(3)
「ヒントを出そうか?」
「うん」
「商品の仕入れ候補の一つ。そこの担当者が若い色男で、左馬さんはそいつをいい男だなー、付き合いたいなーと思ってたとする」
「うん。それで?」
左馬さんがぐいっと身を乗り出す。
「その男が、出先で左馬さんに提案をしてきた。うちから入れてくれれば、映画と食事をおごってあげますよ。さあ、左馬さんならどうする?」
「そんなの論外……あああっ!」
「ふっふっふ。分かったでしょ?」
「そ、そっかあ。自分の個人的な感情で判断がぶれちゃう。そういうことかあ」
「当たり。最悪、人の生き死にに絡んでしまう俺らのような商売だと、感情にかかったバイアスが命取りになりかねないの。俺と依頼者双方のでかいリスクになってしまう」
「……うん」
頷いた左馬さんの表情を確かめてから、説明を追加する。
「逆のケースもあるんだよね。依頼人がものすごくいやなやつだと思ってしまうと、強い負のバイアスがかかる。公平な判断が出来なくなる。やり取りが雑になったり、重要な情報を聞き出せなかったり」
「ううー、奥が深い」
「まあね。探偵の仕事は、ほとんど心を読むことだよなー」
「ふうん」
大きく脱線しかかった話を、左馬さんがさっと元に戻した。
「で、中村さんは、センサーをどうやって抑え込むわけ?」
「まだ明かせない。でも、確実に手足をもがせてもらう」
「ひっ!」
俺が突然物騒なことを言ったので、左馬さんが縮み上がった。
「わはは。昔の刑罰みたいに、馬車に手足つないで引きちぎるわけじゃないよ。それじゃあリンチになっちゃう。そうじゃなくて、センサーのやつが出来ると思っている思い込みを、全部潰すだけさ」
「思い込みを潰す?」
「んだ。そうするには、何も特別なことは要らない。刃物も銃も殺し屋も、何一つ必要がない。だから、合法的に堂々と出来る」
「うーん……どういうことなんだろ?」
「まあ、それは全部片が付いてからタネ明かしする。それまで、宿題にしとくよ」
「うひー、宿題かあ。大っ嫌い」
「わはははははっ!」
出来ることはその場でする。それが信条の左馬さんは、確かに宿題が苦手そうだね。でも、人生は宿題ばっかだよ。嫌い、やりたくないで済まないことがものすごく多い。だからこそ俺の手帳は書き込みで真っ黒になり、がんがん膨れ上がっていく。解けない宿題ばかりが積み重なってね。
まあ、それが俺に課せられた運命なんだろう。誰かが俺に押し付けたわけじゃない。それは……俺が自分の意思で選び取った運命なんだよな。
「さて、と。左馬さんは、これから直帰でしょ?」
「うん」
「俺はこれからセンサーの八木貴則って男に引導を渡してくるから、その間に宿題の答えを考えといて」
「ええっ? これからー?」
「そう。八木にはまだずっと警察の監視が張り付いてる。そいつの居場所はすぐに分かるの」
「八木貴則ってやつなのかあ……」
はらわたが煮えくり返っているんだろう。左馬さんが、地団駄を踏んでる。
「俺が外すと言った探偵の縛り。被調査者への接触。そういうことなんだよ。本来なら、探偵が絶対やっちゃいけないことなんだ」
「あ……」
「でも俺がその原則を守ってたんじゃ、センサーを制御出来ない。光岡さんとセンサーとを完全に切り離すには、フリーに動ける俺が行動を起こすしかないんだ」
「あのさ!」
「うん?」
「わたしが一緒に行ったら……だめ?」
論外っす。
「だめ」
「どして?」
「危険はたぶんない。でも俺がさっき言ったみたいに、左馬さんの敵意を八木に覚られたらそいつの先の行動が読めなくなる。抑止がうまくいかなくなる可能性があるの。俺の接触も、一度きりかつ短時間で済ませたい」
「ううー」
「そうだなー。少し時間差は出来るけど録音が取れると思うから、俺が接触を済ませたあとでそれを聞いて」
「録音て……大丈夫なの?」
ぎょっとしてるな。でも、同業者なら必ず同じ行動に出る。物証を作らないとならないからね。
