第19話 這い寄る混沌の底で
俺は夢を見ていた。
ナミハナが俺を待っていて、俺がナミハナの所に戻る夢。
都合の良い夢。
「君は何故、自分を犠牲にするような真似をしたんだい?」
結局、俺はそんな言葉で眼を覚ました。
そして、信じられないものを俺は見る。
「父さん!?」
真っ白な空間の中央に死んだ筈の父が其処に居た。
後ろで束ねた長髪、物憂げで切れ長の瞳、間違いない。
間違いない。俺の親父だ。
ああ、これこそが夢なのか? 俺は今、彼岸と此岸の境に居るとでも言うのか?
なんだって良い。いなくなってしまった筈の父さんが居る。探せばマロンだって居るかもしれない。だとしたらそれはなんて素敵な……
「答えてくれ、佐助。僕は腹立たしいんだ」
浮ついた気持ちは一瞬で吹き飛ぶ。
俺を見る親父の目は悲しげだった。
「佐助、君の父親は君に自分を犠牲にするなと教えた筈だ」
「…………」
恥ずかしくて何も言えなかった。
ここがもし彼岸だというならば、親の言うことに背いた上で何も為さずに死んだ俺はとんだ不孝者だ。
そんな俺に何を言えば良いと言うのだろうか?
「ごめん、父さん」
結局、絞り出せた言葉はそれだけだった。
「……君にしか解決できない事態が有ったとして、それは君が自己を犠牲にしてまで事態を解決する理由にはならない。何故僕はそう言うと思う? 思いつく限りの可能性を並べてみてくれ」
「当然ながら父さんは心配する。しかも今後も同様の事態が起きる可能性が有り、ここで
「じゃあ何故、君はそんな真似をした?」
「できると思ったんだ。皆を助けて俺も無事に帰る。そんな夢みたいな都合の良い出来事が起こせるって思ってしまったんだ。できれば俺以外の人々も助けたいだろ?」
「……そうか、それが、その結果が尊いと……君は思うのか」
「……? 何を言っているんだ父さん。当たり前だよ。皆助かるっていうならそれが良いに決まっている……」
「そうか。いや良い。そういうのも人間の価値観なんだろう。そして君の父親が君を人間らしく教育していたのかと当惑していただけだ。ああ、僕には、私には、人間というものが分からないようだ」
「お前……誰だ!?」
「失礼、名乗っていなかったね」
男の顔面から親父の顔がマスクか何かのようにペロリと剥がれた。
剥がれた後に有るのは漆黒に染まった虚空。
俺の目の前に居たのは人間の顔に当たる部分がそっくりそのまま存在しない男だった。
「私の名はニャルラトホテプ。君には私が父親に見えていたのか? 」
無貌の男。
漆黒の男。
俺が知る限りそんな姿をする存在はただ一柱だ。
すなわち、邪神ニャルラトホテプ。
ニャルラトホテプであるならば、俺の行動に文句の一つでも言ってきてもおかしくない。
なにせ任務を投げ出して今現在死にかけているんだから。
「お前はそういう姿で現れるのか。一体何の化身だ? 俺の知識には無い」
「ニャルラトホテプという邪神を知っているかい?」
「ただ一つの神格であるにも関わらず自我を無限に拡張することで唯一性を得た存在だと認識している。それが不幸だったか幸福だったかは別として」
「多様性故の唯一性か。なかなか言葉遊びが効いている。しかも的確だ。その答えの褒美に教えようじゃないか。私は器だ。全てのニャルラトホテプによる総意の器だよ」
目の前の化身は再び父の顔に戻って俺に語りかける。
まるで何時か見たアニメのようなセリフを、空っぽな瞳のままで。
「何故会いに来たんだ。俺が契約相手として問題有り、とでもみなしたのか」
「いいや、その逆だ。君は我々ニャルラトホテプの意思を代行するに足る力を持っている。だからこそその身を大切にして欲しいと忠告しに来た」
「力?」
「君のその瞳だ。君の瞳は正しき星辰を捉える力を持つ魔眼なのだよ」
「魔眼?」
「ミ=ゴが君を標本にしたのはその魔眼が目当てさ」
「そんな!? じゃあ父さんが殺されたのは俺の……」
「それについては気に病むな。もはや過ぎたことだ。過ぎたことについて思い悩むのは非合理的というものだよ。それよりも君は君の持つ瞳について知る必要がある」
「人の親父の――――」
プツリ、と俺の堪忍袋の緒が切れた。
今までは自分がか弱い人間の立場だから黙っていた。
しかし親父の顔でここまで好き勝手言われて我慢なんてできるわけがない。
「ふざけるなよ! 気に病むな、なんてお前に言われてたまるか! よりにもよって俺の父親の顔で出てきておいて何様のつもりだ!」
突如怒りを露わにした俺を見てニャルラトホテプは困惑し始める。
まるで人間みたいな表情だ。
親父の顔を使ってそんな表情をするな……!
