金木犀の街 6

 学校の情報と言ったら彼女しかいない。恵子はスマートフォンを取り出し、素早くSNSでメッセージを送った。


――佐伯って入院してるんだっけ?

 一分も経たずに返事が返ってきた。

――佐伯? 佐伯は入院してないよぉ~

 本庄優の話し方は文字でも変わらない。

――そなの? でも学校来てないよね

――来てない~。今、ショック受けてるんだよぉ

――何に?

――入院してた奥さんが亡くなっちゃったから~

――え? 奥さん亡くなったの?

――そうだよぉ~。つい最近。医療事故らしいよぉ

――なんていう病院?

――成陵中央総合病院~


「それだ!」

「ビンゴ、だな」

「いずみちゃん、兎我野先生が犯人じゃなかったね」

「ああ。恵子、兎我野に連絡して」

「わかった」

「それから佐伯を探しに行くぞ。病院内に潜んでいるはずだ」

 さっそく兎我野に連絡し、事情を説明すると、「小杉さんに連絡して、不審な人物を探してもらうから、キミたちは警備員室に戻って大人しくしてなさい」と言われた。

 しかし、そういうわけにもいかない。次の意識不明者が出る前に佐伯を捕まえなければ。

 恵子たちは、病院内に入るべく「救急・時間外受付出入口」へ向かった。


「げ」

 夜の病院で、しかも救急車の入り口なので、なんとなく予想はしていたが、こんなに多いとは思わなかった。

 腹のえぐれた男。足を引きずっている男。カッターナイフを持ちながら腕をかきむしる女。老爺。老婆。

 目の前には、複数の幽霊が彷徨いていた。

「奈津美、恵子。目、合わせんなよ」

「う、うん……」

 奈津美が叫ぶのを我慢しながら、ぎゅっと腕を掴んでくる。

「どうやって、中、入ろうか」

 この状態では、入り口を突破することが出来ない。

「恵子、鍾馗眼で一掃しよう」

「で、でも……」

 いずみの意見には素直に賛成できなかった。

 恵子たちが視えるということに彼らが気づいたら、危害を加えてくるかもしれない。ただ、彼らにも彼らの人生があって、何か思い残したことがあるからここにいるのだ。

 鍾馗眼で来世転送リブートするということは、今を断ち切って強制的に餓鬼界プレタに送ることなのだ。そんなこと……。

 その時、救急入り口の自動ドアが開いた。驚くことに白衣姿の佐伯が出てきたのだ。

 恵子が叫ぼうとしたが、いずみに止められた。彼はまだこちらの存在に気づいていない。

 代わりに、救急入り口に集まっている幽霊が視えるようで、「ちっ」と舌打ちをした。

 白衣のポケットから何か出した。鍾馗鏡だ。あの時、神社で見たものと同じものだ。

 佐伯は鍾馗鏡を高く持ち上げ、月の光を反射させた。すると、鏡の中から、塵のように細かい緑色の光が飛び出してきた。巨大な鍾馗神が姿を現す。鍾馗眼から召還された姿よりさらに二廻りほど巨大で、その姿もハッキリとしていた。

 その後は一瞬だった。救急入り口に彷徨っていた複数の幽霊は一瞬にして、強風とともに粉々の黒い塵と姿を変え、鍾馗鏡の中に吸い込まれていった。

 そこでようやく恵子たちの存在に気がついた。

「おう、ようやく気がついたか。佐伯センセ」

 佐伯に向かって近づく。

 無精髭にメガネ。年齢の割に頭髪が寂しい。その容姿はまさに日本史教師の佐伯信弘だった。なぜ白衣を着ているのだろうか。

「片瀬、さん。それに古道さんと高岡さんまで」

 佐伯は予期せぬ人物との遭遇に事態を把握していないようだ。

「ど、どどうして、こここ、に?」

 声が震えている。

「あんたこそ、そんなカッコで何してんだ? コスプレか?」

「これは……。そ、そそそうなんだ。コスプレ、ななんだ」

 見え透いた嘘に情けなさを感じた。

「馬鹿にしないで! 先生がしてること知ってるよ。それで人を意識不明にしてるんでしょ」

 佐伯の手に持った鍾馗鏡を指差した。

「……」

 佐伯は黙っている。

「黙ってないで、なんか言えよ」

「……クソッ!」

「あっ!」

 佐伯は、逃げるように走り出した。駐車場へと伸びる緑道の木々をするりするりと除けながら走って行く。

 一心不乱に追いかけるが、距離が見る見るうちに離されていった。

「やばい! 逃げられる!」

 先行して走っているいずみでも追いつきそうにない。

 緑道の先が見えた。その先には駐車場がある。もう緑道が終わりというところで木の陰からぬうっと人影が現れた。小柄な人影は、素早く佐伯の背後に回り込み、右手をひねり上げた。佐伯が短く悲鳴を上げる。

「捕まえた」

 声を上げたのは、紫色の紋付き袴の三笠宮司だった。

「みんな、大丈夫でしたか?」

 三笠宮司が出てきた木の陰から、兎我野と香奈枝、猫のアテナが続けて出てきた。

 兎我野の手には車のキーが握られている。三人とも兎我野の車で来たらしい。

「離してくれ。おおおれは何もしていない。は、離してくれ!」

 兎我野が佐伯の前に立つ。

「佐伯先生……」

「だ、だれだ? あああんたは」

「兎我野センセ。あんたの代わりに来た日本史教師だ」

 兎我野が「どうも」と軽く会釈をする。

「それからこっちは――」

 いずみは佐伯を押えている三笠を顎で示し、

「あんたが成陵御霊神社で盗んだ鍾馗鏡の持ち主だよ。三笠宮司と巫女の香奈枝」

「あと、猫の宮尾さんも」奈津美が付け足す。

「し、しししらない! 神社なんて行ったこともない。おおおれは妻の見舞いに来ただけだ」

「……奥さん、もうこの病院に入院してないですよね」

 恵子が問いただした。

「小杉さんにも調べてもらいました。佐伯先生の奥さん、佐伯亮子さんは先月に亡くなっていますよね」

「ちち、ちがう。ちがうんだ」

「その衣装はなんなの?」

 香奈枝が白衣を着た佐伯に向かって指摘するが、香奈枝のコスプレまがいの戦闘巫女服も大概である。

「あんたが盗んだんじゃな」取り押さえている三笠も続く。

 立て続けに言い寄られ、佐伯は苦い顔をした。解放を求めていた言葉も、抵抗していた動きも止まった。

 やがて静まりかえった場にアテナが「みゃーおん」と鳴いた。

「……分かったよ。全て話すから、こ、この手を離してくれ」

 兎我野が三笠に離すように目で合図する。

「大丈夫か?」

「大丈夫なの?」

 いずみが兎我野に、香奈枝が三笠にほぼ同時に尋ねた。

「こんな大勢の前では逃げられない。お願いだ……」

 三笠がすっと解放した。

 佐伯は軽くマッサージするように両肩を回し、近くにあったベンチに座った。落ち着きを取り戻そうと、息を整えている。

 しばらくして佐伯は、ぽつり、ぽつりと語り出した。

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