(7)

 マンションを出て事務所に戻るまでの間に、スマホで田中と称する男が住んでいた家をもう一度調べてみる。


「絶対にまともな男じゃない。いや、その男だけでなくて、妻と言ってる女も、今佐伯さんをつけてる連中も、全員臭う。たぶん、表に出ている貿易商という部分だけが真実じゃないかな」


 確証はまだなにもない。俺の勘だけだ。でも、その勘は無から発生したものではない。佐伯さんの身上、これまでの経緯、そして今連中が起こしている行動。それらが一番フィットする勘だ。恐らく、大きく外れるってことはないだろう。あいつらの行動自体が全部オープンだからね。


 俺はスマホで、代表取締役が田中渉という貿易会社があるかどうかを片っ端から調べてみた。もし、それが幽霊会社ダミーなら検索には上がってこない。だが、それらしい会社は実在し、しかも本業以外ですでに有名なところだった。そこは俺の読み通りだったが、俺の突っ込むべき領域ではない。ただ、警察がストーカーたちを抑止出来ていない理由については容易に想像がついた。


「よし、と。次は江畑さんだな」


 江畑さんの携帯に電話した俺は、佐伯さんという女の子に絡む疑惑とそれに対する俺の推論を洗いざらいぶちまけた。それは、何も知らない一般人には荒唐無稽な作り話そのものだろう。でも、江畑さんの反応は違った。


「それだけ足跡が黒いなら、もう上の連中ががっつり張ってるだろ」


 やっぱりか。


「じゃあ、フレディに弁護士さんを借りて、先に動きます」

「おっけー。それが済んだらすぐ知らせてくれ。俺から情報を流す。突破口が開けば、すぐに上が動くはずだ」

「時間勝負ですね」

「表に顔が出てるから、切り代になってるそいつは逃げられないよ。あとは芋蔓引っ張れるかどうかだけだろな」

「ええ」


 事務所に戻って、すぐに外出準備。ぼけーっと暇そうにしていた小林さんに声をかける。


「ああ、小林さん。私は依頼者との面談に出かけるから、留守番頼むね」

「えええーっ?」


 いきなりそんなことになると思っていなかった小林さんは、真っ青。


「何言ってんの。それが仕事じゃん。電話はかかってこないと思うから、のんびりしてていいよ」

「何時に……帰ってくるの……んですか」

「預けてある子供を迎えに行かないとならないから、五時前には戻るよ」

「わかり……ました」


 小林さんの机の上に事務所の合鍵と五百円玉をぱちぱちと置いて、事務所を出る。


「昼ご飯食べといで。あと、外に出る時には必ず事務所に鍵かけていってね」

「はい」


◇ ◇ ◇


 武田さんに指定されたスーパーの入り口。アンケートボードを持った俺は、手に黄色いハンカチを持ったあらさーの女性が来るのを待っていた。


「お、あれだな」


 奥様同士というにはあまりに覇気のない二人連れが、とぼとぼと歩いてくる。女性の一人は目印のハンカチを、目印としてではなく本当に涙を拭くのに使っている様子。ご主人の猛烈な裏切りが、ひどくショックだったんだろう。麻矢さんも容貌が地味だけど、武田さんも決して美人ではない。年相応の、生活臭のするママさんだ。


 麻矢さんは、あの頃より少しふっくらした感じになっていたが、持ってる雰囲気はあの頃のまま。あまり人と接点を持ちたくない、そっとしといてほしい、そういうオーラが爆裂していた。まあ……よく結婚出来たもんだ。


「こんにちは」

「あ……」


 変装していた俺に気付いた麻矢さんが、絶句。


「あ、ああ……中村さん……ですか?」

「ちーっす。おひさしぶりー。むっさいおっさんになったでしょ?」


 麻矢さん、こそっと苦笑い。


「そちらが武田さんですね。中村です。初めまして」

「……はい」

「時間がないので、要点だけ。ご主人の浮気相手の方、お名前が分かりますか?」

「はい。青木……です」

「で、その方、同じ幼稚園にお子さんを通わせてるママさんじゃないですか?」


 ぐん! 力一杯武田さんが頷いた。それを、麻矢さんが心配そうに見守っている。


「やっぱりか……」

「え?」


 麻矢さんが、ほける。


「あの……どうしてそれが分かったんですか?」

「ああ、その女のやり口があまりに露骨だからです」


 麻矢さんと武田さんをスーパーの入り口から引き剥がして、少し離れた緑地帯に誘導する。見かけは、俺がアンケートを取る態勢に入ったように見えるだろう。


「すみません、ご主人の写っている写真を見せていただけますか?」

「……はい」


 幼稚園の運動会で、麻矢さんの一家と一緒に撮られた武田さん一家のスナップフォトをじっくり精査する。麻矢さんのご主人も武田さんのご主人も、特段ハンサムということはない。俺よりは若いが、いわゆるおっさんだ。ヤンママがよろめくような、セックスアピールむんむんのタイプではない。

