第12話 魔導士は幼女を預けてダンジョンへ行く 後編~幻獣の正体~
灰色の石壁に囲まれた通路に、二人分の足音が鳴り響く。
「カヤ。これって、どこかに幻獣が出たってことよね?」
リコベルは、相棒である青髪の少女に震える声で話しかけた。
「……そう、なりますよね」
カヤは神妙な面持ちで、それを見つめる。
目の前には、地面から天井へとほとばしる赤い光の壁が存在し、彼女たちの行く手を阻んでいた。
「とにかく、他の冒険者と合流しましょう。ここの依頼を受けたのは、私たちだけじゃない筈です」
「……そうよね」
リコベルは、すぐそこにある上り階段を恨めしそうに睨んで、踵を返した。
勘だけを頼りに、薄暗い遺跡系ダンジョンの通路を歩いて行く。
ダンジョンとは、その地に残る太古の記憶が、土地の魔脈から発せられる魔力粒子(マナ)によって具現化したものだと言われている。
無機質なようでいて、どこか人の思想が反映されているようにも感じる不気味な場所だ。
夜間という事もあり、辺りにはひとけがない。
冒険者が居ないという事は、魔物が狩られていない危険エリアということ。
不意に、先を歩くリコベルの足が止まる。
通路の突き当りで待ち構えていたのは、リザードマンの群れだった。
五、六体は居るだろうか。
その姿は、二足歩行のでかい蜥蜴(とかげ)だ。その醜悪さから、しばしば魔女の失敗作と呼ばれる事がある。
彼らの武器は、鋭く尖った鋼のような爪と、鉄をも噛み砕く獰猛な牙だ。こちらを捕食対象と認識したのか、その爬虫類然とした黄色い目が細められた。
倒して突破するしかない。
「カヤっ!」
リコベルが名を呼ぶと、阿吽の呼吸で青髪の少女は魔力を練り上げた。
「ブリザードスパイクっ」
カヤがスキル魔法を詠唱すると、リザードマンたちの足元から、尖った氷の固まりが突き出した。
数体が串刺しになり、残りのリザードマンも大きく体制をくずす。
リコベルはその隙を逃さず、抜刀と同時に一息で距離を詰めた。
「焔式っ(ほむらしき)」
術式魔法により、炎を纏った剣閃が横一文字に走り、数瞬してリザードマンの群れは霧散した。
少女たちは、互いの立ち回りに賞賛の笑みを送り合う。
カヤのスキル魔法と、リコベルの術式魔法による見事な連携だった。
魔法というのは、大きく二つに分類される。
一つは、カヤが放ったような『スキル魔法』だ。これは、魔法名に魔力を乗せて詠唱するだけで発動できる、スタンダードな魔法である。
そしてもう一つが『術式魔法』と呼ばれるもので、属性、効果、範囲など、すべてを0から生み出さなくてはならない自身固有の魔法だ。
リコベルが使った『焔式』も、自分だけが使える術式魔法であり、その効果も多岐にわたる。
「よしっ。先を急ぐわよ」
「はいっ」
リザードマンを討伐し、曲がり角を行くと、広いフロアに冒険者と思しき者たちが、十人ほど集まっているのが見えた。
「リコさんっ」
「うんっ」
恐らく幻獣のことで集まっているのだろう。思ったよりたくさんの冒険者が居て良かった。リコベルたちは、少しほっとしながら近付いていく。
「ん? ゲハハ。おー、リコベルっ。生きてたか」
面々は、いつぞや麦のシッポ亭で絡んできた、ガラの悪い冒険者たちだった。
「あんたたちも生きて――」
そこまで言って、リコベルの視界には異様な光景が映った。
男たちの横には、大きな魔法陣が敷かれており、その上には気を失った女冒険者たちが寝かされている。
「なに……してるの?」
リコベルは一気に警戒を強め、一定の距離を保ったまま剣の柄に手をかける。
「ゲハハ。何って、見ての通りだぜ。俺たちは、女冒険者専門の奴隷商なんだ。お前らみてえな気の強い女は、西の変態貴族どもに人気でなぁ。まあ、運が悪かったと思って色々諦めてくれや。ゲハハハっ」
「なっ!? じゃあ、この結界はっ?」
「幻獣の結界と見分けがつかないだろっ? ゲハハハ。こいつの術式魔法だ」
言って、賊の頭目の男は、隣に居る三白眼の男の肩を抱いた。
「この街に冒険者として潜入してから、ずっとこの時を待ってたんだぜぇ、リコベルよぉ」
男は言って、舌なめずりをする。
「この、外道がっ!!」
リコベルは、怒りに任せて魔力を練り上げる。
