(9)

 おっと、忘れちゃいけない。肝心なことを聞き出していなかったな。手帳を閉じる前に確認する。


「で、肝心の鬼沢さんの事務所リフォームプランはどこまで進んだんだ?」

「基本設計が終わって、今はブラッシュアップに入ってる」

「ふむ。じゃあ、施工費用の話ももう出たということだな」

「もちろんよ」


 ひろが、でかいボックスファイルから大判の紙を出して座卓の上に広げた。最初にひろが鬼沢さんに見せたのは、何も書かれていない白紙だった。それが、ぎっしりと線、文字、CG画像で埋まっている。


「うわ……すげえ」

「でしょ?」


 ひろが、ぐんと胸を張る。


「漠然としていた夢は、その全容が見えたところで一気に輝き始めるの。ここが一番のきもね」

「肝、か」

「資金面での制約がある限り、マックスの状態から落とさなければならないでしょ? 夢と現実を上手にすり合わせる必要がある」

「そうだな」

「そのすり合わせを、どこまでも上向きに進める。そこがわたしたちの腕の見せ所なの」

「なるほどなあ。で、どうやるんだ?」


 開いた図面をとんと指で押さえて、ひろが淡々と説明を始めた。


「今回のリフォームは、住居兼用オフィスへの改造。で、その場合オフィスを欲張っちゃうことが多いんだよね」

「ふむ……」

「でも、正平さんの力作はとても美しいの。あえて手を加えなくても高級感が出る。鬼沢さんも、今の雰囲気はできるだけ残したいと言ってる」

「あ、わかった! その分、自分の居住スペースに張り込みましょうってことだな」

「あーたーりー」


 ひろが指差した壁面部分には、太い黒線がいくつも引かれていた。


「在来工法で、とても柱が太くて立派。平家だし、耐震強度も全く問題ないって」

「ああ」

「それなら、採光重視で窓を広く高く取りましょう。そういうコンセプトにしたの。現状は重厚だけど暗いイメージになってるから、できるだけ自然光を入れたい」

「壁を全面ガラス張りにするみたいなイメージか?」

「そこまで極端じゃないけどね。でも開放感の演出は必要だと思う。プライベートもオフィシャルもね」

「モダンだなあ」

「ええ。でも、現状から大きく動かすのは、原則そこだけ。オフィス側の造作はほとんど動かさない。空調と照明を整えて、あとはシーリングファンを設置するくらいかな」

「なるほど」


 ひろがにやっと笑った。


「そういうレトロモダンを見せるなら、新品ぴかぴかのオフィス家具は合わないわ。むしろセコでいい」

「はははっ! そういう逆転の発想があるのか」

「でしょ? それなら正平さんや梅坂さんのルートをフルに活かせる。お金がないから中古じゃなく、新品がオフィスに合わないからと考えれば、卑屈にならないでしょ?」

「お見事です」

「えへん!」


 鼻高々だな。いや実際、見事なプランニングだと思う。


「で、そっちをけちった分、住居スペースにしっかり投資してもらう」

「プライベート空間を充実させるってことだな」

「それもあるけど」


 ひろが腰に両手を当てて俯いた。


「鬼沢さんのお母さんがね、アパートで一人暮らしされてるらしいの」

「そうなのか。知らなかった」

「お父さんは早くに亡くなられてる。鬼沢さんは一人娘だから、必死に働いていい大学に行かせてくれたお母さんとの同居に踏み切りたかったんだって。でも、前の事務所は雇用条件が悪くて自分の生活を守るだけで精一杯」

「一緒に暮らしたくてもそうできなかったってことか」

「うん。お母さんの方にも、同居で娘の婚期を遅らせるのはっていう気後れがあったみたいだし」

「なるほどな」


 鬼沢さんが示す控えめな優しさは、お母さんから注がれた愛情で育まれたものと、自分のせいで働きづめだったお母さんへの遠慮や気遣いの両方から来ているんだろう。しっかり納得する。


「じゃあ、新居は二人暮らし設計ってことだな」

「そう。広いお屋敷だから二世帯に切り分けるスペースは十分にあるけど、わざわざかまどを分ける必要はないでしょ。将来のことも考えて、バリアフリーのゆったり間取りにしてる」

