


 愛理は言い淀む。


 おそらく彼女が強気なまでの己の実力をアピールしていたのは、強い存在であろうとしたからなのだろう。きたる団体戦カルテット大会で、自分が先頭に立ち、皆を引っ張るために。


「なら、それを伝えればいいと思います」


 火煉は、愛理が最強を自称しているのが赦せなかった。もちろん、自分を差し置いて、と俗な考えで憤慨しているのではない。キルスティン女学園の中という、あまりにもせまい場所でそんな小さいことを言っている姿が見るに耐えなかったのだ。騎士乗りナイトヘッドならこんなところで満足するなと。もっと上を目指せと。


 でも、愛理の真意は先の通り。彼女は遥か先の高みを見据えていた。


 誤解だ。

 あっちもこっちも誤解している。


 言葉で解ける誤解なら解けばいいのだ。


 だから、昴流は切なる願いをこめてそう答えつつ――せっせと着替える。


「そうだな。確かにマリアの言う通りだ」


 愛理は苦笑。


「うん? マリアは着替えるのが速いな。私はまだこんな恰好だというのに」

「っ!?」


 どんなだ!? というか、こっちを向いているのか!? 約束が違う!


 昴流は驚いて飛び上がりそうになりながら硬直するという離れ業をやってのけた。


 幸いすでに着替えは終わっている。昴流はおもむろに、ゆっくりと床のバッグに手を伸ばした。まるで動いていることすら悟られまいとするように、少しずつ少しずつ姿勢を変えていく。


 そうしてバッグを手に掴むと、今度はそろりそろりとカニ歩きをはじめた。愛理には背を向けたまま、彼女を中心に弧の軌道で移動する。……ダメだ。いま振り返ったら死ぬ。なんで死ぬかわからないけど、自動的に死ぬ。


 間、愛理は昴流の奇行に首を傾げつつ、その動きを目で追っていた。


 そうやって昴流は、ようやくの思いで更衣室のドアまでくると、今度は一転して素早い動きでパネルをタッチ。ドアが開く。


「じゃ、ボクは先に行ってますんで」


 そして、脱兎の如く逃げ出した。


「……」


 残された愛理は閉じたドアをしばし黙って見つめ――それからひと言。


「ずいぶんと愉快な性格だな」

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