(4)

 宿題ってのは、本来はやらされるもんじゃなく自発的にやるもんだ。でも実際には、押し付けられて意味もわからず嫌々やることが多い。佐伯さんや小林さんの意識の中では、俺が出した宿題の真意がまだ十分に理解されていないだろう。それはしゃあないよ。

 二人の意識の中で、やらされる宿題から自ら設定してこなす宿題に変わるまで。俺の試行錯誤はまだまだ続くだろう。その間に、俺自身の宿題も片付けていかないとならない。


「本務だけさくさくこなすってのが理想だが、俺には死ぬまでできそうにないな」


 ぶつくさ言いながら夕飯の後片付けをしていたら、月乃の授乳を終えたひろが突っ込んできた。


「なんの話?」

「いや、宿題さ。学生の時には大嫌いだったが、こんな年になっても縁が切れないってのは面倒臭いなと思ってよ」

「まあね」


 笑うかと思ったひろも、俺と同じように顔をしかめた。


「ん? ひろの方も何かあるのか?」

「うちは過渡期よ。業績はいいけど、人が……ね」

「ああ、そっちか。業態が複雑だからなあ」

「そうなの。部署によって完全に分業化されているなら、誰を採るにしても駒で済む。でも、うちはそういうところじゃないからさ」

「わかる。一人何役も求められるってことだろ?」

「何から何までこなせってことじゃないけど。少なくとも、アンテナだけはきっちり張ってて欲しいんだよね」

「なるほどなあ」


 ひろがぶるぶると首を振る。


「まだ会社が小さいうちは、そういうことを社長やわたしが言わなくても、みんなそれぞれに意識してたんだ。でも、大きくなったでしょ?」

「丼が大きくなったのに、具が小さくなったってことか」

「わあお! ぴったり!」


 でかい声を出したひろにびっくりして、月乃がぐずり出した。ひろから月乃を受け取って、俺が抱っこする。


「具が小さくなったこと。それが新人の小粒化による絶対的なものか、社が大きくなったことによる相対的なものか。わたしたちにはまだ判断し切れてないの」

「なるほどなあ」

「これから、人事がとんでもなく難しくなるわ」


 リトルバーズの営業は一種の専門職に近い。売り上げてなんぼというより、客と社のクリエイト部門とのコーディネーションが主務なんだ。馬力や根性だけでこなせるような単純なものでは決してない。その上ひろは営業部のトップとして、社員を束ねている。仕事だけではなく、人も編まないとならないってことだ。


「いずこも同じ、か」

「みさちゃんの方は?」

「小林さんの方は目処が立ちつつある。ただ、実働部隊が俺一人ではきつい。前から言ってるように調査員がもう一人欲しいんだが、そこがな」

「求人は?」

「かけない。いや……かけられない。給料を支払う保証がまだできないからね。どこかで博打を打たんとならんが、今はまだそのタイミングじゃない」

「タイミング……か」

「提出期限なしの宿題は、宿題とは言わない。そこがものすごく厄介なんだよ」


 ふううっ。正直俺は、小林さんや佐伯さんの宿題のことをとやかく言える立場にはない。ただ、二人は宿題を課さないとなかなか動かない、もしくは動けない。それだけなんだ。


「ああ、そうだ。ひろに一つ頼みがあるんだ」

「なに?」

「さっきの人事絡みの話。社員募集の時に、試験と面接で決めるという風にはしないんだろ?」

「型にはまった子は使えない。仮採用して、実力見極めて、ちゃんと基準をクリアできれば本採用って形にしてる。手間暇はかかるけど、どっちにとっても運命がかかるからね」

「一種のインターンシップ方式なんだろ?」

「そうなのかな。採用前提にはしてないから、大手とは違うけど」

「そこに、佐伯さんを組み込んで欲しいんだ」

「はあっ?」


 ひろにとっては寝耳に水の話だったようだが、俺は最初からそれを考えてたんだ。


「ちょっと、みさちゃん。採用前提で彼女を見てくれっていうわけ?」

「逆。なぜ使えないかを、きちんと佐伯さんに意識させたいんだ」

「え?」


 それも、ひろにとってはまるっきりの予想外だったらしい。


「あのな。彼女は、どこにいても、どんな仕事も、おそらくこなせる」

「……有能なの?」

「違う。こなせる」


 ぐいっと腕を組んだひろが、そのまま俺の意図を探り始めた。


「こなせる……か」

「そう。でも、ひろの社では決してそういう人物は採用しない。だろ?」

「ああっ!」


 あーあ。ひろのでかい声で、せっかくおねむになってた月乃が起きちまった。ぐずり始めた月乃をあやしながら、続きを話す。


「小林さんと佐伯さん。どちらもアクシデントに巻き込まれて人生うまく行ってない。でもアクシデントと言いながら、失敗は必然だったと思う」

「ふうん。どして?」

「二人揃って、自分を活かすっていう発想がないからさ。それじゃ食い物にされるだけだよ。そして、実際にそうなってる」


 月乃に問いかけるようにして、話を続ける。


「小林さんも佐伯さんも、自我は強いんだよ」

「ええー? そんな風には見えないけどなー」

「自我がへろへろな者同士で取っ組み合いになんかならないよ」

「げええっ! も、もしかして。今日?」

「激しかったぜー」


 口あんぐりのひろを見て、思わず苦笑してしまう。普段の二人を見て、その心の奥を読み出せるやつはほとんどいないだろう。それがこのまま続くのは、とんでもなくまずいんだ。


