部活の先輩の、三つ編み眼鏡の美少女さんが、ネットスラングに興味を持ちすぎてツライ

雲居 残月

ネットスラング編1

第1話「やらないか」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中学の文芸部には、有象無象の変人たちが集まっている。運動部に所属するのは嫌だとか、文化系にしても、ちゃんとした活動がある場所は嫌だとか、そんなわがままだけど、誰かと繋がっていたいという、寂しがり屋の面々が集まっている掃き溜めだ。

 三年生が三人、二年生が三人。一年生が一人。僕の所属している文芸部は、そういった構成だ。そんな部活に常駐している僕、榊祐介は二年生である。文芸部では、ちょうど真ん中の学年で、中堅どころ。そして厨二病まっさかりのお年頃。部室でやっていることといえば、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 いや、だってねえ。文芸部でしょう。言葉の勉強をすることは大切ですよ。これは立派な部活動です。僕はそういった言い訳をしながら、今日もパソコンで、ディープでエッジなサイトを巡回して、情報感度を高めている。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえてきて、僕は振り向いた。文芸部の先輩の三年生、雪村楓さんだ。眼鏡で三つ編み。見た感じのままの文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ってきたという純粋培養の美少女さんだ。


「何ですか先輩?」


 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の執筆活動のために、それが必要だったからだ。でも、それがよくなかった。先輩は、ノートパソコンをネットに繋いだ。最初は、辞書をオンラインで引くためだった。それがいつしか、ネットからの情報摂取に変わっていった。そのせいで、ネット初心者の楓先輩は、ネットの罠にずぶずぶとはまりつつあるのだ。


「ねえ、サカキくん。よく分からない言葉があるの。文脈的に上手く繋がらないの。サカキくんは、ネットに詳しいでしょう?」

「ええ、マエストロですから」

「だから、教えて欲しいの。どういった意味で、どう使うのかを」

「どんな言葉なんですか?」

「やらないか?」


 先輩は、僕の横にちょこんと座り、上目づかいで僕を見上げる。

 ちょ、ちょっと待ってくださいよ。顔が近すぎますよ。それに、上から見下ろすと、服の隙間から、わずかばかり白い肌が、そして胸のふくらみが見えるような、見えないような。そして、「やらないか?」の台詞。

 僕は、自分の顔が赤くなるのが分かる。そんな僕を、怪訝そうな顔で見上げながら、先輩はセーラー服の体を、僕に寄せてくる。


「どうしたのサカキくん?」


 先輩は、悪魔か、小悪魔か。知っていてやっているのか、天然なのか。

 先輩は、きょとんとした顔で、僕のことをじっと見ている。ああ、どう答えるべきか。僕は、可憐で純真な先輩の知的欲求を満たすために、ヤマジュンの「くそみそテクニック」について語らなければならないのか。

 僕は想像する。僕が先輩に、その説明をしたあとの光景を。先輩は顔を赤らめて、マンガのように口を波型にして、眼鏡の奥の目を恥ずかしそうに潤ませる。そして、僕に小さな声で言うのだ。「サカキくんって、エッチね」駄目だ。妄想が暴走する。


「あの、先輩。その言葉はですね」


 僕は先輩の従順な後輩だ。彼女の知的欲求を満たすためには、この身を差し出して、辱めを受けなければならない。


「世の中にはですね。性的嗜好を満たすためのマンガがあるのです。それは、男性の精神を、性的に刺激するための、絵と物語で構成されているものです。そういった、特殊で地下的なマンガの中に、一つの分野がありまして、それは男性同士の性的指向を持つ人を対象とした、娯楽作品なわけです。

 その男性同士向け娯楽作品を提供している作家の中に、山川純一という方がいます。彼が世に送り出した作品の中で、世上で評判を獲得した『くそみそテクニック』という伝説的なものがあります。『やらないか?』というのは、その登場人物である阿部高和という男性が、道下正樹という男性に発した台詞なのです」


 先輩はきょとんとした顔になる。駄目だ。この説明では、先輩の知的好奇心は満たせない。純真無垢な視線が僕に注がれる。先輩は、僕にもっと奉仕せよと要求している。これは苦難の道なのか。


「ねえ、サカキくん。もっと具体的に言ってちょうだい。私、ネットについては、まだまだ初心者だから」


 えへへといった表情をして、先輩は、自分の頭に手を当てて微笑む。天使の笑顔だ。その場に、光が溢れるのが分かる。いいでしょう。覚悟を決めましょう。僕は先輩の忠実な下僕です。ここは恥を忍んで、解説をいたしましょう。


「ホモ同士のエロマンガで、男性が男性を誘う台詞です。つまり、先輩は僕に向かって、エッチなことをしたいと、発言したわけです」


 先輩は、僕の言葉を咀嚼する。その意味が染み渡るように、心に広がったあと、ぼんっと爆発するようにして顔を赤く染めた。ようやく僕の台詞が飲み込めたのだ。そして、自分が使った言葉が、どういったものか理解したのだ。


「サ、サカキくん……」

「はい、先輩!」


 僕は、少女マンガも真っ青な、イケメン紳士の爽やかな笑みを浮かべる。


「……サカキくんって、エッチね」


 先輩は、顔を真っ赤に染めたまま、恥じらいの表情でもじもじと告げる。僕は一瞬、「ありがとうございます!」と、口に出して言いそうになった。先輩の罵りの言葉はご褒美です。僕は、先輩の忠実な犬です。そんな僕には、至福の報酬です。

 先輩は、少しばかり僕を見つめたあと、手を胸元に寄せて、体を少し離した。


「ねえ、サカキくん。さっきの言葉は取り消しね」

「どの言葉ですか?」

「あの…‥」

「はっきりと、具体的に言ってください。僕たちは、言葉を駆使する文芸部ですよ!」

「……やらないか」


 先輩は、恥ずかしそうに立ち上がり、ととととと、と走って、他の先輩のところに逃げていった。ああ、今日の僕の部活動は充実していた。先輩のためにも、もっとネットスラングを予習しておかなければならない。先輩が、ちらちらと視線を送ってくる中、僕はパソコンのモニターに向かい、今日も優雅に、ネットの海へとダイブしていった。

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