(6)

 十二月二十一日。夏ちゃんたちの結婚祝賀会の開催日が来た。会場になるJDAの大会議室を見回しながら、ふっと小さな溜息をつく。

 ざばざば案件を片付けてなんとかイベント催行にこぎつけたものの、俺の心の整理整頓は結局後回し。大掃除できずじまいで、かき乱された感情が乱雑に散らかったままだ。まあ……年の瀬ってのはそういうもんだと割り切るしかない。


 俺の心情とは裏腹に、室内は素人が準備したとは思えないくらいきちんと飾り付けられ、大手の結婚式場と変わらない華やかな空気で満たされていた。休憩用に椅子とテーブルを並べてあるものの、席の指定はない。立食形式だ。

 開始時間は決まっているが、それまで控え室で待ってくれなんていう野暮は言わない。すでに会場に招き入れられている列席者があちこちにたむろし、賑やかに会話を交わしている。


 関係者には、堅苦しいイベントではないので平服でお越しくださいと連絡してあったんだが、実際どうかなと室内を見回す。ふむ。ざっと見る限り男性陣は概ねシンプルな服装だ。俺以外はね。

 俺は司会進行をしなければならないので、さすがに平服というわけにはいかない。まるっきり似合わない礼服を来て、ネクタイの代わりに赤くてでかい蝶タイをつけている。絶食中のペンギン、もしくは餓死寸前の売れないコメディアンみたいな格好だ。必ず笑いを取れるだろう。


 祝賀会では、厳粛な儀式類を省いてある。通常であれば、神前、もしくはキリスト教式の儀式があって、そのあと披露宴ということになるんだろう。だが神聖な誓いの儀式は、二人が必要だと思う形で、必要な時期に行う方がいいと思う。必ずしも列席者の承認が必要ってことはないはずさ。


 祝賀会は、受付なし。飛び入りもドタキャンもあり。会費や祝儀は不要。二人にお祝いを渡したい人は、あとで個別にやって。そういうフリースタイルにした。お祝いムードをみんなで共有しようよっていうゆるーい趣旨だからね。

 費用は俺とフレディとで折半し、うちの開所祝いにと沖竹所長がくれた金も拠出した。これで貧乏神に祟られずに済むと思う。質素な会食だから、大した持ち出しではない。あまり大仰にやると、夏ちゃんに余計なプレッシャーをかけちゃうからな。


 手書きの式次第を確かめながら、大勢の参加者で賑わっている会場を改めて見渡す。こういう浮かれた雰囲気の中に身を置くのは生まれて初めてかもしれない。俺もフレディも沖竹所長も入籍だけで式をしていないし、ひろの同僚や仕事関係者の式にはひろだけが出席していて、俺の出番はなかったんだ。友人が極端に少ないと、式に呼ばれるチャンス自体がないからなあ。

 まあ、普段は辛気臭い出来事としか縁がないんだ。俺もしっかり楽しませてもらうことにしよう。


◇ ◇ ◇


「うーん、やっぱり華やかになるもんだなあ」


 思わずうなる。平服でいいと言っても、一応は結婚祝賀会。服なんざどうでもいいという男性陣とは対照的に、女性陣は押し並べて気合いの入った服装で来ている。中でもだんとつで目立っているのは、やはり小林さんだった。

 うちの事務所にはドレスコードがないから仕事中何を着ていてもかまわないんだが、露出を最小限にしたい小林さんは地味かつラフな服装で来ることが多い。でも、こういうめでたい時くらいはおしゃれをしたくなるんだろう。色こそ派手さのない淡いクリーム色系だが、スーツではなくフリル満載のドレスで、アクセもメイクも大盛りだ。すっぴんでも美少女のさらに完全武装だから、その姿はこれでもかと人目をひく。おいおい、コスプレのコンテストじゃないんだぞと思わず突っ込みたくなる。

 だが、そんな風に自分推ししようという心境になれたことは大いに歓迎すべきだろう。リスク回避重視のフレディは、小林さんの艶姿あですがたを見て猛烈にシブい顔をしていたけどな。まあ、めでたい宴会の時くらいいいじゃないか。わははっ!


 経済的な理由もあって、佐伯さんも普段は小林さん同様に地味服ばかりだ。しかし今日はパールピンクのスーツで大人っぽくぴしっと決めている。ひろが、クローゼットの肥やしになっていた服を「どれでも好きなのを着ていいよー」と勧めたからだ。美しく見せるより、自分の陽のエネルギーを見せるのが大事なの……ひろがインターンシップの時に説いたことを、しっかり実践している。

 もっともメイクはあまり上手でないらしく、そこは小林さんに補助してもらっていた。体型はオトナなのに幼顔おさながおの佐伯さんは、そのアンバランスが奇妙な引力になって男の支配欲を刺激してしまう。メイクでシャープなイメージを足さないとなめられるよー、メイクも戦闘服の一部なんだよーと、小林さんにがっつり説教されていた。

 変装をきっかけにメイクにはまった小林さんだが、好きなことには半端なく突っ込む性格もあって本当に腕を上げた。メイクアップアーティストや美容部員でも十分食っていけると思う。芸は身を助けるという格言もある。できることは一つでも多い方がいいよな。


