星の森、降る降る (3)

 セイレンは、フナツという名の育ての親と二人暮らしだった。


 生まれてはじめて流れ星を見つけた晩、時は夜半を過ぎていて、幼いセイレンが家に戻ると、フナツは眠っていた。


 フナツのそばにうずくまるなり、フナツの肩を揺さぶった。


「たいへんだよ、フナツ。星が降ってるよ。見にいこう」


 ぐっすり寝入っていたところを起こされたが、フナツは笑って「へえ、そうなのですか、ではいきましょう」と、手をひかれるままに家の外に出た。


 流れ星がいくつもいくつも降った晩で、フナツを呼んで外に出た後にも、たくさんの星が夜空を横切っていた。


「へえ、星が降っているのですか」


「うん。たっくさん。雨みたいに降ってるんだ。すごいね!」


「セイレン様の声が楽しそうです。さぞや美しいのでしょうね」


 フナツは夜空ではなく、はしゃいだセイレンを向いて笑っていた。


「星というのは、太陽や月の小さなもので、夜に輝くのだとか。それが降るのですか? 雨みたいに?」


「うん、雨みたいにザザーッて!」


「へえ。濡れてしまいますか?」


「それがね、濡れないんだよ! たっくさん降ってるのに。ふしぎだよね。星がびゅんって空を飛んで、どこかにいってしまうの」


「へえ。いったいどこへいくのでしょうね。でも、降ってしまえば、星はなくなってしまいませんか?」


「ううん、なくならないよ。星はたくさんあるもん」


「ふしぎですね。太陽と月はひとつずつなのに、星というのはそんなに数が多いのですか」


 そこまで話が進んで、ようやくセイレンは、フナツが夜空を見上げずに自分を見下ろしている理由に気づいた。


 フナツは生まれつき目が見えなかった。もちろんそれは知っていたけれど、うっかりしていた。


 すっかり忘れて、寝ていたフナツを起こして、星を見につれてきてしまった。


 フナツに、その星は見えないのに。


 でも、フナツの物を見ない目は楽しそうに輝いていた。流れ星を見つけてよろこぶセイレンと同じように、目をきらめかせていた。


「星というのは百くらいあるのですか? この里の人の数くらいあるのでしょうか」


「ううん、もっと、もっともっと多いよ――ええと……森くらい」


「森?」


「森にはいろんな樹が生えてるでしょ? 大きな木も、草も、茸も。星も同じように、大きな星や小さな星や、青い星や赤い星や白い星や、いろんな星があって、草木で地面が見えなくなる森くらい、空にたくさんあるの」


「へえ。空には星の森があるのですか。それが、降るのですか? 美しいでしょうね」


 フナツはにこりと笑っていた。


 フナツの笑顔を見上げるうちに、セイレンの目には涙が浮かんだ。


 フナツの胴にしがみついて、いった。


「うん。きれいだけど――そんなでもないよ。めずらしいものじゃないんだって。起こしちゃってごめんね。戻ろう」


 フナツにとっては見えもしないものを「見よう」とたたき起こしたのだ。そのうえ、きれいだ、すごいと、大はしゃぎをした。


 忘れていたことがつらくなって、セイレンはフナツをつれて家に戻ろうとしたけれど、フナツはセイレンの小さな肩を抱いて、ものを見ない目を天へ向けて、星空を仰いだ。


「いいえ。もうすこし流れ星を見ましょう」


「でも――」


 フナツには見えないじゃないか。


 そういおうとしたけれど、先に、フナツが笑った。


「フナツの目はものを見ませんが、セイレン様の目を通して見ているんです。あなたが、見たものを教えてくれるから、いろんなものが見えるんですよ?」




 ◆  ◇    ◆  ◇ 




「むかし、フナツにね、星空のことを森だって教えたの。夜空は大地みたいなもので、星は森をつくる草木や茸や苔や虫や――星空っていうのは、空を埋め尽くすような星の森なんだよって」


