(5)

「私たち探偵には、何の権限もありません。一般人なんです。ですから、力に頼れる部分がどこにもありません。かっこいい探偵小説みたいのは絵空事。私たちが使えるものは、基本足と目と頭しかないんです。探偵社が弱小か大手かは全く関係なく、ね。分かりますか?」

「は……あ」

「愛美さんの件に関しては、ジョンソンさんが大きなリスクがあるのは覚悟の上で奪還まで踏み込んでくれました。でもジョンソン所長は、実力行使は絶対にやりたくなかったんですよ。逆恨みしたヤクザを敵に回すと、苦労して築き上げた社が潰れかねませんから。ジョンソン所長の中では、愛美さんの奪還が無事に完了したところでもう業務終了なんです。それなのに、なぜアフターケアを熱心にやってくれたか」

「はい」

「愛美さんのリスタートが順調に進めば、ヤクザとの接点を極限まで小さく出来る。それだけなんですよ。あんな連中には二度と関わり合いたくないって、愛美さんが新しい自分を駆動すれば、連中との接点は消えます。でも、愛美さんに覚せい剤の悪影響や逃げ癖が残ってしまうと、いつどこでまた裏の連中に接触しようとするか分からない。それは、体を張って愛美さんを助けたジョンソン所長に跳ね返ってしまうんです」


 小林さんたちは、フレディの助力を厚意だと思っていたんだろう。違うよ。それはあくまでもフレディのリスク管理の一環なんだ。


「これまでは、どこかで愛美さんの姿勢が陽転するだろうと楽観的に考えてたジョンソン所長でしたけど、いつまでも腐ったままの愛美さんにうんざりしてサポートを切りにかかった。当社はあなた、そしてあなたに関わったヤクザとは一切関係がありません。そういう風にぱちんと切り替えようとしてる。だから、あなたと私に話を振ったんです。当面の居場所は紹介してあげるから、あとは自力でがんばりなさいってね」


 ご両親が絶句している。全く予想もしていなかったんだろう。


「もう一度繰り返しますね。当所では、一時的にあなたに隠れ場所を提供します。それはあくまでも緊急措置。私はシェルターを永続させるつもりはありません。そして、隠れ場所の提供に見合った労働を提供してもらう、バーター取引に致します」

「そうか。無給と言っても、ちゃんと需給のバランスは取れているということですね?」


 岸野さんが、主旨を噛み砕いて言ってくれた。助かる。


「そうです。この零細事務所には大手のJDAのような余裕は全くありません。それは最初にお話しした通りです。レンタルルームの使用料を働いて支払ってもらうと考えていただければ」

「……はい」

「仕事って言っても、重労働なんか何もありませんよ。ここで事務員としてやっていただくのは、事務所の電話番。それだけなんです」

「は? 電話番……だけなんですか?」

「それ以外、愛美さんになにが出来ますか?」


 思い切り顔を歪めて笑う。


「ははは。高校中退の、世間知らず礼儀知らずの、頭空っぽの根性無し。ケツの青い、潰しが効かない、しょうもないガキ。生きる苦労を何もしていないのに、態度だけはデカい。そんなごみくずのようなガキに、電話番以外の何が出来ます?」


 俺がいきなり口汚く罵ったことで、全員かちんこちんに固まってしまった。


「……って言いましたけどね。愛美さんくらいの年の私も、そうだったんですよ」

「えええっ?」

「私と姉は、両親からネグレクトに近い扱いを受けました。カネを投げ与えられただけで、他には何ももらえなかった。そういう人間がどんな風に育ちます? 社会性が極めて乏しい。考え方がひねこびる。無気力になるかとんがるか、どっちにしても性格が極端に偏る。私と姉は、今でもその悪影響に悩まされています」

「うわ」

「そんなどうしようもなく出来損ないの私が、どうやらこうやら世間様の言う『一般』の枠内に入れるようになったのは、社会人になってから。自分の肌で直接世の中の厳しさを感じ、逆風をどう乗り切るかを真剣に考えるようになってから、です」


 岸野さんが、にやっと笑った。


「なるほどね」

「はい。経験してないことは分からない。そこから。まず、そこからなんですよ」


 庇護っていうのは、裏返せば檻の中ってことさ。目的の違いはあっても、置かれた立場は収監されてる犯罪者と何も変わらないんだ。当然、世間様から向けられる視線も同じになる。それでもいいなら、俺は一向に構わんよ。俺の人生ではないんだし。でもそう見られるのが嫌なら、まず檻を出ないことには始まらんだろ?