 鬼沢さんもおめかししている。いつも着ている紺のスーツがユニフォーム化していたからどうするのかなあと思っていたんだが、スーツを新調したらしい。どぎつい原色ではないものの明るい赤系だ。鬼沢さんにしては冒険したなあと思う。

 その服は、今日のようなイベント専用ではないかもしれない。重厚なイメージの新事務所で暗色系の地味服を着ると、お客さんに与える印象が暗く、重くなる……そう判断したんだろう。いいことだ。

 印象というのは、服装で大きく変わる。モノトーンや寒色系だと、手堅いもののビジネスライクな印象になるんだ。それでなくても痩せぎすで自信なさげな鬼沢さんのマイナス面ばかりを強調してしまう。暖色系ならその印象を反転させることができるんだ。暖かくて親切……そんな風にね。

 事務所の設計に携わった志賀さんと笑顔で話している鬼沢さんを見て、そこにこっそりロマンスの匂いを嗅ぎ取ったりする。誰かの結婚式で出会いを探すってのは常道だからな。


 今野さんも、お子さんが小さいうちはなかなかイベントに参加できないらしく、今日は張り切ってドレスアップしてきた。いつもは服装も含めて幼稚園児のママさんのイメージなんだが、今日はブルーのマーメイドドレス。女優ばりの派手な印象だ。やっぱり女性は衣装で変わるなあ。

 フレディが保育士付きの臨時託児室を用意してくれたので、うちの子も含め小さな子供たちはそこに預けてある。立食だと何が起こるかわからないから、さすがに子供を野放しにできないんだ。託児コーナーがあるのを知らなかった今野さんは、それなら子供もダンナも連れてくればよかったとぶつくさこぼした。いや、飛び入りありだから呼べばいいと思うよ。今野さんにはそう言っておいた。


 そして、ひろ。主役を立てて地味なベージュのスーツを着ているにもかかわらず、発散されている膨大なオーラが否応なしに目立つ。年齢的にはそろそろオバサンの域に入りつつあるんだが、正直小林さんや佐伯さんより若い。見た目が、ではなく生気が、だ。出会った頃からずっと変わらんなあと、改めて惚れ直す。

 自らの陽の気で人の陽性を励起するなんてのは、誰にでもできることではない。ひろだから可能なんだ。ただ……それはあくまでも励起であって、陽の気を活かせるかどうかは本人の資質に依る。ひろも、励起の先にまでは踏み込まない。いや、踏み込めない。人の人生の責任は取れないからね。

 佐伯さんがひろを見て、こんな女性になりたいと強く憧れるのはよくわかる。ひろには励起しかできないから最後まで憧れのままで終わるかもしれないが、それはそれでいいさ。頭上に太陽があれば、必ず視線が上を向く。憧れの存在がある限り、目標が消えることはないからな。


 タダ飯が食えるとほいほいやってきた梅坂さんも賑やか大好きの勝山さんも、じっとはしていない。正平さんと沢本さんを捕まえ、鬼沢さんのお母さんを交えたじじばば五人で賑やかにぴーちくぱーちくやっている。まあ、いつもの老人会の延長だな。でも、すっかり表情が明るくなった正平さんを見て安心しているのは俺だけじゃないはずだ。


 新郎新婦の友人知人が少ないと言っても、堅苦しさのない内輪の祝賀会だからJDAや幼稚園からそれなりの数の関係者が出席している。ウエディアルの小島さんはそこに縁談と商機があると踏んだのか、参加者の間をこまめに回ってせっせと名刺を配って歩いている。さすがだなあ。俺も、あの積極姿勢だけは見習わなければ。


 来ないと思っていたんだが、沖竹所長も奥さんを伴ってやってきた。仕事関係者の祝い事にはちゃんと顔を出しなさいって、奥さんに尻をつねられたんだろう。居心地が悪いのか、所長はずっと冴えない顔をしている。まあ……立食制のフリースタイルだから大丈夫だろ。


 フレディは相変わらず姉貴にべったりだ。姉貴は濃厚なスキンシップを嫌がるでもなく、自然に寄り添っている。俺は二人の姿を見て、本当にほっとする。俺とひろ以上に、心に深い傷と愛情飢餓を抱えた者同士のカップルだった。互いに注ぎ込み合う愛情が少しでもアンバランスになれば、深刻な悲劇の引き金を引きかねない……そういう懸念をずっと払拭できなかったから。

 だが二人は落ち着いた。夫婦から家族という形に変わったことがプラスに作用しているように見える。うちもそうだったけどな。


 背が伸びてすっかりごつくなった岸野くんは、親友の小林くんを伴ってすでに食べる態勢に入っている。今日は、小林くんのお姉さんの護衛その二ってことなんだろう。

 岸野くんも、ヤバい事件を引っ張ってくる奇妙な癖は薄れただろうか。そんな厄介な直感なんざ百害あって一利なし。間違っても探偵になりたいなんて言うなよ。こんなヤクザな稼業は論外だぜ。


「さて……ぼちぼち開会にするか」


 ささやかにと思っていたが、想定以上に参加してくれる人が多くて企画者としては大助かりだ。出発は絶対に賑やかな方がいい。二人揃って大きな傷を抱えているからね。その傷を笑い飛ばせるくらいの賑やかさは、どうしても要るだろ。


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