第11話 痛みを理解するという事
「うわっ」
道春は思わずその場から飛びのく。道春が握っていた理恵の手が支えを失い、地面に叩きつけられたが、道春にそんな事を気にしている余裕は無かった。
「何だ……今のは」
道春が理解してしまった理恵の痛み。それは道春の想像を遥かに絶するものだった。父親からの拷問――そう、理恵が受けてきたあれらは実験などではなく拷問の類だ。人間が人間の心を壊してやろうと、人間性を破壊してやろうと考え出した狂気の塊。そんなものをその身に受けた理恵は心がじわじわと壊れていったのだ。
「ひどいな」
不幸中の幸いは理恵の妹に父親の魔の手がかからなかったことか。恐らく父親は理恵を拷問することで満足していたのだろう。
「道春、君は今何をしたんだ?」
道春が手を取り落としたことで正気を取り戻したのだろう。顔はこわばっているものの、いつもの状態に戻った理恵が道春にそう聞いて来る。
「理恵の痛みを理解したつもりになってみただけだよ」
道春がまだ理恵の言ったことを根に持っているのか少々偽悪的に言う。幸い水滴はさっき落ちてきた1粒だけのようで理恵の顔色はだんだんと良くなっていった。
「ははっ。何を言っているんだか。人が人の痛みなど、理解できるはずがないのに」
自嘲気味に笑う理恵を見て、さっきまで理恵本人だったせいか、道春は理恵がとてもはかなく、今にも揺らいでしまいそうな存在に見えた。そうしないと壊れてしまうとでも思ったのだろうか、道春は片膝立ちになっている理恵の背中にそっと手をまわすとそのまま優しく抱き着いた。
「えっ」
突然抱き着かれた理恵は戸惑いの声を上げる。なぜ抱き着かれたかも、どうしていいか分からないようで、そのままの状態で目を白黒させていた。
「よく頑張ったな」
道春は理恵の耳元で優しくささやく。理恵をいつくしむようなその声は、理恵の痛みを真に理解したものにしか出せないような、理恵の心に響くものがあった。
「――っ」
理恵の目もとからぽろぽろと涙がこぼれ始めた。なぜ涙が出るのか理恵にも分からなかったが、理恵はその涙を心地いいものだと感じ、道春の腕の中で我慢することなく静かに涙を流し続けた。
「ありがとう」
一通り泣いて落ち着いた後、理恵は道春から体を離しながら、照れくさそうにそう言った。実際、恥ずかしいのだろう。理恵の頬が赤くなっているのが道春に見て取れた。
「どういたしまして」
道春も正気に戻ると、今まで女子を熱く抱きしめていたことに恥ずかしさを感じて、理恵同様に頬を紅潮させた。
「私の話を聞いてくれないか?」
理恵は唐突に道春にそう言う。理恵のすがるような眼を前にして、道春に断るという選択肢は無かった。
「ああ、いいよ」
「そうだな、じゃあまず私の悲劇から話そうか」
話をまとめようとしているのか、理恵はあごに手をやって少し考える素振りをする。
「香織から聞いたと思うが、私は4歳の頃に母さんを交通事故で亡くしているんだ」
「ああ、聞いたよ」
「そのことはしょうがない、不幸な事故だった。今更言ってもどうにもならないことだ」
理恵は一度言葉を切ると、道春の目を見て続ける。
「でも、それだけじゃ終わらなかった。父さんがそれを境におかしくなってしまったんだ」
「おかしくなったって?」
道春が合いの手を入れる。なまじ知っているだけあって、いまさら聞くのも白々しいと思ったが、理恵が話しやすくするためと割り切る。
「小学校の制服にGPSを仕込んだり、自衛のためとか言って私にナイフを持たせたりしたな」
「へえ」
小学校の制服をいじっている場面は体験したが、襟に縫い込まれていたのがGPSだとは思わなかった。新しい発見をした道春は演技でなく自然と相槌を打つ。
「でもそれはまだましな方だったんだ。……いつだったかな? 猫が交通事故で死んだところを目撃して以来、父さんはさらにおかしくなった」
道春は体験したからよく分かるが、それまでの理恵の父親はあくまでも理恵を守ろうとしていた。しかし、事故を見てからの父親は、理恵を大切にしようという意識が無くなったのだ。
「父さんは元々テレビで知った知識を実験するのが好きだったんだが、それ以来私を実験台にするようになってな」
理恵は実験台というやわらかい言葉を使う。父親から受けたものが拷問だと思いたくなくて、あくまで実験だと思いたくて、理恵はそう言っているのだと道春は感じた。
実際、鏡に向かって「お前は誰だ?」と言う実験は、あのまま続けていたら理恵は間違いなく狂っていただろうし、真っ白な部屋に閉じ込められるのも、3日後に予定がなければアウトだったかもしれない。父親の聞き方からすると、もし予定がなければ、1週間は白い部屋で過ごすことを強要されていたに違いない。
