まつろわぬ民 (1)

 いいかい、呪いの爪をつくるには、器はなるべく白いものがいいのだ。


 鮮血はすこし粘り気があるから、器に注ぐと縁が盛り上がって美しい珠の端のようになる。器の色を白にすれば、血の赤さがより引き立つだろう。


 見る者の目をはっと引き寄せたほうが、呪いの爪はよいものが仕上がるのだ。


 この血は身体を失った魂そのもので、よろこびもすれば落胆もする。


 だからおまえたちも、この血が美しい、清らかだと胸に念じて役目にあたらなければいけないよ。そうして爪をこの血に浸しておけば、いい呪具が仕上がる――。




 そういうことを部下に教えるのに、斯馬しばは、大津の宮で仮宿にした小屋を訪れていた。


 部下たちの手元には喉を切られた鷹が三羽いて、白い器を添えられ、首から血を抜かれていた。


 仕上がった呪具を使って呪いをかけるのは呪術師だが、その呪具をつくるのは見習いの役目だ。


 そして、見習いの仕事をたしかめるのは上役の斯馬の役目だった。


 ふだんなら、その役目も弟子の柚袁ゆえんに任せていたのだが。


「斯馬様、柚袁様は――」


「ああ、樟葉くずはにとどまったのだよ。雄日子様から、樟葉と水無瀬みなせを守れと命じられたのでね」


「それでは、しばらくお忙しいですね――」


「仕方ないな。楽をしたいだけなら雄日子様のもとを目指さずに、し宮にとどまっていたよ。これでも楽しんでいるんだよ。おまえたちだって、無理を承知で私についてきてくれたのだろう?」


 部下に笑いかけた時。斯馬は、はっと顔をあげた。


 宙にぴんと張ってあった見えない糸に、なにかが触れたような気配がしたのだ。その糸は、呪術にしか反応しない。だから、なにかが糸に触れたとすれば、呪術に関わるものだけだ。



 誰だ。追手か。窺見うかみか――。



「だれか、小屋の戸を開けなさい」


 命じられるなり、部下の一人がさっと小屋の戸に寄る。がたがたと音を鳴らして木戸が開いた時、そこには男が一人立っていた。


 男は齢が五十近くに見える。斯馬も齢は四十近いが、自分より年上の男は雄日子のもとに少なかったので、顔を見ればすぐに誰かがわかった。


 いや、顔など見なくとも、その男の気配は異質なので、すぐにわかる。


 男は墨染の黒衣をまとっていて、帯に赤や黄、白など、さまざまな色をした布を下げている。


「あなたは、牙王がおう様」


 男は牙王といって、雄日子に仕える呪術師。すこし前に、呪術師同士で戦ったこともある相手だ。


 牙王は戸口に立ち、右手を浮かせて虚空を手刀で切っている。


 斯馬と目が合うと、目を細めて笑った。


「なにかやっているなと思ったのですが、近寄ろうとするとあなたの術の気配に足をとられてしまって動きづらくなり、ちょうど、去ろうとしていたところです」


 なるほど、と斯馬は思った。


 使う呪術の系統が異なる場合、別の系統の呪術はその者にとっての邪術になる。


 呪術を扱う者は呪術から影響を受けやすいので、近寄り方を誤れば、自分の身に悪いことが起きる場合があるのだ。





「せっかくです。すこし話しませんか」


 牙王からそのようにいわれるので、斯馬はよろこんで小屋を出た。


 いまは共に雄日子に仕える同士。しかも、流派が異なる呪術師ということで、牙王にはとても興味があった。


 去り際に、牙王は小屋の中を覗いた。


「ほう、鷹の生き血。あなたは生き血を使うのですか」


「時々です。あなたは前にあの技を見破ったはずですよ。生き血を使った呪具で幻の鳥をつくり、魂を乗せる技なのですが――」


「魂を――ああ、あの時の」


 思い当たることがあるようで、牙王は目尻に皺をつくる。


 斯馬は苦笑した。


「あなたにもすこしくらい手の内を見せてほしいですな。こちらばかり暴露するのは、分が悪い」


「呪具が生き血だとわかったところで、私にあなたの技は使えませんよ。逆もまた同じでしょうから、私があなたに呪具を見せたところでなにも起きないでしょうが」


 牙王はしばらく腰のあたりを探って、帯にさげた小袋の中から小さなものを取り出した。小刀と、小さな円鏡、そして、珠の御統みすまるだった。


「これが、あなたの呪具――」


 牙王が手の上に乗せたものを見ても、斯馬にはぴんとこなかった。


 小刀も円鏡も珠の御統も、よく使いこまれていて異様な気配は感じるものの、あぁ、これこそはまじない具――とは思わなかった。そこにあるだけで周りを刺すような気配が宿るものではなかった。


