魔法使いの条件

東上西下

第1話 白い少女

 ――魔法なんて存在しないんだ。


 4月26日。ゴールデンウィークの足音が聞こえ始めるこの時期に、松田道春は久しぶりに1人で下校していた。普段は家の近い幼馴染と一緒に帰るのだが、今日は用事があるから先に帰ってとのことで、道春は1人で家に向かって歩いているのだ。


 「たまには一人で帰るのもいいな」


 そろそろ日の入りを迎えようとしている4月の空の下、やわらかい風に背中を押されつつ歩く道春は、そんなことをつぶやきながらある種の開放感を感じていた。いつもは活発な幼馴染がそばにいて、慌ただしい日常を送っていたせいか、今のようにゆっくりと時間が流れる状況が妙に目新しく感じる。幼馴染とは小中高と同じ学校に通っている腐れ縁だ。特に中学時代は、席替えでいつも隣の席になるという悪友ぶりを見せていた。


 「まあ、3日も続けば寂しくなるんだろうけどな」


 そんなことをつぶやきつつ、道春は曲がり角に差し掛かる。この曲がり角を曲がったらもう自宅が目に入るような位置だ。高校が徒歩30分と言うこともあって、毎日のように高校まで歩いている道春にとっては随分歩きなれた道で、考え事をしながらでも自然と家に足が向かう。


 「っつ!」


 曲がり角を曲がった道春が目は何か大きな白いものが落ちているのを見つけた。


 「なんだ、あれは?」


 その白いものをよくよく見てみると、大きさは子供くらいだろうか。白いシーツのような服を着た人間であることが分かった。腰ほどまである髪の毛が真っ白なせいか、服も相まって大きな白いものに見えたのだろう。要するに、


 「子供が倒れている」


 ――自宅の前に白い少女が倒れていたのだ。その少女は12歳程度だろうか。長く伸ばした白い髪を地面に散らばせながら仰向けになっている。道春からは血の跡や外傷などは見当たらない。


 「大丈夫か?」


 道春は倒れている少女に走り寄り安否を確認する。少女の肩をたたいて声をかけてみるも、反応がない。胸が上下に動いており、死んではいないようだが、意識は失っているようだ。


 「いったん家に運び込むか……」


 人が倒れている場面に出くわして、どう対応すればいいのかとっさには判断できない道春は、今後の対応を親に聞こうと少女を持ちあげる。――その行為は、倒れている人を見て取り乱さずに大人を頼るという点では上出来だったが、倒れている人を無理に持ち上げて、頭部を揺らして刺激を与えてしまった点ではまだまだだと言えるだろう。

 持ち上げられた衝撃で意識が戻ったのだろうか。白髪の少女は道春の腕の中で薄く目を開くと、


 「あなたにしよう」


 と、小さな声で囁くようにつぶやいた。そしてその声が道春に届いた瞬間、少女と入れ替わるかのように道春は意識を失った。



 +++++



 4月27日の道春の目覚めは最悪だった。


 「あれ? いつの間に寝てたんだ?」


 目を開けた瞬間に道春は軽い頭痛を感じたものの、いつまでもベットに横になっているわけにもいかないだろうと、覚悟を決めてベットから上体を起こす。


 「昨日は久しぶりに一人で帰って、それから……」


 頭に手を当てて昨日の記憶をたどるが、放課後から先の記憶が思い出せない。記憶がだるま落としのように抜け落ちていて、まるで見たはずの夢を思い出せないかのような感覚だ。一時的なものかは分からないが、記憶を失っていることについて道春は大きなショックを受けた。

