第2話 #2 キルスティン女学園

 キルスティン女学園という名の学校がある。


 東京湾上に建造された巨大人工島学園都市メガフロートキャンパスにある学校のひとつで、一般の高校に相当するカリキュラムを教える教育機関であると同時に、機械仕掛けの騎士マシンナリィ・ナイトの操作技術や理論、構造をも教える、騎士乗りナイトヘッドや研究者の養成機関でもある。


 同様の機関はこの人工島学園都市にいくつもある。ひと昔前までは純粋な騎士乗りナイトヘッドの養成機関が主流だったが、才能を育てるなら早いほうがいいと、近年通常の教育カリキュラムとともに騎士乗りナイトヘッドの技術も教える学校が増えてきたのだ。


 キルスティン女学園は、その名の通り女子校である。まだ騎士乗りナイトヘッドとして未熟な時期に男子と一緒に学ぶのは危ない、女子だけの学校があれば安心できる、といったニーズに応えるかたちで創立したのだ。


 果たして、そんな生温いことを言っていて大丈夫なのだろうか?


 そこは一長一短と言える。


 実際、女子校らしい華やかでふわふわした部分があり、かつては兵器だった歴史をもつ機械仕掛けの騎士マシンナリィ・ナイトを預けていいものか心配になるのは確かだ。しかし、機槍戦トーナメントはあくまでもスポーツに類するもの。試合内容は多種多様だ。



・一騎打ち、団体戦、乱戦

・空戦ステージ、陸戦ステージ

・出力制限、武器積載量制限

・年齢制限



 それらの中には、男女比にして男性の三分の一から半分程度しかいない女性騎士乗りナイトヘッドのための、女子の部もある。

 その女子の部に出場するならキルスティンでも十分だし、学校側もそこに主眼を置いている。であるならば、むりに男子生徒とともに学ぶ必要はない。


 しかし、その一方で専門の養成機関顔負けの高い意識をもつ生徒も多くいる。


 彼女たちは女子の部だけに留まるつもりはなく、性別制限のない種目の出場を常に視野に入れ――そして、例外なく実力のある騎士乗りナイトヘッドに育っていく。確かに環境が人を育てるが、志さえあれば環境に依らず高みを目指せるという証左でもあるだろう。


 在学生の中でその最たるものが、《運命の三女神の未来アトロポス》《運命の三女神の現在クローソー》《運命の三女神の過去ラケシス》の異名をもつ三人の生徒である。彼女たちはこのキルスティン女学園の中のみならず、学外にもそれなりに名の知れた騎士乗りナイトヘッドだった。



                  §§§



 さて、鳥海火煉とりうみ・かれんはこのキルスティン女学園の騎技科に籍を置く生徒である。


 位階は女王級クラス・クィーン


 この学校では騎士乗りナイトヘッドとしての実力により、兵士級クラス・ポーン騎士級クラス・ナイトなどの位階に分けられる。大半の生徒は騎士級で、少々未熟だと最下級の兵士級。突出したものが見られる生徒が司教級クラス・ビショップ城将級クラス・ルークといった分布を見せる。騎技科の生徒は上の位階を目指し、日々精進を続けているのだった。この位階制こそが、キルスティンが性差をものともしない女性騎士乗りナイトヘッドを輩出する重要な柱のひとつである。


 火煉はこの位階の最上位である女王級であり、先にも触れた《運命の三女神の未来アトロポス》の異名をもっている。


 つまり、このキルスティンの三強の一角である。


 ――火煉は今、学生寮の自室で闘技場アリーナの使用申請書を書いていた。


 部屋に備えつけられた端末から学園の学生ポータルサイトにアクセスし、申請書をダウンロード。そこに必要事項を入力していく。


 闘技場は演習場とは別に建造された、公式ルールに則った機槍戦トーナメントを行うための施設だ。校内の試合や他校を招いての対抗戦などはここで開催される。よって、生徒が非公式ながらルールに則った機槍戦トーナメントを行いたい場合はここを使用し、そのためには事前申請が必要になる。


 明日、火煉はマリアと名乗ったあの少年と機槍戦トーナメントを行うことになっている。今はその準備だ。


「……書けたわ」


 間違いや不備がないことをモニター上で確認してから、プリントアウトした。


 これを明日の朝一番で提出する。使用当日の申請になるが、遅い時間を設定しているので大丈夫だろうと踏む。そこには自分が先生からの信頼も篤い生徒であるという計算が少ないながらもあった。