 いつのまにか、うとうととしていた。


「フナツというのは――」


 雄日子が、尋ねかけた。


 けれど、苦笑して、唇をとじた。セイレンの瞼がとじかけていたからだ。


 静寂で寝かしつけるように、それ以上話しかけるのはやめることにした。


 夜風が蔦の葉や森の木々をゆするざわめきを聞く。


 しばらく経ってから、雄日子の手がセイレンの肩をつつんだ。


「起きなさい。星が降りはじめた」


 いよいよ、待ち望んだ流れ星があらわれた。


 まずはひとつ。青白い尾を引いた小さな星が、天頂を横切った。


 それが、ふたつ、みっつと増えていき、光が交差しあうように、夜空を滑りはじめる。


「セイレン、星が――」


 待ちに待った眺めをともに見ようと、雄日子はセイレンの肩を揺らしたけれど、手がとまる。


 布の上でまるまって眠るセイレンのうつむいた頬に、星の光に照らされた涙の粒が落ちた。


 夢の中にいる誰かに詫びるような、ちいさなつぶやき声も漏れた。


「フナツ、ひとりにしてごめんね……」


「――」


 その子は、夢の中で、大切な誰かと会っているのかもしれない。


 そうなら、星が降る眺めよりも、そちらのほうがきっと、この子にとっては素晴らしい眺めだ。


 起こそうと肩に触れていた指先でセイレンの頬の涙をぬぐって、そうっと額をなでてから、雄日子は目を空に戻した。


 自分の腕を枕にして、夜空を仰いだ。


 それはそれは美しい――と樟葉の民が噂をしていた星空を、ひとりで眺めた。


「星の森、か」


 月もなく、薄雲もなく、すっきり晴れ渡った夜空には無数の星がきらめいている。


 供につれてきたセイレンは眠りについたので、星空を見上げるのは自分だけだったけれど、「星の森」と、セイレンがつぶやいた言葉を思い浮かべながら夜空を見上げれば、星々の光が、生き生きとした森に見えてくる。ふしぎな眺めだった。


 夜風が蔦を揺らす森のさざめきにまじって、すう、すうという寝息がきこえる。


 雄日子は身を起こすと、そばにあった襲を広げて、セイレンの身体を包んだ。


 ――ぬくもりの中で、悲しい夢が、いい夢に変わればいい。




 ◆  ◇    ◆  ◇ 




「朝だよ」という雄日子の声で目が覚めた。


 瞼があいて、眠りこけていたと自分で気づくなり、セイレンは頭をかかえてうなだれた。


「ああぁぁぁぁぁ」


 気づいたのが朝ということは、一晩中眠っていたのだ。


 寝ずの番の前役と後役に分かれるどころではなく、雄日子に一晩中の守りをさせていたことになる。


「どうして起こさなかったんだよ……どうしてそんなにいじわるなんだよ――」


 この男のことだ。眠り込んだなら起こせばいいのに、そうしなかったのは、「また居眠りをしていたぞ」と、後でからかいたかったからに違いないのだ。


 ふわあ――とあくびをしながら、雄日子は笑った。


「起こす必要がなかったのだ。さっきまで星が降っていて、眺めていたから。明るくなってもう星が見えなくなったから、僕もそろそろ寝ようかと、仕方なく起こした」


 たしかに、周りは明るくなっているものの、天にはまだ白みが残っていた。日の光がまだ顔を出しておらず、夜が明けたばかりだ。


「なら、寝なよ。起きてるから」


 またやってしまった――と肩を落としつつ、セイレンは起きあがって守りの支度をはじめたが、雄日子もおなじように起きあがって身支度をはじめた。


「出かけたい場所があるんだ。付き合ってくれ」


「出かける? いまから?」


「ああ。ついてきて、僕を守ってくれ」


 こんな明け方からどこへ――とは思ったが、しでかしてしまった後だ。尋ねたり、とめたりする気力も湧かず、セイレンはしょんぼりと肩を落としたまま、雄日子の後を追うことにした。


