(4)
バイヤーとトレーナーに対しては、俺は何もしなくてもいい。あいつらは、自分が利用したシステムの罠に自分もはまって勝手に自滅するだろう。問題は……最初から最後まで潜って一切表に出ていなかった首謀者のセンサーのアクションを、今後どう抑え込むかだ。
証拠という手札がない限り、警察は全く動けない。先手が打てない。フレディも、心情的には絶対に許せないと思っているはずだが、直接の利害関係がない連中に合法的に打てる先手はないんだ。光岡さんからの依頼を受けている俺だけが、光岡さんの被害回避を名目に自由に動ける。センサーにこっちからアクションを起こせるのは、俺しかいないんだよ。ミストでの組織犯罪捜査の主体が警察に移った以上、俺はもう捜査には関われない。それなら、原則に立ち返ろう。
モールから出て駅へ移動する道すがら、これからの段取りをもう一度頭の中で整理する。俺がセンサーを捕らえて罰することは出来ない。それは司法の仕事であり、俺には何も権限がないから。俺がセンサーをとっ捕まえてぶん殴れば、それは犯罪者への制裁ではなく、俺が自分の正義欲を満たすために勝手にやった
じゃあ、俺に出来ることは何もないか? いや……ちゃんとあるんだよ。それは俺が探偵という仕事をしている限り、相手が誰であってもすることさ。だから、俺は今回もそれをしよう。ただし、いつもと違って今回の俺のアクションには準備が要る。
「さて……と」
俺は、駅の改札の前で江畑さんにメールを流した。
『ミストから完全離脱します。殲滅よろしく。俺はセンサー対策で動きます。江畑さんは、そっちに無理に突っ込まないでくださいね』
すぐに返事が来た。
『了解。任せる』
「よし!」
◇ ◇ ◇
「うわー、ひっさしぶりだなあ」
沖竹エージェンシーの建物を見上げた俺は、どっぷり感慨に浸っていた。どけちの所長は、建物に社格相応のハクを付けようとは微塵も考えないんだろう。俺がいた時もかなりくたびれていたが、そのくたびれ方がもっとひどくなっていた。でも、その頃よりはずっと人の気配が濃い。大手の調査会社として十分な実績を積み重ね、しっかり経営基盤を固めたということだろう。
一応電話連絡はしてあったが、念のため入り口でアポを確認する。
「済みません。中村探偵事務所の中村操と申します。所長に面会を申し込んであったんですが……」
事務のおばちゃんが、俺をじろっと見て無表情に答えた。
「所長は、所長室で待っているそうです。どうぞ」
愛想のあの字もない。社員ていうのも所長に似るのかね。俺がかつて何度も往復した廊下を歩き出したら、後ろから声がかかった。
「おい、中村! 中村じゃないか!」
「あ、三井ー! ひっさしぶりだなあ」
総務課の三井が、にやにやしながら俺の肩を叩いた。
「相変わらず貧乏暮しなんだろ?」
とほほ、きっちり読まれてるよ。
「まあね。一人探偵じゃ、食うのもしんどい」
「でかくせんのか?」
「でかくするには原資がいるでのう」
「ぎゃははははっ! そりゃあそうだ」
「メンツはだいぶ入れ替わったん?」
「調査員の方は、がらっとな。それでも、中村がいた時ほどひどくないぜ」
やっぱりな。所長は、きっちり安定経営に向けて舵を切ったんだろう。
「今日はどうした?」
「ああ、前にここに勤めていたやつの消息を知りたいんだ」
「入れ替わりが激しくて、俺らには何が何やらだな」
「わはは! そうだろな」
おっと、所長を待たせると何を言われるか分からん。
「帰りにまた寄るわ」
「おー。じゃあな」
三井も、さっと部屋に戻った。七年の間にだいぶ恰幅がよくなったが、持ってる空気は変わらんなあ。そういうのを見ると、ほっとする。俺は……どうなったんだろうなあ。ブンさん。俺は、あの頃より少しか良くなったんすかね? 全然ましになったっていう感じがしないんすけど。
