第2話 #1 書籍館学院
魔術を学び、磨くための教育機関なのだが、この日本には東京校と京都校のふたつしかない。
なぜたったふたつだけなのか? 魔術の徒と対にして語られることの多い
それは魔術がどこまでも才能の世界であるからだ。
高い魔力を持ち、その才を開花させる気のあるものを日本中からかき集めても、その二校におさまってしまうのだ。それほどまでに魔術の素養を持ったものは少ないのである。
そして、適切な機関で最適な教育を受けたとしても、お伽噺の中の魔法使いのように自由自在に魔術を使えるようになるものはさらに少ない。多くはタネも仕掛けもない手品が使える程度の、ちょっとした特技の持ち主で終わってしまう。
加えて、どちらになったとしても魔術の使用は法の下に厳格に制限されているので、好き勝手はできない。そのくせ罰則だけはやけに厳しく、最悪の場合は二度と魔術に関われないこともあり得る。そのあたりは
それでなぜ魔術の時代を築けたのか?
ひとつは、その『ちょっとした特技』で目覚ましい活躍を期待できること。
例えば、小さな病巣の早期発見や難しい手術の補助、犯罪対策・捜査への貢献、などである。それ故に、いくつかの分野では魔術の使用の規制が比較的緩くなっている。
もうひとつは、魔術の素養の高いものは総じて知能が高いため、魔術を抜きにしても、国の未来を担う優秀な人材へと育つ場合が多いのである。
だから、各国は競うようにして自国民から才能あるものの発掘に心血を注いでいるのだ。
§§§
さて、
つまり、魔術の徒だ。
分類は、第一区分が『
住まいは同校の学生寮。学生が全員寮に入らねばならない決まりはなく、彼がここに入っているのは単なる家庭の事情――昴流が
何にせよ"単なる"というには少々重苦しい家庭の事情である。
昴流は
先の通り、堂々と正面入り口から入り、エントランスから自室へ。
当然、途中で同じ寮生とすれ違う。そして、今、昴流は女ものの白いロング丈ワンピースを着ている。この間にすれ違った生徒の反応はふた通り。普段通りに振る舞うか、ぎょっとするか、である。
昴流に女ものの服を着る趣味があることは、少なくとも寮生の中では周知の事実である。だから、前者は「ああ、またか」と思いつつすれ違う。仲のよい生徒とはいくつかの言葉も交わす。
「よっ、久瀬。今日もかわいいな。……ああ、もういっそお前でもいいかと思ってしまう自分が怖いっ」
「あっはっは。男だったら相手にしてもらえるとなぜ思うか」
一方、後者は男子寮に女子生徒が歩いていることに驚く。そして、すれ違った後に「ああ、今の久瀬か」と思い至るのだ。
つまり、結果的に誰ひとりとして昴流が女ものの服を着ていることに驚きはしないのである。それだけ少女のような容姿で小柄な昴流にはよく似合っていて、違和感がないということだ。
鍵を開けて部屋に這入ると、昴流はさっそく部屋着に着替えた。黒のTシャツとハーフのカーゴパンツで少女の姿から少年へ、と言いたいところだが、少年っぽい女の子にしか見えないというのが正直なところだった。
と、ちょうどワンピースを丁寧にハンガーにかけてクローゼットにしまったところで、携帯端末が着信を告げてきた。
「んー? ……げ」
机に放り出していた端末を見て、小さく発音する。そこに表示されていた発信者の名は、
アンナ先生
こんな名前で登録しているあたり親しい間柄のようで――実際に親しい間柄なのだが、相手はこの
昴流はディスプレィに表示されている通話ボタンをタップしてから、端末を耳に当てた。空間ウィンドウを使って互いの姿を見ながらの通信ではなく、声だけのまさしく
「はい」
『私です。久瀬昴流、もう帰っていましたか?』
凛とした声が、端末を通してでも昴流の耳に明晰に届く。
「あ、はい。たった今」
『たった今、ですか。門限を守らないのは感心しませんね』
「うあ゛……」
失敗した……。思わずうめく昴流。
『今から応接室にきてもらえますか?』
しかし、アンナはそんな昴流にかまわず用件を述べる。
「え? 応接室って、寮のですか?」
『ええ。そうです』
つまり、今アンナはこの寮内にいるということだろうか。
『出てこられますか?』
「あ、はい。大丈夫です。すぐに行きます」
『慌てなくてもかまいませんよ』
アンナは優しげにくすりと笑ってから通話を切った。
昴流は端末を手にしたまま、しばし悩む。やはり学長と会うのだから制服を着ていくべきだろうか、と。しかし、すぐにこのままでいいという結論に達した。向こうもこんな時間のこんな場所でまで正装を求めてはいないだろうし、そもそもそこまでかしこまる間柄ではない。
結局、昴流はカーゴパンツのポケットのひとつに端末を突っ込んだだけで、そのままの姿で部屋を出た。
