第二章 這いよる姉と銀行強盗

1.一夜明けて

 ――そうして、演習は無事終了した。


 結局あの後、剛腕無双EXブーストに目覚めた良香と、彩乃、才加の三人は何とかサバイバルの最後まで生き残ることができた。


 最終的なサバイバルの『生存者』は全体の三分の一程度だったらしい。というのもエルレシアチームは凄まじく、あの後二人で参加者のおよそ半数――即ち八〇人あまりを撃墜してしまったのだ。一体どうすればあの深手からそんな快進撃が起こせるのか不安になった良香だが、エルレシア曰く『むしろわたくしを退けた貴女が特別なのですわ。誇りなさい。わたくしが許します』とのこと。どこまでも傲岸不遜な少女だった。


 そして、そんな激闘から一夜明けたある日。


 良香はある意味サバイバル演習よりも切羽詰った危機に見舞われていた。


 具体的に言うと、女子校である以上絶対に起こり得る『お着替え』に直面していた。


「男として…………断固、女の子の着替えを覗くことはできません!」

「だが、早くしないと授業に遅れるぞ?」


 そういうわけで、良香は教室で着替え始めたクラスメイトから逃げるようにして廊下に出ているのだった。しかし生徒全員が女子である関係上、更衣室なんてものはどこにもない。流石に廊下で着替える訳にもいかず、こうして彩乃に手を引かれ、それをその場で踏ん張って拒絶するという形になっているのだった。


「っていうか、なんでお前はオレを引っ張り込もうとしてるんだよ! 普通逆だろ!」

「何を言ってるんだ、減るものじゃあるまいし」

「逆! 立場が逆!」

「――二人とも廊下で何してんのよ?」


 と、やんややんやしていた二人だったが、横合いから才加に声をかけられたことで一旦やりとりを止めた。見てみると、才加はハンカチをポケットにしまっているところだった。多分トイレから戻って来たとかなのだろう。


(う、ううッ! 才加の前であんまり着替えを渋ると、またレズ疑惑が出てしまう……)


 もうレズで良いんじゃない? と実は少しだけ思わないでもない良香だったが、あくまで彼女は男として女の子と恋愛したいのであって、女の子が好きな女の子として扱われるのはやっぱりちょっと違うのであった。


 だが、そんな繊細な男心を解さない彩乃や才加は適当そのものだ。


「また良香の持病だよ」

「ああ、人の前で肌を見せたくないし他人のを見るのも恥ずかしいっていう?」


 結局、良香の態度はそういう解釈で落ち着いていた。極度の恥ずかしがりやだからたとえ同性でも肌を見せたがらない――というなんともしまらない理由だが、お蔭でレズ疑惑はなくなったと思えば良香としては痛しかゆしである。


 ただ、そんな理由になってしまったからか、彩乃も才加も遠慮がなくなってしまった。


「あんた、これから三年間ずっとなんだからいい加減慣れないとダメよ。もしもあんまり辛いならみんなに見ないようにお願いしてあげるから、あんたも少しずつ頑張りましょ。ね?」


 こうまで言われてしまうと、良香としてはもうそれ以上抵抗できない。普段はガサツそのものな才加なのだが、ふとした拍子に(勘違いなのだが)真面目なやさしさを見せて来るのが良香としては一番やりづらい。


「……うん、がんばる」


 憮然としつつも、良香は頷いて教室という名の魔境へと入る。


 そして、入室一秒でマウントエルレシアとご対面して早速壁に突っ伏して撃沈しそうになっていた。


「ぐぐ…………」

「どうかしましたの?」


 と、そこで背後からエルレシアに声を掛けられた。


「あ、エルレシア…………さん」


 怪訝そうに首を傾げるエルレシアに、先日の一件のことで少し気後れ気味な良香は思わず振り返り(おっぱいを見ないように目だけを見つめて)、さん付けで応対してしまう。エルレシアは別に気にした風もなく、


