逃亡見聞録

@kinako0512

第1話


例えるなら。捨てられた町と呼ぶのがふさわしい。

 止まった時計台。髪の毛のようにだらりとぶら下がる電線、古びた建物。吹いてくる風は冷たく、さびた鉄骨をぎいぎいと唸らせた。塵と煙が漂っていて、太陽の光は濁ったまま。積もった雪すらすぐに灰と混ざり黒く染まった。

 流れる水もどろりとしていて飲めるものではなかった。

ひどく息がし辛くて、広くて狭い空を見上げては思った。

どうやってここまで生きてこられたのだろう。この空の下で、この空気を吸い、ここの物を食べて、生きていけるなんてできるのだろうか、と。

 第七研究所。

 この捨てられた町にできた、ドーム状の建物。ゴミの中にあるキラリと光る銀色のそれは、その町の人々の目に映らない日はなかった。

 軍事国家ヘミスフィアが誇る生命科学施設として大々的に建てられたそれは、さびれた町に違和感を漂わせたが、くしくも雇用制度として機能したさらに。研究所の隣に建てられた発電所も、主に研究所の電力とされたが、人々の生活を豊かにしたのは言うまでもない。

 軍事国家の恩恵を受け、町の生活はわずかながらに改善された。

 それもつかの間の出来事だった。

 軍人が、町を占拠し始めた。

 迷彩柄の服に身を包み、真っ黒な帽子を被り、町を闊歩する彼らを、住人はいいようには見なかった。彼らはあくまで研究所の警備としてやってきたにすぎなかった。町の治安や生活の改善のためではない。人として住む町ではなくなったのだ。

 軍人が町へやって来て数か月経った頃、事件が起きた。降雪を思わせる、厚い雲に覆われた日である。

草一つ生えない広場で、空気がなく張りのないボールを蹴って遊ぶ子どもたち。適当に見繕った上着を着て、顔は泥にまみれている。ゴミ捨て場という、子どもたちにとっては玩具の宝庫であるところから、拝借してきたボール。寒空の下で彼らができることは暖かい部屋でじっとしているのではなく、外に出て遊ぶことだった。捨てられた町でも子どもがすることは変わらないのだ。

一人の子どもが強く蹴りすぎてボールは敷地の外へ出てしまった。てんてん、と灰色の道路に転がり落ちる。道路では丁度、軍服を着た若者数名がたばこで一服していた。ボールは彼らの輪の中へと進んでいったのだ。

ボールを取りに行ったはずの子どもはなかなか戻って来ない。ボールが溝にでもはまって取れなくなったのか、と仲間は帰りの遅くしびれを切らした。広場を抜け、整備されてもいないでこぼこの道路の真ん前に、ボールを持った子どもがいた。

なんだ、ボールあるじゃん、と仲間は子どもの名を呼ぶ。

その声は、身を裂くような叫び声にかき消された。

軍人が発砲。灰色の空に数発の銃声が響いた。七名の幼い命が奪われたのである。

子どもたちは孤児であった。それ故に軍人も咎められず、住人の非難の声も少なく、大事件にまでは発展しなかったのである。だから事件が起きたと言えば少し語弊に思える。

孤児の遺体は一人の軍人によって埋葬された。

彼は町にやってきたばかりで、軍服を着始めて間もない若い軍人であった。

名前も知らぬ子どもの死体を埋め、適当に見繕った石を置いた。廃墟に捨てられたシャベルにもたれて、白い息を吐いた。名前も知らない子どもたちだ。刻むべきことなど分からない。

横一列に並んだ、墓石を見て、滴る汗をぬぐった。

彼は、子どもたちに発砲した軍人の、友人であった。

それももう、二十年以上も前のことである。



地震かと思った。けれどそれにしてはあまりに短く、爆発音に近いものがした。

ドン、と揺れた衝撃で窓がガタリと鳴り、電球がからんと音を立てる。

咄嗟に上着を羽織って外へ出た。冷たいはずの夜風が妙に生ぬるく、異臭を運んできた。


 真っ赤な炎。


 空襲か、とロゼは疑い空を見上げるが、立ち込める煙でそれも見えるはずもない。

 敵が侵入して爆発を起こした可能性だってある。幸い寝巻ではないし、手入れをしていた銃も何丁か身に着けていた。もし敵が侵入していたのならもうその現場にはいないだろうが、立ち止まっているよりましだろう。

 火の元から飛び出して灰を被り、黒ずみをつけた人、人、人。火のまわりが速い上に夜中の爆発。要塞に囲まれ、敵の侵入はおろか難攻不落とされたこの避難所として作られたこの町で、のうのうと避難民は暮らしてきたのだ。パニックになって当然だ。しかもここは兵士がわずかしかいないため、すぐには対処できない。