そして、額に水滴を垂らされ続けた結果、理恵は魔法使いになった。一歩間違えると危なかったじゃすまないだろう。
「まあ、いろいろな実験を受けた結果。私は魔法使いになったのだが」
ついに悲劇と呼べるようなものをを体験したのだが。
「魔法を手にした私は頑張って父さんの言質を取ると、実験はやめること、私と妹に危害を加えないことなどを約束させた」
そうやって形ばかりの平和を手にしたんだ、と語る理恵は、つらそうな表情を浮かべていた。
「そして私は私自身に契約をかけた。――実験で壊れた心を偽って生きると、まるで心があるようにふるまって生きると」
やはり理恵の心は最後の拷問で壊れてしまっていたのだろう。理恵の悲劇を体験した道春にはそれがなんとなく分かった。
「これが私の過去だ」
悲劇という言葉をかたくなに使わない理恵は、そうすることによって自分の中の何かを守っているのだろうか。
いつの間にか雨が止み、月明かりが見え始めた空を見上げながら道春はそう思った。
「ああ、私の過去は竹内には言わないでくれよ」
雨も止んだから帰ろうとしたときに、理恵は不安そうに道春にそう言った。
「私もこの魔法がなくなるのは困るのでね」
理恵のお願いに道春は軽く答える。
「ああ、弓香には言わない。約束するよ」
「……助かる。ありがとう」
そう言って理恵は頭を下げる。
道春はてっきり「ケイヤクノジュンシュ」を使ってくるのかと思ったが、道春の予想に反して、理恵はお礼を言うだけで別れるまで決して魔法を使わなかった。
それは信頼の表れなのだろう。道春にはその信頼が心地よかった。
+++++
4月29日の道春の目覚めは最悪だった。
「まあ、そうなるよな」
昨日の夜、理恵と一緒に盛大に雨をかぶってしまったのだ。家に帰ってからタオルで拭いたとはいえ、シャワーが使えない以上、風邪をひくのは必然だった。
「こうなったら父さんや母さんを起こしてもいいと割り切って、シャワーを使うべきだったかな」
そうでなくとも昨日は理恵の過去を見て精神的に参っていたのだ。理恵と別れる前までは一種の興奮状態で大丈夫だったのだが、家に帰ってから精神的な疲れがどっと道春に押し寄せてきた。そんな状態の中、ハクを起こさないように注意しながらタオルで体をふいて、濡れた服を着替た道春の精神力は自分でもほめてやりたいくらいだった。
「ハク、おいハク」
隣で寝ているハクに声をかける。
「……ううん。何?」
薄く目を開けながら眠そうに答える。
「朝ごはんの時間だぞ」
「……分かった」
道春もせめて朝ごはんは食べようと、くらくらする頭に鞭打って体を起こす。そしてハクと一緒に1階に下りて朝ごはんを食べた後、体調が悪いから学校を休むことを両親に告げる。両親に心配されるも、道春はただの風邪だと言い切って安心させる。
朝ごはんを食べた後、熱いシャワーを浴びて全身を温める。湯冷めしないように注意しながら、道春は2階に上がって自室に入る。そこに待っていたのは、
「風邪をひいたから今日は一緒のベットで寝るの禁止」
「えー」
一足先にベットに入っていたハクの姿だった。
ハクをベットから追いやって布団をかぶると、道春は昨日――正確には今日の午前の出来事を振り返る。
「理恵の悲劇……知っちゃったんだよな」
理恵は道春を信頼して話してくれたのだろうが、今の道春にその信頼は少々荷が重かった。
「知らないほうがいいこともあるなんて、小説とかではよく見るけど、本当だったんだな」
知ってしまうと、物語が先に進んでしまう。今の安息に浸ることが出来なくなってしまうのだ。「どう行動するか」が重要なのではなく、「知っている」という事実が一番重要なのだと道春は悟った。
(落としどころも考えないといけないな)
道春は昨日の時点で1つの案を思いついていたが、それは泥沼だと思い理恵に提案はしていない。
道春が考えた案はこうだ。弓香の言質を取ったのは確かに理恵に有利なことだが、弓香の「スコシノキセキ」の力で無効化される危険性が高い。実際「スコシノキセキ」の万能さから考えると、理恵が弓香に魔法を使おうとした時点で、言葉をかむなどして時間を取られている間に何もしゃべれないように口を封じられる事態も十分考えられる。
そこでまず、理恵は契約を破棄して弓香との遺恨を消す。その代わり、理恵には「自分の父親を殺したのが弓香の魔法のせいである可能性が高い」という言葉をいつでも脅しに使えるように胸にしまっておいてもらうのだ。
そうすれば、弓香から見たら契約がなくなって理恵を警戒する必要がなくなり、理恵から見たら契約は消えたものの、弓香に襲われる危険性は低くなり、最後の手段として弓香の罪悪感に訴える脅しを持っているおかげで、弓香への優位性は変わらない。そんな状況を築けると思ったのだ。
