(3)

 まず、最初の難関。姉貴の部屋の徹底清掃を実施することにする。そこを居住に適した環境にまで戻さないと、埒があかない。俺が直接掃除してやるなんて義理はないから清掃業者にやってもらうんだが、その前に下準備が要る。もちろん、部屋の内外を埋め尽くしている山のようながらくたの撤去だ。


 その作業に姉貴を立ち会わせたのには、二つ理由がある。一つは姉貴にとっての貴重品の確保。黙ってると、俺やばあちゃんに全部捨てられるか、持ってかれてしまうからね。もう一つは、断捨離だ。つまり……姉貴にとって重要なものとそうでないものの境界線を、世間一般の常識的な線に近付けておく必要がある。断捨離が甘いと、あっという間にまたゴミ部屋に戻ってしまうからな。


 姉貴が抱え込んできたがらくたには、二種類のものが混在している。どちらも姉貴が捨てられないものなんだが、その理由が違う。


 一つは物理的に捨てられないもの。姉貴自身も要らないと思ってはいるが、捨てに行くのが面倒で放ったらかしてあるってのがそれに当たる。廊下のゴミの壁や、部屋の床一面に散らかっているものがそうなんだろう。それは、ただ機械的に捨てりゃいい。本当は姉貴をこき使って自分の手でやらせたいところだが、今はそうする余裕が俺にも姉貴にもないので、金銭で片付けるしかない。


 もう一つ。捨てることに、姉貴が心理的抵抗を感じるもの。いわゆる、もったいないの対象になるものだ。


 基本わがままな姉貴だから、これまで己の欲望の思うがままにいろんなものを買い散らかしてる。服やバッグ、コスメ、宝飾品、小物類など、それは決して少なくない。それらが部屋の収納スペースをぎっしり隙間なく埋め尽くしている状態だ。しかも呆れたことに、そのほとんどは死蔵されたままで何らの価値も発揮出来ていない。俺に言わせれば、それはゴミと区別が付かない。

 姉貴が、もったいないとかそれ高かったのよと言って膨大ながらくたを何でもかんでも抱え込もうとすると、ゴミ満載の状態が未来永劫解消されないことになってしまう。だから、強制代執行が必要なんだ。


 もちろん俺が一方的にやってもかまわないんだが、オトコとオンナでは事情が違う。同性の目で見て、姉貴にヤキを入れながらきびきび仕分けをしてもらうには、超始末屋のばあちゃんがぴったり適任ということだ。ばあちゃんにとってもタダ働きではなく、もしお宝が掘り出されればそれをガメてもいいという特典がある。


 俺が車を飛ばしている間、助手席でふんぞり返っていたばあちゃんは、気合い充分でぽきぽき指を鳴らしながら作戦が書かれた紙を見回していた。後部座席では、勝手に自分の部屋をいじられることにふて腐れた姉貴がそっぽを向いて寝たふりをしていた。

 姉貴とばあちゃんは、すでに俺のところで掃除を巡って激しくやりあっていたが、ぼよよんの姉貴が全身屁理屈で重武装した百戦錬磨のばあちゃんに口で勝てるわけがない。姉貴はばあちゃんに、ぐうの音も出ないほどやり込められていた。


 ざまみろぃ。


「着きましたよ」

「ふん?」


 俺の車の助手席からさっと降り立ったばあちゃんは、下から姉貴の部屋を見上げてぐるっと見回した。それから、俺の携帯を使って業者に電話を入れた。


「ああ、戸田さんかい? 梅坂のばばあだよ。四トン一台寄越しとくれ。ゴミじゃない。資源だ。住所言うよ」


 姉貴のアパートの住所を機械的に朗読したばあちゃんは、すぐに電話を切った。


「部屋ン中、見してもらうよ」


 渋々部屋の鍵を出した姉貴の手からそれを引ったくって、ばあちゃんが階段を上がって姉貴の部屋のドアを開けた。


 ぷうう……ん。ぐええっ。


 前に俺が踏み込んだ時よりも、もっと強い異臭が部屋に充満していた。げろだけでなくて、食品も腐ったんだろう。豚小屋だって、これよりは臭くないぞ?


 ばあちゃんは、それにぶつくさ文句を言うかと思ったんだけど、一切口を開かない。黙って部屋の隅々まで見回して、抜け目なくチェックを入れているようだ。うーん、本当にすごいな。正平さんじゃないけど、まさに商売人。プロだわ。


「あの……梅坂さん」

「なんだい?」

「こんな凄まじい部屋の整理をお願いして、本当に申し訳ありません」

「ああ、構わないよ」


 散らかっててどこが悪いって顔で開き直ってる姉貴をちらりと一瞥して、ばあちゃんがさらっと言った。


「あたしゃね、孤独死した独居老人の遺品の後始末もやってるのさ。もう何人もね。死体の腐臭はこんなもんじゃないよ。あんたはまだ生きてるんだし、まだましさ」


 ぎょええええええええっ!?