「当所で求めているのは、とにかく口の堅い人。守秘が最優先の業種ですから、おしゃべりおばさんは絶対お断りなんです。愛美さんの場合は、関心が自分にしかない。だから私は余計な心配をしないで済む。ですので、愛美さんが外界との接点を広げるためのチャンスは提供します。あとは、機械のように電話に応対してくれればいい。私のリクエストはそれだけです」

「あの……」


 奥さんが、こわごわという感じで質問。


「それで……娘は、少しは良くなるんでしょうか?」


 思わず苦笑する。


「さあねえ。私はカウンセラーじゃありません。探偵です。愛美さんのケアは、私の職務ではありません。私に出来るのは、単に置き場所の提供だけ。あとは、愛美さん自身がどうするかに依存しますね」

「う……」

「私は、是が非でもここに来てくれとお願いするつもりはありません。ジョンソン所長の顔は立てますが、正直言って歓迎はいたしかねます。理由は言うまでもないと思いますが」


 ご夫婦揃って、くったり俯いてしまった。


「でもね、私はこれまでいろいろな方からチャンスとアドバイスを頂戴し、それを活かしてここまでやってこれました。愛美さんにもそう考えていただければ。私の言いたいのはそれだけです」


 話を終えた俺は、小林さんのご一家を丁重に送り出した。


「お返事をお待ちしていますね。愛美さんご本人がお一人で来所し、ご本人の口から直接ここで働きたいと申し述べられた場合だけ有効とします。そうでない場合は、ご縁がなかったということにしてください」


◇ ◇ ◇


 小林さんのご一家が帰られたあと、残された俺と岸野さんとで延長戦をやった。


「どうなりますかねえ……」

「さあ。でも、ご両親から突きつけられている選択肢が、両方とも愛美さんに受け入れられないものである以上、アクセスはしてくると思いますけどね」

「問題は、彼女が単独で動けるかどうか、か」

「無理でしょ。まだ自力では動けませんよ」

「でも……」

「ああ言わないと、結局駄々をこねて家に引きこもってしまうからね。どこかで起爆剤が必要でしょ」

「なるほど。そういうことですか」


 愛美さんがさっき座っていた場所に目を遣る。


「彼女は、自分に厳しいことを言うのは親だけだと思ってる。それ以外の人たちは、自分のことを気遣ってくれる存在だと思ってる。ネットや音楽でも、自分を慰めてくれるものしか容れてないでしょ。自分を侵さないものだけで周囲を固めて、その中に立てこもってる状態」

「ええ」

「でもそこから一歩でも踏み出せば、くだらない幻想は一瞬で木っ端微塵です。評価は、ネガティブなところからしか始まらない」


 風の強さ、冷たさは、風の当たるところでしかわからない。そして、愛美さんはまだ風に当たったことがない。それこそが最も大きな不幸であり、今現在も状況が全く変わっていない。


「彼女をこましたど腐れヤクザと世間一般の人たちとの間には、それほど大きな差はありません。掛け値無しで最初からプラス評価してくれる人なんかほとんどいませんし、もしそんなのがいたらそいつの魂胆を疑わないとならない。害はあっても、自分の足しにはなりませんよ」

「分かります」

「でしょ? おまえのここがよくない。気に入らない。このバカが! そうどやす人とのやり取りを通して、自分をどう修正したらいいのかが見えてくる。何を自分の長所として強化し、どの欠点を急いで解消しなければならないのかが見えてくる。社会人になるってこと。そこから、本当の勉強が始まるんじゃないかなあと」

「ええ」

「そしてね、その勉強には終わりがない。ここで修了ってのがない。ないからこそ、ずっと勉強して自分をマシにし続けていける。私はそう考えているんです」

「同感です」

「ははは。私はまだまだ勉強が足りません。今日の説教だって、もっとマイルドに出来たはずなんですけどねえ……」


 岸野さんが、俺の愚痴に苦笑で応えた。


「さて。形の上では新装オープンですが、ここはまだ開所してない。欠けているパーツが一通り揃って、新しい運営方針がちゃんと動き出すまでは仮営業です。その間に、いろいろ試行錯誤してみることにしますわ」

「なるほどなあ」

「フレディにそうお伝え下さい」

「小林さんの件は、まだ未決ということですね?」

「ええ。私の方ですぐに扉を閉ざすつもりはありません。ですが、こちらからの積極的な働きかけは一切しません。門戸はいつでも開けておくけど、入るなら自力で。それが私のスタンスです」

「分かりました。所長と小林さんのご両親に、そう伝えておきます」

「よろしくお願いいたします」


 ふうっという大きな吐息を残して、岸野さんが事務所を後にした。一人残った俺は、がりがりと頭を掻きながら時計を見遣る。


「何軒か特売を回って、帰るか……」



【第一話 新装オープン 了】

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