ひろとの出会い編 第七話 殲滅

(1)

 夜通しいろいろなことを考え続けて、手帳を二冊書き潰した。睡眠時間なんざ、二時間もない。頭を極限まで酷使しても眠くならないくらい、俺はぴんぴんに緊張していたんだ。

 この件までの七年間、いや沖竹にいた時も含めて、俺には時間だけはうんざりするほどあった。事件性のある案件を引き受けた時も、少なくとも関係者の背景を探る余裕くらいはあったんだ。今回は……それがない。ほんのわずかな事実の断片しかないのに、そこからオチの先を描かなければならない。


 早朝。よれた背広に袖を通し、無精髭の伸びた冴えない顔を両手でぱんと叩いた。


「よし!」


 手帳を開いて段取りを確かめ、気合いを入れ直す。


 探偵として生計を立てるという意味では、今回の件は論外だよ。タダ働き以下。全部、俺の持ち出しだからな。でも探偵としてのプライドと能力を全部ぶち込むという意味では、これまでで最大の大ヤマなんだ。俺が、なぜ稼ぎにならない貧乏探偵をここまで続けて来たのか。それは自分の中でもまだ答えが出ていない。自分の存在価値を自力で証明出来なければ、俺が使い潰してきた全ての時間が無駄になる。


 今回、敵の中核にいるはずのセンサー。そいつは、獲物を探すことに意地と能力を全部ぶち込んでいて、それ以外の部分を外注、もしくは省力化しようとしている。俺はそいつと同じセンシングの能力を全開にして使ってるが、そいつとは違うよ。倫理観がとか根性がとか、そういう問題じゃない。俺は、探り当てたことを元に自分自身を駆動したいんだ。でも、俺の身体は一つしかない。外注や省力化は仕方なく、なんだよ。俺が他の効果を狙ってそうしてるってことじゃない。

 探り当てて、自分を駆動すること。俺は、そこだけは敵に負けたくないんだ。どうしても……負けたくないんだよ。


「出よう!」


◇ ◇ ◇


 早朝。リトルバーズの社屋。出勤してる社員は、俺が招集した三人しかいなかった。社長の上条さん、チーフの左馬さん、そして光岡さん。最初にお邪魔した時と同じ、社長室に集合したんだけど。その時とはまるっきり様子が違っていた。

 社長は……見るも無残にぼこぼこだった。まるでご主人から暴力でも振るわれたかのように、あちこちに傷とあざをこさえ、まぶたや唇が切れて腫れ上がっていた。


「おそ……ろしい……です」


 光岡さんを見下ろして、ぶるぶる震えている。


「社長。一つだけ確認させてください」

「は……い」

「昨日、五時前に勤務を切り上げて帰られたんですよね?」

「はい。自宅に着いたのが五時四十分くらい……かな」

「光岡さんが持っていた荷物は、移動の時には社長が持たれてました?」

「いいえ、まだ彼女が……」


 光岡さんは、記憶がない間に自分が社長にとんでもないことをしでかしていたことを知って、もうこの世の終わりが来たような顔をしていた。


「社長の家に着くまでの間に、スマホをいじりました?」


 光岡さんに確かめる。


「いいえ」

「じゃあ、社長の家に着いてすぐ……か。タッチの差だったんだな」

「え?」


 光岡さんが、きょとんとしてる。


「光岡さん。スマホを見せてください」


 左馬さんと同じで、プライベート満載のスマホは見せたくないんだろう。渋々という感じで、ロックを外した画面のスマホを俺に手渡した。俺と左馬さんとで同時に画面を覗き込み、いくつかスワイプした後の画面を見て頭を抱えた。


「あだだ……」

「やっぱり! わたしのと同じだー」

「え? え?」


 光岡さんは、きょとんとしてる。


「光岡さんだけじゃない。ミストでトラップされてしまった全ての女性が、遠隔操作のトリガーを仕込まれてしまったんです」

「トリガー……ですか?」


 社長が、おずおずと聞き返した。


「トレーナーは一人しかいません。一人で大勢の女性に同時に暗示をかけることは出来ないんですよ。どうしてもツールが要る」


 俺は、スマホ画面の一点を指差して社長と光岡さんに見せた。例のオレンジ色の真四角。


「こいつが、そうなんです」

「なに、これえ?」


 光岡さんも、昨日の左馬さんと同じように仰天してる。


「昨日、左馬さんに潜入調査のお手伝いをお願いしたんですが、まんまとトラップにかけられてしまいました」

「えええっ!?」


 光岡さんが思い切りのけぞった。左馬さんは悔しそう。唇を噛んで、床の一点を睨みつけている。


「薬を盛られ、短時間に強い暗示をかけられた。私は昨日、大きなリスクがあることをあらかじめお伝えした上で、左馬さんに潜入をお願いしました」


 こくん。左馬さんが頷いた。


「その左馬さんでさえ、あっと言う間にオトされてしまう。ミストのトラップシステムは本当に強力なんです。ただ、暗示をかける手順には強い制限がかかっている。それは、連中が小人数である限り回避出来ない」