「外見については申し訳無い。私はそういう性質の化身なのだ。相対する者が心から敬服する姿になって現れるのだよ」
「そんなこと分かってる! だから今まで黙っていたんだろうが! お前じゃ話にならん! チクタクマンを出せ!」
「……良いだろう。君の相手は彼に任せるのが最も合理的と言える」
「えっ、良いのか?」
「勿論、さらばだ佐助。君がこの蒼海に身を投じるというならばまた会うこともあるというものさ」
男は瞬く間に姿を消し、純白の空間に俺は取り残される。
「良かったのか……?」
怒ってしまった手前、帰って来いとも言えない。
しばらく待っていると空中に見慣れたケイオスハウルの姿が現れて俺の前にゆっくりと着地する。
「チクタクマン!」
ケイオスハウルのカメラアイが赤く輝いて、スピーカーから聞き覚えの有る声が流れ始めた。
「ただいま、サスケ」
「チクタクマン! 何処に居たんだよ!」
帰ってきてくれたのか!
心配させやがって!
「私やアトゥも無茶をしすぎてしまった。だからサスケ、君の中でずっと眠っていたのさ」
「ここはどこなんだ?」
「存在と無の地平……とでも言おうか。我々邪神と呼ばれる存在の居た世界と君達の居る世界の間に有る空間さ。君は今、精神だけがここを訪れている」
ああ、やっぱり夢みたいなものではあるのか。
死にかけて精神だけを引き剥がされて連れてこられている訳だ。
「成る程な……まあ大体把握した。さっき俺に会いに来てたニャルラトホテプ代表みたいな化身を知っているか?」
「さあ? 我々の化身はあまりに多すぎるからね」
「そうか……」
チクタクマンですら知らない化身か。
そういう存在が居てもおかしいとは思わない。
なにせ千の貌を持つ道化師だ。
そんな面倒なことよりも、俺の眼についてだ。
自分の能力について知ることの方が俺にとっては重要なことだ。
「ところでさっき聞いた魔眼の話ってどういうことなんだ? 説明してくれよ」
「オーケー! 私達のような神格は空を巡る星の力を用いて魔術を行使する。だからより正確に星々の息吹を感じ取り、邪神に伝えることのできるパートナーが居れば、邪神は自らの力を更に高めることができるんだ。テレビや携帯電話につくアンテナみたいなものさ」
「エネルギーの受信機ってことか……」
「今のサスケの眼は私の作った機械の瞳だが、もしも君が望むならば君が生来持っていた瞳を返しても良い。そちらの方がより強く星辰を認識できるだろうからね」
それは別に要らない。
この機械の体は限りなく人間に近くて、その癖に便利だ。
子供は作れないから何時か生身の身体を返してもらうつもりではあるが、今すぐ眼だけ戻してもらっても仕方がない。
俺、この戦いが終わったらこの世界で普通に家庭を持って普通に働いて寿命で死ぬんだ……。
「義眼でも見えるものなのか?」
「勿論さ。魔眼の本体は脳にある。本来ならば人間には処理できない情報を処理する脳こそが魔眼と呼ばれる能力の真髄だ。故に義眼であっても、機械のカメラであっても、星々からの魔力を感知する機能さえ有るならば後は勝手に脳が処理してくれる」
「えっと……あれか。人間の視界も厳密に眼が見ているものを反映している訳ではなく、脳によって受け取りやすいように加工されているって話か」
「ザッツライト、君の場合は星辰を捉えられるように加工できる神経回路が脳内に形成されているって訳だ」
成る程、納得はできた。
だが少し怖い。
自分がどんどん人間ではなくなっていくような気がする。
「…………」
「怖いかね?」
「馬鹿言うな」
ケイオスハウル、いいやその中に居るチクタクマンは強がる俺を見て優しく微笑む。
ケイオスハウルの二つのカメラアイが優しく垂れ下がっていた。
「サスケ、君はクトゥグアの撃退という功績をあげたんだ。君を父やマロンの居る世界へ戻し、あの夜の惨劇を無かったことにしても良い。本当に、心からね。他の化身もクトゥグアの撃退ともなれば許してくれるだろう」
「チクタクマン、お前な……」
帰りたい。
でも帰れない。
ここで帰ってしまったら、残された大切な人達はどうなるんだ?