どこかからブンさんのバカヤロウっていう怒鳴り声が聞こえたような気がして。俺は思わず首をすくめた。
◇ ◇ ◇
こんこん。所長室のドアをノックする。ここに勤めていた頃は所長と顔を合わせるのが大嫌いだったが、そういう感覚は今でも変わらない。苦手なものは苦手なままだ。ちぇ。
「ああ、中村くんか?」
素っ気ない所長の声が返ってきた。
「はい。ご無沙汰してます」
「どうぞ」
「失礼します」
ごついドアを引いて中に入ると、俺が勤めていた頃とそんなに変わっていない、能面のような顔をした所長が書類に目を通していた。相変わらず、一切無駄のない殺風景な所長室。俺が知っている頃と一つだけ違っているとすれば、それはデスクの上にぽんと乗せられていたブンさんの遺影だった。それを見て。俺は心の底から安心する。うん。俺はそれだけでいい。所長が、ブンさんから教えられて来たことを今でもきちんと意識している。それでいい。十分だ。
ブンさん。所長はしっかりやってるよ。実績を積み上げて会社を大手の一角に押し上げ、今でもしっかり業績を伸ばしてる。そのえげつないやり方は、俺にはなんだかなあと思えることもあるけどさ。それでも……ね。どこまでも所長らしく、真っ当にやってる。それで十分だよね。
やっと書類から目を離した所長が、真っ直ぐ俺の顔を見つめた。
「今日はどうした?」
「ちょっと伺いたいことがあって」
「聞きたいこと?」
「そうです。ここで昔働いていた八木くん」
「ああ、あいつか」
三井が一々覚えていないことでも、所長の頭の中には全てがきっちり格納されている。恐ろしいくらいの記憶能力と推理力。それは……今でも全く衰えていないんだろう。
「俺がチーフ代行をやってた頃はまだいましたけど、クビを切ったんでしょ?」
「そうだ。カバーしようのないヘマをしでかしたんだ。ただのクビじゃない。懲戒解雇だ」
「む!」
やっぱりか。
「ねえ、所長。彼、依頼者もしくは被調査者に手を出したんじゃないですか?」
「知ってたのか?」
「いいえ。俺は自分の仕事のことで手一杯ですよ。あの時も、今もね」
ぎいっ! 大きく椅子を鳴らした所長が、席を立って俺のところまで出てきた。
「まあ、座ってくれ」
「失礼します」
ガラステーブルを挟んで、差し向かいに座る。所長が慎重に探りを入れて来た。
「あいつが、何かしでかしたのか?」
「ええ。それも、俺たちが絶対にして欲しくないことを」
所長の眉間に、くっきり縦皺が走った。
「調査員としての技能の悪用……だな」
「そうです」
所長相手に隠してもしょうがない。俺は、さっさと手札をさらすことにした。
「彼は首謀者なんですが、一切表に出て来ません。恐ろしく用心深い」
「組織?」
「一応は。でも、実質は単独ですよ。駒を使うやり方」
間違いなく、それは所長のスタイルの模倣だ。所長は、それを組織のビルドアップのために割り切ってやった。駒として使われた側がなんだかなあと思っても、所長は
公平に査定した結果をもとに駒を切る。そこには、駒が言い逃れ出来る余地はない。
ミストのセンサーのやり方はそれとは違う。センサーのは、契約と役割で最初に切り取り線を作っておくやり方だ。でも、結局駒を使うという点では所長と変わりない。
「何をやったんだ?」
「女性の人身売買です。しかも海外」
「!!」
所長が慌てふためいたのを初めて見たかもしれない。
「そ……」
そんなの信じられないと言おうとしたんだろう。絶句したまま固まってしまった。
「俺が知っている八木くんは、およそ調査員には向いていない、お人好しの好青年です。それが、今はサイレントな死神になっている。極端に変貌する強烈なきっかけがないと、彼の過去と今がつながりません」
「そういう……ことか」
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