第7話 #1 《運命の三女神の現在(クローソー)》

 二日目が終わった夜のことだった。


 場所はキルスティン女学園の学生寮、昴流と火煉の部屋。


 火煉はライティングデスクのキャスタ付きチェアに腰をおろし、昴流は二段ベッドの上、自分の寝床に座り込んでいた。


「少しは慣れた?」

「慣れるわけないじゃないか……」


 問うてくる火煉に、昴流は口を尖らせる。


 何せ女の子の振りをして女子校に通っているのだ。いつバレるか常にヒヤヒヤしている。むしろ何でまだバレていないのか不思議なくらいなのだが、未だその気配もない。おかげで変な自信がつきそうだった。


 この二日間というもの、昴流は女の子のパワーに圧倒されっぱなしだった。代わるがわる根掘り葉掘り聞いてくるもので、いったい何度同じことを話したか。


 書籍館しょじゃくかん学院にも女子生徒は当然いるが、個人差はあれど全体的にもう少しおとなしかったように思う。やはり機槍戦トーナメントに身を投じるような子だからか、皆、性格はアクティブでアグレッシブだ。


「まぁ、茉莉花様がいるから助かってるんだけどさ」


 だいたい毎回、八重垣茉莉花がテキトーなところで割って入り、集まってきた少女たちのの狂騒をクールダウンさせるのである。


「マリア、あなたもあの子のことを『茉莉花様』と呼んでるのね」

「ああ、うん。まぁ、ね」


 昴流は苦笑する。


 同じ学園、同じクラスにいる以上、同い年のはずなのだが、どうにも彼女は『茉莉花様』がしっくりくる。周りがそう呼んでいるからつられたのもあるが、彼女の大人びた雰囲気や落ち着いた物腰は、『茉莉花様』以外の何ものでもない気がするのだ。


「確かにあの子はそういう感じね。さすがに上級生でそう呼んでるのは少ないけど」


 火煉は同意するようにそう言って、ショートパンツの足を組み替えた。


 その動きにどきっとして、昴流はまるで自分を誤魔化すみたいにして話題を変える。


「そうだ。明日、ついに演習科目があるんだけど、どうしたらいいのかな?」


 演習科目とは、一般の高校なら英語の長文問題や理数系科目の受験向け難問を解く授業だが、騎士乗りナイトヘッドの養成機関では機械仕掛けの騎士マシンナリィ・ナイトを使った機槍戦トーナメントのための授業を指す。


「そうね。まずはキルスティンの平均的なレベルを見てほしいから、明日は見学にしてもらえるかしら?」

「ん。わかった」


 昴流はうなずく。


 確かに演習に参加する前に、キルスティン女学園がどの程度か見ておきたい。普通に考えて騎士乗りの養成機関なのだからレベルが高いのだろうと思うのだが、しかし、ここキルスティンは女子校。同じように考えていいものかどうか。頂点である火煉からピラミッドを単純に逆算すれば、全体のレベルも高いはずだが。


「さて、私はお風呂に入ってくるわ」

「うぐっ」


 話が一段落ついたからだろう、火煉がそう言い出して――昴流は喉を詰まらせた。


「どうかした?」

「い、いえ……」


 ここで反応の選択を間違えると、変なことを考えていると思われかねない。なので、昴流は最も無難に言葉を濁す。


「先に入る?」

「ぼ、僕はまだいいので」

「そう」


 火煉はクローゼットから着替えを取り出すと、そのまま脱衣場へと向かった。


 彼女の姿が消えてから、昴流はため息を吐く。


「いつまでたっても慣れそうにないのが、この寮生活だよなぁ」


 そうぼやきながら、枕を抱えて転がるのだった。





 翌日、

 ついに昴流は危機的状況を迎えた。


 しかし、男だとバレそうになったわけではなく、むしろその逆。周りの誰ひとりとして、そんなこと微塵も思っていないからこそのこの状況。


 演習の授業の前、いつも親切な茉莉花様によって、昴流は更衣室につれていかれたのだった。


 周りでクラスメイトたちが鎧下衣アーミング・ダブレットに着替える中、昴流は身を固くして、ただひたすらロッカーを見つめていた。


「ふ、ふふふ……」


 何だこの状況。

 あまりの不可解さに、意味もなく笑いがこみ上げてくる。


 と、


「マリア、着替えませんの?」


 不意に両肩に手が置かれた。問うてきたのは、声からして茉莉花だ。火煉から直々に指名されたこともあって、最初の二日間ですっかり久瀬マリアの世話役のようになってしまっている。


 昴流は驚いて飛び上がりそうになった。ひぃっ、と声を出さなかった自分を褒めてやりたい。


 しかも、だ。

 男の直感なのか、どういうわけか彼女が下着姿であろうことがわかってしまった。きっと繊細な刺繍のあしらわれた、大人っぽくて高そうなものなんだろうな、とよけいなことまで考えてしまった。絶対に振り向けない。


「い、いや、ボクは……」


 どうする? もうこうなったらテキトーな理由をつけて、一旦この更衣室から逃げ出すか。明らかに挙動不審だが仕方がない。このままここにいても状況が好することはないのだ。というか、茉莉花に後ろに立たれているこの状態こそ、すでに絶体絶命だ。