大切な人々を残して自分だけぬるま湯に漬かる日々に幸せも安息もありえない。
だから俺は首を横に振る。
マロンに会いたい。父さんにも、幼馴染の姉ちゃんにも会いたい。
好きじゃないけどクラスの連中の顔も今じゃ懐かしい。
帰りたい。
でも帰れない。
「ああ、サスケ、君ならそう言うと思ったよ」
「勿論だよ。アズライトスフィアに居る人達を見捨てるなんてできない」
「そもそも君は異世界からの客人、彼らを救う義理なんて無い筈なのに……」
「義理は無いけど恩が有る、それで充分だろう?」
本当は今すぐにでも帰りたいと言いたかった。
だけど、俺に与えられた力でやれることがこの世界には沢山有る。
己の為すべきことを、為せる限りにおいて為せ。
父さんはそう言っていた。
そして俺の為すべきことはもう定まっている。
「そうか、そうかそうか。ニャルラトホテプとしては実に喜ばしい解答だよ。君を危険に晒すことは心苦しいが……」
「それにな――――」
「む?」
「お前達にも恩が有る。だから、それを返したと思えないかぎりはやっぱり帰れない」
「ふっ、ハハハハハハ! オーケーオーケー! もう充分に君の気持ちは分かった! サスケ、あの蒼海の只中へと帰ろう。そして……私と共に世界を変えるんだ」
「ありがとうチクタクマン」
俺とケイオスハウルは拳を合わせて握手する。
とはいえ俺のほうが小さいから、俺が小指を握っているだけなんだけど。
「さあ、眼を覚ましたまえサスケ。お姫様が涙で君の帰りを待っている」
「それは良くないな。女の子を泣かせるのは……親父に怒られちまう」
俺はケイオスハウルの中に乗り込んで、純白の空間に拳を振り下ろす。
ガラスのように空間が砕け散った次の瞬間、俺の身体はナミハナの城の中に有る自分のベッドに戻っていた。
「――――ああ」
試しに声を出してみる。
俺の喉だ。機械だけど、確かにこれも俺の身体。
腕はないけど、きっとまたチクタクマンが作ってくれる。
「――――ああ、そうか。俺は……」
薄く眼を開けてベッドサイドの様子を確認する。
ナミハナが泣きそうな顔でこっちを見ている。
「ああ……サスケ……!」
ゴリラ系女子でもこんな可愛い顔することがあるのか。
正直、すごく胸が騒ぐ。
でも俺が声をかけようとしたらナミハナはすぐに俺に背中を向けてしまう。
「……遅いですわ」
泣いているところを見られたくないのか?
まったく、困った奴だ。
でも、今日くらいはそんな我儘も気にしないでやろう。
何時もと変わらぬ一言を、俺は彼女に返すことにした。
「悪かった。以後善処する」
「馬鹿言わないで、お互い様よ」
「――――うぉっ!?」
ナミハナは笑顔で俺を抱きしめる。
「今度勝手に倒れてみなさい。ワタクシ、こんなものでは済ませませんからね!」
「ま、ま、まて……くるしい゛……」
「サスケのバカ! 馬鹿! 本当に! どうしようもないグズなんだからもう! ワタクシに勝ったまま居なくなるなんて許すと思って!? もう二度と無茶なさらないでね!」
「は、あ゛い……」
とてつもない腕力で肺が潰れそうだったけど、なんだか悪くは感じなかった。
むしろ、これだけで帰ってきた甲斐が有ったと確信できる。
ことの始まりは最悪だったけど、このドリームランドという場所自体は最高だ。
やっぱり、俺はこの世界を守りたい。
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絶望。
心酔。
学究。
芸術。
理由は異なれど今此処に集りし
我らが
次回第二十話「虚無の信奉者達」
邪神機譚、開幕!
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