(5)

 一度事務所に戻って、永井さんに大学での聞き取り結果を流す。大学時代にカレシがいたことは、永井さんにとっても多分寝耳に水だろう。案の定、折り返しで、慌てた様子で電話をかけてきた。


「あ、あ、あのあのあのあの……」

「落ち着いてください。永井さん」

「か、かか、かれしって」

「知らなかったでしょ?」

「びっくり仰天です!」

「でも、その彼氏は今回の件には全く関わっていません。それは私の方で確認しました。彼には間違いなくアリバイがありますし、麻矢さんに怨恨や嫉妬をぶつける理由がないんです」

「ケンカ別れじゃないんですか?」

「いいえ。極端に言えば、付き合っていたという事実すら、本当にそうだったのか、私は疑ってます」

「何かの口実……ってことですか?」

「はい。同じ講座の学生にはそういう相手がいることを公言していたようですが、先生が全くご存知なかった。おそらく、麻矢さんのご両親もご存知ないでしょう」

「聞いたことありません!」

「でしょ? 私から見ると、それはカムフラージュに見えるんですよ。ある時点で、麻矢さんには自分に彼氏がいるという事実を見せなければならない事情が出来た。そう考えざるを得ないんです」


 おそらく、永井さんも俺と同じように考えたと思う。ただ俺同様に、カレシ持ちの偽装をする理由が全く見当が付かないらしい。


「でも。それじゃあ、それまでの間に他に彼氏がいないと話が……」

「ええ。少なくとも、大学時代に彼女が彼氏を作ろうと努力したこともなければ、誰かのアプローチを受けたこともない。それはおそらく間違いないと思います」

「はい」

「だとすれば……」

「うちの高校でなにか?」

「規律の厳しい女子高で、彼氏絡みの話なんか出てくるはずがない。でも私は、どうしてもそこにしか接点が思い浮かばないんですよ。一度自分を緩めた麻矢さんが、今度は前以上にかちかちにガードを固めてしまうことになった大きな出来事が、そこにあったとしか……」

「イジメとか、教師との関係とか、でしょうか?」

「うーん」


 俺は首を傾げざるを得なかった。


「永井さんは、とても生徒さんの挙動に丁寧に目を配られてます。姪御さんなら、普通の生徒さん以上に気を配られていたでしょう?」

「そうですね。えこひいきしているつもりはありませんでしたが」

「でも永井さんの目から見て、そういう兆候を見出せなかったんですよね?」

「はい。特には」

「授業や学校が主催するイベントでのトラブルは、まずないと思います。だとすれば、部活くらいしかその起点が生じそうにないんですよ。でも、部活も顧問の先生がおられて、活動をきちんと監督されていますよね?」

「間違いなく、そうしております」

「うーん……」


 ここで、いくつものばか高いハードルが俺を待ち構えている。


 まず、俺が直接『現場』、すなわち校内に入れない。聖ルテアは、面談等の特別な理由がない限り、たとえ父親であっても男性の入場を一切認めていない。校内に入れる男性は、教師とガードマンなどのごく限られた関係者だけだ。かっちかちにプロテクトされていると言っていい。そして、麻矢さんの部活はすでに過去の事象なんだ。今俺が部室に乗り込んだところで、大した情報は得られないだろう。

 さらに厄介なのは、個人情報の守秘義務が絡んでしまうこと。大学はオープンスペースに近いから、ざっくばらんにいろいろ話を振れたし、話を聞けた。でも、女子高を出たかつての漫研の部員に、俺が事情を聞きに行くことは出来ない。彼女たちに、わたしのことを誰から聞いたんですかと突っ込まれようものなら、俺を飛び越えて永井さんが撃沈してしまうんだ。そこにしか漏洩源がないからね。必要な情報を集めるには、永井さんから直接アプローチしてもらうしかないんだ。


