(6)

 俺たちの会話をぼーっと聞いていた姉貴をどやす。


「なあ、姉貴!」

「え?」

「え、じゃねえよ! 言っとく。姉貴が最初に俺に投げてきたメール。あれは中村探偵事務所への依頼だ」

「へ!?」


 何を言い出すんだって感じで、姉貴が素っ頓狂な声を上げた。


「姉貴が、弟の俺に普通に電話してどうしようって相談したんなら、俺は見返り要求なしで弟として出来る限りのことをした。でも、姉貴は小細工しやがったよな」

「……」

「俺が探偵じゃなくて普通の職業だったら、姉貴はそんな真似をしなかっただろうさ。だけど、俺が深読みするのを知ってて、俺の同情を買おうとしょうもない小細工をした」

「う……」

「言っとく。俺が探偵として動けば、それは俺にとってはボランティアじゃなくて、立派な依頼なんだよ」

「それ……が?」

「俺は姉貴の依頼を承けた。そして俺は解決に向けて、ちゃんと行動してる。だから、それに対してはきちんと銭を取る。今、俺がやってる家事のサポートもそうだ。ちゃんと時給計算して、食費とハウスキーパーの費用を払ってもらう」

「ええー!? お金取るのー!?」


 ぎょっとしたように叫んだのは、ひろだった。姉貴は言葉を失って、青い顔で俯く。


「たりまえだ。俺は、絶対にタダ働きしないよ。タダ働きするなって言ったのは、ひろだろ?」

「そうだけどさあ。事情が……」

「なあ、ひろ」


 今度は、ひろをどやす。


「この前、ひろ自身が言ったんだぜ。産休に入ったら無収入になるって」

「あ……」


 ひろも、唇を噛んで俯いた。


「俺が二人の面倒見るのに家に張り付いたら、稼ぎ手が誰もいなくなる。ひろ一人でも、俺は今ろくに動けてないんだよ。冗談抜きに、もうすでに筍生活に入ってんだ。おまえ、最初にそれを心配してた割には、危機感がまるっきりないだろ?」

「……」

「ふざけんな!」

「ご、ごめん」


 ひろが、肩をすぼめて小さくなる。俺は構わず、畳み掛けた。


「悪いけど、二人とも経済観念のところがべた甘なんだよ。いくら入っていくら出てくのか、まるっきり把握してないだろが?」

「う……う……」


 二人が揃って呻いた。


「自分一人ならいいさ。でも、子供が出来たらそうはいかないよ。子供一人育て上げるのにん千万かかる世界だ。そういうことも先々きちんと考えていかないとなんない。でも、ひろにも姉貴にも、そういう覚悟があるとはとっても思えないんだよ」


 俺は姉貴に視線を戻した。


「自分は被害者だ。被害者なら気遣ってもらって当然だ。そういう驕りがあるから馬鹿な真似をする」


 ぴしゃっ! 姉貴の頭を一つ引っ叩く。


「い……ったあ」

「本当に被害者だと思っていたのなら、その時点ですることはヤマのようにあったはずだよ。警察に被害届を出し、会社に上司の行状を訴え、俺や親に事情を話して、必要な対応策を考える。でも姉貴は何もしなかった。しなかった時点で、被害者って看板はもう使えないんだよ」

「……」

「もし妊娠がなかったら、姉貴は今度のことを流したんだろさ」

「う……」

「違うか?」


 姉貴は頷かざるを得ない。


「性的被害で一番深刻なのは、妊娠させられることだ。自分が被害に遭った時にはまずそれを心配しなきゃならないのに、そこもルーズだった」

「確かに……ね」


 そう言って、ひろが静かに頷いた。こどもをもうけるかどうかで真剣に悩んだひろには、姉貴の鈍感さは理解出来ないだろうからな。


「そういう姉貴の鈍感さ、ルーズさ、自分勝手が全ての原因なんだよ。自分で自分の墓穴を掘ってるんだよ! 分かってんのか!?」


 姉貴の返事はない。ただむすっと黙ってるだけだ。俺には、姉貴の心の中がよーく見える。


『わたしはひどい目にあったのに、なんでこんなに怒鳴られないとなんないの?』


 あほー。そんだけ、姉貴が箸にも棒にもかかんないってことなんだよ。くそったれ! まだ堪えていないようなら、どんどん行こう。


「いいか? 俺にとっては、姉貴は被害者じゃない、加害者なんだよ。本来なんの関係もない俺とひろを強引に巻き込んだ。それもクソメールで小細工なんかしやがって!」

「う……」

「小細工して人を嵌めようっていう、しみったれた根性がそもそも気に食わない。酒飲ませて姉貴をくわえこんだ男と、してることは大差ないんだぞ? 違うかっ!?」

「……」

「ルーズで、身勝手で、場当たりで、空気が読めない。だから、ああいう馬鹿野郎に目を付けられるんだよ! ああ、こいつははんぱもんだ。こいつなら後腐れなさそうだなって」