「見事な組み立てだな。で、金額的にはうまくまとまりそうか?」

「まあね」


 八桁には行かない。ただ……鬼沢さんにとって、厳しい出費になることは避けられない。そういう説明だった。


「そこは、お母様との同居でセーフティネットをかけると考えてもらうことにしたの」

「ああ、そうか。事務所の運営が軌道に乗るまでは、お母さんの個人資産や年金収入を担保にするということだな」

「計算できる額は少ないけどね。ゼロよりはずっとまし」

「ああ」

「うちはコストカットには最大限協力できるけど、金策だけは現実的なプランにしてもらわないとならない。お互い、霞を食べて生きるわけにはいかないから」


 借金に急かされるようにして働くのは精神的にきつい。俺は、総工費の金額提示を見た鬼沢さんの反応を知りたかった。


「鬼沢さんはなんと言ってた?」

「思ってたより安かったって」

「えええっ? そんなに貯め込んでたのか?」

「いや、頭金で出せるのはせいぜい半分で、あとはローンにせざるをえないって言ってる。でもローンになる額は想定内で収まってるみたい」

「なるほど。鬼沢さん的には十分行けそうだってことだな」

「うん。依頼も取り始めたみたいよ。正平さんが喜んであちこちに吹聴して回ってるから」


 思わずがっくり来る。独立そそのかした俺よりずっとスタートダッシュがいいんじゃないのか? この差はないよなあ。


「ちぇー。俺の時には全然宣伝効果なかったのにぃ」

「しょうがないよ。実際のところ、弁護士案件の方がずっと多いもん。正平さんの紹介なら有償でも頼みやすいだろうし」

「確かにな」


 建物のリフォームよりも先に、人のリフォームが着々と動き出している。俺も、その流れに乗り遅れるわけにはいかない。


「さて。俺もがんばるか」

「案件は?」

「今のところは二つ。一つは家出人探し。もう一つは素行調査だ。家出人の方は遠方になりそうだから俺が出るけど、した調査は今野さんに任せる。その間、俺は夏ちゃんと組んで素行調査の方にあたる」

「順調じゃない」

「まあな。やっと蒔いた種からぼつぼつ芽が出て来た。それをしっかりこなしていかんとな。さ、休もうぜ」

「うん」


 立ち上がったひろが、くるっと振り返った。


「あ、そうだ。クリスマスはどうするの?」

「ホームクリスマスだよ。ただ、夏ちゃんと真奈さんがもうすぐ入籍するんだ。クリスマス前に、どこかで結婚祝いの宴会をしたいなと思ってる」

「あれ? 二人は結婚式しないの?」

「できないんだよ」

「ええっ?」


 絶句してるな。いや、ちょっと考えればわかるよ。


「夏ちゃんにはマエがあるんだ。実刑にならなかったと言っても、事件を起こした時に親も親戚も彼とは縁を切っちゃってる。もともと少なかった友達も、その時にみんな離れてしまったんだ。式をしても呼べる人が誰もいないんだよ」

「あ……」

「真奈さんは、久良瀬にほとんど財産を食い尽くされた。生活の立て直しが最優先で、式に回せるお金がないんだ。夏ちゃんだって、お財布事情はそんなに変わらないよ。JDAもうちも薄給だからね」

「そっかあ」

「今は二人で弱点を補い合ってるから、以前よりはずっと生活が安定してる。でも、結婚式やるってことになったら話は別さ」

「ううー、真奈さんの親は補助してくれないのかなあ」


 はあっ……。思わず溜息が漏れる。


「相手は初婚でない上に前科者なんだぜ。真奈さんが親に正直に言い出せると思うか?」

「む、無理かも」

「かもじゃなくて、無理だよ。親に結婚報告する前に、夫婦としての既成事実を固めなければならない。式どころじゃないんだ」


 多くの女性にとって、人生の新たなスタートを結婚式という形で最高に輝かせたいという願望はまだ根強いと思う。真奈さんもきっとそうだろう。夏ちゃんだって、その夢は叶えてあげたいと思うはず。でも二人主導で結婚式を企画するのは、今は無理だよ。


「夏ちゃんたちは盛装写真だけ撮って済ませようと思ってたみたいだけど、それじゃあいくらなんでもかわいそうだ。二人とも、自分に非があって今みたいな境遇になったわけじゃないんだし」

「だよねえ」


 悲惨な出来事は、まだ二人の現在いまを侵食している。本当の意味で過去になっていないんだ。悲劇を一刻も早く過去に追いやるには、今と未来をこれでもかと明るくするしかない。そのためにはとびきり上等の夢が要る。それがほんの一瞬の輝きにすぎなくてもね。

 夢を叶えることはそんなに難しくないよ。二人に式をする余裕がないなら、俺らの方でカバーしてやればいいだけの話さ。


「そんなこんなで、JDAの大会議室で祝賀会やろうってフレディと話し合ってるんだ。夏ちゃんは社員だったからね」

「あ、そうかー。できるだけ賑やかにやりたいね」

「はははっ。そうだな。基本立食で、肩肘張らずに楽しめるスタイルでいいかなと思ってるけど、まだプランニングの段階だ」

「楽しみだね」

「ああ」


 楽しみ。その通りだ。楽しさってのは積極的に作り出さないと生まれない。人生を楽しむという意識は、いつも余裕がなくて辛気臭い俺にずっと欠けていた要素だ。夏ちゃんたちのイベントを通して、俺も少しずつライフスタイルのリフォームに励むとしよう。


「さあ、今年のクリスマスはしっかり盛り上げような」

「うん!」


 俺の目の前で、わくわく顔のひろがぽんと飛び跳ねた。



【第十六話 リフォーム 了】

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