応接室はエントランスのそば、寮長室の隣にある部屋だ。教員や家族との面談によく使われる。尤も、教員が寮にまで乗り込んでくることなどそうそうはなく、今回のように学院長が訪ねてくることはそれ以上に珍しいことだった。この場合アンナ先生は教員と家族の中間の立場、といったところかな――と昴流は思う。
その応接室に辿り着き、ドアをノック。
「失礼します」
と、中に這入れば、そこにはソファに座って優雅にコーヒーを飲む妙齢の女性がひとり。
「きましたね、久瀬。コーヒーが冷める前でよかったです」
座りなさい、と向かいのソファを手で示す。
昴流は言われた通りにソファに腰を下ろすと、改めてその女性を見た。
少しウェーブのかかった亜麻色の長い髪に、鳶色の瞳。日本人にはない彫りの深い相貌。否、美貌。彼女こそがアンナ先生――アンナ=バルバラ・ローゼンハインである。
アンナはドイツの連邦魔術省が認めた魔術師で、分類は第一区分が『
かつて日本の魔術庁の招聘に応じてこの
しかも、若かりしころ――ちょうど今の昴流と同じ年のころの父の恩師でもあり、今も学院長と講師という関係。昴流のことは生まれたときから知っていた。
となると、年齢は若く見積もっても五十に届こうとしてるはずなだが、目の前にいる彼女はどう見ても三十前にしか見えない。昴流が物心ついたときからまったく変わっていないようにも思える。父は皮肉っぽく「チベットの高僧か漫画家に特殊な呼吸法でもおそわったんだろう」と冗談を言っていた。やはり魔術を究めたことと関係しているのだろうか。真相はわからない。
昴流がソファに座ると、そこにはコーヒーが置かれていた。寮長が用意したものだろう。そして、その寮長がいないところを見ると、人に聞かれたくない話に違いない。だとしたら、アンナがここにきた用件は限られてくる。あれとか、これとか。
「久瀬。相変わらず
昴流がコーヒーにミルクと砂糖を入れ、ひと口飲んだところでアンナは切り出してきた。
「あそこには僕の
キルスティン女学園をはじめとする巨大人工島学園都市にある
実のところ、魔術の徒で
なので、昴流は極めて稀な例だと言える。
「あなたももの好きですね」
アンナは複雑な感情を胸に、ため息まじりにこぼす。
当然すでに大人である彼女は、偏った一般論として"もの好き"と言ったわけではない。昴流が
その上でアンナは思う。
何もわざわざ自分から関わらなくてもいいではないか、と。
「まぁ、いいでしょう。そこはあなたの自由の範疇ではあります。……さて、話はほかでもありません」
どうやらここからが本題のようだ。学院長がわざわざ自ら学生寮にまで出向いての話。昴流は背筋を伸ばし、居住まいを正した。
「学園都市での件、私の耳にも届いていますよ」
「え?」
もう!?
「あれはたまたまひったくりと遭遇したもので……」
「ひったくり?」
「いや、スリ……だったかな?」
「スリ?」
昴流が口を開くたびに首を傾げるアンナ。どうも話が噛み合わない。
「えっと、今日の夕方、スリからひったくりにクラスチェンジしたのを捕まえたんですが、その話じゃ……?」
「おや、そんなことがありましたか。後で調べておくことにしましょう」
「……」
違ったらしい。昴流は目だけで天を仰ぐ。
「私が言っているのは、昨夜の件です」
「あ、そっちね」
つまり科学アカデミーの刺客に襲われた件だ。
「もしかして無意識に避けましたか?」
「いえ、そういうわけでは……」
しかし、報告をしなかったのも事実だ。昴流はばつが悪く、口ごもる。
「今さら言うまでもないことでしょうが――科学アカデミーは"あれ"をほしがっています」
"あれ"――昴流の母親に深くかかわるものだ。
「ですが、それはすでにこの世にはないことになっています。そして、それを未だ彼女が持っているのか、それとも行方をくらます前に久瀬、あなたに預けたのかは、この私ですら知らないこと。ですから、そうおおっぴらにたびたび狙ってくることはないでしょう」
「……」
「でも、それは裏を返せば、絶好の機会があれば狙ってくるということでもあります」
そう。事実、昨夜は工房での
「十分に気をつけなさい。私の目と手の届くところにいる限りは、私が必ず守ってみせます。私は久瀬のことを、あなたの父親から任されているのですから」
昴流はその言葉に、神妙にうなずいた。
「あなたをどこかに隠して、一度完全に見失わせてしまったほうがいいのかもしれませんね」
アンナはコーヒーを飲みながら、思案するようにそう口にした。
一方、昴流は明日のことに思いを馳せる。
明日は鳥海火煉との
(問題は、時間なんだよね……)
火煉に指定された時間は夜の八時。寮の門限をとっくに過ぎている。
帰ってくるときは人通りの多い道を選んで……それでもアンナ先生には心配をかけそうだ、と昴流は密かにため息を吐いた。
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