「小林さんは、自我を他人と交差させる手段があまりに稚拙。佐伯さんは、自我を従順というラベルでまるまる隠しちゃってる。二人に共通してるのは、想像力の欠如なんだよ」

「想像力……かあ」

「芸術的な想像力じゃない。自分を改善すればこんな未来がゲット出来るかも。そういう想像力が徹底的に足りないんだ」

「ペシミストってこと?」

「いや、ペシミスト以前だよ。思考放棄に近い」

「うわ……」


 信じられないって顔のひろ。


「でも、自我が潰れているわけでないなら、そこは必ず改善できるはずだよ。で、即物的な改善手段については、今日三人で話し合ったんだ」

「おおー、やるじゃん!」

「アフターを業務に組み込んだからね」


 ひろが、まあた金にならない仕事増やしてって呆れてる。まあな。


「ただ、心の問題だけはいくら外から指摘しても治らない。後ろ……過去の解析だけじゃ、どこかが悪い足らないという理解はできても改善には繋がらないんだ。どうしても、前に置ける目標……駆動力が要る」

「あ、そうか。だから想像力ってことか」

「ああ」


 俺は、手一杯ひろを持ち上げた。


「ひろもリトルバーズも、規格外なんだよ。会社なんてこんなもんだっていう一般論の世界をはるかに踏み越えてる。そういう環境に置かないと、結局佐伯さんは順応してしまう。順応っていえば聞こえはいいけど、それは自分を取り崩すことだ」

「うん、わかる。確かにそうね」

「がんばればできるかもしれないっていうレンジじゃ、想像力にはつながらない。死に物狂いでトライしたい。そういう渇望とか反骨につながるような経験をさせたいんだ」


 にっ! ひろが不敵に笑った。


「社長に話してみるね」

「頼む。すぐにってことじゃない。佐伯さんは、後見人になる勝山ばあちゃんとの同居が今日から始まったんだ。共同生活に馴染んだところで、改めて相談に乗ってほしい」

「わかったー。勝山さん、喜んでたでしょ」

「ああ。賑やかになるからね。ただ……」

「なにか?」

「佐伯さんのかぶっている猫を、いつ追い払えるかだなあ」

「猫……か」

「佐伯さんが従順なのは、あくまでもツールだよ。その下のものをちゃんとばあちゃんに見せないと、どっちも不幸になるからな」


◇ ◇ ◇


 もうちょっとひろと話を詰めたかったが、月乃のぐずりがひどくなった上に隼人まで乱入してきて、早々に切上げざるをえなくなった。まあ、インターンシップの話を振れたことでよしとしよう。

 子供二人を連れて先に寝室に行ったひろの背を見送り、リビングに戻った俺は手帳を開く。今日だけでもう三冊目だ。


「たった一日。それでこれだけ変わるってのは、いいんだか悪いんだか」


 苦笑を織り込みながら、せっせとボールペンを走らせる。


 一番変化が大きかったのは、佐伯さんだろう。今日はものすごく疲れたと思う。案件の料金清算。田中の腐れ金の利用手続き。三中さん、俺との委託契約締結。小林さんとの激しい取っ組み合いのあとで、シビアな座学。そのあと仕事を辞めて、勝山ばあちゃんとの同居をスタートさせて。まるで、ジェットコースターに乗っちまったみたいに感じたかもしれない。でも、その大きな変化は佐伯さん自身が選び取ったんだ。誰かがそうしろと強制したわけではない。俺は……それだけは見誤って欲しくないんだよ。

 そして。勝山ばあちゃんとの同居は、シェルターに逃げ込むことではなく、これから未来を掴み取るための橋頭堡の構築。そういう発想ができないと、佐伯さんは結局同じ失敗を繰り返すだろう。何もかも抱え込もうとするばあちゃんを、きちんと押し返せるか。それは……まだ分からない。佐伯さんの宿題は未提出のままだ。


 小林さんも、今日はハードだったろう。まさか、激しい取っ組み合いをするはめになるとは思っていなかっただろうし、調査員にトライしろという俺の提案や、座学や宿題も予想外だったはずだ。

 だが、佐伯さんよりもっと時間がかかると思っていた小林さんの方が、むしろいい感じに動き出してる。変化に耐えるのではなく、変化にチャレンジする姿勢が垣間見えるようになった。もっとも、事務所が逃げ場所になっている状況が大きく変わったわけではないから、まだ安心はできない。小林さんの宿題も、提出されるのはもっと先だろう。


「はあっ……」


 でかい溜息を栞代わりに挟み込んで、ぱたっと手帳を畳む。そうさ。偉そうにいろいろぶちかましてるが、俺の抱えている宿題が一番先に提出期限を迎えるんだよ。小林さんや佐伯さんのと違って、そっちは待った無しなんだ。あまり請けたくない筋から依頼が飛んできそうな気配がすでにある。俺一人でそいつをこなせない状況になれば、調査員をどうしても確保しなくちゃならない。


 絶対にしたくなかったギャンブル。それが不可避になってしまったのは誰のせいだ? ずっと課題を先延ばしにしてきた……宿題をさぼってしまった俺自身の怠慢のせいじゃないか!

 課題満載の手帳を睨みつけて、全力で悪態をついた。


「ばかやろう! 宿題なんか、さっさと片付けろ!」



【第八話 宿題 了】



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