(4)

 ちょっと切り口を変えよう。


「光岡さんご自身のことについて、伺います」

「はい」

「光岡さんは、ご自身を積極的な性格だと思われますか?」

「いいえ」

「じゃあ、今の職場にはどなたかのコネで入られたんですか?」

「違います。入社試験と面接を受けて入りました」


 むっとして言い返すという感じではない。そういう事実があるんだという坦々としたトーン。


「お勤めの会社は、どのような業種ですか? 社名と、光岡さんの職務内容について教えてください」

「株式会社リトルバーズといいます。女性向けのルームコーディネート企画の提案、それに関する家具、雑貨、各種用品の斡旋、販売を行っています。わたしは営業です」

「ほう」


 検索エンジンに社名を打ち込んで、リトルバーズの概要を調べる。起業からまだ十年経っていない比較的新しい会社だが、公開されている資料を見る限り順調に業績を伸ばしてる。個人相手の商売じゃないな。女性向け展開をしている飲食店や小売店のインテリアをトータルコーディネートするってことか。デザイン、コーディネーション、物販と、集金出来るソースを多角化していて、景気や世相の変化に伴う浮き沈みを小さくしてる。やるなあ。社長は女性か。しかもまだ若い。


「なるほど……」


 こういう伸び盛りの会社じゃ、やる気が外からはっきり見えない人は採らないよ。

つまり光岡さんが最初から今みたいなぼーっとした態度だったら、絶対に入社出来なかったはずなんだ。光岡さんの姿勢が、入社後にどこかで変化したということになる。


「光岡さんは、ご兄弟は?」

「長女です。妹が実家にいます」

「妹さんは、まだ学生さんということですね?」

「そうです」

「ご両親や妹さん、職場の方やお友達。そういう方々と何かトラブルを起こしたことが、最近ありましたか?」


 そろそろ核心に行こう。


「ありません」


 即答だった。


「外的傷害、いわゆる怪我で記憶を失うようなきっかけはなかったということですね?」

「ありません。それは受診した医院でも調べました」

「了解です」


 こん。ボールペンのけつで机を一つ叩く。


「光岡さんの退勤後の行動について伺います」

「はい」

「先ほど、通勤に一時間ちょっとかかると言われましたよね?」

「はい」

「じゃあ、お夕飯をどこかで食べてから帰られるんですか?」

「いいえ、仕事が引けてから、駅のモールで夕飯用の買い物をして、お茶をしてから帰ります」

「買い物とお茶は、合わせて一時間くらい?」

「そうですね」

「残業がなければ、退勤時間は午後六時くらいですよね?」

「ええ」

「そこから買い物等で一時間使っても七時。家に着くと、八時過ぎということですね?」

「いいえ。出社している間は、早くても十時過ぎです」

「!!」


 明らかにおかしい。そして、おかしいということを光岡さん自身が嫌というほど

感じている。そらそうだ。


「うーん……そういうことか」

「はい」

「光岡さんには、夕食の買い物とお茶をしたあと、帰宅するまでの二、三時間の記憶がない。……ということですね」

「はい……」

「こらあ……厄介だあ」


 今のやり取りの間も、光岡さんの筆記の手が止まることはなかった。一心不乱に筆記に没頭しているなら分かるんだけど、そういう集中しているような雰囲気ではない。自動書記に近い。

 俺の懸念はどんどん膨らんでゆく。そしてこの案件は、きっと俺の手には負えないだろう。どうしようか……。いや、それを今考えるよりは、全体像をはっきりさせることの方が先だ。質問を続けよう。


「ええと。これから突っ込んだ質問をさせていただきます。光岡さんのプライベートの深い部分に関わることなので、本来であればとても口には出来ないんですが、ことが犯罪に関わりかねないことなのであえて伺います。どうか、ご了承ください」

「はい」

「光岡さんには過去から現在に至るまで、彼氏がいたことがありますか?」

「ありません」


 即答だった。


「失礼を承知で言わせていただければ、光岡さんの容姿は男好きするタイプです。男性からのアプローチ、たとえばナンパなどの対象になることは多いと思われるんですが」

「興味がありませんので」

「ふむ」

「では、男性との性交経験もないということですね?」

「え? せいこう……って?」

「……。あえてぼかしたんですが。えっち、です」


 ここで、怒りでも驚きでもなく。光岡さんが意気消沈した。やっぱり、か。ふう……。


「あのね。ぶっちゃけた話をします」

「はい」

「記憶が飛ぶ。そういう日常、非常に危険を伴う状態が生じるようになれば、あなたは、親、職場の上司、信頼できる友人、そういう人に必ず相談を持ちかけるはずなんです。でも私は、あなたがそう行動したというアクションを感じ取ることが出来ない。私が最初の相談相手になってしまっている。違いますか?」

「……はい」

「つまり、あなたが記憶を失っている間に何かされていること。それを親しい人には絶対に知られたくない。あなたは、記憶を失っている間に知らない男に抱かれている。私にはそれしか考えられないんです」

「う」


 見る見るうちに、光岡さんの生気が萎んだ。それが涙や嘆きの声に結びついていないことに、事態の深刻さがくっきり浮かび上がっている。


「私は、これまで性被害に関する案件も数多く扱ってきています。私は警察ではないので、取り締まりは出来ませんよ?」

「はい」

「でも、酒や薬を飲まされて正体を無くしたあと、性的被害を被ったという事例をいくつも扱っているんです。加害者が誰かを特定するためにね。覚えがなくても局部の違和感はずっと残ります。何をされたかは女性には分かりますので」


 これ以上もう隠せないと思ったんだろう。光岡さんが、こくっと頷いた。


「光岡さんが記憶を失うようになったのは、いつ頃からですか?」

「……二か月くらい前から、です」

「そうか……」


 俺は、開いていた手帳をぱたんと畳んで腕組みをした。


 巧妙だ。記憶を失わせる要因をダブルにしてる。『覚えていられない』と『覚えていたくない』だ。二重の封印を破って俺に依頼してきたということは、光岡さんの精神状態がそろそろ限界に来ているということを意味している。こんな強烈なやつは、そんじょそこらの術師に実行出来るわけがない。必ずえげつない副要素があるはずだ。依頼を受けるかどうかの前に、そのあたりの話をしておこう。


「ええとね、光岡さん」

「はい」

「あなたは、退勤してからの行動パターンを頑固なまでに変えていない。ずっと同じだったんじゃないですか?」

「あ、そうかもしれないです」

「そしてね。仕事は卒なくこなしておられると思うんですが、光岡さんは女性同士でわいわいという雰囲気が、あまりお好きでない。同僚やお友達の方とのいわゆるアフターファイブでの付き合いがない。どうですか?」

「その通りです。苦手です」

「でしょう? オフは一人で自由に行動したい」

「はい」

「でも、その行動のパターンが極端に限られている。休日はそれでも構わないんですよ。でも、ウイークデイの行動パターンが完全に型にはまっている。どこかで、まんまとはめられたんでしょう」

「どういうことですか?」

「お茶をする店。固定していませんか? お気に入りということで」

「はい。ミストという店です」

「大きな店ですか?」

「いえ、こぢんまりした店です」

「なるほど。そこがたぶんトラップですね。光岡さんがそれに気付いていないということじゃない。そのお店から先、記憶がなくなるというパターンがもう分かっている。それなのに、どうして行動パターンを変えないんですか?」


 反応がなくなり、ぼーっとしてる。ああ、記憶が飛んだ、か。


「光岡さん?」

「あ! は、はい」


 光岡さんが、慌てて顔を上げた。


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