 そのとき、更衣室のドアがノックされた。


「失礼するわね」


 その声は女子生徒独特の喧騒の中でも、よく通った。這入ってきたのは火煉だった。


「ああ、やっぱり」


 彼女は昴流の姿を見つけると、歩み寄る。


「茉莉花、マリアには体に傷跡があるの。私は気にすることはないと言ってるのだけど、どうしても人に見られるのは抵抗があるみたいなのよ」

「そうでしたの。それは自分からは言い出しにくいことでしたわね」


 まるで気がつかなかった自分を恥じるようにそう返す茉莉花。ついでに昴流もぶんぶんぶんと首を縦に振っていた。何かそういうカラクリの人形のようだ。


「悪いけどみんなが出てから着替えさせるわ」

「わかりましたわ。……じゃあ、皆さん、なるべく早く着替えて、外に出ましょうか」


 茉莉花が皆に向かって言い、声をそろえたように「はーい」と返事が上がった。


 やがて……

 着替え終わったものから順に出ていき、昴流と火煉のふたりだけになると、


「ど、どうなるかと思った……」


 昴流は脱力し、ロッカーにすがりつくようにしながら、ずるずると崩れ落ちた。


「悪かったわ。昨日のうちに気がついていれば、こんなことにならなかったのに」


 根が真面目なのだろう、火煉は申し訳なさそうだった。


「こんなことを繰り返してたら、いつかは怪しまれると思うんだけどなぁ……」

「後手には回らないようにするわ」


 火煉の返事はどこまでも真面目だった。


 結局、それしかないのだろう。今のこれがいい教訓だ。しばらくは常に先のことを想定しつつ動く必要がありそうだ。





 そうして演習の授業、

 昴流は昨夜火煉と決めた通りに見学をしていた。


 着ているのはジャージだ。部活動やスポーツクラブのもののように、なかなかセンスのいいデザインをしている。女子校だからこういう細かいところにまで気を配っているのかもしれない。ただちょっと袖が余り気味なのはご愛嬌。というより、むしろ愛らしい。


 実際に授業に参加するようになったらどうしようか、と思う昴流。鎧下衣には男女兼用のデザインものもあるから、その点は誤魔化せる。しかし、体のラインが出てしまうのはどうしようもない。やはり先ほど火煉が用意した話を理由に、ジャージのままで参加するのが無難か。


 演習場は、闘技場アリーナに比べるとひと周りくらい小さい。そこをひとクラス分の生徒が動き回るのだから、少々手狭に感じる。しかし、演習は基本的に動きや機動に関するものと格闘戦がメイン。衝突を回避する広い視野を身につけるいい訓練になるだろう。


 因みに、質量兵器、光学兵器問わず実弾を使った演習は、もっと少人数で、別に時間を設けて行われる。


 昴流は見学者席から演習場を眺めていた。当然、間には対衝撃、対ビーム加工をした壁を両面スクリーンにしているので、騎体が見学者席に飛び込んでくるようなことはない。


 と、そこに茉莉花がやってきた。


「マリアは授業には参加しませんの?」


 鎧下衣姿だ。前に見た火煉のものと同じデザインのところを見るに、どうやらこれは学校指定のもののようだ。でも、演習場を見渡せばほかのデザインのものも散見できる。きっといくつか種類があって、その中から選べるのだろう。さすがに一部のプロの女性騎士乗りのような派手なものは見当たらなかった。


 ひとつ年上の火煉と比べても、年下の茉莉花のほうがスタイルがいいようだ。特に胸のあたりとか。ここでもやっぱり大人だ――と思ったところで、昴流は慌てて正面へと向き直った。再び演習場へと目を向ける。


「まだ数回は、ね。南郷先生と火煉さんが、そのほうがいいって」

「そう。残念ですわね」

「でも、このために研修生としてきたんだから、いずれは参加することになるよ」


 そこは嘘でない分、言っていて気が楽だった。

 これはもともとは火煉の提案なのだが、クラス担任にして騎技の教官でもある南郷も賛成したのだった。


 不意に茉莉花が黙り込んだ。何か考え込んでいるようだ。


「茉莉花様?」


 どうしたのだろうと昴流はその名を呼ぶ。


「え? ああ、ごめんなさい。……じゃあ、一緒に演習ができるのを楽しみにしていますわ」


 はっと我に返ってそう言うと、彼女は見学者席のブースから出ていった。


「楽しみにされてもね……」


 少なく見積もっても、彼女は火煉と同等の実力があるはずなのだ。茉莉花に限ってはそんなことはないだろうが、一方的にいたぶられる図しか想像できなかった。演習の際は胸を借りるつもりで臨むことになるだろう。