 唯一俺が合法的に入手出来そうな漫研に関する情報は、漫研が学園祭の時などに頒布していた同人誌だ。それは学内オンリーのプライベートなものではなく、学校が外部にも頒布してよろしいと許可した、オフィシャルなものらしい。


「永井さん。麻矢さんが漫研におられた時期の同人誌を確保していただけますか?」

「承知しました」

「それは、合法的に出来ますよね?」

「ええ。頒布もしておりましたので、大丈夫です」

「オリジナルでなくても、コピーしたものでも結構ですので。それと」

「はい。永井さんの方で漫研に在籍した麻矢さんの後輩部員にもし聞き取りしていただけるなら……」

「は? 後輩……ですか?」

「ええ。麻矢さんと同学年の子は、麻矢さんとの関係が濃かったはず。そこから変な風に漏れるのはまずいので」


 ぴたっと返事が途絶えた。永井さんがガードを固めたんだろう。このスジは使えないな。悟った俺は、無理に押さなかった。


「無理をなさらないでくださいね。先輩たち、どんな感じだったーと雑談風に聞くくらいで十分です。もし卒業された生徒さんへのアクセスが難しいようであれば、顧問の先生に印象を聞かれるということでも構いません」


 ふっと息が漏れる音がした。


「卒業された方へのアプローチは難しいです。何か事件があったと勘ぐられると、私どもの評判に響いてしまいますので」


 やっぱりな。


「でも、同人誌の確保と顧問教師への聞き取りは出来ます。至急手配いたしますので」

「助かります!」

「それと、私の方で今日から麻矢ちゃんに護衛を付けました。沢本さんという年配の方です。写真を送りますので、ご承知おきください」


 ほっ。これで、俺の心配の種が一つ減らせた。


「永井さん、麻矢さんには護衛を付けたことを知らせたんですか?」

「いいえ。まだストーカーの特定が出来ていないんですから、護衛が付いたからと緊張を緩められてしまうのは困ります。護衛していただける時間も限られていますし」

「確かにそうですね。私と沢本さんとで同士討ちにならないよう、私のことは必ず沢本さんに伝えておいてください。後ほど私の証明写真を送りますので、沢本さんに確認してもらってくださいね」

「了解です。ご配慮、助かります!」

「今日の大学での聞き取り結果を私の見解込みでまとめて、これからバイク便で送ります。その配達員に、折り返し私宛ての荷物を持たせてください」

「分かりました。大至急用意いたします」


 ぴ。


 まだ犯人像が何も分からない、謎のストーカー事件。誰が麻矢さんにつきまとっているのかは、麻矢さんは知っているんだろう。それを誰にも明かさない理由が分からない。そこだけが、最初から今までずっと引っかかっているんだ。そいつをかばっているのなら、そもそも被害を訴えること自体しないだろう。もっとも悲劇的ではあるけど。でも、付けられて困ってるという事実だけは強く訴えている。その状態を解消して欲しいという欲求はあるんだ。


「うん?」


 待てよ……俺は自分自身で言ったじゃん。付けてるのが一人とは限らないって。つまり、現場に来ない第三者が指令を出して誰かを動かしている。そういうケースもありえるってことだ。

 ただなあ。あれほど地味な存在の麻矢さんが、大勢の人を加害に駆り立てるような事件の核心になりうるのか? いくら先入観で物を見るなって言っても、どうにも考えにくいんだよなあ……。見た目に感情が大きく動かない、理知的で物静かな女性。容姿や性格に求心力も遠心力もない。


 ああ、人ってのは、本当に分からないよな。俺だって、他人から見たら訳の分かんないオトコなんだろう。稼ぎのほとんどない探偵稼業に思い切り突っ込んで、毎日ひーこらひーこら言ってる。そんなの、どこがいいの? 楽しいの? ……ってね。


 全てはアンノウン。よく分からない。でも、そこから何かを引っ張り出さないと。


「何も変わらない。変えられないってこったな」



【第九話 アンノウン 了】



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