(3)

 がーっと自動ドアが開いて、正面ドアからケバい化粧をした若い女が入ってきた。その方角を見たフレディが血相を変えた。


「来たっ!」

「女だけ?」

「いや、奴もいるっ!」


 さっきフレディに元ダンナの写真を見せられていたが、俺もフレディも店内でその姿を見つけられなかったから、物陰に隠れて待ち伏せしていたのかもしれない。目深にニット帽を被ってサングラスをかけた痩せた男が、入って来たけばいねえちゃんの行く手に立ちはだかるように、女の数メートル先に立った。ねえちゃんは、それが誰かにはまだ気付いていないんだろう。店内をきょろきょろ見回している。男の手には小さな花束が握られている。


「あっ!」


 思わず声が出た。あれが得物だ。仕込んであるのは、おそらくナイフだろう。まずいっ! これから俺が全速で駆けて言っても、他のお客さんが障害物になって間に合わない!


「フレディ!」


 俺と同じように男に気付いて固まっているフレディをどやしつける。


「俺を飛ばせ! 下は無理だけど上なら開いてる。ロイター板をやってくれ!」


 勘のいいフレディが、両手を絡め合わせて投石機のようにして、中腰で構えた。


「どうりゃあああっ!!」


 助走をつけてその上に飛び乗った俺を、フレディが容赦なく入り口めがけて放り投げた。一瞬だけではあるが、スーパーマンの気分だ。


 俺が奥さんと元ダンナの間に転げ落ちるのと、元ダンナが花束を腰のところに構えて走り出すのが、ほぼ同時だった。もう、止めろなんて静止が効く状況じゃない。とにかく刃物の動きを止めないと二の矢が継げない。


「来いやーっ!」


 奥さんをかばうようにして両手を広げて立つ。元ダンナはちゅうちょなく花束に仕込んだサバイバルナイフを俺の腹目掛けて突き刺した。


 どすっ! ものすごい衝撃が来る。元ダンナの恨みがどれほど強烈なものだったのかが、それから分かる。標的が奥さんではなく俺になったことに、元ダンナは特段の感情を示さなかった。そして、俺の腹に突き刺したナイフを……。


「ひひ。抜けねーだろ?」


 俺が稼いだわずかな時間で、フレディが元ダンナの背後に到着した。そして、元ダンナを苦もなく組み伏せた。店内は大騒ぎになった。なにせ俺が、腹にナイフを突き刺された状態で仁王立ちしてたからね。


 フレディが男を組み伏せたままの姿勢で、俺に聞いた。


「みさちゃん、大丈夫か?」

「ああ、やっぱ少年ジャンプはごついわ。アサヒ芸能じゃこうは行かない」


 そりゃあいくら俺でも、丸腰でさあ刺してちょうだいなんて言わないよ。飛ばしてもらう直前に、防護服代わりに雑誌棚の厚そうな雑誌を引っ掴んで、服の内側に仕込んであるからね。


 フレディが苦笑した。


「さすが、抜かりないな」

「いや、冗談抜きに、フレディの教えてくれた護身術は役に立つよ。紙の束ってのはえらい丈夫なんだな」

「ほんとに貫通しなかったんか?」


 んー。


「二ミリくらい入ったかな」

「む」

「大丈夫だよ。擦り傷みたいなもんだ」

「タフだなあ」

「これくらいなら御の字さ。さっき、跳び箱の着地をしくって派手にぶっこけたから、青たんが出来そうだ。そっちの方がしんどいよ」

「はっはっは」


 ちょうど警察が来たから、元ダンナを引き渡し、俺たちも事情聴取を受けるのに同行することになった。先にパトに乗せられて連行されていった元ダンナをこわごわ見送っていた奥さんに、声を掛ける。