 そして、もう一枚のスナップに映り込んでいた浮気相手の女の写真は、ママさんでありながら色気があり余っている感じだった。若く、露出部分が極端に多く、見るからに性的欲求過剰に見える。だが、それは見え見えの撒き餌だよ。

 女が浮気相手を探す場所としては、幼稚園てのはそもそも不向きなんだ。こういう運動会やお遊戯会みたいなイベントの時にしかダンナが来ないし、その時にはファミリーで来るんだ。アプローチの機会が限られている上に、すぐに関係がバレる。どんなバカな女でも、それくらいは分かるだろ? それなのに、あえてバカをやらかす意味。……あれしかないよな。


「夫婦間の問題に関して。私は、関係修復のお手伝いまでは承けかねます。ただ、これからご夫婦で話し合いを持たれる際に、あなたが有利になるような材料だけは調査して揃えることが出来ます。それを承諾してくだされば、案件としてお受けできますが」

「お願いします」


 即返だった。


「分かりました。一つだけ忠告しておきます」

「なんでしょう?」

「あなたは、ご主人の裏切りが絶対に許せないと思います」

「はい!」


 武田さんの目から、また涙が溢れ始めた。


「でもね、ご主人の方から助けてくれという救助信号が来るはず。それは必ず受け入れてください」

「は? なぜっ?」


 そんなのありえないという風に、武田さんが気色ばんだ。気持ちはわかるけどね。


「破滅するのがご主人だけじゃ済まなくなるからですよ。騒ぎすぎると、あなたも必ず巻き添えを食います」

「あの……どういうこと?」


 麻矢さんが、目を白黒させてる。


「すぐに分かります。私は調査結果を持って、あなたのお宅に伺います。ご主人がすでに浮気の事実をおおっぴらにしている以上、こそこそ動く必要はないですよね?」

「はい」

「その時に、調査費用の支払いをお願いしますね」


 俺は、調査代金の一覧表を武田さんに手渡した。


「手切れ金代わりなら、安いもんでしょう。うちの調査費用はすごくリーズナブルだし」


◇ ◇ ◇


「ただいま」

「お疲れさま……です」

「電話は?」


 拍子抜けしたように、小林さんがぼそっと答えた。


「なかったですー」

「だろ? そんなもんだよ。出足が異常なんだ。あまり暇過ぎてもおまんまが食えないから、そこらへんの匙加減がなあ」

「あの……」

「うん?」

「もう一件の方は?」

「幸い、依頼になりそう。ただ働きはしないで済むかな。今月はあと一つくらいヒマネタがくれば、あとはもういいやって感じだな」

「ヒマネタって……なんですか?」

「探しものだよ。逃げた犬、猫、鳥、落し物とかね」

「そういうのも、探偵の仕事なの? あ、ですか?」

「てか、そっちの方が圧倒的に多いよ。名探偵コナンみたいなのは絵空事さ」

「ふうん……」


 自発性はまだ皆無だけど、好奇心は外に向くようになってきてる。三つ目の案件も、今の所は順調だろう。こっちは最後まで持ち出しだけどな。まあ、しゃあない。


「さて。子供を迎えに行かないとならないから、今日はこれで閉める。お疲れ様」

「うん……」


 帰りたくない感、爆裂。たぶん、お父さんからずっと嫌味を言われてるんだろう。まあ、どっちもどっちだよなあ。娘の方だけを責めるのは酷だ。


 事務所に施錠し、とぼとぼと帰る小林さんの背中を見送る。


「ふうう」


 いきなりの三件同時進行。どうなるかと思ったが、取りあえず今回は俺一人でなんとか対応出来そうだ。だが、こういう短期決戦で片が付く恵まれたケースばかりとは限らない。やっぱり、もう一人の確保をなんとか考えないと先々きつくなるだろう。うーん、どうするかだよなあ。と、いくら考えたところで妙案がぽんぽん出てくるわけもなく。一つ一つ片付けながら、都度プランを組み直していくしかない。

 それにしても。ゼニカネの心配をしなくても済むようにするには、同時進行が当たり前くらいにならんとダメってことなのに。この程度でひいひい言ってるようじゃ、まだまだだよなあ。


「俺も立派にぐだぐだだよ。人のことなんか偉そうに言えやしない。はあ……」



【第三話 同時進行】


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