(2)

 ふう……。直接の被害者でなくても、事件に触れてしまった俺たちにもこうやって傷が残る。俺たちは自分に出来ることをした。犯罪の拡大を防いで、被害者の救出に全力を注いだ。それはちゃんと実を結んでる。それでも傷は残ってしまうんだ。くっきりと。もっと早くに気付けていれば。もっと的確に作戦を立てられれば。そして俺たちにもっと力があれば……。どうしようもない後悔と無力感が、俺たちの脳裏に消すことも癒すことも出来ない深い傷を穿うがつ。


 でも、今は。現実を見つめよう。俺は手帳を開いて、これまでの被害状況を確認した。


「ミストでの件。海外に出荷されてた女性が四人。うち一人はすでに死亡」

「!!」


 血相を変えて、左馬さんが立ち上がった。


「調教後段に入ってた、つまり裏に移されてた女性が六人。全て廃人寸前。光岡さんのように客を取らされてた調教前段の女性が、判明しているだけで十数人いる」

「確定してないの?」

「連中が、売り物にならんと途中で放り出した女性。それがどのくらいいるのか、まだ全容が分かんないんだよ」

「くっ!」

「店のリピーターにされていた、トラップにかかったばかりの女性。ガサ入れの時に保護された人だけど、それが五人。その他に、フレディの調査員さんや左馬さんのように薬を飲まされ、味見のために連れ出された女性が何人いるのかは、把握すら出来ないんだ」

「そ……んな」

「ミストでトラップされた女性の総数は、おそらく百人以上になると思う」


 どすん。腰が抜けたように、左馬さんがソファーに倒れ込んだ。


「光岡さんを含め、専門医による治療を要する女性がゆうに二十人を超すんだ。女性のみが被害者になった刑事事件としては、空前絶後の被害規模になる」

「首謀者は捕まったのっ?」

「前に言っただろ? センサーにはどうやっても到達出来ない。追加の事情聴取すら無理だよ」


 左馬さんの低い声が事務所内に響いた。


「ぶっ殺して……やる」


 おいおい。


「無理だって」

「どうしてよっ!」

「もしそいつを処刑したところで、被害に遭った女性が元に戻るわけじゃない。それよりも、新たな被害が出ないよう再発防止策を考える方が先だ」

「でも。そいつには何も出来ないんでしょ?」

「警察はね」

「……。どういうこと?」

「会議の時に俺が探偵としての縛りを外すと言ったのは、伊達や酔狂じゃないんだ。ちゃんと意味があるんだよ」

「殺し屋雇うとか?」


 ごいーん……思わずぶっこける。どういう発想じゃ!


「だあかあらあ、それじゃ意味がないって」

「どして?」


 頭に血が上ると、最終的に理性が吹っ飛ぶタイプだなー。とほほ……。


「センサーを直接加害しようとすれば、そいつを逆手に取られるんだ。やつじゃなく、俺らが犯罪者になっちまうんだよ。左馬さんはくず野郎に手を出して、その代償に一生刑務所の中にいてもいいわけ?」

「うぐう」

「俺はそんなのやだね。俺が合法的に使える手段でセンサーを抑え込めばいい。被害の再発を確実に防ぐこと。そっちの方がはるかに重要だよ」

「そんなこと、可能なのっ?」

「どうどうどう。興奮しなさんな」


 ったく。真っ直ぐなのはいいけど、一度闘志に火が着くと思考や行動がロケットのようにぶっ飛ぶんだよな。それは勘弁して欲しい。心臓に悪いよ。


「まず、俺の立場と出来ることをもう一度ちゃんと考えてみてよ。俺は、神様でも、スーパーマンでも、軍人でも、大統領でも、大金持ちでもない。超越した立場から何かするってのは最初から出来ないんだよ」