「あの……制限というのは?」


 光岡さんが小声で聞き返した。


「マンツーマンで十分な暗示をかけることが出来ないんです。トラップされた女性の人数が多いと、一人に振り分けられる時間が限られる。それになにより……」

「はい」

「暗示のかからない時間を確保しないと、すぐに異常を覚られてしまいます。暗示が効いている時間と、そこから解放されている時間を、ぱちんと切り替えないとならない」

「あ! それがトリガーかあ」


 社長が何度も頷いた。


「そう。どうしても女性たちを遠隔操作しないとならないんですよ。連中がミストで大掛かりな狩りをしているのが分かった時点で、すぐにそういうシステムの存在が浮かび上がりました」

「そうか。彼らに引っかかっちゃった人が操作しても怪しまれない道具。それが、スマホなのね」

「そうです。トレーナーは『定時にスマホを必ず確認しろ』という指令を出すだけでいい。あとは暗示の強化も行動指示もスマホ経由で自由自在」

「でも、それなら指示した証拠が残るんじゃないですか?」

「残りません」

「え? どうして?」

「どうしてですか?」


 三人揃って突っ込んでくる。


「指令は送られてくるんじゃない。被害者が指令を取りに行くようにしてあるんですよ。指令はテキストではなく、音声で行われている。メールやラインと違って、スマホには具体的な指示内容が残りません。一切ね」

「そ……んな」

「恐ろしく錬られた洗脳のシステムです。連中にとっては、ミストは実験室なんです。あそこで儲けることが目的じゃない! 開発中のシステムを完成させること。それこそが連中……いや、中核にいるセンサーの目的なんですよ」

「う……うう」


 理解出来る範囲レンジを超えたんだろう。がっくりと首を折った社長が、何度も顔を横に振った。


「わけが分かんない」

「私が今説明したこと。それは、今ここにおられるみなさんには全く意味がないことです。仕事にもプライベートにもね」

「はい」

「うん」

「私がわざわざこの話をしたのは、スマホを換えてくれ。敵の指令系から遠ざかってくれ、それを徹底して欲しいからです」

「昨日わたしに話したのと同じね」


 左馬さんが、電源の切れたスマホをバッグから出して掲げた。


「そうです」

「すぐにレンタルします。ひろ、手続きお願いね」

「分かりました!」


 左馬さんが、さっと席を立った。


「光岡さんは、JDAから弁護士さんが来るまでは普通にお仕事をしていてください。でも、今日の午後から療養に入ります。入院手続き等の説明がありますので、社長さんも必ず立ち会ってくださいね」

「は……い」


 光岡さんは……元気がなかった。だから、俺はあえて厳しい言葉を放った。


「ねえ、光岡さん。ミストは今日で潰れます。あなたが暗示に引きずられてあそこに行っても、もう何もない。あなたに遠隔指示を出すトリガーも、スマホを換えれば消せる。これからあなたを害するものは何一つ残りません」

「はい」

「でもね、あなたをハメて壊した連中は何も損をしない。傷付かない。それ、悔しくないですか? 連中はケアも償いもするつもりがありません。壊す以外、何もしないんです」

「う」

「それなら、自力で自分を立て直すしかない。これからの戦いは、敵との戦いではなく自分との戦いです」


 依頼人の尊厳と人生を守る。それは、俺が探偵として最低限果たさなければならないことだ。でも俺は……光岡さんの人生の肩代わりは出来ないんだよ。そこだけは、光岡さんに踏ん張ってもらうしかない。こんなくだらない悲劇で潰れて欲しくないんだ。だから俺は、祈るような気持ちで激励を重ねた。


「自分に……負けないでくださいね。あなたは、敵の暗示を振り切って私にまでたどり着けた。とても芯の強い人です。大丈夫! きっと勝てますから」


 俺は挑発するように言い切って、右手をぐんと差し出した。それをおずおずと取った手を力を込めて握り返す。


「いいですか? 社長をぼこぼこに出来るくらいの力が、あなたにはある! 自分を信じて乗り切ってください!」

「あはは」


 社長が、なんと言ったらいいのかって感じで力なく笑った。


 光岡さんが俺に持ち込んだ奇妙な依頼。俺が光岡さんに出来るアドバイスはここまでだ。療養から先はプロに任せるしかない。


「さて。出撃します。ミストを潰すのなんか簡単なこと。そんなの、警察や調査事務所でなくても誰にでも出来ます」

「え? どうしてですか?」


 面食らった社長さんが、慌てて聞き直した。


「連中が、そうなることを織り込んで動いているからです。ミストを潰されても痛くもかゆくもない。場所を代えればいいだけだから。潰さなければならないのはミストじゃなく、光岡さんや左馬さんをコントロールしようとしたシステムなんですよ」


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