「敬称とは殊勝な心がけですが、必要ありませんわ。貴女はわたくしを退けた実力者。そう卑屈になられても却って無礼というものでしてよ」

「あ、はい…………」


 そう鷹揚に言うエルレシアだったが、肝心の良香の方は若干ビビり気味なのであった。その対応に少し怪訝な表情を浮かべるエルレシア。そこにすぐさま志希が割り込み、何事かを耳打ちする。


「……ああ! なるほどそういうことでしたのね」


 何を言われたのか、エルレシアはやっと得心がいったというような表情で頷く。良香の方は何を言われるかと焦っていた。ここまでの和やかな雰囲気を見ればエルレシアが別段何も思っていないというのは分かりそうなものなのだが、そこはそれ、当事者というのは全体の流れを見ることが難しいものなのである。


「先日は本当に色々と申し訳……、」

「謝るというのなら、貴女方がわたくしを冗談の通じない女と勘違いしている点ですわね」

「は、大変申し訳……ん?」

「別におっぱいを触られたくらいで怒るほど器の小さいわたくしではありませんわ。だって相手は女の人ですもの。それに、わたくしだって別に女の子が好きというわけでもありませんわ。ただというだけの話で」

(じゃあ何故心得があるんだ……)


 そこのところはやっぱり油断ならないエルレシアだったが、それはともかく『女の人だから』怒らないというのは良香としては複雑な回答である。何故なら良香の性自認として自分は男の人であるゆえ。


 ただ、当のエルレシアが気にしていないと言っている以上、ここからも引きずるのは逆にエルレシアに対して失礼だった。


「…………分かった。気にしてないなら良かったんだ」

「あたしも、なんか変にかき回しちゃってごめんね~」


 そう、才加が絶妙なタイミングで入って来た。ひとまずエルレシアがお怒りでないことが分かった良香はほっと一息つく。


 すると、今まで緊張で気付かなかった事実を思い出す。――マウントエルレシアだ。


「うぐっ!」

「…………どうかしましたの?」

「いや、なんでもない……」


 首をかしげるエルレシアに、良香は手を振って答えた。


 ひと段落付けておいてあっさり心が折れそうになった良香だが、着替えを頑張ると才加に言った以上、前言を取り下げるのは男が廃る。良香は気合を入れて体操服の入った袋を才加の机の上に置き、早着替え(特技)を敢行した。


「は、速い……!」


 才加の戦慄の通り、それは電瞬の速度で行われた。


 ものの数秒で制服を脱ぎ、そしてシャツと短パンを身に纏う。目を瞑ってもこの速度。必要は発明の母と言うが、良香の早着替えは今なお成長を続けているらしかった。


 と、目を瞑っていた良香の耳に、クラスメイト達の会話が聞こえて来る。どうもサバイバル演習を経てそれぞれの持つオリジンを知って、今はそれがもっぱらの話題になっているらしい。


 ふと気になった良香は、こんなことを言った。


「オリジンって、意外と燃費よくねーか?」


 それは、前から気になっていたことだった。自走風車テイルウィンド残機無限リスポーン剛腕無双EXブーストも、極凍領域コキュートスですらデメリットこそあるが燃費は良いと呼ばれる。どこから燃費がよくてどこから燃費が悪いのかも曖昧な良香だが、少なくとも彩乃の言うほどオリジンがここぞというときにしか使えないモノという風には思えなかった。


 が、彩乃はというとあっさりとした調子で良香のこの疑問に答えた。


「いや、悪いよ」

「でもさ、オレも彩乃も才加も、エルレシアだって燃費が良いんだろ? 大体、みんな残り巫素マナの少なさに悩まされたりはしなかったじゃん」

「それは私達が特殊なんだよ。あと残機無限リスポーンに関しては燃費は悪いがセーブした時点の残り巫素マナごとロードされるから関係ないというだけで、実質は他のオリジン以上のイレギュラーだからカウントに入れるのは如何なものかと思う」