記憶を失うという、普通に生活していたらあり得ないような事態にショックを受けるよりも、記憶を失った原因すらも覚えていない事により多くの衝撃を受けたのだ。


 「もう痴呆になったのかもしれないな……」


 記憶を失う原因について考えた結果、道春は自分の脳内年齢がいつの間にか圧倒的成長を迎えていた可能性に行きつき、頭を抱えて絶望する。


 ――ピピッピピッ


 苦悩の中、目覚まし時計のなる音で、道春は現実に突き戻される。

 道春は普段、一度の目覚ましで起きられなかった時のことを考えて、目覚ましを常に2つセットしている。1度目アラームには、目覚まし音に最近道春の中でマイブームになっている曲をセットしていたはずだ。ということは、音から察するにこの目覚ましは1度目のアラームではなく、どうしても起きることが出来なかった時のための最後の砦としてセットしたもののようだ。


 「やばいっ!」


 時間がないことに気付いた道春は急いで服を着替えると、部屋を飛び出す。いくら道春の家が高校の徒歩圏内だとしても、家を出発する時間が遅すぎると始業のチャイムには間に合わないことがある。いつもの道春の登校にかかる時間を考えると、家を出るまでの残り時間はあと約10分と行った所か。どうやら朝ごはんをゆっくり食べている時間はなさそうだ。

 道春は頭の中でそう計算しつつ、階段を駆け下り、リビングになだれこむ。


 「ごめん、今日は朝ごはんいら……ない?」


 思わず語尾が疑問形になる。しかしそれも無理はない。リビングの扉を開けた道春の目に飛び込んできたのは、うっすらと見覚えのある白い髪をもつ、少女の小柄な体だったのだ。少女は道春がいつも座っている席に腰かけて、白いご飯に焼きのり、冷ややっこという松田家定番の朝ごはんを食べていた。仮に道春が大がかりな血族ドッキリを仕掛けられていないとすれば、道春に妹はいないはずだ。では、おいしそうに白米を食べているこの少女は一体どこの誰なのだろうか?


 「え? ……あっ!」


 見覚えのない少女の登場に困惑していた道春に、走馬燈とも表現できるような勢いで昨日の記憶が洪水のようによみがえってくる。1人で帰宅している途中に自宅の前に倒れていた少女を発見したこと。少女を助け起こした瞬間に意識を失ったこと。そして、意識を失う間際聞いた、「あなたにしよう」という言葉。それらすべてを思い出した。


 「なんでお前がうちで朝ごはんを食べているんだ!?」


 混乱のあまり叫んだ道春を、リビングで少女と一緒に朝ごはんを食べていた父親が、うるさそうに対応する。


 「朝からどうした? もう少し静かにだな……」

 「いやいや、父さん。なんでこいつがうちで朝ごはんを食べてるんだよ?」


 少女がいることをまるで当たり前のように受け入れている父親に向けて、道春は混乱しつつも質問する。しかし、道春の問いに対する父親の答えは、道春にとってあまりにも予想外のものだった。


 「何がおかしいんだ?」


 父親はそう言って、いぶかしげな顔を向けてくる。その様子を見る限り、少女がこの家にいることに何の疑問も持っていないようだった。

 助けを求めるように母親の方を見ても、どうやら同じ意見のようで、道春に怪訝な視線を送ってくるだけだった。道春は両親の視線に耐えきれず、まだ食事を続けていた少女の手を引いて無理やり立ち上がらせる。


 「ちょっとこっち来い」


 そう言って、とりあえず少女をリビングから自室まで連れて行く。少女は以外にも何の抵抗もなく、素直に道春に手を引かれて部屋までついて来る。


 「なんでうちにいるんだ?」


 自分の部屋に着くなり、道春は質問する。道端に倒れていた事よりも先に、松田家にいることを聞くのはそれだけ家を大切にしているからなのだろう。

 その質問を受けて白い髪の少女は元気そうに口を開く。


 「私は今日からここに住むことにしたの」


 質問の答えとしては大分ずれている。道春としてはその理由が知りたかったのだが……。


 (それにしても、「住むことにした」か)