「私の呪術は、この大地に数多く暮らす精霊に話しかけて、その力を借りるものなのです。ですから、ここにあるのは私の愛用の品ではありますが、べつにどんなものでもよいのです。精霊に語りかけるきっかけにすぎませんから」


「ほう、精霊――。きいたことがあります。この大地に古くから伝わるもので、風、土、木、水――どんなものにも意志があって、命が宿るのだと」


「ええ、そうです。私の故郷……出雲では、精霊を使う呪術をよく使います。私の場合、それ以外の邪術も少々用いますが」


 そこまでいうと、牙王は手の上に並べた道具をすべて腰の小袋に片づけてしまった。


 片づけ終わると、牙王は斯馬の顔を覗き込んだ。


「あなたに――大和の呪術師の方に、きいてみたいことがあったのです」


「なんでしょうか」


「神とは、なんでしょうか。――実は、出雲には神がいません。呪術をおこなう時に、私は天照あまてらす須佐乃男すさのおなどの神の名を使いますが、実のところ、その神がなんなのかはよくわかっていないのです。天照は大和に伝わる神の名でしょう? その神の名は、出雲が大和の支配を受け入れるようになってから語るようになったときいています。大国主という神も、我が国では無限の剣をたずさえた戦と火山のの英雄ですが、心優しき大地の神とするようにと、大和の方からいわれたとか。須佐乃男も同じく、出雲にもとから伝わる神とは別物なのです。ですから、幼い頃に師から習ったまま口癖のように私もその神の名を口にしているだけで、心は込めていません。出雲に伝わる精霊の呪いに、神の助けは請わないからです。――だから、あなたに聞いてみたいのです。神とはなんでしょうか」


「やあ……」


 思いもよらぬ問いかけがきたと、斯馬は胸を潰された心地もした。


 大和では、大王おおきみの一族は、大地に光を与える太陽の神、天照大御神あまてらすおおみかみの裔だ。


 しかし、斯馬は、その大王を裏切る形で霊し宮を出て、雄日子のもとへ向かった。


 そのうえ、雄日子自身にも呪いをかけたことがある。雄日子という男が大王たる男かどうかを試すためだ。



 私は、いまの大王を裏切り、恐れ多くも、新しい大王を試そうとしているのだ――。

 大王が本当に神の末裔なら、私は神に逆らい、神を試すことになるのだ――。



 そんなふうに思って死を覚悟したことも、ありありと覚えている。


 神とは、大王おおきみとはなにか。


 霊し宮の長として大和を守っていた頃にあった信念は揺らいでいたが、魂だけになって出かけた神の国のことを、斯馬はよく覚えていた。


「神は――人とは異なる存在です。これは私の意見ですが……私も天照大御神の名を使いますが、私は、神に御名を求めてはいけないのではないかと思うのです」


「そうなのですか」


「たとえ名をお知らせいただいたとしても、神は名で表わされるべきものではないのではないか、と。――私が、雄日子様に呪いをかけて占をおこなったことは、ご存じでしょうか」


「はい。暗部山での件ですね」


「その呪いをかける時に、私は魂になって神のもとへいきました。その時に感じた神はそういう存在――形がなく無限で、すべての方角にいらっしゃったと思うのです。なんといいますか、天そのものといいますか」


「天そのもの……」


 牙王は反芻して、一度黙った。


「斯馬様、天そのものの神の力を借りて占をおこなったとすれば、その神に、雄日子様が認められたということでしょうか」


「はい、私はそう信じています」


「そうですか――」


 牙王が腑に落ちないというふうにうつむくので、斯馬は尋ねた。


「どうなさいました。なにか不都合でも――」


「さっきもいいましたが、私は神に祈らず、精霊の力を使います。精霊は大地に宿るもの、いわば、大地の技です。――雄日子様は精霊によく守られていたので、大王の血をひく方とはいえ、天よりも大地のほうが相性がよいのではないかと思っていたのですよ」