「……あの胸を?」


 と考えて、昴流は自分の頭をぽかりと一発殴った。





 放課後、

 昴流は再び演習場の見学者ブースにきていた。


 隣には火煉もいる。


 今度はクラスだけでなく、放課後の自主練を通してキルスティン女学園全体のレベルを見てみようということになったのだ。


 いま演習場にいる生徒は、昼間の授業のときと同じくらいか。つまり、ひとクラス分。だいたいそれくらいを人数制限の上限としているのだろう。


「どう、キルスティンは?」

「うーん……」


 昴流は演習場を見渡す。


 正直、レベルはまちまちだ。高い機動力で素早く正確な動きを見せているものもいれば、目の覚めるような格闘戦の手合せをしているものもいる。そうかと思えば、上級生に手取り足取りおしえてもらっている初年次生らしき少女もいた。


 拍子抜けした、というのが本当のところだった。もう少し全体的にレベルが高いと思っていたのだ。


「言いたいことはわかるわね」


 昴流の心情を察して、火煉が苦笑する。


「入学したときはみんな初心者だもの」

「それもそうだね」


 今ではスポーツや格闘技に類するものとなっているが、過去には兵器であった歴史を持つ機械仕掛けの騎士マシンナリィ・ナイトには扱いに年齢制限がある。基本的に十五歳以上だ。一般の学校なら高校に相当するキルスティン女学園だと、入学時は全員が素人なのである。


 巨大人工島学園都市メガフロートキャンパスにある同様の高校相当の騎士乗りナイトヘッド養成機関の中には、入学試験のときにいきなり機械仕掛けの騎士マシンナリィ・ナイトを使わせてみてその才能を見るところもあるのだが、ここキルスティンにはそれがない。学力テストと面接だけの試験だ。才能の有無で篩にかけるようなことはしない。そうして受け入れた生徒を、卒業までには最低でも機槍戦トーナメントの女子の部に出場できるだけの力を身につけさせるのだ。


 その一方で、火煉のような実力者もいる。上を目指すものにはさらなる教育を。それがこのキルスティン女学園という学校のいいところなのだろう――あくまでも才能の世界である魔術を学ぶ昴流はそう思う。


「そうそう。いずれマリアにも位階の判定をすることになると思うわ」


 位階制は、女子校でありながら実力のある騎士乗りを輩出し続けているキルスティンを支える制度のひとつだ。五段階に分けた位階の上位を目指して、日々生徒たちは研鑽を積んでいるのである。


「マリアならきっと女王級クラス・クィーンになれるわ」

「ははは。まぁ、頑張って――」

「それは聞き捨てなりませんわね」


 昴流の発音が遮られた。


 現れたのは茉莉花だった。どうやら彼女は今日も放課後の演習場に予約を入れていたようだ。そういう弛まぬ努力が、彼女を女王級クラス・クィーンにまで押し上げ、《運命の三女神の現在クローソー》の異名で呼ばれるまでにしたのだろう。


 しかし、その茉莉花は今、かすかに不機嫌さを見せていた。こんな彼女は珍しいのか、茉莉花についてきたふたりの少女も後ろで困惑気味の表情を浮かべている。


「お言葉ですが火煉先輩、マリアにどれほどの力を見出して彼女をここに呼び寄せたのかは知りませんが、キルスティンの女王級クラス・クィーンはそう簡単になれるものではありませんわ」

「なれるかどうかはすぐにわかることよ」


 火煉は茉莉花の言葉を静かに一蹴する。


「ええ、その通りです。ですが、その前にわたくしと戦っていただきます」

「えっ」


 声を上げたのは昴流。茉莉花の後ろの女子生徒も驚いたようだ。


「何をそんなに突っかかってきてるの? 茉莉花、あなたらしくもない」

「わたくしらしいかそうでないかは関係ありませんわ。これはキルスティンの生徒としての誇りの問題です」

「……」


 納得した。


 茉莉花にとって、外部からの研修生に女王級クラス・クィーンになられるのは面白くないのだろう。少なくとも、簡単になれると思われたくはないのだ。これは彼女の個人的な感情というよりはキルスティン全体の代弁であり、それこそ誇りに関わるものなのだろう。


「……いいよ」


 昴流は立ち上がった。


 普通なら無駄な争いを避けるべき場面だろう。だけど、これからしばらくこのキルスティンでやっていくのだ。なら、ここで自分の力を見せておくのもひとつの手ではないだろうか。勝敗は関係ない。位階の判定が出たとき、ここでの戦いは皆を納得させるひとつの材料となるはずだ。


 それに何より、昴流自身がキルスティンの三強の一角、《運命の三女神の現在クローソー》と謳われる茉莉花と戦ってみたかった。


「馬鹿を言いなさい。演習場でちゃんとした機槍戦トーナメントなんてできるわけがないでしょう」

「模擬戦で十分ですわ」


 この場合、模擬戦とは地上での格闘戦の手合せを指すことになる。


「それこそ馬鹿な話だわ。あなたの『アウロラ』は接近戦騎でしょう。自分の得意の――」

「かまわない」


 昴流は火煉の台詞を遮り、そう言い切る。


「火煉さんも知ってるよね。そこはボクの距離でもあるよ。……準備してくる」


 そうしてこの見学者ブースを出ていく昴流の口許には、好戦的な色の笑みがかすかに浮かんでいた。

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