(2)

 じろじろと俺を見回していた左馬さんが、申し出をぴしっと跳ね除けた。


「お帰りください。それは弊社の業務とは関係がありません」


 なるほどね。これは光岡さんの手には負えないわ。相当な猛者もさだ。俺は無理に押さなかった。


「分かりました。あなたが相手では話が通りそうにないので、社長さんに直接掛け合うことにいたします」

「な……んですって?」


 左馬さんが気色けしきばむ。俺は頓着せず、一気に畳み掛けた。


「いいですか? 人の一生がかかってる。そういう事態だからこそ、アポも取らずに直接伺ったんです。事が急を要するんです。あなたがそれを甘く見ておられるのなら、あてに出来ません。あなたを外させていただきます」

「どういうことよっ!」


 いきり立った左馬さんが、目を三角にして詰め寄ってきた。


「事情説明なしでは、分かっていただけないでしょう?」

「う……」


 うーん。頭脳構造が思ったよりも単純に出来てる。瞬間湯沸かし器のところがあるなあ。俺がなぜここに来たのかという背景が、全然見えてない。てか、仕事のことで頭がいっぱいで、そこまで考える余裕がないんだろう。ほんとに仕事好きだと見た。


「もう一度言います。あなたのことではありません。ここの社員さんのことです。そして、その社員さんには何の非もありません。不幸にもトラブルに巻き込まれているんです」

「それは……警察の仕事なんじゃないですか?」

「脅迫や性犯罪の事実が、本人から申し出られるような状況なら、ね」

「!!」


 事の重大さをやっとこさ認識してくれたんだろう。左馬さんの顔からさあっと血の気が引いた。俺たちがドアの前で長々とやり取りしているのを、他の社員に見られたくない。俺は左馬さんを急かした。


「これから非常にデリケートなお話をしなくてはなりません。人払い出来るところで続きをやりたいんですが」

「……分かりました」


 ほう。まだゴネるかと思ったけどな。


「ミーティングルームを確保します。少々お待ちください」


 そう言い残すや否や、さっと姿を消した。


 待っている短い間に、印象を整理する。引っ詰めた髪、ゴテゴテ感のないシンプルメイク、嫌味のない服装。あれだけアピールする容姿でありながら、それを自分の武器にしようっていうあざとさがない。その代わり左馬さんから噴き出しているのは、やる気。陽の気だ。間違いなく、仕事大好き人間だな。


 一分もしないうちに戻ってきた左馬さんは、ドアを開けて俺を社内に誘導した。


「どうぞこちらへ」

「失礼します」


 一歩踏み込んだところで、空気の違いを実感する。うわ……。本当に女の園だね。男性社員の肩身が狭い職場ってのもすごいな。そして……女性社員のクオリティがとても高そうだ。水商売でもないのに、どの子も水準以上と言っていい。営業という分野では見た目の部分も切り札になる。個々の社員がそれをしっかり認識しているということなんだろう。単純に、見栄やはったりでそうしているというわけじゃないね。


 俺はゆっくりお辞儀をして、すたすたと先行する左馬さんの後を付いていった。


「フラットシステム……か」

「え?」

「中に個室がないんですね?」

「はい。個室は原則としてトイレだけです」

「はっはっは」


 厄介だな……。話が不用意に漏れるのは困る。


 入り口ドアとは反対側の壁際に、まるでユニットバスのような作り付けのブースが設置されていた。ああ、ここなら大きな声さえ出さなければ大丈夫か。これは……レンタルだな。お客さんと膝詰めで話し合いをする時に、落ち着かないオープンスペースしかないのはまずいという判断だろう。でも使用頻度を考えれば、これで充分ということか。本当に合理性が徹底してるな。


 がちっと鍵を突っ込んで、ユニットルームのドアを開けた左馬さんが足早に室内に踏み込むと、ささっとパイプ椅子を二つ引き出して開いた。


「こんな質素なシステムで、お客さんが来た時大丈夫なんですか?」

「社にクライアントが来ることはほとんどありません。わたしどもの方で出向いて、ほとんどの商談と打ち合わせを済ませますので」

「!! なるほどっ」

「この部屋も、滅多に使われないんですよ。会議はオープンスタイルでやりますから」

「徹底されてますね」

「社員がほとんど女性ですから、陰に回る部分を徹底して削らないとうまく行きません」


 事務的にあっさり説明した左馬さんは、どかっと椅子に腰を下ろした。


「手短に説明していただけますか?」

「それは構いませんが、左馬さんの今日のスケジュールは全キャンしていただくことになると思います。それをあらかじめご承知おきください」

「な……んですって?」


 むきーっ! そういう感じで、左馬さんの怒りスイッチがオンになったようだ。あんた、何様のつもり? いきなり現れてわたしを一方的に振り回してっ!

