(6)

「佐伯さんに今必要なのは、ストーカーの脅迫から逃れること。お子さんと一緒にちょっとの間人目に付かないところへ避難する、それだけです。その間に監視を強制的に解除させましょう」

「あの……それは中村さんがやるんですか?」

「レントゲン撮ったら向こうの景色が透けて見えるような痩せっぽち男に、ごっつい荒技なんか出来ませんよ」


 ぷっと吹き出した小林さん。園長さんも佐伯さんも苦笑いしてる。


「私は、男が引かざるをえないようにする事実ファクトを集めるだけ。それは調査ですから私に出来ますし、その調査結果があれば動けるところを知っていますので」

「はあ……」


 園長さんは、大丈夫かしらっていう風に何度も俺を見回してる。大丈夫さ。俺が最前面に立たない限り、ね。さて。


「ねえ、佐伯さん」

「はい」

「あなたにとって大事なのは、これまで、ではなく、これから、なんですよ。その若さでシンママ。孤児で身寄りがなく、いざという時の拠り所がなにもない」

「……はい」

「今まで他者に悪用されていたあなたの致命的な弱点をどこかで埋めていかないと、本件が片付いてもまた同様のトラブルが再発しかねません」


 ぐったり。まあ、そらそうだ。今まで耐え抜いてこれた方がおかしいんだ。


「大丈夫。世の中には、園長さんのような素晴らしい理解者が必ずいます。そういう方がいる限り、なんとかなりますから。未来を諦めないでくださいね」


 それまで打ち沈んでいた佐伯さんが、ぐいっと顔を上げて大きく頷いた。


「はいっ!」

「今お勤めされているところでは、気持ち良く仕事出来てますか?」

「いい人ばっかです」


 うん。佐伯さんが即座に答えたこと。きっと、佐伯さんのけなげさをプラス評価してくれる人ばかりなんだろう。……表面上は、ね。そこにも探りを入れておかないとならない。


「じゃあ、佐伯さんのお勤め先には園長さんの方から事情説明をしていただいて、佐伯さんもお子さんも体調がよくないそうなので三日間休ませますと、佐伯さんの代わりに欠勤を申し出てあげてください」

「三日で……いいんですか?」

「三日で済ませないと、ひどく面倒なことになります」

「う……」

「佐伯さんは、職場からの電話には出ないでくださいね。いかなる形でも、あなたの居場所が外部に漏れるのは困ります。携帯の電源を切っておいてください」

「はい」

「残る問題は、どこに避難するかだなあ」

「うちではだめですか?」


 園長さんが、ぐいっと身を乗り出した。


「小野寺さんのお宅は一戸建てですか? マンションですか?」

「戸建てですが……」

「それじゃダメです。人の出入りをチェック出来る監視カメラがあって、管理人が常駐しているマンション。それが必要なんですよ。そうだな……」


 勝山のばあちゃんに頼んで見るか。携帯を出して、電話をかける。


「ああ、勝山さんですか? 中村ですー。こんにちは」

「あら、中村さん。どうなさったの?」

「ちょっと急な話で申し訳ないんですが、シンママさんを一人、赤ちゃん込みで三日ほど預かっていただけないですか?」

「えええっ?」


 仰天してるだろなあ。


「ちょっと事態が切迫しているもので、籠城させたいんですよ」

「あの……危ないの?」


 ばあちゃんの心配は当然だ。


「いえ、うちのマンションはセキュリティがしっかりしてますので、そっちの心配はないです。戸外に出したくないんですよ。彼女と子供の安全確保だけです」

「ああ、そうなの」


 ほっとしたんだろう。


「中村さんにはすごくお世話になったからね。わたしは、かまわないわよ」

「すみません、いきなり厄介なことをお願いして」

「いいえー。困った時はお互い様よ」


 よし! 電話を切って、すぐ通達。


「佐伯さん。私が住んでいる同じマンションに、勝山さんという一人暮らしのおばあちゃんがいるんです。その方のお宅に潜んでいてください」

「あの……いきなりで迷惑じゃ」


 すごく恐縮してる。


「のんびり対応できるなら、公的なところも含めて検討するんですけどね。あなたが行動パターンを変えたのを察知した途端に、向こうが派手に動きだすでしょう。猶予がないんです!」