 それを聞いて、俺は思わず腰が砕けそうになった。は、は、はんぱじゃない……。


 いかに姉貴がすちゃらかぼよよんだと言っても、今のばあちゃんのパンチはど外れて強烈だったようだ。姉貴も俺同様に、腰が抜けてどすんとその場にしゃがみ込んでしまった。ばあちゃんは姉貴の反応を見ようともせず、ひたすら部屋の中のチェックを続けてる。


「まずゴミ出してから。それからがあたしの仕事だね。あたしが頼んどいた掃除屋は、いつ来るって言ってた?」

「あと三十分くらいですね」

「そうかい。戸田もそんくらいでくるだろう。連中が作業場所を確保してくれたら一気に行くからね」


 ばあちゃんが、姉貴をじろっと睨み付けた。そっから先は一切容赦しないよっていう圧力が、がんがん姉貴に向けられる。俺の理詰めの説教とはわけが違う。理屈なんかない。やるっていう意志しか示さない。有無を言わさない。さすがは……ばあちゃんだ。


◇ ◇ ◇


 ばあちゃんが呼んだ戸田っていう廃品回収業者さんは、ランシャツに鉢巻き姿の中年のおっさんだった。オブジェみたいに廊下を埋め尽くしていた雑誌や本、ダンボール、空き缶、空き瓶。どれも資源というにはおこがましい状態だったように思うが、それを黙々と二階から下ろしてトラックの荷台に運び上げた。

 やっと廊下が広くなった。俺らが他の住人と顔を合わせても、肩身の狭い思いをせずに済む。


 荷揚げが終わった戸田さんに、ばあちゃんが声をかけた。


「戸田さん、面倒言って済まんね」

「いや、一か所でこれだけ量がありゃ俺の手間も省ける。他の業者と競争せんで済むしな」


 おっさんは、トラックの助手席から十六ロールのトレペを無造作に三つ下ろして、ばあちゃんに手渡した。


「こいでいいか?」

「ああ、充分だよ」

「ほう、珍しいな。いつもはもっとがっつくのによ」

「今回のは、ちょっと訳ありでね」


 ばあちゃんはそう言って、俺らを横目で見た。


「へえ……そのおっさんの方?」


 おっさんにおっさんと呼ばれるのには違和感があるが……。


「いや、姉さんの方さ。彼はあたし並みに始末屋だよ」

「ふうん……珍しいな」

「苦労してるからね」


 ばあちゃんは、さらっとそう言った。俺は自分の過去をばあちゃんに話したことはない。だが貧乏そっちのけで探偵業にこだわる俺を、そう見ていたということなんだろう。


 おっさんは、姉貴の方が散らかし屋だということには特に反応しなかった。姉貴みたいのが、他にもいるってことなのかもしれない。それ以上の突っ込みはなく、さっと車に引っ込んだ。


「ちわー! 浜野ルームクリーニングですー」


 お、今度は清掃業者さんが来た。姉貴の部屋だし、本来なら縁者の俺が対応しなきゃならないんだろうが、ばあちゃんのアイコンタクトがあったから俺は引っ込んだ。


「いつも済まんね。あたしの言った方法で掃除してもらいたいんだ」


 業者さんは、若い男女のコンビ。揃って茶髪で今風のあんちゃん、ねえちゃんだ。話が違うってごねないのかなあ……。


「あ、かまいませんよー。なんでしょう?」


 ねえちゃんの方が、あっさりにこやかに答える。部屋に入ってまでその笑顔が維持できるかどうかは、極めて怪しいところだが……。


「床に置いてある動かせないもの以外は、何も見ず、考えずに全部捨てとくれ。それと……」


 ねえちゃんが、ばあちゃんの注文を聞いてさっとメモを書き取った。この業者さん、見かけによらずしっかりしてるな……。


「じゅうたんをね、家具の下以外切り取って捨てて欲しい」


 業者の二人は、それがなぜかを聞かなかった。


「おっけーっす! すぐに作業に入りますね」

「頼むね」


 余計なことをごたくそ言わず、手拭いで鼻と口を覆った二人がてきぱきと作業に入った。


「梅坂さん、彼らはずいぶん……修羅場に慣れた感じの業者さんですね……」

「ああ、彼らは夫婦で裏掃除屋をやってんのさ。さっきの戸田も同じだよ。孤独死や自殺者、殺人のあった部屋、夜逃げの後、強制執行で住民が退去させられた後とかね。そういうところばかり引き受けるんだ」


 げ……。そ、それは……知らなかった。


「彼らは、事情を聞かないで雑物の整理や清掃を引き受けてくれる。他の業者がやりたがらないところを専門にやっつけるんだよ」

「うわ……」

「ここなんか、住人がまだ住んでる部屋なんだ。彼らにとっては上玉の仕事だろさ」


 ばあちゃん、凄過ぎ。もっとも、あちこちからかき集めたものをさばいて現金化していくなら、そのくらいの人脈はないとどうにもならないんだろう。俺とばあちゃんが立ち話している間、姉貴はばあちゃんの話のあまりの凄まじさに呆然としていた。


「終わりましたー」


 けろっとした顔で、業者さんの二人が出てきた。山のようなゴミ袋。そして切り取って丸められ、紐で縛られた絨毯の残骸。消臭剤をかけて床を拭いたのか、部屋から漂ってくる堪え難い悪臭は、だいぶ薄くなっていた。


「済まんね。中の査定が終わって荷出ししたらまた連絡するから」

「はい。待機してますねー」


 二人はゴミの袋を抱えて階段を何往復かすると、ゴミステーションにそれをきちんと積んで、どこかに引き上げた。


「明日が可燃ゴミの日だ。ゴミ処理に余計なカネを払うのはばからしいからね」


 ばあちゃんは事務的にそう言うと、ぼけっとしていた姉貴の尻をどやして室内に上げた。


「さあて。本格的にやるかい!」


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