(4)

 荼毘に付された逆城さんの遺骨。俺は、それを無縁仏の合祀墓に納めることにした。逆城さんの縁者は、調べればいくらでも見つかるだろう。だが死してなお、逆城さんが彼らに歓迎されることは決してない。凶悪犯罪者の息子が生きている限りは、ね。遺骨が縁者から邪険に扱われるくらいなら、同じ境遇の人たちと彼岸で苦楽を分けあえる方がずっとましだと思う。


 納骨を済ませたところで、逆城さんの案件は一応の決着がついた。そこで初めて本件を所員にオープンすることにした。

 俺も含め、調査業に携わる者が目を背けることのできない理不尽な現実。それとどう折り合いをつけていけばいいのか。永劫に答えの出ない宿題だ。だが、だからと言って無視することはできない。決してできない。


 鬼沢さんを含め、所員全員が揃っている日を見計らって緊急報告会を始める。


「済みません。みなさんが手がけている案件は、年内分は一応の決着、もしくは見通しが立っているはずです。みなさんの報告に嘘偽りがなければ、ですが」

「嘘ぉ? そんなのありませんよう」


 小林さんがぷっと頬を膨らませたのを見て、思わず微笑む。


「いいね。これからずっとそう行きたいものです。でもね」


 ぐるっとメンバーを見渡してから、伏せてあった案件を公開する。


「みなさんが持たれている案件とは別に、小さな人探しの案件が来て、私が担当しました。本来ならばすぐみなさんと情報共有しなければならないんですが……」


 一度言葉を切り、一人一人の目をじっと見据える。


「とても重い案件だったんです。年末の雑然とした雰囲気の中にあってもその賑わいに決して紛れることのない、どうしようもなく重くて暗い案件です」


 ざわついていた室内が、しんと静まる。


「本案件は、もう片がついています。事務所が請け負った案件としては、ね。でも、キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘を喘ぎながら登ったように、私も本案件の重荷を生涯背負うつもりです。そして皆さんも」


 いつもの手帳をぽんと机に置いて、それを指差す。


「自分ならどうしただろうかと。しっかり考えていただきたいんです。繰り返しますが、案件としてはすでに完了しています。ですので本報告はあくまでも教材ですが、死ぬまで答えの出ない宿題だと……捉えてください」


◇ ◇ ◇


「まず、事実から説明いたします」


 各人が手帳やノートを開いて筆記する態勢を取った。その準備が整うのを待って、ゆっくり続きを話す。


「依頼人は、逆城信安という六十過ぎの男性です。依頼内容は、逆城忠志という十年来会っていない息子を探し出して欲しいというものでした」


 探し人担当の今野さんは、その依頼のどこに深刻さがあるんだろうと首を傾げている。だが、沢本さん、夏ちゃん、そして小林さんは、息子の名前を聞いた途端真っ青になった。


「そ、それって」

「えらいこっちゃ、だろ?」

「はいいいっ」

「え? どして?」


 きょとんとしていた今野さんに、事情を話す。


「今野さんがうちに来られる直前に、事務所総出で当たった大きな案件があったんですよ」

「総出、ですか」

「はい。人命に関わりそうな危険な状況。でも緊急性が高いのに、警察を噛ませることができない。どうしても警察を動かすためのファクトが欲しい。そういう依頼でした」

「うわ……」


 結果的にだがヤの字絡みの案件だったし、安全第一のフレディのところでは絶対に請けないだろう。今野さんの顔が引きつっている。


「警察を動かすためのファクトがなんとか得られたので、そこから先は警察にバトンタッチ。最終的には刑事事件になっています。でね」

「はい」

「私たちは、悪事をやらかしていたやつの身元特定を請け負ったことになるんですが」


 沢本さんが、しかめ面のままでがらがら声を張り上げた。


「そいつの名前が、逆城忠志っていうんだよ」

「げええっ」


 今野さん、絶句。


「とんでもない偶然なんですけどね。でも依頼者がここに見えた時、嫌な予感がしたんです」

「だろうな。そうある苗字じゃないから」

「ええ」

「その忠志っていう人は、今どうなっているんですか?」


 隅っこにいた鬼沢さんがこそっと聞いた。


「逮捕されました。今は取調べの真っ最中です。傷害致死事件を起こして逃げていた上に、脅迫、監禁、その他もろもろの罪がたっぷりトッピングされてます。マエもいっぱいありますし、今回のを全部足し合わせたら一生塀の中にいろというくらいの量刑になりますね」