「ちょ、ちょっと。みさちゃん、そこまで……」


 ひろが慌てて、俺の口を塞ごうとした。俺はその手を払いのける。


「引っ込んでろ!」


 俺の剣幕にぎょっとして、ひろが慌てて手を引っ込めた。


「姉貴のSOSは、紛れもなく俺への依頼だ。俺はそれを承けて必要な処置を講じた。だから、調査料は取る。一切値引きはしない」

「く……う」


 姉貴が呻いた。


「そして、ここでの生活費は別途請求だ。それは依頼とは何の関係もないからな」


 さっきは俺に食ってかかったひろが、今度は顔を伏せたままぴくりとも動かなかった。


 収入がないこと。そのインパクトとストレス。この前は俺がケアするからと大丈夫と言ったが、すでにその時から事態が変化している。つわりがひどいひろに付き切りになった俺が全く仕事に出られていないことは、ずっと在宅のひろには分かってるし、それに不安を抱いていただろうからな。


「俺は夫としてひろを支える義務がある。だが、姉貴を養う義務は全くない。そこんとこ、ぎっちり分けて考えてくれ」


 俺は、姉貴をねめつけた。


「いいか。その年まで変わらなかった腐った性格が、急にぴんしゃんするはずなんかない。姉貴が独りでずっと暮らしていくなら、姉貴がどんなにいい加減でも性格がぼよよんでも、俺の知ったこっちゃないよ。だがな……」


 姉貴の腹を指差す。


「子供が出来るなら話は別だ。今のうちに根性叩き直しておかないと、不幸が倍になる」

「あ……」


 ひろが、はっとしたように俺の顔を見た。そういう……ことさ。


「だらしないことが自分の体一つのことで済むなら、それは自己責任でおしまいさ。だけど、子供は勝手には育たないんだよ。畑の大根や人参じゃないんだ。姉貴のお気楽好き勝手で子供が放置されれば、それは子供に全部刷り込まれるんだよ。育たないか、育ってもろくな奴にならない。しかも、それは姉貴の望んだ子じゃないだろ?」

「う……」

「姉貴が子供に八つ当たりしたり恨み節をぶちまけたら、子供はそれの持って行き場がないんだ。潰れるか、爆発しちまうだろう。そういうのを、一つもまじめに考えてないだろがっ!」

「……」


 これだけきつく言っても、きっと姉貴には効かないだろう。姉貴は喉元過ぎれば熱さを忘れる。そういうやつだ。


 俺はどやした効果はまるっきり期待していなかった。それより……体に叩っ込む方が早いし、ちゃんと残る。俺がこれだけがあがあ怒鳴りつけてるのは、この先打つ手の下地を作るためだ。姉貴の上司の逃げ道を塞いだのと同じように、俺も姉貴の逃げ道を塞いでおかないとならない。

 言い訳させない。自力でなんでもさせる。誰かに押し付けさせない。放置させない。それを理屈じゃなく姉貴の心髄に叩っ込むためには、アメは一切いらない。強烈なムチがどうしても必要なんだ。そうじゃないと、姉貴には全く効果がない。


 上司と姉貴を切り離して、カネでの接点を作らせなかったのは、姉貴を中途半端に安心させないためだ。困った時に上司からせびればいいと考えた時点で、姉貴はすぐに手を抜くようになるだろう。下手をすると、まあたそれをクソ男に利用される。それは俺の子供だからとか言って、まんまとつけ込まれる。


 そして、職を確保させただけではだめだ。育児に目処が立つまでは、きっちりプレッシャーをかけ続ける必要がある。望まなかった子供のために自分のわがまま勝手を制限するのは、姉貴には苦痛だろう。その姉貴を放置すれば、育児を手抜きしてがちゃがちゃにするのは最初から見えてるんだ。

 だから、あえて姉貴の収入をぎりぎりにまで削る必要がある。俺が姉貴から銭を取ると宣言したのは、そのためだ。これまでしなかった生活するっていう苦労を、姉貴の体にぎっちり刻み込んでおかないと、だらしなさが一生直らない。そのためには、姉貴に最大限に恩と借金を着せておかないとならないんだ。


「……」


 俺は、さっき打ったメールの文面を凝視した。

 ああ、そうさ。俺はメールは嫌いだ。大嫌いだ。メール一通で人生の難題が解決するなら、そんな楽なことはない。だが、それは所詮感情のない電子の屑に過ぎない。そいつが思わぬ落とし穴を掘ることはあっても、人生をバラ色にしてくれるなんてことは、決して。決してない!


 ぴっ。俺は、宣告メールを送信した。それは、上司の男にとっては死刑宣告に等しいだろう。だがメールだと、それが坦々と出来てしまう。


 がたん! 椅子を蹴って、俺は立ち上がった。それから、ひろと姉貴に大声で言い渡した。


「俺はメールオーダーは大嫌いだ! 今後は絶対に請けんからな!」



【第七話 メールオーダー 了】

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