「おっとぉ。こいつらがどうなってもいいのか? 魔力を消してこっちに来い。俺たちの本命はお前だ、リコベル。お前さえ大人しく捕まってくれれば、こいつらは解放してやってもいいぜぇ?」
男は、馬鹿でかい斧を軽々と振り上げ、倒れている女冒険者たちに向ける。
「リコさん、ダメですっ!」
「おらっ。早くしねえと、俺の斧が落ちちまうぜ?」
「……ごめんカヤ。あんただけでも、逃げて」
リコベルは、賊の方へと歩み寄り、身に纏う魔力を消失させた。
「これで、その子たちは解放してくれるのよね」
「ああ、もちろんだぜぇ」
頭目が合図をすると、賊たちの睡眠魔法が一気に放たれ、リコベルは力なくその場に倒れた。
「ゲハっ。ゲハハハっ! 女ってのは馬鹿ばっかだなぁ。一人も見逃すわけねえだろうがっ」
「っ!」
カヤは、ぎりりと歯を食いしばり、頭目の男を睨みつける。
「お前らには、初めから目を付けててなぁ。依頼主に渡す前に楽しませてもらうぜぇ。超強力な幻惑魔法で、強気なこいつが堕ちるとこを想像したら……たまんねえっ」
賊の頭目は、下衆な笑みを浮かべてカヤへ近づいてくる。
自分が何とかしなくては。カヤは、強く杖を握りしめた。
「なんだよ、やるつもりか? こっちは冒険者ランク100超えしかいねえぞ? 大人しくしてれば痛いどころか、気持ちいいことしかねえからよ。ゲハ、ゲハハハっ」
冒険者ランク100超えならば、人数を揃えれば幻獣とも戦えるレベルだ。カヤ一人では歯が立たないだろう。
それでも、やるしかない。
賊の男に向けて、カヤが魔力を練り上げたその時だった。
「あぁん? 何だてめえはっ?」
賊たちの視線は、カヤの後ろの何者かに向けられている。
振り向くと、そこにはリコベルと懇意にしている材料屋の姿があった。
なんでこんなところに? 思うのと同時に、リコベルの友人を守らなくては、という思いが即座に働いた。
「状況は最悪です。私が注意を引きますので、逃げてください」
カヤはとにかく、簡潔に最善を伝えたつもりだったのだが、確かロクという名だった青年は、逃げるどころか悠長に話しかけてきた。
「幻獣が出たんじゃなかったのか?」
「すべては、あの人たちが仕組んだ罠でした。女性の冒険者專門の奴隷商だったんです」
「……なるほど。リコベルは無事か?」
「はい。気を失っているだけです。ここは私が何とかしますので、早く……逃げてください」
カヤは、冒険者としての意地と正義感から、弱者である街の材料屋を守ろうとする。
だが、そんな彼女の思いを無下にするかのように、ロクは一歩踏み出し、予想外の言葉を口にした。
「そうか。じゃあ、あとは任せてくれ」
「へっ? なっ、なにをっ!?」
あろうことか、賊に向かっていく材料屋に、カヤは驚き杖を落としそうになる。
「おいおい、なんだよっ。誰かと思ったら、しけた材料屋じゃねえか。まさか本当にリコベルに惚れてたのか? こんなところまで、のこのこ来るなんてよ。お前、馬鹿だろ?」
賊たちの嘲笑が、フロア内に響く。
「たまに居るんだよなぁ。お前みたいなくせえ野郎がっ。女を守るために、自分が冒険譚の主人公かなにかと勘違いしてやがる。俺はな、そういう奴をなんでもなくぶっ殺すのが最高に好きなんだよっ!」
男は、一気に魔力を練り上げた。
「どうした? びびって動けねえか?」
ロクは、動じることなく、一つため息をついた。
「あまり喋らないでくれ。記憶に残ると、寝覚めが悪くなる」
ロクが、静かに魔力を解放する。
その刹那、カヤは咄嗟に飛び退き、ロクから距離をとっていた。
凶悪。
カヤの脳裏にそんな言葉が浮かぶ。
禍々しさすら感じる魔力の波動に、彼女の冒険者としての勘が危険だと告げていた。
尋常ではない魔力量に、フロアに居る者すべてが凍りつく。
「っ!? びっ、びびるな、こけおどしだっ! やれっ!!」
頭目の男が合図すると、賊たちは一斉に詠唱を開始した。
「フリージングドライヴっ」
「サンダーストライクっ」
「ウィンドウエッジ!」
あらゆる属性の魔法攻撃がロクへと襲いかかる。
フロア内に、激しい振動と着弾音が無数に鳴り響き、砂埃が視界を奪った。
ややあって。
「……へっ、ゲハハ。はったり野郎がっ、ざまあねえな」
賊の頭目は、半信半疑ながらも、嗜虐的な笑みを取り戻したのだが。