 雄日子の足は森へ向かった。


 そこから続く細い坂道を伝ってのぼっていき、樟葉の宮の背後にそびえたつ山へと足を進めた。


 背の低い小さな山だったけれど、周辺を旅する時には目印になる程度に、まずまずの高さがある。


 いただきにたどり着く頃には、日の光が東の果てから顔を出していた。


 山のいただきで、雄日子は足をとめた。眼下を見渡して、セイレンを振り返ってそばに呼んだ。


「きなさい。美しいよ。――流れ星と同じくらい、いや、もっとかな。夜明けの光のもとで、この眺めを見たかった」


 雄日子の手のひらにいざなわれるように、セイレンも隣にならんで山のふもとを見下ろしてみる。


 そこには、彼方の山まで続く広々とした野があった。


 野には大きな河が三つあって、ふたりが登った丘を目指して集まりくるように、東に、北に、南にと、さまざまな方角から流れて、野の上に水の道をつくっている。


 朝の光は赤みが強く、河も野も、彼方で稜線を描くけわしい山々も、鮮やかな茜色に染めていた。


 河の水面は朝日に照らされてきらきら輝き、夜風に冷やされた水が霧を生み、河筋に沿って流れている。広大な野を這う、大蛇おろちの形をした薄雲がのびているようにも見えた。


 ふしぎな霧の道を見下ろすことになったので、さほど高い山にのぼっているわけでもないのに、天高い場所から眼下を眺めている気分にもなった。


 セイレンは、ぽかんと唇をあけた。


「きれいだ――」


 隣で雄日子もいった。


「ああ。おまえと眺めているおかげかな。すばらしい眺めに見える」


 雄日子は苦笑して、つぶやいた。独り言めいた、やたらと小さな声だった。



 ここから見える野がすべて、これから僕が従えようとするものだ。

 広大すぎて、そのようなまねがおまえにできるのかと脅えてもいいはずなのに――。

 でも、雄大で、美しいな。

 僕が見ている夢も、美しいな。



 帰ろう。と、山をおりた。


「さすがに、眠い」


 夜通し星を眺めて、丘に登って、国見くにみをした後だ。


 仮宿にした木陰に戻ってくるなり、ふわあ――と、雄日子が大きなあくびをするので、セイレンはぱっと顔をあげた。


「ああ、寝ろ。居眠りをしたお詫びに、朝飯をごちそうしてやる」


「朝飯を?」


「うん。待ってて、魚の罠をつくるから。川に仕掛けてくるよ。朝飯に魚を焼くから、のんびり寝ていていいよ。支度ができたら起こすよ」


 セイレンがにんまり笑う。


 雄日子はくっくっと笑って、敷物の上に身を横たえていった。


「一彦と二彦と三彦だったか? ふつうの魚で、焼いて食べると美味しい――だっけ」


 それから、セイレンが寝転んでいたあたりでよれていたおすいに手をのばして、引き寄せた。自分の身体にかけて寝支度をして、朝の光のもとで、雄日子はゆっくりまぶたを閉じていった。


「楽しみにしておくよ。おやすみ」



    fin.



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お題「セイレンと雄日子が」「二人きりで野宿」しつつ「のんびり日常を過ごす」話にて書かせていただきました。

アンケートにご参加くださった方、ありがとうございました!

来週にもう一度更新予定です。


【書籍情報】

6月15日に、書籍版『雲神様の箱』の3巻が角川文庫から発売しました。

今回もかなり改稿しています。

web版との違いをお手元でお楽しみいただければ嬉しいです。

https://www.kadokawa.co.jp/product/322102000823/


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最新情報はTwitterにて!

円堂 豆子:@endo5151 (https://twitter.com/endo5151)

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