 申請書を伏せて机の上に置き――時計を見ると時刻はもう七時を回っていた。


 火煉は部屋を出た。


 キルスティン女学園の学生寮は、ふたりでひと部屋使う二人部屋だが、火煉はひとりで使っている。理由は特にない。ただ単に寮の全室が埋まるほど寮生がいないだけだ。だから、ひとりで広々と気兼ねなく使っている生徒もいれば、仲のよい友人同士で入居している生徒もいる。おかげでルームメイトと喧嘩したからしばらくほかの部屋に厄介になる、なんてこともできるのである。火煉には関係のないことだが。


 キルスティンのように一般の教育カリキュラムと並行して騎士乗りナイトヘッドの技術を教えている施設は、この巨大人工島学園都市メガフロートキャンパスにしかない。だから、全国各地から、場合によっては機槍戦トーナメント後進国の他国からも、入学者が集まってくる。にも拘らず学生寮が埋まらないのは、学園都市という性質上、学生向けの物件が充実しているからだ。どうせなら野暮ったい学生寮ではなく、自分好みのマンションでひとり暮らしをしたいと考える生徒が多いのも、彼ら彼女らの年齢を考えれば当然のことだろう。


 なお、先は"野暮ったい"と説明したが、このキルスティンに限ってはそうでもない。さすが女子校というべきか、デザインや設備の充実ぶりは一般的な学生寮のイメージとは一線を画すものがある。火煉もそこをわりと気に入っていて、好んで寮生活を送っているのだった。


 火煉が部屋を出て向かったのは、三階建てのこの寮の一階にある食堂だった。これから夕食なのだ。


 七時と言えば、寮生が食堂を利用するピークをとうに過ぎた時間だが、それでも数人の生徒がまだ残っていた。どうやら食べ終わったものの、各階の中央にある談話室サロンには移動せず、そのまま惰性でおしゃべりを続けているようだ。六人掛けのテーブルをふたつくっつけて、十人弱はいるだろうか。


 それを横目に見つつカウンタへ行き、遅い時間にきたことを謝って食事を受け取る。


 空いている席に腰を下ろそうと、トレイを持って彼女たちのそばを通ると、その輪の中心には一冊の雑誌が置かれているのが見えた。話題はそれらしい。


「あ、鳥海さん。今からですか?」


 そこでようやく中のひとりが火煉に気づき、声をかけてくる。


「ええ。あなたたちはずいぶんと盛り上がっているようね」

「これです、これ」


 また別の少女が雑誌を取り上げると、中の記事ではなく表紙を火煉に見せる。


 そこには艶やかでやわらかそうな色素の薄い髪に、涼しげな二重の眼をした少女が写っていた。紙面の半分以上を顔が占めるアップショットながら、細面の小顔であることが容易に想像ができる。頭に"絶世の"とつけてもいいほどの美少女だ。


 彼女がたたえる微笑みは優しげで、それでいてどこか挑戦的で――、


「今話題のナンバー1シンガー、カノン! ……あ、ここどうぞ」


 その少女は席を譲ってくれた。彼女が座っていたのは、この輪の中心の席。少女たちにとっては、火煉を中心に据えるのは当然のことなのだろう。


 そこに座るとそばに雑誌が置かれ、火煉は改めてそれを見た。芸能関係にそれほど興味のない火煉でも知っている。今や飛ぶ鳥を落とす勢いの、弱冠十六歳の歌姫ディーヴァ――それがカノンだ。


「知ってる? カノンって書籍館しょじゃくかんの生徒なんだって」

「あ、それ聞いたことあるかもー」

「え? じゃあ、魔法使いってこと?」


 "魔法使い"とは、普通の人間が魔術の徒を指してよく使う言葉だ。別に侮蔑や差別的な意識の現れではなく、単に自分たちとは違う人間という程度の意味合いだ。


「でも、あそこって国際教養科もあるんでしょ? もしかしたらそっちじゃない?」


 盛り上がる寮生たち。


 その横で火煉は、自分とあまり変わらない歳で名前も似ているな、と思っていた。


「あ、私は断然、火煉様ですから! 芸能人にだって負けてませんよ!」

「まさか。私はこんなに華やかじゃないわ」


 火煉は思わず苦笑する。


 どうやら彼女たちは、いわゆる火煉派だったようだ。


 キルスティン女学園が誇る三人の女神モイラには、それぞれファンや信奉者のような生徒が少なからずいる。当人たちが自称するわけではないが、傍からは火煉派だとかラケシス派などと呼ばれている。