 俺がびしっと宣言したことで、佐伯さんも仕方ないと思ったんだろう。


「すみません」

「いや、早いとこすっきりさせましょう」


 ふう……。加害者から費用回収出来ればただ働きをしないで済むんだが、オチがまだわからんからなあ。


 と。だだあっと一気に流れを作ったところで、それを待ってたように電話が鳴った。


「ちっ! やっぱり来やがったか」


 ぼーっとソファーに座っていた小林さんに、受話を指示する。


「出て」

「あ、は、はいっ」


 マニュアルを開いて一つ深呼吸をした小林さんが、受話器を取った。


「はい。中村探偵事務所です。武田さま、でございますね。お電話ありがとうございます。今所長に代わりますので、少々お待ち下さい」


 よーし、それだけ出来ればばっちりだ。オーケーサインを出して、受話器を受け取る。さっきは涙に邪魔された聞き取りを再開しよう。


「武田さん、いくつか伺いたいことがあるので、そちらに出向きたいんですが」

「あの……直接会うのはちょっと」

「それは分かるんですが、調査でない限り私はお引き受けできません。調査としてお引き受けできるかどうかも含めて相談ということであれば、面談はどうしても必要なんです」

「……」

「もちろん、武田さんのご心配はよく分かりますので、井上さんと一緒にお近くのスーパーに出向いてください。そのスーパーの住所と時間を指定していただければ、私がそちらに出向きます。見た目はアンケーターとして、ね」

「あ……そうか」

「それなら、大丈夫でしょう?」

「はい。助かります」


 一度電話を切って麻矢さんと連絡を取ってもらい、午後一時にベストマート小木店集合ということにした。


「よし、と」

「あの……」


 園長さんが、首を傾げた。


「佐伯さんの他にも何かあるんですか?」

「そうなんですよ。依頼がない時は閑古鳥が鳴きまくっているのに、あるとなったら三つも重なる。同時進行じゃ身がもたないです」

「へ? 三つ?」


 小林さんが変な声を出したから、すかさずどやした。


「君のも案件なんだよ!」

「うう」


◇ ◇ ◇


 複数案件の掛け持ち。今までの俺ならまずやらなかったし、そういう状況になったこともほとんどなかった。だがこれからは、そうなることをむしろ常態化させないとならないわけで。小林さんにとってだけでなく、俺にとっても重要なトレーニングになる。いかに調査と対策を効率よくこなしていくか。それがカギだ。俺は時間を効率よく使う方だと思うが、それをさらにブラッシュアップしていかなければならない。


「よし、と」


 武田さんとの待ち合わせ場所に向かう前に、園長さんと佐伯さんにうちのマンションに来てもらう。初対面の勝山さんと面通しをするのに、佐伯さんだけだと荷が重いだろうからね。


 勝山さんの部屋は上層階にあるので、エントランスを通らず部屋に侵入するのはほぼ不可能だろう。入り口のセキュリティーゲートはダブルだし、入ってくる人物は管理人室から丸見えで、潜めるような場所もどこにもない。鍵を持っていない限り、関係者以外は容易に建物内に入れないんだ。もし佐伯さんがうちに相談に来たことが向こうにバレていても、俺と勝山さんとの繋がりはすぐには分からないはず。俺までならともかく、勝山さんまではたどり着けないだろう。

 まあ。こっちで先手が打てれば、向こうが出撃する余地はなくなる。一刻も早くそう持っていかないとな。


「勝山さーん」

「はあい」


 ドアフォンを鳴らしたら、すぐにばあちゃんが出てきた。そして、佐伯さんを見て仰天した。


「まあまあまあ、こんなにお若いのにお子さんが?」

「そうなんですよー。いろいろ訳があるので」

「大変ねえ。何もお構いできませんけど、お上りください」


 俺も一緒に入って事情説明したいところなんだが、生憎別件を抱えてる。


「済みません、勝山さん。私はこの後別の依頼人と面談が控えているので、詳しい説明はそれが終わってからでよろしいでしょうか?」

「かまいませんよ。行ってらっしゃい」


 ばあちゃんは、にこにこ笑いながら手を振った。


「済みません、園長さん。そういうことで、私はちょっと中座いたします。園長さんの方から、概略の事情説明をしていただけると助かります」

「分かりました」

「お手数をおかけして申し訳ありません。では、また後ほど」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る