「そうすれば一時的には平和になるかな?」
もし理恵が脅しと契約の両方を保持するようなら、弓香に悲劇を教えると道春が言えば、この落としどころは成立するだろう。……道春は理恵を脅すような真似はしたくないのだが、そうなった場合はしょうがない。
「でもこれは少しでもバランスが崩れたら終わりだな」
かなり微妙なバランスで成り立っているこの理論は、誰かの行動1つであっけなく崩壊するだろう。それは危険すぎる。
「それ以上に、理恵の信頼を裏切るわけにはいかないからな」
悲劇をだしにして理恵を脅すのは道春としては絶対に避けたいことだった。
「……考え直しか」
他の策をぼんやりと考えながら、道春は夢の世界に落ちていった。
――ガチャッ
「ん?」
部屋のドアが開く音に道春は目を覚ます。
嫌な夢を見ていた。暗闇の中で1人でただうずくまっているだけの夢だ。理恵の悲劇で体験した中で、4方が白い部屋に閉じ込められる実験が道春の中で一番印象に残っていたから、そのせいだろうか。
「道春起きてる?」
控えめな声で話しかけてきたのは道春の幼馴染の竹内弓香だった。
「ああ、起きてるよ」
答えながら道春は今何時だろうと思い、時計を見る。時計は今が13時30分であることを道春に教えてくれた。
「えっなんで弓香がここにいるんだ?」
そう言って道春が飛び起きようとするも、頭にズキッと衝撃が走り断念する。寝る前に比べて頭痛がひどくなっているような気がした。
「何を言ってるのよ。今日は4月29日、昭和の日だから学校は休みよ」
……母さんも俺が学校を休むって言った時に教えてくれればいいのに。
学校を休んでいなかったことに安堵するも、母親の趣味の悪さに道春は辟易とする。
「そうだったのか」
「道春、大丈夫? 一般常識だよ?」
はじめは体調を心配されたのかと思ったが、後まで聞くとどうも違ったようで、常識を問われていたようだ。
「魔法使いが常識を語るな。それに国民の祝日を名前ごと全部覚えてるのはお前くらいだよ」
なぜか知らないが、弓香は昔国民の祝日を覚えるのに熱心だった時期があり、今ではすべての国民の祝日を空で言えるそうだ。恐ろしい。
「……まあいいわ。それよりこれ、お見舞いよ」
そう言って弓香は買ってきたゼリーを差し出す。
「ありがとう。助かるよ」
病気の時の差し入れはどんなものでも嬉しく感じる。弓香からゼリーを受け取った道春は今は食欲がないため、それをあとで食べようと机の上に置いておく。こういう場合、ハクに勝手に食べられるのが心配だが、ハクは今母親と一緒に買い物に行っているから安全だ。……つまりは、今部屋には弓香と道春の2人きりである。
「そう言えばどうやって俺が病気だって知ったんだ?」
「道春のお母さんから聞いたのよ」
弓香の答えは予想通りだった。どうやら道春の母親は弓香と道春をくっつけたがっているようで、時々こうして弓香に情報を送っているのだ。
(だから今も家にいないんだろうな)
道春の父親は職場に行っていて、母親は買い物に行っているのだ。弓香と道春の2人だけという状況を作るために、わざわざこの時間にハクを連れて買い物に行っているのは、道春からすればばればれなうえに余計なお世話だった。
「邪魔しちゃ悪いしもう帰るわ」
お見舞いを渡してもう用は済んだとばかりに弓香は道春にそう別れを告げた。その時だった、
――ピンポーン
道春の家にチャイムの音が鳴り響く。
「宅配便かしら?」
弓香が不思議そうな顔で道春を見る。しかし、道春はこの3日間で何度目になるか分からない嫌な予感を感じ取って、弓香の話を聞くどころではなかった。
「私が出るわね」
そう言って弓香が玄関に向かう。宅配便を弓香が受け取るような事態は過去に何回かあり、それ自体は特に問題がないのだが、今は違う。弓香が玄関に向かうのを止めようとするが、計ったようなタイミングでひときわ大きな頭痛が来て、道春は声を上げるタイミングを逃してしまった。
何事もないように祈る道春の耳に弓香の声が届いた。
「なんであんたがここにいるの?」
「いや、私は道春のお見舞いにだな……」
「なんで道春を下の名前で呼んでんのよ」
「いや、それは……」
その会話に道春は嫌な予感が的中したことを確信し、大きくため息を吐いた。
「道春!」
玄関からどたどたと走ってきた弓香が、大声をあげながら扉を乱暴に開く。
「説明しなさい! 何であの女が道春の家に来るのよ!」
道春の家を訪れたのは弓香の宿敵、梅宮理恵だったのだ。
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