 困ったことに、彼女たちは熱狂的すぎて、時折衝突することがあるのだった。特に火煉派と《運命の三女神の過去ラケシス》こと碓氷愛理うすひ・あいりのファン、愛理派だ。ここに彼女のファンがいなくてよかったと火煉は思う。


 なお、《運命の三女神の現在クローソー》、八重垣茉莉花やえがき・まつりかは穏やかな性格で、機槍戦トーナメント以外での争いを好まないので、それを受けて茉莉花派もおとなしい。もちろん、おとなしいだけで、心の中では自分たちが心酔する茉莉花こそがいちばんだと思っているのである。金持ち争わず、みたいなものだ。


 実のところ、当の三人は別に取り巻きがほしいわけでもなければ、覇権争い、勢力争いをしたいわけでもないのだが……。


「あ、そうそう。聞きましたよ。夕方のこと」

「ああ、あのことね」


 すぐに思い当たると同時に、もう広まっているのかと密かに嘆息する。情報社会の怖さを思い知ればいいのか、女子高生ネットワークの通信速度に呆れればいいのか。


「ひったくりを捕まえたんですよね。さっすが鳥海さん」

「あれはわたしじゃないわ。一緒にいた子よ」

「はいはい。あたし知ってます」


 端のほうに座っていた少女が、手を上げて自己アピールしつつ発言する。


「空手の達人で、あっという間にやっつけちゃったんですよね」


 まぁ、それが概ね正しいだろうか。


「一緒にいた子って、いったい誰なんですか?」

「え?」


 思わず言葉に詰まる火煉。そう言えば、まったく何も知らないことに、今さらながらに気づいたのだった。


「この学校の子じゃないから」


 言外にそれ以上は聞かないでと含めつつ、そう誤魔化す。


 火煉があの少年について知っているのは、マリアという名前だけ。女の子ではなく少年であると知って尚、その名前に違和感を感じなかったが、もちろん、それも偽名だろう。


 せめて名前だけでも聞いていれば、ランキングに載っているか調べられるのだが。


 国内の機槍戦トーナメントを取り仕切る機槍戦協会は、公式戦の成績を参考に騎士乗りナイトヘッドをランキングし、その上位者を公表している。火煉たち三女神モイライも、学生の身ながらギリギリそこに名を連ねていた。


 もしランキングに名前が載るような騎士乗りナイトヘッドなら、それなりの心構えが必要だ。いや、そうではなかったとしても侮るつもりはない。何せ昨日は後れを取り、今日はその実力の源とも言えるものを目の当たりにしている。マリアは明らかに何か武道、武術の類を習得している。そして、それを余すことなく騎体の動きに反映させることのできる、高度な技術を持った騎士乗りナイトヘッドでもある。侮っていい理由はどこにもない。


 また、名のある騎士乗りナイトヘッドなら、ネットワーク内を検索すれば使用騎体やその特性など、そう手間をかけるまでもなく知ることができる。観戦を趣味とする機槍戦トーナメントファンの中には、そういう情報をまとめているものもいるのだ。


 そんなことをされたら戦う前に対策を立てられるのではないかと思うかもしれないが、対策に対して対策を用意してこそ一流というものだ。対策を用意されたのなら、さらなる対策を出して封殺するまでである。火煉とてランカーの端くれ。苦手な展開を自覚し、そこに追い込まれたときを想定して打開策のひとつやふたつ用意している。


 また、上位ランカーの中には、二騎目、三騎目の機械仕掛けの騎士マシンナリィ・ナイトをもっているものもいる。まったく特性の違う別の騎体を出してこられたら、対策も無意味だ。


 火煉は明日の機槍戦トーナメントに思いを馳せる。


 マリアはどんな騎体を持ち出してくるのだろうか。まさか昨日のような初期状態デフォルトのままカスタマイズもしていない"小太刀"ではないだろう。果たして、あの可憐な容姿で駆る騎体とはどんなものなのか。いったいどんな実力を見せてくれるか。それが楽しみだった。


 だが、一方で不安もある。


 昨夜、不意や隙を突かれたわけでもなく、正面切って、あっという間に一本取られてしまった悔しさから、思わず勝負を吹っかけてしまった。だけど、マリアはちゃんときてくれるだろうか? 確かにそのときは勝負を受けてくれたが、それがその場しのぎの嘘ではないという保証はないのだ。


 やはり名前だけでも聞いておくべきだった、と今さらながらに後悔してももう遅い。どうやら信じて待つしかなさそうだ。


 火煉は我知らず、もの憂げなため息を吐くのだった。

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