「八木も録音するはずだよ。自分への理不尽な迫害があるという証拠を残さないと、護身出来ないからね」
「うわ!」
「ははは。互いに手の内は分かってる。でも、俺とそいつの間にはでっかい差があるんだ。そこが俺の決め手だね」
「差?」
「俺は弱小一人探偵と言っても、ちゃんと看板を掲げて至極真っ当に商売をやってる」
「うん」
「でも八木には、何も見せられるものがないんだ。犯罪うんぬんを別にしてもね。その差」
「??」
背広の胸ポケットから自分の名刺を引っ張り出し、かざして見せる。
「八木は、こいつが誰にも渡せない、誰からももらえないってことさ」
「うー、どういうことだろ」
「これも、さっきの仕入れ業者の例と同じ。自分の仕事と重ねてみたら分かりやすいと思うよ」
さて、出るか。席を立って着古したジャケットを羽織った。
「あ、ごめんね、長居して」
「いや、光岡さんのケアの状況を聞きたかったから。助かる」
「明日は?」
「別件で一日戻らない」
「じゃあ……その翌日は?」
「日中は出かけるけど。この時間は事務所にいる」
「来てもいい?」
「宿題の答え、ね」
ぱちんとウインクしたら、左馬さんが苦笑いした。
「やり取りを聞きたいの」
「おっけー。準備しとく」
「ありがとう。じゃあ、おやすみなさい」
「ほい」
◇ ◇ ◇
八木は。大手チェーンの大衆居酒屋の片隅で、もそもそと地味な飯を食っていた。
「おっ!」
三井が久しぶりに会った俺に声をかけたみたいに偶然を装い、八木に声をかけた。
「八木くんじゃん。ひっさしぶりー。奇遇だなあ」
八木の
「……」
「なんだなんだ。昔の同僚に、冷てえなあ」
やつは、俺を無視するつもりなんだろう。それはそれで好都合だ。
「沖竹をクビになったって? どんなドジを踏んだんかしらんけど、所長も相変わらずだよなー」
「……」
「クビにする前にきっちり説教をする。所長にはそれが出来ない。だから誤解されるんだよ。もったいない」
「……」
「まあ、俺も沖竹を辞めちまったから、偉そうなことは何も言えないけどよ。あの時に出来なかった説教を、今しとく」
「……」
「証拠がなければ司法は何も出来ない。動けない。それは事実さ。でもな。証拠がなんぼのもんじゃい、俺たちゃやるときゃ何でもやるぜ……そういう連中もいっぱいいるんだ」
「……」
「だからこそ、調査業では慎重にヤの字との接触を避けるんだよ。連中がとさかに来たら、法律も証拠も関係ない。そして恐ろしく執念深い」
「……」
「連中にあるのはプライドと暴力だけさ。だから、そこにだけは絶対触っちゃダメなんだよ」
「……」
「もう一つ。俺が沖竹にいた頃に、あの所長ですらまんまとはめられた案件があった。俺たちは公安の手先に使われたんだ」
びくっ。八木の体が小刻みに震えた。
「そいつらは、厳密に国内法の縛りを受ける警察とは違う。甘く見るなよ」
伏せた顔を上げて、ゆっくり周りを見回す。あちこちから鋭い視線が向けられているのを感じる。やっぱりね。
「俺の、心からの警告だよ。じゃあな」
注文を取りにきた店員さんに、すぐ出るからいらないとぱたぱた手を振って店を出た。ヤバい連中がぎっしり詰めてるからね。長居は無用。無鉄砲な左馬さんなんか、怖くてとても連れてこれない。連中のブラックリストに載っちまったら、最悪日常生活が送れなくなるからな。
ジャケットの内ポケットに手を突っ込んで、ずっとオンにしてあった録音ボタンを止める。俺が八木に話したことは、当然公安の連中にチェックされてるだろう。でも、話の中身はごくごく一般的なことだ。俺や八木じゃないと分からない符牒や暗号が仕込んであるわけじゃない。公安に当てつけたのは、俺のささやかな意趣返しさ。あの時俺は本当にどたまに来てたんだ。まあ、このくらいの嫌味は許してくれよ。
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