「同じことだと思うけど……」

「私の快刀乱麻キルブラックは燃費が悪いですよ」


 いまいち納得できていない良香に、志希が付け加える。


「…………いきなり森一面刈り取ったりしたのにか? あれもけっこうとんでもなかったけど」

「あの時は強がってましたが、実際のところを言うと、けっこう消耗していました。快刀乱麻キルブラックは切断した物質の断面積に応じて巫素マナの消耗量が変わりますので。証拠にあの後、一度も使わなかったでしょう」

「…………そういえば」

「わりと疲れました」

「疲れちゃったのかー…………」


 げに恐るべきはそれを感じさせない志希のポーカーフェイスか。

 巫術師の戦いは腹芸も覚えないといけないらしい。少年漫画愛好者の良香としては強いパワー同士のぶつかり合いで勝敗を決めてほしいなと思う。せめて、能力の証言について嘘を交えたりするのはホントややこしくなるのでやめてほしいところである。


「ほら、もう皆着替え終わったから目ぇ開けて良いわよ。さっさと行きましょ」


 そんなことを考えていると、才加が良香の肩を叩くのが分かった。どうやら地獄の時間はもう終了したらしかった。


 良香は、やっとか――と安心しつつ目を開ける。


「…………………………」

「……………………にひ」


 そこにあったのは、才加によってたくし上げられた、ブルーシルバーのブラジャーに包まれた標高バストサイズ九〇センチはかたいマウントエルレシアだった。


 肝心のエルレシアは話の筋がよく分かっていないままに服をたくし上げられているため、怪訝な表情を浮かべていたが。


 一瞬の沈黙ののち。


「……こ、この破廉恥野郎ぉぉ――――っ!!」


 一気に顔を真っ赤にした良香は、その背後にいた姑息な下手人才加に飛びかかる。



    *



 ここ神楽学院では、授業とはいえその全てが巫術に繋がるように意識されている。数学では授業の合間に身の回りの物を使って三平方の定理で対象物の距離を求める方法などを余談として話されたり、物理ではアルターやブーストで物質を吹っ飛ばした時の挙動について延々講釈されたりするのだ。


 そして、体育はその性質上『教える内容の自由度が高い』ので特にその傾向が強い。


「よーし、という訳で今日は走り込みしつつ格闘するぞー。もちろん変身禁止なー」


 女性にあるまじきゴリゴリマッチョで無駄にサバイバルが得意そうな軍人っぽい先生はパンパンと手を叩きながらそんなことを言った。


 こういう授業が入ってくるとかもはや自分達が目指しているのは巫術師というより格闘家なのでは? と良香は思ったが、他の生徒が弱音を吐いていない以上良香も粛々とこなすまでである。彼女はこういう方向への我慢強さはけっこうあるのだった。


「っていうか、皆、昨日あれだけ戦ってたのに、よく疲れてないなっ」


 ただ、疑問に思うところはある。そんな良香の疑問に彩乃はのんびりとした調子で答える。


「大体の人はブーストで回復しているからな」


 体力回復などに用いられるブーストだが、それは別に戦闘中に行わなくてはならないなんてルールはない。そうして授業の疲れを癒すからこそ、このスパルタ訓練は成り立つのだ。


 尤もそうなると超回復はあまりないので筋力は伸びないのだが、ブーストが使える巫術師にとって人間レベルの筋力上昇などあってもなくても大して変わらない。


 良香は思わず感心して言った。


「巫術師、すげーな」

「こういったメンテナンスの必要のなさも、討巫術師ミストレスが重宝される理由の一つだ。機械ではこうはいかないからな」


 とことん人を人扱いしない彩乃の言動だったが、感心している良香にはあまり聞こえていなかったようだ。彩乃は自分の言動を省みて、少し自嘲気味に笑う。


「皆の者ー、相手だけでなく周囲の環境もよく観察しろよー」

 無駄にサバイバルが得意そうな軍人っぽい女教師は、適当そうにパンパンと手を叩いてそんなことを言った。

「たとえば、街には下水道という地下空間が存在していてマンホールを外せば簡単に侵入できる。港から海面を覗いてゴミが放射状に広がっている場所があれば、そこに排水溝があって入ることが出来る」