 その表現からすると、帰る家がないのだろうか、と道春は考える。この謎めいた少女、おかしなところはいろいろあるが、その中でも特に目立つのは道春の親の対応である。


 「うちの親もよく許したよな。こんな小さな女の子を預かるなんて」


道春の親は堅物とは言わないまでも、一定の常識は持ち合わせている。道春に相談なしに少女を預かるかなど決めることなんてないだろう。それに、仮に両親が勝手に決めたとしても事後承諾すら無いと言うのはおかしい。そんな道春の常識的な思考は、すぐに少女の非常識な答えで寸断させられる。


 「私は『周囲に溶け込む能力』を持っているから」


 10分後、「周囲に溶け込む能力」とはなんなのだろうか。そんな超能力めいたものが存在するわけないだろう。そんなことを考えながら、道春は学校への道をひたすらに走っていた。

 道春はもっといろいろな事を少女から聞き出したかったが、タイムアップ――登校しないといけない時間になってしまったため、急いで家を出てこうして学校に向かって走っているのだ。


 「帰ったら絶対問い詰めてやる……」


 決意を胸に道春は道を急ぐ。別に高校で皆勤賞を目指しているわけでもなく、誰と約束があるわけでもない。しかし、なぜ道春が少女への質問を止めてまで始業のチャイムに間に合おうとしているのかというと、


 「一度決めたことだしなあ」


 休みがちだった中学時代から高校に上がるとき自分に課したルール。それを今も几帳面に守っているのだ。高校に入って1ヶ月で破るわけにもいかないという思いがあったのも確かだが、これすらも守れないようでは駄目だという思いが強い。

 例え家に見覚えのない少女がいたからと言って、学校に遅刻するわけにはいかないという考えは、考えるまでもなく行き過ぎだった。そんなずれた考えを持った道春は、そうと気付くことなく学校に向かってひたすら走るのだった。


 道春が学校に着いたのは始業のチャイムがなる2分前だった。息を整えながら、チャイムまでに間に合った達成感を味わう。


 「おう、遅かったじゃねえか」


 席に着くなり、前の席に座っている和広が話しかけてくる。和広は短めの髪に力強そうな体はいかにも運動系という印象を受ける道春のクラスメイトで、高校入学以来の付き合いだが、思いのほか気が合って、よく一緒に遊んでいる仲だ。もうすぐ来るゴールデンウィークでも時間を見つけて遊ぼうと計画している。いつも道春は和広よりも先に学校についているのに、今日に限っていなかったのが気になったのだろう。


 「朝起きたら見知らぬ女の子が食卓で朝飯を食べていたんだ」


 信じないだろうけど、一応正直に言ってみようと思い、道春は事実を端的に話す。少女が昨日家の前で倒れていたことや、部屋で話した内容などを横着して話さないのは道春の欠点とも言えるだろう。


 「ははは、面白いこと言うな」


 帰ってきた和広の反応は、愉快そうに笑うという案の定なものだった。半身でこちらを向く和広の横顔を見ても、本気に受け取ってないのは道春にもよく分かる。確かにほいほいと道春の言うことを信じているようでは、道春も注意するつもりではあったが。

 友人が信じていないことに逆に安堵した道春に別の方向から声がかかる。


 「それで、その女の子はどうしたの?」


 左隣から聞こえたその声に振り向くと、和広と同じく高校からの付き合いである保坂美紅と目が合う。あまり表情を顔に出さない美紅はその落ち着いた声が評判で、美紅が持っている独特の雰囲気のおかげだろうか、会話をしていると自然と気持ちを落ち着かせてくれる。美紅とは、席が隣と言うこともあり、ちょくちょく世間話をしてる。