「ひっ」


 被告人弁護もできるはずの鬼沢さんは、縮み上がってぶるぶる震えている。うん、こういうのとはできるだけ関わらない方がいいと思う。


「でもね、依頼人が見つけ出してくれと言っている人物はすでに見つかっているわけです。当事務所としては、すぐ依頼人に報告ができるイージーな案件のはず」

「違うのかい?」


 沢本さんが、ぐんと身を乗り出した。


「イージーだったら、こんな報告なんかしませんよ。茶飲み話で終わらせます。でも……」


 俺は、開いた手帳の一文をずっと見据えていた。


『午前九時三十八分。死亡』


「依頼者の逆城信安さんは、臨終間際の重病人でした。ここに自力で来れたことが奇跡だと思えるくらいのね」


 室内が、水を打ったように静まり返った。


「私は……信安さんの最期を看取ったんですよ」


 俺は彼の命綱になりたかったよ。でも、それはどうしても叶わなかった。俺の手は彼を此岸に引っ張り戻すことができなかったんだ。もちろん、やまいが冷徹な大鎌を振り下ろすことは防げなかったさ。それでも……それでも。


 一度口にしようとした言葉を引き取り、心の中で苦味と共に噛み直す。それから、ゆっくり提言に変える。


「これからみなさんにいくつか宿題を出します。この宿題には正答がありません。そして先ほど言ったように、私も生涯この宿題に取り組もうと思っています。出題の前に、背景説明をいたします」


 静まり返ったままの室内に、かさかさと紙をめくる音が響き始めた。


「信安さんは、犯罪被害者ではなく加害者の家族です。息子が悪事をやらかすたびに周囲の白眼視がひどくなり、奥様と離婚されて、家も職も失っています。経済的にひどく困窮して、病院にもまともにかかれていませんでした」

「ああ……それで……か」

「癌が全身に転移しても、入院するどころか病院にもまともに行けていません」


 事件を起こしてしまった夏ちゃんにとっては辛い状況説明だろう。書き取りの手が止まっている。だが、現実を直視しないことには始まらない。


「最初の問題です。死期を悟った信安さんは、なぜ息子を探し当てようとしたのでしょう。二問目。信安さんは息子の現状を知っていたでしょうか、知らなかったでしょうか。三問目。息子の消息がわかったとして、信安さんはそのあとどうなさるつもりだったのでしょう」


 全員の書き取りの手が止まった。


「う……」


 歯を食いしばるようにして、小林さんが書き取った問題を睨みつけている。


「先ほども申しましたが、この宿題には答えがありません。もちろん私も答えを知りませんので、私がどう考えたかをみなさんにお示しすることもありません。各人で、よく考えてみてください」

「こらあ……」


 沢本さんが、ぐりぐりと首を振りながら弱音を漏らした。


「ごっつい宿題だわ」

「はい」


 みんなのつく溜息が、室内を徐々に曇らせ始めた。いや、さっきのはまだ小物なんだ。その上に、もっとでかくて難しいやつが控えている。それを予告しておく。


「宿題はこれで終わりじゃないですよ。もう一つ、とてつもなく大きな宿題があるんです。それが何かは、ここではお示ししません。四つ目の大問は、夏ちゃんの結婚祝賀会の時に披露することにします」

「ええー? おめでたい席なのにぃ!」

「あはは。そうなんだけどね。本件に限らず、全ての案件に共通の大事なこと。そして、仕事とは関係なくプライベートでも大事になることだからさ」


 机の上に開いてあった手帳を拾い上げ、ぱたっと音を立てて閉じる。


「本案件は、依頼内容から見ればとても小さくてイージーな案件でした。でも」


 握りしめた信安さんの手。最後に残されていた温もりと失われていった熱を思い返しながら。俺は話を終えた。


「どうしても解決することができない案件でもあるんです。そのことを。どうか心に留めておいてください


 逆城さんの案件は、泥棒犬の一件同様俺の心に深い傷を残すことになった。それを傷のままにしておけば、俺はせっかく貯めて来た心の蓄えを全部吐き出してしまうことになる。

 あの日、故人の枕頭ちんとうに座って松沢さんと語り合った時にもらえたヒント。それをこれからの人生や事務所の運営に活かしていくことでしか、逆城さんの菩提を弔うすべはないのだろう。


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