 軍人っぽい女教師はグラウンドを走りながら組手をしている生徒達にぴったりとつきながら、しかし欠片も息を切らさずに続ける。


「先のサバイバル演習は自然を利用する術を学ぶための場だったと言っても良い。……だが、本来討巫術師ミストレスに必要なのは街中でのサバイバル技術だ!! ……おいそこ、熱心なのは良いが組手中にメモはやめろ!」


 軍人っぽい女教師に、女生徒の一人が『はい、すみませんなのです!』と元気よく返事する。どいつもこいつもモブキャラのくせにキャラが濃いこと限りないのであった。


「あの先輩、私の一つ上だったな」


 良香の組手相手でもある彩乃は、組み手をしながらもそんなことを言って思い出に浸るくらい余裕を持っていた。


 良香も最初こそ余裕があったが、だんだんと疲労で口数が少なくなってくる。


「知り合い、だったのかっ?」

「いや? だが名物生徒ではあったよ。アルターもブーストも使わない完全生身の状態で、ただの格闘技術だけで他の生徒と渡り歩くトンデモ格闘家ってね」

「なんっ、だそれっ」

「そこにさらにアルターとブーストとオリジンが加わる訳だからね。当時接近戦では手が付けられないと言われていたよ。ちょうど、エルレシア嬢の戦闘スタイルが似ているかな? そう考えると彼女もなかなか肉体派だな」


 そう言われてチラリと横目に見てみると、エルレシアは志希ではなく才加相手に組手をしていた。才加の方はとんでもない相手と組まされて涙目状態だが……意外と渡り合っている。いや、エルレシアの方が優勢なのは間違いないのだが、それでもなすすべもなくボッコボコというわけではなかった。さすがのエルレシアも生身で無双するほど常識知らずではないらしい。


 志希は――どうやら組手中にメモをとっていたあの少女と組んでいたらしい。彼女がメモをとれていたのも、志希が律儀に待っていたからというのが大きそうだ。


「ほら、余所見していると」

「あっ!?」


 ――そんな風に意識を散らしていたせいか、気付くと彩乃が良香の眼前まで迫って来ていた。視界いっぱいに彩乃の顔が近づいて面喰った良香は、続く足払いをモロに受け、そのまま喉目掛けて体重を乗せた肘鉄を繰り出されてしまう。必死の思いで右腕を振ってそれを逸らすが、今度はもう反対の腕で押さえつけられてしまった。


「…………うぐ、動かない」


 剛腕無双EXブーストの異名を持つオリジンを得た良香だったが、ブーストを使わない分には筋力は普通の女の子並のようだった。


「よっと。まあ、変身すらしてないしな。慣れれば部分変身なんかも出来るんだが」

 倒れた良香の手を掴んで助け起こした彩乃は、何気なくそんなことを言った。

「部分変身?」

「そう。体の一部を変身状態にするわけだ。半端に衣装が変わって人によってはなかなか面白いぞ」

「面白いとかそういう話なのか…………」

「ちなみに利便性もある。主に巫素マナの節約や奇襲だな」

「…………あんまり巫素マナが足りなくなるような状況が来るとは思えないんだけど、使う機会なんてあるのか?」

「ああ、あるぞ。妖魔遣いに人質をとられたときとかな。連中人間の知恵を持っているから外道な手も余裕でやってくる。そういうとき、降参した振りをして死角で部分変身し、地下を通して土のアルターの準備をし、逆に奇襲をしかけてやるわけだ」

「…………、」


 驚きの大逆転劇だった。それをすらすら言うあたり、おそらく彩乃も何度かそういった事態に直面し、そして今言ったような機転で乗り越えてきたのだろう。


 そんな彩乃の言動を総合して、良香はこう呟いた。


「…………巫術師って、大変な職業なんだな…………」


 彩乃の特技が利き栄養ドリンクだった時点で、そんなことは半ば分かっていたようなものだったが。

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