 「ああ、保坂か。いや、それが色々聞きたかったんだけど、登校しないといけない時間になっちゃったから」


 学校を遅刻するわけにもいかないしな、と付け加える。


 「はー、皆勤賞を狙っているのか知らないけど、その心意気はすごいな」


 和広は腕を組みながら感心したかのように言う。確かに、普通は仮に見知らぬ少女が家にいたとしたら、学校の遅刻など考えずにその少女にいろいろと質問したくなるだろう。いくら学校を遅刻しないと決めていたとはいえ、その初志貫徹ぶりは道春自身はそう思っていないが、客観的に見て十分異様に映っていた。


 「そういえば弓香はまだ来てないのか?」


 道春は周りを見渡しながらこの場にいない幼馴染の名を呼ぶ。時計を見るともういつ先生が来て出席を取り始めてもおかしくない時間だ。


 「あいつが遅刻するのはいつものことじゃないか」

 「確かにその通りだけど、出席日数とか大丈夫なのかな?」


 頻繁に遅刻している姿を見ると、さすがに心配になってくる。確か、遅行2回で欠席1回扱いだったような気がするが……。


 「大丈夫」


 安心させるためだろうか、美紅は道春の顔を見ながら言う。


 「彼女が遅刻するときに限って、いつも先生は出席を取っていないから」

 (彼女……か)


 道春は入学してから半月ほどで気づいたが、美紅は他人を呼ぶとき、決してその名前を口にしないのだ。人称呼びとでもいうのか、どんな場合においてもその場にいない人は彼、彼女。近くにいる人ならあなたと呼ぶのだ。美紅と知り合ってまだあまりたっていないが、道春は美紅が他人の名前を呼んでいる場面を見たことがない。美紅に他人の名前を呼ばせるのを、道春は前々からひそかに狙っている。

 それはそうと、美紅の発言の内容である。『彼女』とは、今話題に上がっている道春の幼馴染の竹内弓香のことを指しているのだろう。


 「先生が出席を取っていない? 毎回か?」


 道春は驚いて声を上げる。


 「そう。偶然かもしれないけど、異常な確率」

 「おいおいまじかよ。あいつ運いいなあ」


 もし美紅の言っていることが本当なら、運がいいなんてレベルじゃない。出席確認は先生の仕事の一つのはずだ。基本的に毎日行わなければならないものだろうことは、生徒の道春でも容易に想像がつく。それを遅刻したときに限って回避しているなんて、普通では考えられない確率だと言っていいだろう。

 道春がそう考えている間に先生が前の扉から教室に入ってくる。とっさに弓香の席を確認するが、弓香はまだ来ていないようだ。


 「……どうなる?」


 先生が出席簿を取り出して出席確認をするか、それとも忘れて連絡事項を話し始めるか。美紅の話が本当なら、弓香がいない以上、今日は出席確認を忘れるはずだ。

 先生の手元に集中する道春。その手が薄い茶色をしている出席簿をつかみ、ゆっくりと広げる。どうやら今日もちゃんと出席を取るらしい。


 「なんだ、保坂の勘違いか」


 なぜかほっとしながら道春は美紅の方を向く。すると、美紅は小さく首を振り小さく口を開く。


 「まだ」


 つぶやくように言う美紅に怪訝そうな顔をする道春。弓香がいない状態で先生が出席を取り始めているこの状況で何を言っているのだろうか。


 「保坂さんはいないようですね」


 先生の声が聞こえる。

 道春が美紅に「ほら、遅刻したのに出席を取っているじゃないか」と言おうとした瞬間、


 ――ガラッ


 教室の扉が開く音が響く。その音にクラスメイトが一斉に扉の方を見る気配を感じながら、道春はまさかと思い、戦慄する。道春はゆっくりと振り返り、教室の扉に目を向ける。すると、目に映ったのは、走ってきたのだろう、肩で息をしている女子生徒の姿。見慣れた栗色のショートヘアーと、左手にいつもつけているトレードマークの青色のリストバンド。


 「ぎりぎりセーフ……ですよね」


 そう言いながら入ってきたのは、小学校からの付き合いである道春の幼馴染――竹内弓香だった。

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