ぐん、と放たれた魔力の波動が、ロクを覆っていた粉塵を払った。
「そ、そんな……馬鹿なっ!?」
それは、カヤも同じ気持ちだった。
そこには、片手を突き出しただけのロクが、無傷で立っていた。
つまり、高位の属性スキル魔法の集中砲火を、片手で防いだという事だ。
「なっ、なんなんだてめえはっ!?」
「なんでも……ねえよ」
「ひっ」
射殺すような闇に堕ちたその瞳に、賊たちの背中を冷たいものが撫でる。
「やっ、やれっ、そいつをぶっ殺せっ!!」
男が叫び指さした瞬間、ロクは地面を抉り取るような踏み込みから、一を数える間もなく射程範囲へ到達していた。
賊の一人は、大きく遅れて焦点を合わせるが、既にロクは攻撃態勢に入っていた。
魔力を込めただけの正拳突きが放たれる。
纏った魔力量が強大すぎるせいか、その拳が賊の体に届くより先に、ボッ、と鈍い風切り音を伴って、賊の一人が消滅した。
カラン、と賊が上段に構えていた剣の切っ先だけが地に落ちる。
人が消えた。
その事実を消化できる者は、この場に一人も居なかった。
恐怖だけが伝染していく。
「だっ、だめだっ!? こんな化物が居るなんて聞いてねえっ! 俺は降ろさせてもらうぜっ」
恐怖に満ちた表情で一人の賊が退却し始めると、それを皮切りに敵勢の半数がちりじりに逃げ始める。
だが、彼らがこのフロアから脱することは無かった。
消滅。消滅。消滅。消滅。消滅。
ロクは、点から点へ転移するかのように、残像を一瞬だけその場に残し、気が付くと一人、また一人と言った具合に、賊たちをみるみる内に減らしていく。
「ひっ、うわわあぁーっ!? 待て待てっ! こいつらがどうなってもいいのかっ?」
賊の頭目である男は、自分一人だけとなり、ようやく事態に気付いたのか、慌てて人質に武器を向ける。
それとほぼ同時に、ロクは男に向けて手をかざした。
「ルート・ゼロ」
魔法名を口にした瞬間、男の体はぴくりとも動かなくなった。
「っ? ば、ばかなっ!?。パラライズか? いや、そんな筈が……」
『ルート・ゼロ』は、指定した座標に居る者の動きを封じる術式魔法であり、ロクが込めた魔力以上の力で抵抗しなければ、体の自由が戻ることはない。
男の顔に絶望が張り付いた次の瞬間、ロクは拳を握っていた。
「がはっ!?」
存分に加減された一撃で、男は壁に叩きつけられ、倒れている女冒険者たちから大きく距離をとった。
「ひっ!? くっ、くるなっ!!」
ロクは、壁にもたりかかり、悲痛な表情を浮かべる男にゆっくり近づいていく。
「たっ、頼む。死にたくねえっ。見逃してくれっ!!」
「連れ去られた女たちも、同じように怯え、そして今も地獄を味わっている。だが、お前の痛みと恐れはここで終わる。神に感謝するんだな」
「やめろおおおおおおおおぉっ!!」
――ボッ。
ロクは、最後の一人を消滅させると、静かにカヤへ歩み寄る。
「後は任せていいか?」
「あっ、あなたは一体っ!?」
「すまないが、リコベルにも、他の誰にも、俺のことは内密に頼みたい」
あれやこれやと訊かれても、答えられない事の方が多い。リコベルが、予め気を失っていてくれたのは、ロクにとって好都合だった。
「なにか……理由があるんですね?」
カヤは頭の回りが早い。ロクの表情を見て、すぐに事情があるのだと察した。
「ああ。ちょっとばかり厄介でな」
「わかりました。その代わり……リコさんのこと、これからもよろしくお願いします」
カヤは、「よろしく」の部分を強調して、強い眼差しを向けてくる。
ロクは、それに苦笑で返すしかなかった。
「魔力反応があったのはこの部屋だぞっ!」
「北区の冒険者の意地、見せてやれええぇっ!!」
「「「うおおおおおおおっ!!」」」
突如、鬨の声を上げながら、北区の冒険者たちが、フロアになだれ込んでくるのが見えた。
「俺は、もう行く。適当に話を作っておいてくれっ」
ロクは、激痛が走る左腕を押さえ、フロアをあとにする。
魔女の秘薬は、終わりの時を知っていたかのように、その効果を切らしていた。
その後、ロクに戻った魔法印から派生する線は、代償とでも言わんばかりに、ずずっと下へ伸びたのだった。
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