「このクソ女。次はねーからな。さっさとブッコロサレロ」

「な!」


 慰めてもらえるかと思ったのに俺に罵声を浴びせられて、女が激高した。俺に詰め寄ろうとした女に、腹に刺さっているナイフを見せつける。


「あんたが人の心でお手玉してりゃ、しくじったのは最後に自分に刺さるんだよ。今回、あんたはたまたま運が良かっただけさ。次はもうねーよ」


 俺の横からフレディがぬっと出てきて、奥さんに向かってぐんと中指を突き立てた。


「ユー ファッキンビッチ(このクソ女め)!」


◇ ◇ ◇


 警察での事情聴取。まあ、俺らは犯行を未然に止めただけで、それ以外の何もない。あっさり終わる。顔馴染みの連中が多いし。俺らは、ことさら殺人未遂だなんだって騒ぐつもりはない。確かにヒガイシャではあるが、リスクは俺たちが自ら背負いに行ったからな。

 本当の被害者は元ダンナだ。思い詰めての犯行で、彼は全てを失うんだ。仕事も。カネも。人間関係も。社会的地位も。何もかも。それなのに、あのクソ女はこれからもオトコをつまみ食いしながらのうのうとのさばり続ける。俺やフレディの怒りなんざ、一晩寝ればすっかり忘れてしまうんだろう。


 俺やフレディは、あのクソ女をかばったわけじゃない。もしもう少し時間に余裕があったなら、彼の武器を取り上げてきっちり説得したかったんだ。あんなクソ女のために、自分の人生を棒に振るなよって。事前に止められなかったのは本当に残念だ。残念だよ。


「なあ、みさちゃん」


 俺の横で憮然とした表情を崩さなかったフレディが、やり切れないという風に俺に聞いた。


「ん?」

「俺たちは間に合ったのかな。それとも間に合わなかったのかな……」


 ああ、そうか。フレディも俺と同じことを考えていたんだろう。まじめに生きて来たんだろうあの男の人生の歯車が、クソ女に関わったことで狂い始める。そして、男は壊れていく。壊した女はそれを放置して、もう要らないと捨てていく。壊した女の罪は一切問われず、男は壊れたことを責められる。哀れで哀れで……仕方がない。そして、それを分かっていながらどうにも出来なかった俺たちには、言い様のない無力感が残る。


 きっと世間の大半の人たちは、こう言うだろう。そういう女だと見抜けなかった男が悪いんだ、と。だが、そんなのは後付けの理由に過ぎない。自分がそうされる立場にならない限り、痛みは絶対に分からないのだから。フレディは、あの男の痛みを自分でも体験している。だから、俺以上にやるせなさが深いんだろう。


「間に合ったんだと思うよ」

「そうか?」

「ああ。あのクソ女に天罰を下すのは、もっとクソなやつでいいだろ。元ダンナが命懸けるようなやつじゃないよ」


 しょうもないことを言うなあと呆れたフレディが、両手をわさっと広げた。


「それに……」

「ああ」

「世の中には、女はうんざりするほどいるのさ。もっとマシなのがね。最初のアタリが悪かったからって全否定すんのは勿体ない」

「はっはっは。みさちゃんらしいなあ」

「俺は、基本は性善説なんだよ」

「だな」

「だから、元ダンナにも言うさ。もうちょい目を大きく開けろってね」

「……面会に行くのか?」

「行く。かばった俺らがあの女の手下だと思われるのは、絶対に我慢ならん!」


 にやっと笑ったフレディは、少しばかり溜飲を下げたようだ。


「ああ、そうだな。俺も元ダンナに宣言してくることにしよう。あんなクソ女、今度会ったら原型なくなるまでぶちのめしてやるってな」

「ふふ」


 俺は、腹にちくりとついた傷を触る。


「何かに踏ん切りを付ける、踏み切るにはいろんなやり方があると思う」

「ああ」

「さっき、フレディに飛ばしてもらって空飛んだのは、気持ち良かったぜ」

「おいおい」

「そういうロイター板が……どっかに要るってことさ。もちろん、あの男にもね」


 ふうっと太い息を吐いたフレディが、ごま塩に伸びた無精髭をなで回して、ぐいっと背を伸ばした。


「確かにな」


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