成陵御霊神社 9

「ずいぶん、遅かったのう」

「えぇ、少し調べ物をしてましたので。でも、おかげで分かりましたよ。やはり砕焔が関わってそうですね」

「それじゃあ……」

 香奈枝が心配そうに尋ねる。横で寝ていたアテナもぴくっと耳を傾けた。

「えぇ。砕焔の目的が十年前と変わらないのなら、一刻も早く鍾馗鏡を見つけるべきです」

「でも、どうやって? なんの手がかりもないの」

「そうですね……。儀式の際には――」

 兎我野と香奈枝、それから三笠宮司で話が進んで行く。恵子たちは完全に置いて行かれてしまった。

「あの、先生。ちょっといいですか?」

「なんでしょう?」

「その、サイエンってなんですか? 人の名前?」

 さっきから会話に出てくる「サイエン」が何か知りたかった。

「――それと。幽霊視えなくして欲しいんだけど」いずみが付け加えた。

 恵子といずみの質問は真逆の内容に思えた。片方は足を踏み入れようとしていて、もう片方は関わりを断とうとしている。

「……そうですね」

 相反する二つの質問を同時に受け取った兎我野は、しばらく考え込んだ後、ゆっくりと続けた。

「三笠さんや佐藤さんから聞いている通り、今、大変なことになっています。それは単に鍾馗鏡という物が盗まれてしまったことだけでなく、場合によってはこの世界の混乱を招きかねない事態なのです。ですから我々の身の回りで起こっていることの全てを話し、キミたちにも協力してもらいたい気持ちは山々なのですが……。ただ――」

 兎我野は言葉を切って、いずみの怪我した腕を見る。

「これまで以上に危険なことが起きるのは確実です。全てを知る以上はそのことは認識し、覚悟しておく必要があります」

 いつになく真剣な話に、部屋の空気に緊張が走る。

「三人とも、目をつぶってください」

 恵子は左右を見た。右に座っている奈津美は既に目をつむって、祈るように指を交差している。左を見ると、いずみと目が合った。あぐらをかき、腕にギプスをした状態で、何か言いたそうにじっと見つめたかと思うと、視線を離し、目をつむった。

「古道さんも」

 兎我野に言われ、目をつむる。

「いいですか。ここからは自分の意思で決めて下さい。今から二つの選択肢を話しますので、自分の思う方に手を上げて下さい」

 いずみと奈津美がどのような反応をしているのか恵子には分からない。恵子は目をつむったまま、こくりと頷いた。

「初めに言っておきますが、どちらの選択肢でも、片瀬さんの日本史の成績評価を下げることはしません。それから期末テストまでと言っていた課題の件も、これ以上要求することもありません。ですから純粋に自分の選びたい方に手を上げてください」

 兎我野は少し間を空けると、話を続けた。

「それでは、まず一つ目。幽霊が視えるようになった目をもとに戻します。それから古道さんの持っている鍾馗眼も僕に返してもらい、今日まで起こった不思議な出来事は全て忘れて、今までの日常生活に戻ってください」

 恵子は真っ暗のまま、日常生活について想像した。

 日常ってなんだろう。いつもの時間に起きて、朝の占いをみて、学校で眠くなりながら授業を受けて、友達と放課後遊び、家に帰る。日常ってこのことなのか。

「二つ目は、僕のこと、鍾馗鏡のこと、ここの神社のこと、それから砕焔のことも、今起こっている全てを話します。そして我々と一緒に戦って下さい。もちろん全てが終わったら幽霊が視える目も元に戻します。ただし、先程言ったように危険が伴います。――以上二つの選択肢です。少しだけ時間をあげるので考えてみてください」

 どうしよう。恵子はどちらに手を上げるべきか迷っていた。「自分の意思」だとすると、後者を選択したい。一度足を踏み入れたのなら、危険が伴うとしても、今、自分の身の回りで起こっていることをしっかりと理解したい。世界が危険にさらされているなら、身の危険を冒してでも、戦いに参加したい。