「天よりも大地――本当ですか」


「ええ、まあ――でも、雄日子様の天の血は五代前にさかのぼるのだとか。雄日子様へと血がつながるまでに、天の一族以外の血が十分混ざっていたのでしょうね。でも――」


 牙王はくすりと笑った。


「天か地かなど、あの土雲の娘を見ていると、どうでもよくなります」


「土雲の娘――奇妙な箱を使うという、あのいにしえの一族の――」


「ええ。辺境に住み、大王に逆らう『まつろわぬ民』ですよ。その一族の娘すら雄日子様に仕えているのだから、もはや今では、天の血も地祇ちぎの血も薄まって、どうでもよくなっているのかもしれませんね。――今度、ためしに一緒に術をかけてみませんか。天の一族に仕えていたあなたと、地の一族の私の力があいまってもしっかり働くなら、それが明かせるかもしれませんよ」


「しかし、それはつまり、雄日子様が……」


 斯馬は、ごくりと唾を飲んだ。


 口に出すのをためらうように何度か言葉を飲み込んでから、発した。


「私は、とんでもない時代に生きたのかもしれません。雄日子様がもしも大王になり、天の神の子として地の神の国を統べるようになったら、天と地の血は完全に合わさるのだ――」


 斯馬は血の気がひいていくような気分を味わっていたが、牙王はさらりと返した。


「さあ、どうでしょうか。最近の雄日子様は、飛鳥にも大王にもこだわっていらっしゃいませんよ。新しい国を興すことも算段にいれているきらいがありますから、大王になられるかどうかは――」


 斯馬は「そうですか――」と肩を落とした。


「でも、私としては、いつか大王の姫を娶ってでも大王の座に就いていただきたい。そうすれば、天の神の血と地の神の血が完全に混ざり、まったくあたらしい大王の血筋が誕生するのです。――いいえ、すみません、いまのは歴史博士の癖です。古い時代の歴史書を読み漁っておりますと、かつて大陸で起きたことが別の場所でもきっと起きると、胸のどこかで楽しみにしてしまうのですよ」


 「へえ、歴史――」と、牙王は興味がなさそうにはにかみの笑顔を浮かべる。


 それで、斯馬はその話を終わらせた。


「いいえ、流してください。話しすぎました」






 話しながらずっと歩いていたので、その時、二人の足は大津の宮の端まで辿りついていた。


 話に夢中になっていたので、どこへいこうともなく、とりあえず同じ歩調でと、なかばぐるぐると同じ場所を行き来していたので、話が一区切りつくと、「それでは戻りましょうか」ということになる。


 それで、宮の敷地をぐるりと囲む木の塀に背を向けて、歩き出そうと足を浮かせた時だった。


 牙王の足が止まり、塀の向こう側を気にする。


「なにやら、妙な気配が……セイレンか」


「セイレン? ああ、あの娘ですか。土雲の――」


「いいえ、おかしい。今日、あの娘は雄日子様のそばにいるはずです。さっき見かけましたから。あの娘でないなら誰だ――森の中に、あの娘に似た気配を感じます」


 牙王は早足になって、一番早く塀の外側へ抜けられる場所――森側の門を目指した。


 門を閉ざしている番兵に扉をあけさせ、ほとんど道のない森のなかを、木々の隙間をくぐり抜けて走っていく。


 斯馬は、それを懸命に追いかけた。


「どうなさったのです。いったい――」


 牙王はこたえなかった。ちょうどさっき、塀の内側から外の様子をうかがったあたりまでくると、そこに人影があるのが見える。


 人影は二つあって、一つは大きくて一つは小さい。大きいほうは大人で、小さいほうはやせ細った子どもに見えて、二人して塀にへばりついている。木材のわずかな隙間から、中を覗こうとしているように見えた。


 近づいていくと、二人ともぎくりとして身構えたが、逃げようとはしなかった。


 しかし、斯馬は眉をひそめた。


 二人は見れば見るほどふしぎな姿をしていて、身につけているものは薄い一枚布だが、やたらと染め具が使われていて、赤や黄や紫など、土で汚れてはいるが色鮮やかだ。


 大人のほうも子どものほうも身体が小さく、痩せていて、表情が暗い。とくに子どものほうはめしいなのか、目つきがおかしく、斯馬と牙王が近づいていくのはわかっているはずなのに、どこでもない虚空をぼんやり見ている。


 でも、気配はたしかにあの娘――土雲という名の古の一族の出という、セイレンという名の娘に似ている。



 こいつらはもしや、同じ一族の者だろうか。



 牙王も同じことを思ったらしい。


 一歩近づいて二人の顔を覗き込むと、尋ねた。


「おまえたちは、土雲か」


 つちぐも――。


 尋ねられると、目つきのおかしい子どものほうが「うん」とうなずいた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る