山魚様 (3)
ちょうど洞窟の壁の影になっていた暗い場所から、二つほど小さな人影が現れる。どちらも背が低くて、十くらいの子どもに見えた。先に姿を現した子どもが後から来るほうの子の手を引いていて、セイレンと目が合うとぎこちなく笑った。
「あの……こんにちは」
「こんにちは――」
聞きたいことはたくさんあった。
どうしてこんな場所にいるのか。ここは毒の風が吹いていて、普通の人なら喉が腐って死んでしまう場所なのに――。
それに、どうして〈雲神様の箱〉のことを知っているのか。
でも、まず問うべきは、藍十のことだ。
「ごめん、出口を知らない? この人の身体が弱ってしまって、早くここから出ないといけないの」
子どもはうれしそうに笑った。
「出口? 知ってます。でも、ちょっと遠いです」
「遠い?」
「うん、村をとおって、その先にあるから」
「村?」
近寄ってくると、子どもはセイレンがおぶる藍十の顔をしげしげと見上げた。
「――かなり弱ってない? その人、死んじゃいそうだね」
セイレンはむっと眉をひそめた。
「死なないよ。死なせたくないから運んでるの」
「でも、その人を出口まで運ぶの? 遠いからたいへんだよ。自分で歩いてもらったほうがいいと思うけどなあ」
「それができたら……!」
「その人、毒の風にやられたの? ――きっと身体が弱かったんだね。あなたの夫?」
「夫?」
「あなたの夫ならこれをあげればいいよ。あなたは土雲でしょう? ひとつあげるよ」
子どもはそわそわと服の胸の合わせを探って、小さな袋を取り出した。袋の封を解くなり中に指を入れて、小さなものをつまみ出す。
取り出されたのは黒い小さな丸薬で、セイレンも一度二度は見たことがあるものだった。
「それは……」
「土雲媛の宝珠っていうんだ」
子どもはにこにこと笑って、「どうぞ。一個だけだよ?」と差し出した。
つられて手のひらを差し出したものの、丸薬が手の上に乗せられると、セイレンは目が震えた気がした。
「どうしてこれをもってるの……」
土雲媛の宝珠というものは、土雲の一族では、主をつとめる土雲媛だけがもつ。
いずれ土雲媛になると決まった娘は、幼い頃からその丸薬をひとつだけもらい、肌身離さずたずさえて育てる。そうして、いつか夫になる男に渡して飲み込ませると、その男は土雲媛の夫にふさわしい強い身体をもつ土雲に変わることができるのだとか――。
いま手の上に乗っているのが土雲媛の宝珠なら、同じものを雄日子は石媛からもらって飲み込んでいるはずだ。そうやって、雄日子はうまいこと〈待っている山〉に入っても死なない強い身体を手に入れた。
子どもは首を傾げている。
「珍しい? あっ、そうか。土雲だったら土雲媛しかもってないもんね。でも、おいらたちはみんなもってるよ?」
「みんな――?」
「早く飲ませてあげなよ。その人死んじゃうんでしょ?」
「あ、うん――」
藍十を背中から下ろして、地面に寝かせた。ちゃんと飲み込めるように顔を真上に向けさせて、首を下から支える。喉がひらくように姿勢を整えてから口を開けさせて、その丸薬を喉の奥に指で押し込んだ。
「身体に入るかな。――ねえ、水とかもってないよね」
「もってるよ。村の泉のだよ」
子どもから竹筒に似たものを手渡されるので、先に飲んでみることにする。わずかに甘い香りがするが、知っている味だった。
「
「うん。泉の周りに土雲草がたくさん生えてるから、味がうつったんだ。身体にいいんだよ」
なにがなんだかわからないが、その子どもはきっと敵ではない――。そう信じた。
「あなたも土雲草を知ってるんだね。――ありがとう。じゃあ、飲ませるね。ほら、藍十。飲んで。水だよ」
藍十の首を支えて、喉に水を流し込んでやる。
うまく飲み込めなくて、水はすぐに藍十の口から溢れたが、残りは飲み込んでくれたようだった。
「ありがとう。宝珠が身体に入ったから、ここで目が覚めるのを待つよ」
「助かった?」
「うん、助かった。ありがとう」
「ううん、だってその人はあなたの夫なんでしょ? 家族が死んじゃったら哀しいでしょう? その人が起きたら、出口まで案内してあげるよ」
「いいの?」
「うん、だって、あなたは土雲でしょ?」
セイレンは苦笑した。
「あなたも土雲じゃないの? わたしたちの山のほかにも土雲がいるなんて知らなかったけど……」
子どもは首を横に振った。
「ううん、おいらは
「うん?」
「あなたたちは、煙のほうの土雲でしょう? だから〈雲神様の箱〉をもってるってきいたよ。おいらたちは蜘蛛……八本足の蜘蛛のほうの土蜘蛛。だから、地面の下で山魚様と一緒に生きてるんだ」
「え――?」
よく意味が飲み込めなかった。黙っていると、これまで喋っていた子の後ろに隠れていたもう一人の子どもが、「うう」と声を出して細い指を上げる。その子の指は、セイレンの耳元をさしていた。
「その石、欲しい」
「え?」
「その石、いい匂いがする。欲しい」
「石って、これ?」
その子の指はセイレンの髪飾りを指していた。血のような深い赤色をした珊瑚の石――雄日子からもらった髪飾りだ。
「いいよ、あげる。藍十の命を助けてくれたんだもの」
結い紐をほどいて差し出してやると、二人の子どもはわっと飛びつくように手を伸ばした。
「ほんとだ、いい匂いがする。柔らかくてまるい匂い……」
「海の匂いなんだって」
「海?」
「湖の大きいのだって。わたしも見たことがないんだ。その石はね、海の底にあった石なんだって」
「へえ、よくわかんないけど珍しい石だ。よかったな、ツツ」
よく喋るほうの子が、後ろを振り返ってにこにこ笑った。ツツと呼ばれた子は、石を鼻に近づけてくんくんと匂いを嗅いでいる。言葉はすくないが、満足そうに唇の端を上げていた。
「その子はツツっていうの? あなたの名前は?」
「おいらは、セレン。あなたは?」
「セレン? わたしの名前と似てるよ。わたしの名はセイレンっていうの」
すると、セレンは目を丸くした。
「えっ? じゃあ、あなたは双子の生まれ?」
「どうして……?」
「違った? ごめん。おいらの村じゃ、セイレンって双子の弟か妹につく名前でさ、〈災いの子〉っていう意味があるんだ。――えっと、あのね、おいらの村じゃ、双子に生まれた弟と妹は生まれてすぐに神様に捧げられるんだ。だから――その、あなたの名前を災いだなんていってごめん。あなたの一族じゃ違うんだろうね」
幼いながらに気をつかって、セレンは言葉を選んでいる。
セイレンは苦笑して、首を横に振った。
「ううん、違わないよ。わたしは双子の妹なの。神様に捧げられはしなかったけど――わたしは〈災いの子〉なんだよ」
「えっ、そうなの?」
セレンは驚いて「すごい」と笑った。
「双子の妹で大きくなった人、はじめて見たよ」
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