金木犀の街 5


「あのぉ~、夜遅くにごめんなさい」

 その声に一瞬戸惑った。いつものいずみの声色と違うのだ。甘く猫なで声である。

 警備員室から初老の男性が顔を出した。

「どうかしたの?」

「えっとぉ。私、ここで入院しているんですけどぉ」

 いずみが怪我をしている腕を見せた。そんなことより、いずみが本庄優のごとく甘い声で話していることに、開いた口がふさがらない。

「一昨日ね。一昨日、お父さんが……」

 しかも瞳に涙まで浮かべている。演技? 演技なのか?

「お父さんがどうしたの?」瞳の涙に警備員も動揺している。

「夜、お父さんがお見舞いに来てくれたみたいなの。……これ」

 いずみは鍾馗眼を警備員に見せた。

「お父さんが使っていた二眼レフカメラ。私が小さい頃に家を出て行ったっきり、ずっとずっと会ってないの」

「会いに来てくれたのかい?」

「ううん……」

 いずみはグスン、と鼻まで啜っている。

「夜、私が寝ている時に、これだけ置いて行ったみたい」

 制服姿で「入院してる」と言って果たして信じてもらえているのだろうか。

「そんな……」

 そばで聞いていた奈津美が泣き出した。天然? 天然なのか?

 しかし、そんな奈津美の天然もうまく作用し、警備員も同情の目を向けてきた。

「私、もう一度、お父さんの顔が見たい」

「連絡先は知らないのかい?」

 いずみは無言で首を横に振った。

「病院って防犯カメラがあるでしょ? 看護師さんにね、お父さんが来たこと話して、防犯カメラの映像でもいいから、お父さんの顔見たいって言ったの。でも――」

 いずみは一旦言葉を切り、涙を潤ませながら下を向いてしまった。

「いずみちゃん、大丈夫?」奈津美が泣きながら寄り添う。

 いけない。恵子はようやくここで自分だけぽかんと口を開けていることに気づき、急いで口を閉じた。

「いかなる理由でも、防犯カメラの映像は提供することは出来ないって厳しく言われちゃったの」

「そんな、ひどいことを……」

 奈津美がハンカチをいずみに手渡す。

「お父さんね、車で来てたみたい。……駐車場の防犯カメラもやっぱり見ることは出来ないの?」

 いずみはゆっくり顔をあげ、今にもあふれそうな涙を溜めた目で、上目遣いに警備員を見た。

「本当はダメなんだが――」

 警備員は小さな声で言った。

「少しだけだぞ。さぁ入って」

「おじさん。ありがとう」

 警備員室に入り際、いずみは恵子に向かって小さくウィンクをした。

 まじか。初めて見るいずみの姿に恵子は驚くばかりだった。

 いずみってもしかして、小悪魔? おじさんキラーなのか?


 いずみの演技は警備室の中でも続いた。警備員に席を譲ってもらい、恵子は録画モニターの前に座った。操作パネルを動かし、一昨日の車の出入りを早送りでモニターに映し出す。

 駐車場には数十台の防犯カメラが設置されていた。その全ての映像をこの警備室で確認出来るのだが、その中から駐車料金を支払う出入り口ゲートのカメラを確認していた。

 しかし深夜の車の出入りには、犯人の乗っていると思われるSUV車は映っていなかった。恐らく病院の外来受付時間内に駐車し、夜まで院内に忍び込んでいたのだろう。映像を昼過ぎまで戻し、早送り再生で再度確認した。すると午後十六時過ぎに目的の車が映った。

「あ! 恵子ちゃん、この車!」

 『恵子ちゃん』と呼ばれて、つい奈津美が叫んだかと思ったが、甘い声のいずみだった。

 画面にはSUV車が駐車場に入っていくところが捉えられていた。時刻からしても犯人の車の可能性が高い。

 画面を停止してみるが、運転者の顔までは見えない。

「犯に――お父さんの顔、見えないね」

 恵子は犯人と言いそうになったが、慌てて訂正した。いずみの演技が台無しになってしまう。

「病院に行くにはここが近道だから、車から降りたお父さんがここを通るはずだよ」

 警備員が別の録画モニターを指差した。

 恵子たちは防犯カメラの映像を切り替え、目的の時間に合わせ再生した。すると、カメラの前を通り過ぎる人物が捉えられていた。

 その人物を見た瞬間、言葉を失った。

「お父さん……」いずみが呟く。

「お父さん、会いに来ていたのかい」

「うん。私に会いに来てた……もしかしたら今日も来てるかもしれない」

 今日の防犯カメラの映像を再生すると、午後十六時過ぎの映像にも犯人の姿が映っていたのだ。

 犯人は今もこの病院に潜んでいる。

「おじさん、ありがとう。急がなくちゃ。お父さんに会ってくる」

 いずみは警備員に礼を言うと、そそくさと外に出た。


 防犯カメラの映像には犯人の顔がはっきりと映し出されていた。犯人の姿は――、佐伯だった。成陵西高等学校の日本史教師、佐伯信弘の姿だったのだ。

「犯人は佐伯ってこと?」

「分からん。……確か、あいつ、入院してたって優が言ってたな」

 すっかりもとの声色に戻ったいずみが言った。佐伯の日本史授業は自習になることが多く、その代わりとして兎我野が来たのである。

「え? いずみちゃん。いずみちゃんのお父さんは佐伯先生だったってこと?」

「あー、奈津美。あのな……」

 いずみが奈津美に説明をする。

「え? じゃあいずみちゃんの話は演技だったの?」

「そういうこと。この怪我を最大限有効活用したってわけ」

「えー。わたしすっかり本当のことだと思ってた」

 奈津美は本当に天然だ。

「奈津美は信じ込むと思ってたからね。それも計算。まぁ、奈津美まで泣くとは思わなかったけど。ごめんな」

「しかし、ホント、演技上手かったよね。実は演技じゃなく、彼氏の前ではあんな感じの声なんじゃないの? ツンデレ的な?」

「うっさいわ」

「え? そうなの? まじで?」

「違うって」

「え? おじさんキラーなの?」

 恵子はニタニタしながらいずみに迫る。

「うっさい。あーもう。これだから恵子はめんどいんだよ」

「いやー、いいもの見せてもらいましたなぁ」

「しつこいよ。いいから佐伯のこと調べるよ」

 そうだった。ひとまず、いずみのツンデレ兼おじさんキラー疑惑は置いておいて、佐伯について調べることにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る