「むー」

「探偵ってのは、その字の通りで探るってことしか出来ないの。本来はね」

「本来は?」

「そう。チームMの顔合わせの時に言ったでしょ? 今回は、探偵としての縛りを外すって」

「外せばなんでも出来るんじゃないの?」

「左馬さんがリトルバーズのチーフをやめたら、アメリカの大統領になれるかい?」


 ずべっ。左馬さんが、ずっこけた。


「んなー」

「無理でしょ? その立場を離れたって、使えなかった力が無限に使えるわけじゃない」

「ううー。そっか」

「探偵として本来遵守しなければならない制約を緩める。俺にはそれしか出来ないの」

「制約って?」

「調査対象の人物への接触さ」

「……。それが、センサーを抑え込むことにどう関係するの?」

「まあ、それはあとのお楽しみってことにしといて」

「えーっ?」


 左馬さん的には、答えがきっちり出ないってのがどうにも不服なんだろう。思考回路がほんとにシンプルだね。


「それでね」

「うん?」


 まだぷりぷりお怒りモードだった左馬さんが、眉を吊り上げたまま俺の顔を睨みつけた。


「さっきも言ったけど、センサーを抑え込むのはあくまでも被害再発を抑止するためさ。それ以上でもそれ以下でもない。俺の頭の中には、処罰とか復讐とか正義心とか、そういう考えは一切ないから」

「えええっ?」


 左馬さんの怒りスイッチをオンにしてしまったようだ。憤怒の表情で、左馬さんが立ち上がる。


「センサーのしたことがどうでもいいってわけじゃないよ。そうじゃない。フリーのセンサーから被害が広がるのを、迅速にかつ確実に防ぐ必要がある。俺がその方法を考えなければならないなら、余計な感情に思考をじゃまされたくない。それだけさ」

「うーん……」


 少しは理解してくれたのか、左馬さんが渋々ソファーに腰を下ろした。


「もう一度言うね。首謀者のセンサーだけがまだ野放しになってる。そしてセンサーは、警察のチェックが入ることを想定してもう備えてるんだよ。センサーに俺らの敵意を覚られたら、そいつがどういう行動を起こすか分からない」

「あっ!」


 左馬さんの顔色がさっと変わった。そうなんだよ。まだ何も終わってない。これからなのさ。


「分かった? だから、殺し屋がどうのリンチがどうのってのは最初から下策なんだ。それじゃ、被害拡大を防げない」

「どして?」

「センサーは、いつでも好きなようにトリガーを引けるんだぜ? そして、被害女性の全員が特定されているわけじゃないんだ。トリガーによる操作はまだ生きてる。光岡さんが社長をぼこぼこにしたのを見てるだろ? 人間を武器にされる恐れがあるんだよ。それを俺らに向けられたらひとたまりもない」

「う……」


 やっと鎮火。やれやれ。俺は、話を原点に戻した。


「ねえ、左馬さん。ミストの件。起点はどこ?」

「うーん」


 腕組みした左馬さんが首を傾げた。ほら、事件が大きくなったから視点がぶれちまっただろ? だから物騒な発想になるんだよ。


「この件の起点は、光岡さんの俺への依頼さ」

「あ、そうか」

「だろ? 俺が光岡さんから請けた正式な案件なんだよ。探偵事務所として請けるといった以上、俺はそいつが片付くまであらゆる手段を駆使する。顛末を報告書に明記して光岡さんに報告し、それに納得してもらうまで、俺の仕事は終わらないんだ。センサー対策も、その一環に過ぎないの」

「ねえ、中村さん。みっちゃんの依頼は……なんだったの?」

「最初にリトルバーズで説明したろ?」


 すっかり忘れてるな。


「自分の素行を探ってくれ、さ」

「あ……」

「つまり、光岡さんが自分の時間を完全に取り返すまでは、俺の仕事が終わらないんだ」

「ふうん」

「探偵が依頼人に渡す成果物が、最終報告書。そこで任務が終了して、お役御免なんだけどね。でも、本件は最終報告書がまだ渡せない。そういうケースもあるってことだな」


 左馬さんは、少し苛立った様子で突っかかってきた。


「そこまで入れ込むのって……彼女が好きだから?」


 ほ? その手の突っ込みが入るとは思わなかったな。


「ないね」

「どして? 魅力的なんでしょ?」

「プライベートで付き合うとしたら、ね」

「そう出来ないの?」

「出来ない。調査業でメシを食うなら、依頼人と必要以上に親密になることは絶対禁止。そいつは最大のタブーなんだ」

「ええー?」

「光岡さんの件はまだ完了してない。依頼人と探偵という関係が解消しない限り、俺は彼女を恋愛対象としては見ないよ。絶対にね!」

「どういうことなの? よく分かんない」

「ははは。自分の仕事に重ねたらすぐ分かるよ」


 腕をぎゅうっと組んだ左馬さんが、長考モードに入った。



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