 それが恵子の考えだった。でも……。

 暗がりの中、耳をすませる。声は聞こえず、空調のような機械音だけが静かに鳴り響いている。右からメガネの位置を直すような音が聞こえた。奈津美、ちゃんと目をつぶっているんだろうか。左側、いずみが座っている方向からは何も音が聞こえない。

 いずみは何を考えているんだろう。どっちに手を上げるんだろう。きっといずみも奈津美も日常に戻る方を選択するだろう。それでも後者を選んでもいいのだろうか。彼女たちに迷惑を掛けないだろうか。また巻き込んでしまったりしないだろうか。

「さて。そろそろいいかな。じゃあ、まず一つ目の方を選択する方」

 兎我野が話すと、体勢を整えるような布がすれる音が聞こえた。誰かが手を上げたようだ。

「よし、分かりました。では、次、全てを知り僕たちと戦ってくれる方」

 右側からメガネを触る音が聞こえた。一方、左側からは依然何も聞こえない。

「なるほど」

 兎我野が面白そうに言った。

「三人とも、そのまま目を開けて下さい」

 兎我野の合図を機に、恵子はゆっくりと目を開けた。急激な光に目が馴れない。徐々に視界が戻っていく中、周りを見た。右側の奈津美はちょこんと左手を小さく上げている。

「奈津美、どうして……」

 奈津美はえへへと笑い、

「だって、恵子ちゃん、絶対ひとりで行こうとするでしょ?」

「そういうこと」左からいずみが話した。

 振り向くと、いずみはややめんどくさそうに手を上げていた。

「いずみまで……」

「奈津美の言ったとおりだよ。あんた、止めても行くでしょ。あんたこそなんで手、上げてないの?」

「え。えっと、それは……」

 理由はひとつしかなかった。いずみも奈津美もこれ以上巻き込みたくなかったからだ。三人とも、同じ選択肢を選ぶと思っていた。

「どーせ、もうこれ以上巻き込みたくないから、とかなんとか思ってるんでしょ」

 いずみが見透かしたように言う。

「う……」

 図星だった。

「くだらない考えやめて、自分の上げたい方に上げなよ」

「そうだよ、恵子ちゃん」

「どうします? 古道さん。選択肢、変更しますか?」

 兎我野はにこりと笑っている。三笠宮司もそれに付き合うように白い髭をいじりながら見ている。

 香奈枝は茶番だとでも言うかのようにそっぽ向いてしまっている。

 手を上げてしまってもいいのだろうか。悩んでいる時間もあまりなさそうだ。

「もう早くしてくれる? 腕が疲れる」いずみがせかしてきた。

「じゃ、じゃあ……」

 恵子はゆっくりと手を上げた。

「はい。決まりですね」

 兎我野の言葉を聞くと、いずみと奈津美が手を降ろした。続けて恵子も手を降ろす。まるで「だるまさんがころんだ」で動きを止めていた身体を動かした時のようだ。

「結局、皆さんがお互いのことを想って手を上げたようですね」

「ほほえましいのう」

 フォフォフォと笑う三笠宮司を尻目に、香奈枝は面白くなさそうに「ふんっ」と鼻で嗤った。

「まぁ、どっちにしろ、このまま真相を聞かずにモヤモヤしたまま日常になんて戻れねぇしな。それに、兎我野が何者なのかしっかり知っておきたいからな。……それからあんたも」

 いずみは香奈枝を顎でしゃくった。

「わたしも、おばけさんはすごくすごく怖いけど、恵子ちゃんもいずみちゃんもいるし、それにこれからは先生、三笠さん、香奈枝さんも一緒だし大丈夫。それから宮尾さんも~」

 奈津美は両手をモミモミ動かしながら、アテナに近づく。

 気持ちよく寝ていたアテナは「ギャッ」と飛び起き、香奈枝の背後に移動し、再び丸くなった。

「奈津美、いずみ、ありがと」

「別にいいって。で。さっそく本題を訊きたいんだけど?」いずみは先を急いだ。

「そうですね。それじゃ、さっそく本題に移りましょう」

 そう言うと兎我野は語り始めた。

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