 逃げ惑う人を掻き分け、ロゼは一目散に走った。まるで逃げるように。

 パラパラと燃え尽きた灰が舞う中、バキバキと破壊音を立てて食らいつく炎がそこにあった。立ち並ぶ木々も火柱と化してしまっている。

 このままでは町に火が移ってしまう。

「ロゼ!」

「敵襲か?」

「いや、違う」

すれ違った金髪の男、セタンダが引きとめた。

途端、また噴火のような爆発音が襲った。風圧と熱と灰―――――。それがまた唸りを上げて辺りをはびこる。

ロゼは爆発された建物を凝視した。爆発する前ならドーム状の施設が大・中・小ときれいに並んでいるはずなのだ。それが三つとも火にのまれているではないか。

「研究所が爆発しやがった。すぐに避難しねぇとまずいぞ。発電所に引火するかも」

「消防隊は? 来ているのか!」

 ごうごうと燃え盛る炎が二人の顔を強く照らす。皮膚が痛い。

「そんなこと言っている場合じゃない! いいから来い!」

強く引っ張るセタンダは異常と言っていいほど焦っている。剣豪と恐れられた男が聞いて呆れる。

 研究所の下。泣き叫ぶ住民を追い越し、並び続く廃墟の中へぐいぐいとセタンダは連れて行く。燃え盛る火の波からどんどんと遠ざかる。


「おい! どこへ行くんだ。そっちは何も」


セタンダは足を止め、握ったロゼの手を払いきびすを返した。夕日に照らされたような彼の表情は、苦虫をつぶしたようなものだった。いや、痛みに耐えているようだ。

 何も分からぬまま、ロゼは足元へ目をやった。

 そして、息が詰まるような光景を目の当たりにした。

 わずかに飛ぶ火の粉と煙の中、ロゼの中にわずかな静寂が訪れた。

叫び声も、火の燃える音も遠くへ追いやられた。瞬きも忘れ、目の前のそれから目が離せなかった。わずかに息を吸い、絞り出した声はひどく震えている。


「――――シャルル?」


ロゼは友人の名を呼んだ。曇り空の色の髪が炎の光で明るく照らされている。いつもの清潔な白衣は腹部を中心にべっとりと血で染まっていた。

 見慣れたはずの血の色なのに、ロゼは震えが止まらない。

 シャルルの口元からは血が流れている。皮肉なことに、腹部の出血からもう助からないことがロゼにはわかってしまった。


 この子を。


 うつろな目で、消えそうな声でシャルルはロゼに告げる。

 シャルルの傍らにある布に包まれた小さなもの。規則正しく膨らむそれは、赤ん坊だった。ロゼはそれをまるで壊れやすいガラスを扱うように、優しくそっと、慣れない手つきで抱きかかえた。

 雲のように白いふわふわとしたまだ少ない髪。甘いにおい。

 すやすやと気持ちよさそうに眠っている。ただの赤ん坊にしては随分と上品な顔つきだった。天使では、と疑ったほど真っ白だ。暫時、見ほれていたロゼは再びシャルルに目を戻した。

「その子は、フィンだ。………俺がつけた」

 何故か誇らしげに笑うシャルル。困惑するロゼには理解できない。抱いたことすらない小さな命を目の前に、ロゼははっと息を呑んだ。

 この赤ん坊のせいでシャルルは命の危険に晒されたのでは、と脳裏をよぎったのだ。

「………頼、む。逃げ、ろ」

 死に慣れすぎたロゼは、死への絶望を忘れていたかと思った。

 けれど全身の力が抜けて、周囲の叫び声すら飛んでいく。聞こえるのは自分の心臓の鼓動が速くなる音だけ。武者震いではない、純粋な震え。

 シャルルは鮮血を流す口元で、笑みを浮かべて、それこそ幸せそうに友人である二人の名を呼んだ。空虚を見つめるその瞳は、ゆっくりと生気を失っていった。

 崩れ落ちるロゼの後ろで、セタンダは壁にもたれ頭を押さえていた。わずかに震える彼からは、小さな嗚咽と、友人の名が聞こえる。


――――逃げろ。フィンを連れて。


この日から、友の言葉で始まった。国を捨て、振り返ることなく走り続けた真っ赤な夜。

 黒く空にあがる煙だけが見送る。

三人は長く続く国道を下っていった。



それはどこまでも果てしなく、長い道のりになるとも知らずに。




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