(3)

 だとすれば、バイヤーの役割も変わってくる。バイヤーは、調教済みの女を国外へ出す作業には一切タッチしてないはず。いやそれ以前に、絶対に足が付かないようにするには向こうで到着を待ち受けた方がいい。日本にいない方がずっと安全なんだ。

 身元が割れるリスクを冒してまでバイヤーが日本にいるとすれば、商品の女が売り物になるかどうかを検品しないとならないからだ。出荷元ではクオリティを揃えるところまではやらないから、どのくらいのカネになるかはあんたが直接査定してくれ……なんだろう。


 いや、これ以上考えても意味ないな。事実解明は、がさ入れのあとで一気に動き出すはずだ。そして、俺がそこまで突っ込む必要はどこにもない。今は、センサーが操っているであろう調教システムの無力化のために、センサーの実態把握を急がないとならない。


 手帳を畳んで尻ポケットにねじ込み、ミストに目を向ける。まるで仙術を使っているかのように、完全にミストに溶け込んで気配を消しているセンサー。だが他人に関心を示さない限り、誰かにアクションを起こさない限り、どんな客であってもセンサーのような存在なんだよな。センサーの行動が異常というわけじゃなく、それは見かけ上一般客と何も変わらない。


 ……ただし。店に長時間居続けなければ、ね。


 長時間居ても疑われないようにするには、何か人物以外のことに気を取られてるというポーズが要る。本や雑誌に目を落とすのが一般的だと思うけど、実益を兼ねる方法があるよな。そう、ノートパソコンで作業する、だ。他者に視線を向けずにパソコンの画面を見て何か操作していれば、センサーが怪しまれることはない。そしてトラッパーがセンサーに流すのは、女性の基本情報だけでいい……そういうことか。

 トラッパーやトレーナーから女性の情報を得てプログラムを仕込むだけなら、センサーがミストにいる必要はないんじゃないか? いや、そういうわけにはいかない。調教システムの内容を個人単位でカスタマイズする必要があるから、現場での調整や操作が要る。そしてさっき推測したように、一人だけずっと安全圏に退避してるんじゃ他の二人が黙っていないだろう。やつは必ず店内に居る。


 俺は、ポケットスコープを出して、スモークガラス越しのミスト店内の様子をもう一度注視した。ほとんど何も見通せないが、ガラス壁に一番近いところに二人がけの席があるのが辛うじて分かる。そこにぼんやりと人の気配がある。


「そうか。なるほどな」


 入り口に近い席は、意外に入店客の目に留まらない。普通の客なら、喧騒から遠ざかれる店の奥に空席があるかどうかをまず確かめに行くはず。人の出入りがあって落ち着かない入り口近くは、よほど混雑している時以外はセレクトされない。

 調査員が怪しい人物を探るという目的で入店した場合も、入り口近くの客は見逃されやすい。その席の人物を確かめるには、顔や視線を大きく動かさなければならないからだ。被調査者に覚られないことが鉄則である限り、そのアクションは絶対に忌避したい。その上、通路から目につく窓際の席に怪しいやつがいるわけがないという思い込みも加わってしまう。調査員さんも左馬さんも、無意識に入り口付近をスルーしてしまったんだろう。

 だが、入り口近くの席は離脱も再入店もしやすい。荷物を置いておけば、誰かに席を横取りされることもない。カウンターでの会話を盗み聞きするのも容易だし、トラッパーとのアイコンタクトも取りやすい。


「灯台下暗し、か」


 俺は、スモークガラスの向こうの人影が動くまで、じっと待つことにした。


 ミストの店内にはトイレがない。いかにセンサーがほとんど閉じこもっていると言っても、生理現象を解消するために一度くらいは店の外に出なければならないはず。席に尿瓶しびんでもセットしてあれば別だけどね。もちろん、人相を特定出来るような露出部分は帽子やメガネでぎりぎりまで減らしているだろう。それでも背格好や雰囲気、視線を配る範囲、癖のようなものは確認出来る。俺が推論や対策に使えるファクトは、一つでも多いにこしたことはない。