 まあ、そういうスイッチオンの人には、どんなに丁寧に理屈を説明しても無駄だ。事実を突きつけるしかない。ここんとこずっとマイルド路線だった俺も、久しぶりにエンジン全開でぶっ放すことにしよう。


「ええと。光岡さんという社員さんをここに呼んでいただけますか?」

「え?」


 面食らったんだろう。一瞬、左馬さんの怒気が削げた。


「隠してもいずれ分かることです。オープンな会社なのですから、私もそれに合わせます」


 さっと椅子から立ち上がった左馬さんは、ミーティングルームを出ると、表情の冴えない光岡さんを連れて戻ってきた。今度は俺がパイプ椅子を引っ張り出して開き、光岡さんを着席させた。


「最初に左馬さんに申しましたが、時間がありません。ぐだぐだ説明していられませんので、核心からお話しいたします」

「なんなの?」

「光岡さんが、麻薬を飲まされ、マインドコントロールされています」

「!!」


 左馬さんは本当は絶叫したかったんだろう。でも、必死に両手を口に当ててそれを押さえ込んだ。麻薬の話は光岡さんにとっても予想外だったらしくて、それでなくても冴えなかった顔色が土気色になった。


「光岡さんは、昨日私の事務所を訪ねてこられたんですよ。奇妙な依頼を携えて、ね」

「奇妙?」

「自分の素行を探って欲しい、です」

「は……あああっ?」


 左馬さんが、ぎょっとしたような顔で光岡さんを見た。


「分かりますか? 自分の正気を保っている人が、なんで自分の素行を探らせます?」

「ああっ!」


 とうとう我慢出来ずに大声を出してしまった左馬さん。俺は人差し指を口に当てて、静かにしろというノーティスを出した。


「昨日、光岡さんからいろいろ伺ったんですが、この会社はとても活気のある会社。社員さんにも、そういうエネルギーを要求します。光岡さんは、それを満たせたからここに入社出来た」

「ええ」

「ご本人は積極的な性格ではないとおっしゃってましたが、光岡さんの所属先は、総務やデザインじゃない。営業部なんです。私から言わせてもらえば、『他の人に比べて』積極性が足らないということで、あくまでも謙遜けんそんでしょう」

「みっちゃんは、しっかりしてますよ」

「ねえ、左馬さん。その光岡さんの営業成績。二か月ほど前から頭打ちになったか、落ち込んでませんか?」


 左馬さんが頷いた。


「そろそろねじ巻こうかなと思ってたんだけど……」

「左馬さんが、こっそりフォローされてたんですよね?」

「正直に言わせていただければ、そうです」

「それには原因があったということなんですよ」


 俺は背広のポケットから手帳を引っ張り出す。それをぱらぱらめくって、段取りをもう一度確認する。


「社員さんは、頑丈な機械部品ではありません」

「ええ」

「当然ですがコンディションによって、上向きの時と下向きの時があります」

「そうですね」

「で。左馬さんは、光岡さんが今どん底にいるということに気付いておられました?」

「う……」

「気付いてませんよね?」


 ぽんと指を突き出して、目いっぱい挑発する。


「ねえ、左馬さん。あなたは営業部のチーフ。一般の会社なら部長さんなんですよね?」

「ええ」

「それも、これだけフラットでオープンな環境で。どうして部下の異変に気付かないんですか?」


 爆弾は最初にぶっ放すに限る。今のうちに左馬さんの爪と牙を徹底的にむしり取っておかないとな。途中で投げ出されたり、暴走されたら全部おじゃんなんだ。


「く……」

バッドコンディションの原因が精神的なものであっても肉体的なものであっても、管理職として部下のステータスにきちんと気を配る。私は、それが『長』の付く人の責務だと思うんですが、いかが?」


 反論出来ねーだろ? ここで左馬さんが俺の嫌味にあっさりぶち切れるようなら、本当に外す。怖くて役割分担を頼めないからね。


 俺は、ぎっちり睨み付けたまま左馬さんの反応を待った。


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