 本当は、開店前にミストに入るスタッフを直接目視確認しておきたかった。でも、モールの従業員ではない俺が開店前に入場するのは無理なんだ。センサーは立場上、ミストのアルバイト店員という位置付けになっているはず。客が入る前にポジショニングしないと、『業務』に支障が出るからな。そこらへんは、もう江畑さんの手元に情報として揃っているだろう。でも、俺のところにはまだ流れて来てない。情報がない以上、そこは謎の人物Xのままにしておくしかない。


◇ ◇ ◇


 開店から二時間。俺が見ている前で数人の客が入り、それは短時間で店を出て行った。そして、店への出入り前後で出で立ちの大きな変化は見られなかった。店へリピさせる時間帯が合わないと、時間を限って暗示をかけたり調教したりというトリガーが仕込みにくくなる。本当に限られた時間だけ裏稼業を動かしている感じだ。そらあばれにくいわな。

 夕方からの混み合う時間帯。そのどさくさに紛れて裏稼業を始め、店に来る客における飛び込み客の割合を減らしていく。仕込み中の客だけでいっぱいになれば、すみません今満席なんですと断れるからね。そうすりゃ、偶発的に起こるトラブルをぐんと減らせる。


「!!」


 昼前。入り口近くの席にあった気配が消え、店から若い男がひょこっと出て来た。ものすごく若いというわけではない。二十代後半くらいの男だ。ぼさ頭で中肉中背。軽装だが、おしゃれではない。地味なライトグレーのシャツの上に濃紺のジャケットを羽織り、ボトムスはジーンズ。バッグ類などは何も持っていない。手ぶらだ。そして、特に変装している感じではない。メガネも帽子も装着してない。ジャケットのポケットに両手を突っ込み、少し背中を丸めて早足で歩き出した。これから、メシかトイレに行くんだろう。


 ポケットスコープでそいつの顔を確認した俺は、何か引っかかるものを感じていた。


「表情がない。それに、初見じゃないな」


 あいつに、どこかで会ったことがある。それも短時間じゃなく。その予想を裏付ける情報が、江畑さんからメールで流れて来た。


『ホシが割れた。トラッパー=久喜友也、トレーナー=小坂義郎、センサー=八木貴則』


「やっぱりか……」


 俺は、すぐにミストの監視から撤収することにした。すでに包囲網は完成しているから、ミストの殲滅は波乱なく完了するだろう。ただ。ミストに捜査の手が入った時点で確実に潰せるのはトラッパーだけだ。あとは事情聴取のあとで野放しになる。連中も当然そうなると思っているから、余裕のよっちゃんなんだろう。


 そうは行かないさ。センサー、トレーナーが連絡を取るために使っている端末。その番号が特定出来れば、これまでの通話、通信の記録をさらえるんだ。それは、端末側では消せないんだよ。通信相手の端末が動いていれば、その端末の現在地をGPSで探査出来る。裏に移されてしまった調教後段の女性たちの所在や、商品が届くのを高みの見物で待っているバイヤーの居場所は、そこから探れるんだ。つまり、商品として出荷されてしまった女性以外の被害者は救済出来る可能性が高い。残っているのは、再発防止だ。


 警察には、連中のアクションの抑止策がない。証拠があるのは麻取の部分だけだからね。あとは、証拠がない上に被害者のプライベートも絡むから、立件することすら難しい。


 昨日左馬さんに話して聞かせたように、誰彼構わずヤクを盛ろうとしたトラッパーには傷害の容疑を追加出来る。取り調べの時に、トラッパーが言うであろうユーザーからの求めうんぬんという言い訳は通用しなくなる。取り調べの幅が広がるんだ。チームMの会合で最初苦悶した時よりは、攻め手が増やせる。

 それでも。トラッパーがもし真実をゲロしたとしても、残り二人の犯罪行為を実証できる証拠は何もない。皆無だ。裁判でトレーナーとセンサーを有罪に追い込むのは不可能だろう。そして首謀者のセンサーは、調教のシステムをプロがいなくても稼働させることが出来る。今度は、ミストのような目立つ店をハブにしなくてもね。


「じゃあ、どうするか、だ」


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